第3話 小説について
先週は、近くのハイ・スクールで毎月第三週の土曜日に行われる「フリーマーケット」(蚤の市)に出店したものですから結構疲れました。家内から小遣いをもらいましたので、早速ロッテリーを数枚買いました。ロッテリー購入者の70パーセントは経済的貧窮者だと言われています。私は中流の下で貧困の少し上ですので当てはまります。「よく調べているな」と、感心するのみです。カリフォルニアのサンホセ在住で経済的余裕の無い私は、小説が出来上がると先ず探すのがウエブ・サイトでの公募先でした。アメリカから小説公募に応募する郵便代金は結構高く、作品を書き上げても応募する事をためらったものです。
私は、日々生活に追われており暇な時に小説を書きます。一年に一作か二作でしたが最近一年半ほど書いていません。これには訳があります。私の小説は、小説公募の一次予選にさえも通りません。それでも、其の内にと思いながら書いていましたがある時、ふと、もう少し大衆的なものを書いてみようとミステリー小説のようなモノを書き上げました。「貨物」と題名を付けて、自分としては結構面白いと思いK社のウエブサイト公募に応募しました。しかし、一次予選で敗退。ウエブで調べると一次予選で落ちる作品は「小説」の体をなさない幼稚な作品だと書いてありました。どんなに程度の低い作品でも“体をなしている小説”であれば、一次予選を簡単に通過するそうですね。私には、さっぱり分りません。それで、自分の作品「貨物」を読み直してみました。サン・フランシスコを舞台にして、第二次世界大戦の日本軍の潜水艦がサン・フランシスコまでスパイと物理学者を運んでくるところや、麻薬組織、サン・フランシスコ湾に隠されていた金塊等、結構面白く読めます・・・ま、自分の能力の範囲で読むわけですから客観的に考察できないのでしょうけど。それで私は、一体何処が悪いんだと、頭にきてやる気を失ったわけです。それから、一年半ほど文章を書かなかったのですが今回{Youは何しに海外へ?}に参加し、ふと考えるところがありました。自分はアメリカと日本を根底とした作品を書いているので、日本的な感覚から離れた作品になっているのではないか、と言う事です。それとも本当に小説としての体をなしていないのかもしれない、とも考えています。しかし「小説として体をなす」とは、一体どう言うことなのでしょうか・・・このコンセプトを考えると、私の頭は混乱します。私達は皆、価値観や感じ方が違うのですから、出版社の読み手ばかりが判断すると少なからず歪(ひずみ)が応じてくるのでは、とも考えてしまいます。でも、歪は崩壊にも繋がりますので出版会社は慎重に小説を判断しているはず。やはり自分の小説の質の悪さだと結論付けるしかありません。それにしても、一次予選で何ども落とされるとやる気がなくなるものですねえ。学校の答案のように点数付けしてもらえれば、どの程度頑張ればよいのか見当がつきますが公募した出版社のページには「一次予選通過作品」などと無表情に書いてあります。味も素っ気も無いのが小説公募一次予選のページです。編集者たちは悪魔だと、思いました。
私は空想癖がありますので、小説を書くのは楽しいと思っています。書きたい題材が決まると没頭するタイプです。故小泉喜美子氏が「ミスター・グッドバーを探して」の解説の中で、作者は新聞の朝刊紙面の一文から興味をそそるヒントを得て一気に小説を書いた。日本の作家は小説を書くに当り、あれこれ沢山調べましたと得意そうに言っているが小説家とは一つのヒントを得て一つの小説を書き上げる程度の気迫が無いといけない、と書かれていたように記憶しています。(注:記憶に自信がない)
まったく賛成ですね。
今日、私の携帯にポップ・アップしたニュースの中でソニーの役員の言葉が気になりました。最近の若者は、コンピューターのスイッチを押す前に携帯のスイッチを先ず押すそうです。つまり、携帯用の小説が読まれるということでしょうか。星新一氏の「ショートショート」、若しくは少しづつ枚数を増やすストーリー等です。しかし、空想僻のある私には無理なので、全てを無視して自分のストーリーの中で遊ぼうと思います。
サン・ホセより。
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