第4話 書評 「夢二、加州客中」
私は、1980年ごろロス・アンゼルスに住んでいた。相変わらず経済的に恵まれず、一時「加州毎日新聞」(現在は無い)に、バイトのようなことをして書評を書かしてもらった。当時私は、神田了というペンネームで詩とか小説を書いていた。ある時、純文学と言う分野を離れ大衆小説に移ろうとペンネームを三崎伸太郎に変えた。「マリア」が売れた。その後は駄目で仕事に就いて現在に至っている。未だ貧乏で、最近貧乏が似合い始めて来た。
古い文章を探し出して、掲載することには少なからず抵抗を覚えるが経過した自分の人生の道しるべとして、ここに置いておく。意外と現在でも通用するな、と思った。
書評
「夢二、加州客中」袖井林二郎著
私は今、この本を読み終え、加州毎日新聞社の古ぼけた机に向かっている。
作者の袖井林二郎氏は、嘗てUCLAの大学院に在学中の頃、パートでこの新聞社に働いた人だと聞く。偶然にも、働き始めて一週間目の私が、袖井氏の「夢二、加州客中」の書評を書く機会に恵まれたことに幸運を感じる。
十年ほど前、京都に在住していた頃、キャベツばかりを食べていた時期があった。その頃、古本屋で竹久夢二の本物の絵を見た覚えがある。
それは葉書代の大きさで、入口を入った直ぐ横手の壁にかけてあった。値段は数万円だったと記憶している。
実に下手な絵で、自分が貧乏している分だけ、この大正時代の一時期を風靡(ふうび)した作家をクダラナク思ったものだ。
しかし、今は違う。彼の絵を好きになった。あの単純な構図の画が、神経の疲労のなせた業だと知り得たからだ。
多くの女性が竹久夢二の絵を好むのは、女性の母性本能が作者の病む心を感じ取りえるからではなかろうか。
与えられた天分のため、十二分に苦しんでいる人間は、案外素直な気持ちにもなれないものだ。
竹久夢二が加州において数多くの人達の世話になりながら、傷心を抱えたままヨーロッパに発ち、日本に帰国しなければならなかった理由には、日本の世論にも責任があったように思われる。この本の157ページから158ページにあるように、竹久夢二が報知新聞との契約上、ロス・アンゼルス・オリンピックを記者として取材し、帰国して書いた「旅中備忘録」に、その事がうかがわれる。
五千メートル決勝に出場した竹中正一郎が1周遅れてしまい、先頭の二選手に追いつかれた時、インコースを譲ったことが美談としてほめたたえられた事に関しての一文に「『スポーツマンらしく』とか『日米親善のために』とか称して、功利的な重荷を選手に負わせた結果、たまたま竹中の場合でも、私は少しも美談的快感を覚えず、ただ眼をつぶって竹中を可哀そうに思いながら、早く竹中がコースに入るの待っていた」と、ある。
マスコミが一方向に目を向け、それに大衆がこぞって賛同する時に「人間らしい目」で物事を判断し得る事は、抽象的な解釈かもしれないが、純粋にキラリと光る精神の持主より他に出来るとは思われない。
当時の日本は、大正デモクラシーの旋風が吹き荒れた後で人々に自信が生じ始めていた頃だ。
時代の歩むテンポも速かった。多くの傑出した芸術家が出たにもかかわらず、彼達はマスコミによってゆがめられ廃頽(はいたい)して行った。竹久夢二も例外ではない。
天才は人々からあざけられ、迫害されることが多い。それは、功利的な考えが、一般大衆の日常生活における姿勢の根本を成しているからだ。
しかし、人が他人を利用し自分を優位にもってゆくのは自然の姿である。その自然性を無視して自己犠牲を尊ぶなら、偽善の社会的価値判断に任せるしかない。
天才は社会的な日常生活への適応性を意識的、無意識的に犠牲にしている。
たとえば竹久夢二なら、彼は芸術至上主義の考えを持っていた。自分の芸術の完成を目指し、他をかえり見なかった。
常識人の観点からすると、彼の言動行動は不愉快なものとして映るだろう。
しかし私達は、歴史的考察から、芸術が人間の理性の向上と文化の発展に、過大に影響していることを知る。
結論付けるなら、芸術と創作する人間とを混同しないことだ。
袖井林二郎氏は、両方をきれいに二分して、今までにない人物伝を創り得た。これは、彼が客観的考察を多分に必要とする分野「政治学と歴史」を専攻する学者だから出来たのではなかろうか。
作者は文中で、竹久夢二の女性でありパトロンだった高橋しげ女史の一言を、自然に書き入れた。
「私は夢二の男に惚れたんじゃない。絵に惚れたんだ」
そして竹久夢二の気持ちは、175ページに掲載されている写真(アメリカを去るために、貨物船のデッキで丸太に腰をおとし、手摺に手を掛けている)の表情に、すべてが現われているようだ。
「彼は腹も空いていたが、何よりも心が飢えていた」
作者の筆による一文が浮かび上がってくる。
なお、同書は、集英社発行、定価 1,600円。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます