ドラゴンの前に 学院長 が 現れた。


《エインヘリヤル英雄養成学院》――通称《英雄学院》に無事到着した俺とリュー。

 しかし無闇に豪奢な学舎に入って早々、見知らぬおばさんに呼び止められて面倒なことになっていた。


 どうも生徒が共同生活を送る学生寮、その女子寮を管理する管理人らしい。このおばさんの話を、迂遠な言い回しや無駄な修飾を省いて要約すれば「今日からお前らは寮で男女別々に暮らすから、とっとと離れろや」とのこと。


 当然、従う気はサラサラない。


「ですから、これは規則なのです。たとえ読み書きもできない田舎者であろうと、我が学院の生徒となるからには規則を守ってもらわなければですね」

「だから、その規則に則って外から通う手続きを済ませてあるって言っただろ。全ての生徒が寮に入ってるわけじゃない。手続きさえすれば自前の住まいから通えるのは知ってるんだよ。こっちでの住まいも事前に確保してあるし、寮に入る必要はない」


 こっちは正しい手順を踏んで入学したんだ。なにを臆する必要があろうか。


 というかこのおばさん、俺とリューを引き離してどうこうしようって魂胆が見え見えだ。今も口先だけは丁寧だが、『田舎者の分際で小賢しい知恵働かせやがって』って忌々しそうに人を見下した顔していやがるし。


 俺も敬語を使ってない? 教師に畏まるドラゴンなどいない、そういうことだ。

 それに田舎者だからと見下してくる相手を、教師だからと敬ってやる義理は尚更ない。


「そんな話は伺っておりません。伺っていないから無効です。生徒は学院のルールに従うもの。いいから巫女様はこちらに、あなたは適当に案内でも見つけてなさい」

「だったら一番偉いおっさんに確認取れよ。そのおっさんなら間違いなく知っているはずだから。規則だのルールだのなんて言葉を持ち出せば、馬鹿な田舎者は言いなりになるとでも思ったか? 浅はかなんだよ、間抜け」

「――規則だと言っているでしょうが! 生徒なら黙って教師に従いなさい!」


 ほーら、すぐに化けの皮が剥がれた。

 怒鳴り散らす程度の威嚇で、この俺が怯むはずもない。

 それはリューも同様。俺にしっかり抱きつくことで拒否の意を表明する。


「や! リューはニシキと一緒。いつでもどこでも、おはようからおやすみまで、ご飯もお風呂もベッドも一緒!」

「いや、うん。勿論一緒だけど、そんな大きな声で言うことないよな? ここ、門を入ってすぐの広場だからな? めっちゃ生徒が横切ってるからな?」


 遠巻きに眺めていた生徒から、非難やら嫉妬やら憎悪やら羨望やらが混じった、黄色と黒が混じったような悲鳴が上がる。


 妬みまくりの野郎どもにはドヤ顔の一つでも返してやりたいところだが、腕に当たってるたわわな感触でそれどころじゃない。

 うん、いよいよ夜まで理性さんが持たなくなるから加減して?


「な、なんてふしだらな!? やはり若い男女が同じ屋根の下など言語道断……!」

「やめなさい。それが客人に対する態度かね」


 真っ赤な顔で叫ぶおばさんを制止したのは、なんか偉そうな白い髪に白いヒゲのおっさんだった。老人と言っていい歳だろうが、衰えは感じない。年齢だけじゃなく豊富な人生経験を積み重ねた威厳と風格が、背骨に芯の通った佇まいに表れていた。


 そのおっさんを前に、俺にはあれだけ威勢の良かったおばさんが、雷にでも打たれたかのように身を竦ませる。


「が、学院長!? これは、その」

「そのお二人が話した通りだ。彼らは外から通学することで入学の手続きは済んでいる。それについては君のところにも通達が届いているはずなのだがね? ああ、間違いはないとも。なにせ、私が手ずから書類にサインをしたのだからね」


 そう。外から通える手続きも、そのための住まいも、手配したのは他ならぬこのおっさんこと学院長だ。村長から辺境の領主に、領主から学院長に話を通して、俺とリューが学院に通うためのアレコレを用意してもらった。


 どうも村長と領主と学院長は縁浅からぬ付き合いらしいが、詳しいことは知らないし、大して興味もない。


 そしてやはり独断の行動だったようで、おばさんは青い顔だ。

 言い訳か説得か、言葉を並べ立てようとするのを、学院長の鋭い眼光が黙らせる。


「下がりたまえ。彼らの応対は私がしよう」

「…………はっ」


 最後にこちらを憎々しげに一瞥してから、おばさんは去っていった。

 しかし隠しているつもりだろうが、敵意は学院長のおっさんにも向けられていた。ありゃ機会さえあれば、おっさんを学院長の地位から引きずり降ろそうと企んでいる顔だ。どうやらこの学院も一枚岩じゃないらしい。


 で、おっさんは俺たちに向き直ると、なにやら深々と頭を下げてきた。

 媚びへつらうでも遜るでもない、威厳を少しも損なわない一礼だ。しかし周囲の生徒や教師たちは困惑も露わにどよめく。


 まあ連中からすれば、学院の長がたかが辺境の田舎平民ごときに頭を下げるなんてー、とか思ってるんだろうな。俺にとってはどうでもいい話だが。


「申し訳ありませぬ、《叡智与える蛇》の後継者よ。お越しくださって早々、不快な思いをさせてしまいましたな」

「ほう……?」


 それは、《竜》ならざる《龍》をよく知る者にしか通じない呼び名だった。

 この学院の中で一際気配が浮いていて、ただ者じゃあるまいとは思ったが。

 どうりでやけにすんなり俺たちを学院に迎え入れたわけだ。

 互いに、周囲には聞こえない声量で会話を続ける。


「その口ぶり、《ドラゴン》と《ドレイク》の違いを知る者か」

「貴方様の先代に当たるであろう御方と、かつて畏れ多くも戦友でありました。故に、貴方様が如何に偉大で恐ろしい御方であるかも、十二分に承知しているつもりです」


 生徒と教師たちの目がなければ、それこそ跪きそうな腰の低さ。


 その御方とやらが本当に俺の先代かはさて置き、このおっさんが《龍》と縁を持っていたのは事実だろう。おっさんからは微かだが、同族の残滓が感じられる。『血』を授かったこともあるようで、本当は見かけ以上に老齢のはずだ。


 とはいえ、俺がなにかしたわけじゃないし、俺に対して必要以上に畏まられるのも、それはそれで反応に困るな。侮られ蔑まれるよりかは断然いいが。


 そして学院長のおっさん相手でも敬語を使う気はない。

 だって、学院長に敬語使うドラゴンもいないだろう?


「ま、あんたには俺たちがここへ通うために、色々と便宜を図ってもらったからな。あんな木っ端の無礼くらいでとやかく騒ぐ気はない。無論、危害を加えてくる連中には容赦なく反撃するし……これから、あんたには胃の痛い思いをさせることになりそうだがな」

「それは、お招きした時点で覚悟の上ですとも。なにせドラゴンを学び舎に入れようというのですから。学舎が更地になる程度で済めば御の字というものでしょう」


 ほう、なかなか上手いことを言う。

《竜》は一体で一軍に匹敵するなんて言われるそうだが、《龍》は山火事とか竜巻とか津波とか、いわゆる天災と同列に語られる存在だからな。


 実は割と洒落にならない洒落を口にした学院長の顔には、色濃い疲労と悔恨がある。


「既にお気づきかもしれませんが、この学院は長きに渡る平和で毒され、腐敗が進んでいます。《ラグナロク大戦》を乗り越え、ラグナ王国が建国されて一〇〇年。人類を脅威から守護する使命を背負う《刻印》は、権力をひけらかすための道具に成り下がってしまいました。今の体たらくでは、到底これから先に待つ脅威を退けることなど……」

「なるほど。力に溺れた英雄の卵たちに対し、喝を入れる劇薬になって欲しいと?」

「大戦、また起きる? 脅威、復活する?」

「私が信頼を置く者たちが、既に各地で予兆を察知しています。《奈落》も活性化を始めているようで。お二人の巡り合わせも、あるいは運命の知らせなのやも」


 運命、ね。俺とリューの関係をそんな言葉で括られるのは、迷惑な話だが。

 俺とリューを結ぶもの。それは偶然でも運命でもなく、もっと激しくて熱い鎖だ。


「悪いが、俺は人類の行く末に興味なんてないし、俺は俺の目的があってこの学院に来たんだ。だから好きにやらせてもらうぞ。……ま、世話になった分とこれから世話になる分くらいは、気にかけとくよ」

「それで十分ですとも。神に至り、また神を滅ぼしたという《龍》の力を目の当たりにすれば、ナマクラと成り果てた英雄の卵たちも目を覚ましましょう。目が覚めぬというのであれば、それまで。人類はここで潰えるが定めということでしょう」


 この使命感やら責任感やら色々と背負ってるおっさんに、ここまで言わせるか。

 どうも知らない間に、世界は随分と危機的な状況にあるらしい。


 ま、俺には関係のない話だ。俺とリューのイチャイチャ青春スクールライフを邪魔さえしなければどうでもいいし……邪魔するなら何者だろうが滅するのみ。


「それで、早速申し訳ないのですが……お二人には特待生として、学院への編入試験はパスさせて頂きました。――主に学院の被害を避けるため、ですが。しかしそれに強く異議を唱える生徒がおりまして。試験の代わりとして自分と模擬試合を行えと……」

「――へえ?」


 自然と口元が、牙を剥くように笑みの形を作る。

 案の定、学院長のおっさんは早くもお腹が痛そうな顔になっていた。


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