友達
いつものようにお気に入りの場所に行くために裏口に近づくと、話し声が聞こえてきた。
声は3種類あった。どれも女性の声で、1つは聞き慣れた声、残り2つは初めて聞く声だ。
黄島が例のベンチで2人の人間と話をしているらしい。俺は柱の陰に隠れて彼女達の様子を伺うことにした。傍からみれば不審者のようだが、俺があの3人の前に出ても良いようになるとは思えないので、こうするしかない。
黄島はベンチに座り、友達らしい2人は黄島を囲うように立って喋っていた。黄島と同じくらいの年齢に見える。黄島は高校生だと言っていたから、恐らく彼女たちはクラスメイトだろう。
会話の内容は聞き取れないが、時々大きな笑い声が聞こえる。きっと楽しい話をしているのだろう。少しだけ柱から顔を出してみる。黄島の表情が見えた。
彼女はいつも以上に不自然な笑顔を浮かべていた。笑顔のまま固定されて別の表情は作れなくなっているみたいだ。あの顔が縁日の屋台のお面として売っていても、おかしいとは思わないだろう。
黄島の前に立つ2人はまったく違和感がないようだ。楽しそうに喋り続けている。なぜあの笑顔を見て何も思わないのだろう。彼女たちの目には、自然な笑顔に見えるのだろうか。俺の目がおかしいのだろうか。
よく耳をすませると、聞こえてくる声は殆ど聞き慣れない2種類のものだった。たまに、会話としての機能を保つために相槌を打っているような黄島の声がする。
いつだったか、友達がいてもつまらないと彼女は小さな声で言っていた。なんとなく、その意味が分かった気がする。
気持ち悪いな、と思った。なにが、と聞かれても答えられないが。
数分もしない内に会話は終わったようで、2人は手を振って去っていった。俺はベンチに近づいていき、なるべく平板な声で言った。
「俺のお気に入りの場所なんだから、あんまり他人に教えるなよ」
黄島は俺の声に一瞬驚いたような表情になったが、すぐにいつもの笑顔を作った。
「すいません。たまたまあの子たちが通りかかって、見つかっちゃったんです」
「まあ、別にいいけど」
俺はいつものように彼女の隣に腰掛けた。なんとなく空を見上げると、灰色で重たい雲が広がっていた。今にも耐えきれなくなった雫が地上に落ちて来そうだ。
「……本当は私との記憶は全部盗っちゃおうと思ってたんです」
黄島が突然言い出した事の意味が分からず、無言で見つめていると、彼女は軽く深呼吸してから続けた。
「でも、やっぱりやめました。私の事ずっと覚えていてください。私が死んだら、死ぬほど悲しんでください」
「おい、どうしたんだ?」
今日の黄島は様子がおかしい。なんだこの言い方は。これじゃあ、まるで…
「多分、もうここに来る事もできなくなると思います」
黄島はベンチから立ち上がり曇り空を見つめて喋り続ける。
「やっぱり、ゲームは私の負けみたいです。悔しいけど、楽しかったからいいです。付き合ってくれて、ありがとうございました」
「さっきから何を言ってるんだ。まだゲームは終わってな……」
最後まで言い切る事は出来なかった。俺の口が柔らかい何かで塞がれたからだ。黄島の顔が目の前にあった。何が起きてるのか分からなかったが、唇に当たる感触で、キスされたのだと気づいた。
数秒もしない内に唇を離した黄島は、少し震えた声で言った。
「また未練がひとつ無くなっちゃいました。幽霊になれなかったら、恨みますよ」
俺の頭はまだ混乱したままで、何も言う事は出来なかった。彼女は、また笑顔を作っていたが、その笑顔はいつもと少し違う。瞳が潤んでいる。
「楽しかったです。さようなら、洋介さん」
それだけ言って、彼女は病院に戻って行った。
まだ頭が正常に働かず、黄島の背中を見つめることしかできなかった。
ただ、「洋介さん」と言う声だけは、はっきりと脳に刻み込まれいる。
初めて、黄島が俺を名前で呼んだ。
頬に冷たい感触がした。それが雨の雫だと気づくまでに、時間を要した。
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