第3話 握手

「はぁ!?」


 ボクは今まで吸っていた息を全て出し切るくらいに驚きの声を上げた。


「いや俺、レジなんちゃらじゃないし、人違いですよ。てか、ここどこ?すっげぇ臭い」


 臭いのは君を呼んで大気中のマナが焦げているからだと思うよ。


 しかし、ボクの中での異界の王だった人物は一気に見ず知らずの人間へと変ってしまった。では一体彼は誰なのか?そこは先述した通り気にはなるが、今は藁にも縋る思いで、彼に頼るしかないのだ。


「えっと、今、ボクの村は山賊に襲われていて、窮地なんです。そのために三十分だけ異界の王を死霊魔術で蘇生したんですけど、やっぱり貴方は異界の王レジ・アダマではないんですか?」


 ふわぁ、っと気怠く欠伸をしてから彼は答えた。


「そうだけど?いや、ホントにここはどこ?俺、家に帰る途中だったんだけど?なんで小屋に瞬間移動しているの?」


 なんとただの帰宅途中の人間。これは使えなさそうだ・・・。


 やってしまった。その後悔の言葉だけが頭の中で駆け巡る。


 異界の王レジ・アダマならば山賊や将校程度は片手で捻りつぶしてくれるはずだ。なんて言ったって、書籍で出てくるレジ・アダマは本気を出せば山一つを一瞬で平地にするほどの力の持ち主。多分、人間を殺さず撃退する方が難しさを覚えるのだろう。

 現実は隅に置いておいた藁を嗅いで、嫌そうな顔をしている同年代位の人間。彼に剣や杖を渡しても山賊の一人を撃退できるかどうか怪しい。もし、もしもだ、武術の達人ならばこの村の窮地を救ってくれるかもしれない。


「あっ、でもさぁ、山賊だっけ?そいつらならやっつけてやってもいいよ。てかこのご時世に山賊って」


 ハハハと笑いながら彼は軽口で承諾した。

 このご時世以外に山賊がいないことでもあるのだろうか?


 いや待て、ちょっと待て。おかしいじゃないか。


「でも、さっき嫌だって」


「ん?撃退ってあれでしょ?殺さず村から追い出せって事でしょ?」


「そう・・・だけど?」


「村を襲うって事はさ、相手は殺しに来てるんだよ?君さ、甘くない?考えが甘いよ、喧嘩とかしたことないでしょ?相手はまた来るよ?殺さないと、無にしないと、付け上がって因縁つけて何度も村を襲われるよ?そのたびに君の知り合いが死んでいくんだよ?それでいいの?」


 淡々と彼は撃退後に起こり得るであろう現実を語る。確かにボクは喧嘩したことはない。兄弟もいないし喧嘩するように仲の良い友達もいない。彼がいう事は正しいし逐一理解できる。命を取り合う戦いになれば非情にならないといけない事も解っている。


 だけどボクにはまだその覚悟がないのだ。人を殺すという覚悟が。


 ボクは俯いてしまう。言葉にするのが怖くなった。彼に答えるのが怖くなった。


「解った。気に食わなかったのは"殺さない"って事だけ。だけど君に問うのは酷だったようだね。なので殺すのは辞める。誰も殺さずして、村の窮地とやらを俺が救ってあげるよ」


 彼はニコッと歯を見せずに笑った。ボクを安心させるために笑ったのだろうが、ボクはこの笑顔に対して違う解釈をした。


 彼はこれから戦いを楽しむのだと。


 どうしてそう思ったのかは自分でも理解はできない。恐らくは直感だ。


「君は魔術や武術の嗜みがあるの?」


 ボクは彼に重要な事を訊ねる。これだけは聞いておかないといくら蘇生したからと言えど、痛みはある。無理やりにも戦場へと行かせるのも事を成した後に自身の心が釈然としないだろう。


「ないよ」


 彼は即答した。


「ないの!じゃあどうやって山賊を倒すの!」


 余りの無責任な発言にボクは声を荒げる。

 彼は納谷の端に置いてある藁をかき集めるための鍬を手に取って一度だけ大きく素振りする。うーん、腰が入ったいい素振りだ!


 そんな事を言っている場合じゃない。嫌な予感しかしないのだけど・・・。


「よし、これでいっか」


 彼は鍬の全体を見つめつつ、手触りが気に入ったのか持ち手を摩りながら、うんうんと頷く。いや、その鍬すごく手触りが良くてボクも気に入っているけど。そうじゃないんだ。


「そんな鍬一つで戦えるような相手じゃないよ!山賊は魔術は使えなくても武術を使って来るはず!ましてやギド帝国の将校がいるんだ!将校なら魔術も使って来るよ。そんな武器とも言えない代物じゃ返り討ちにあうだけだよ!」


 彼はボクの言った事には聞く耳持たず、鍬を担いで納谷の扉に手をかけ、そこで止まった。


「君さぁ『誰も傷つかなきゃいいなぁ』って思ってない?」


「え?」


 ボクの心は彼に見透かされていた。


 図星だった。ボクは蘇生した彼の身を心配している。一刻も猶予がない状況で、だ。村の誰かが傷つき、命を落としているかもしれないのに、助けてもらいたい人物の心配をしているのだ。


 違う。


 ボクは自分の心配をしているんだ。彼がもし勝てなければボクが命を狙われることになるし、そうなれば彼を再び殺してしまったのはボクの責任だ。

 人を殺す覚悟もないボクが死霊魔術を失敗して現れた正体不明の彼に全てを預ける覚悟がある訳ないのだ。

 ボクは自分の保身だけを最優先に考えている。


「まぁとやかく言わないけど、時間ないんでしょ?」


 彼はそんなボクの心を見透かしながらも脅威に立ち向かおうとしている。レジ・アダマでなくただの帰宅時の人間なのに、ボクを、村を、自らの命をかけて助けてくれようとしている。


 彼と比べなくてもボクは今の自分が嫌になった。嫌になって、途轍もなく嫌悪感を抱いて。


 おもいっきり顔面を殴った。


 すっっっごく痛い!手加減を知らない拳は頬を貫いたかと錯覚させるぐらいの痛みを痛感させる。だが、これでいい。こんな少量の痛みで取り戻せない痛みが返ってくる訳がない、だけども不甲斐無い自分を殴らなければこれ以上前へ進めなくなってしまうところだった。


 彼はボクの行動を見て呆気に取られていた。その後に小さく失笑してから、ボクに向けて手を差し出した。


「まだ名前を名乗ってなかったよね?俺は麟児、阿玉麟児。君は?」


 ボクは彼に歩み寄り、頬を押さえていた手で彼の手を掴んだ。


「ボクはヨシュア。ヨシュア・カーウィンだよ。よろしくねリンジ」


 ボクは初めて彼に触れた。彼の手は温かく、生を実感できた。血が体を巡り、動脈が脈打っているのも感じ取れる。


 彼の鼓動が聞こえる。いや・・・これはボクの胸の奥から聞こえる音だ。安らかで、落ち着いていて、穢れた心を洗い流されていく。そう思える程に彼との握手は"何か"を得るようだった。

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