第十八節 女神の酒瓶

 ゴブリン退治に同行した俺は、ゴブリンに変身して巣に潜入した。

 そこでゴブリンに歓迎され、情が移ってしまう。

 俺は、集落に炎を放った冒険者を倒してしまった。

 俺を倒そうと冒険者が連れてきた者たちは、アヒル、ユリル、ミネルバだった。

 俺はとにかく逃げた。

「ま、待てー! ゴブリーン」

 ユリルは、俺だと気づいているくせに、そう叫びながら追いかけてきた。

 その横を、ミネルバがアヒルを抱えて走ってくる。

「はぁ……はぁ……お前ら、なんで全力で追いかけてきてんだよ!」

 俺は走りながら、アヒルたちに話掛ける。

「し、仕方無いじゃない……この場合、立場的に無視するわけにはいかないでしょう?」

 俺の後ろでアヒルが答えた。

「あんたの方こそ、そのゴブリンの姿なんとかしなさいよー!」

 俺たちは、それから10分間走り続けた。

 ほかの騎士や魔導師が見えないことを確認し、俺は変身を解いた。

「はぁ……はぁ……」

 俺もユリルも、地面に座り込む。

「ハァハァ……」

 ミネルバも息を切らしている――。

「アヒルちゃん……かわいい」

 いや……アヒルを抱いて興奮しているだけだった。

「まったく……無駄に走らせるんじゃないわよ!?」

 アヒルは、俺の頭に飛び乗った。

「お前は走ってねーだろう!」

「じゃあ、私たちは騎士たちのところに帰るから……あんたも、適当に戻ってきなさいよ」

 アヒルたちと、俺は別々に城に戻った。

 この騒動は、最終的にゴブリンには逃げられた――ということにしたらしい。

 ただ、ギルドの掲示板には、俺の似顔絵が描かれた――ゴブリンメイジの手配書が張られていた。


     ◇ ◇ ◇ 


 俺とアヒル、ユリル、ミネルバは、買い出しのために城下町の商店街に向かった。

 城下町はお祭りムードに包まれ、賑わっていた。

 3日後に国王の誕生祭が行われるのだという。

 店頭には色とりどりの花が飾られ、ベランダには国旗が立てられている。

「誕生祭当日は、この中央通りで馬車のパレードが行われるわ」

 アヒルは、ミネルバの腕に抱かれ嬉しそうに話出す。

「1年で一番盛り上がる日よ。今日から3日間は祝日で、各家庭ではホームパーティが開かれるの」

 日本で言うところの年末年始みたいだな。

「お祭りが開けるなんて、国が豊かな証拠だ……」

 ミネルバが呟く。

「わたしはずっとお婆ちゃんと二人暮らしだったから、パーティとかはじめて……」

 ユリルは、嬉しそうな表情を浮かべる。

 魔導師仲間でパーティをやるらしく、俺たちは食材を買いにきたというわけだ。

「おーし、みんなで食べて飲んで騒ごーぜ!」

 俺たちは、両手一杯食料を抱え込み城に戻った。

 城に戻るとローズに呼び止められる。

「あ、丁度良いところに帰ってきた。出かけるわよ、準備して」

「出かけるって……どこに?」

 俺はローズに問い掛ける。

「巡回よ。あんたたち、モンスター討伐で活躍したそうじゃない?」

「騎士や魔導師は、当番で城の外の道や村を巡回するのよ」

 リリィが答える。

「この間村が襲われていたのも、騎士が巡回していたから被害が甚大になる前に発見できたの」

 俺は、リリィに食材を手渡した。

「下ごしらえは、わたしがしておくわ」

「リリィの料理は期待できるんだから」

 アヒルが、嬉しそうに羽をばたつかせる。

 俺たちはすぐに巡回の準備をはじめた。

 ――と言っても、俺はステッキを持つだけだが……。


 城下町は、東西南北に伸びる大きな街道が走っている。

 俺たちは、馬車で西へと続く街道を進む。

 城壁まで行くと関所が設けられ、そこから町の外にでられる。

 馬車ごと通れる巨大な門をくぐると、広大な山々が見えてきた。

 馬車はゆっくりと山道を進んで行く。

「ここから、巡回の始まりよ」

 ローズは馬車の窓を開けた。

「馬車から降りないのか?」

「そんなことしたら……疲れるじゃ無い」

 ローズは、窓に肘をついて外を見ている。

「ずぼらなやつめ……」

「なにーっ! ガブー」

 小声で言ったら、アヒルが噛みついてきた。

「なんでお前が怒るんだよ!? 俺はローズのことを言ったんだよ!」

「一緒でしょう!?」

 俺もユリルと一緒に窓の外を見る。

 そこに人がいる様子も無く、木々の生い茂る山道だけが続いていた。

 一時間ほど走ると、道は下り坂になる。

 窓の外を見ているだけなんて、正直暇だった。

 景色も森ばかりで、楽しくもなんともない。

「はぁ……なんで私がこんなことしなきゃならないのよ」

 ローズは大きなため息を吐いた。

「私は世紀の大魔導師よ?」

「しょうがないじゃない……国家に雇われているんだから」

 リリィが、優しい声でローズを慰める。

「雇われの身は辛いわねぇ……」

「クエストを受注して、その報酬で生活しているわけじゃないんだな?」

「ギルドの依頼では収入が安定しないから……そういうことは、副業としてやるのが一般的ね」

 俺の問い掛けにアヒルが答えた。

 結局ファンタジー世界も、就職しないと生活できないのか……。

「ねぇ、大変! あれを見て」

 リリィが崖下を指差し声を上げた。

 窓から外を覗くと、馬車が倒れている。

 そして、複数のモンスターに取り囲まれていた。

「はぁん……オークねぇ……」

 ローズは、落ち着いた様子でそう言った。

「御者さん、急いであの場所に向かって下さい!」

 リリィは、御者の男にそう告げる。

「へい……飛ばしますよ? 掴まってておくんなまし……」

 ヒヒーン――。

 馬車は速度を上げて、坂を下る。

 数分で、襲撃されている馬車の前まで着いた。

 豪華な四人乗りの馬車が横転している。

 その周りを十体ほどのオークが取り囲んでいた。

 馬車に乗った人は、逃げたのだろうか? 姿が見えない。

 オークは、猪のような頭に相撲取りのような体つきだ。

 身長は2メートルほどはあった。

 想像していたより大きくて、威圧感がある。

 肉弾戦では勝てないだろう。

 そんな奴らが斧を持って馬車を破壊している。

「でけぇ……迂闊に近づいたら危険だな」

「オークはかなり獰猛なモンスターだからね……こうやって集団で行動して馬車を襲い食料を奪うのよ」

 アヒルが説明する。

 この迫力……正直言ってモヒカンの比じゃないぞ。

 こんなのが家の外をうろついているのを考えたら、家から出られないだろう。

「ま、私の相手ではないけどね」

 ローズは馬車の椅子にもたれながら余裕を見せる。

「私も手を貸そう」

 ミネルバが、レイピアを手に取る。

「へーき、へーき……ここで見てなさい」

 ローズは、そう言って馬車を降りていった。

「おい、大丈夫なのか?」

 俺はアヒルに向かって言った。

 アヒルは黙って腕を組み、不敵な笑みを浮かべる。

 なんだ……この余裕は?

 俺は、窓からローズを見守った。

 ローズは、すぐにオークに囲まれた。

 ブヒッ、ブヒッ――。

 オークは鼻息を荒くしている。

 ミネルバは、いつでも飛び出せるように、レイピアを手に取り腰を浮かしていた。

 ローズは、手を正面にかざすと魔法を唱える。

「グリモワールⅠの章・大気魔法気圧制御『雄風』ストロングブリーズ

「この魔法……俺も習得した風魔法だ! ユリルのスカートを捲るくらいしか使い道が無いやつ……」

「ちょ……あんた、そんなことに使ってたわけ!?」

 ユリルが、顔を真っ赤にして立ち上がる。

 ローズが、かざしていた手を地面に向けると、辺りに衝撃が走った。

 ドン――。

 一瞬の出来事だった。

 ローズを取り囲んでいたオークたちは、一斉に空高く吹っ飛ばされる。

 キーン――。

 その後、少し遅れて耳鳴りがした。

 ヒヒーン――。

 ガタガタガタ――。

 ローズの放った魔法の衝撃で、俺たちの乗っている馬車も大きく揺れて、吹っ飛びはしないものの、数メートルは移動した。

 ドン……ドン……ドン……ドン――。

 吹っ飛んでいたオークたちは、次々に地面に叩きつけられる。

 十階建てくらいのビルの高さまで吹っ飛び落下したのだから、無事では済まない。

 オークたちは血を流し、ぴくりとも動かなかった。

 ユリルもミネルバも、口を開けて立ち尽くしていた。

「すげぇ……同じ魔法でも、俺のと威力が違う……」

「どお? これが私の本来の力よ」

 アヒルが、どや顔で俺を見ていた。

「同じ魔法でも、瞬間的に注ぎ込むマナの量によって、威力を上げることができるのよ」

 リリィが、ため息交じりに呟く。

「一歩間違っていたら、私たちの乗る馬車も空高く吹っ飛んでいたけどね……」

 ローズは、襲われた馬車の方に歩いて行った。

 そうだ……襲われた人たちは無事だろうか?

 俺たちは、馬車から降り、襲われた馬車に向かった。

 横たわる馬車の中には誰もいない。

「どこか遠くに逃げたのかもね……」

 ローズが、辺りを見回す。

「いったん城に戻って、このことを報告しましょう」

 リリィは、俺たちにそう言った。

 俺たちは馬車を飛ばし、今きた道を引き返す。

 城に戻ると、リリィとローズは、ことの顛末を機関に報告しに行った。


 夜、俺とアヒル、ユリル、ミネルバは、ローズに連れられ酒場を訪れた。

 ローズはいつもの通り、男共と一緒に盛り上がっている。

「お前、毎晩宴会してんのか?」

 俺はアヒルに問い掛ける。

「ま、毎晩なわけないでしょう? 誕生祭だからよ……」

 アヒルはそう言って、酒をクチバシに流し込む。

「じゃじゃーん!」

 ローズは、テーブルに乗って酒瓶を頭の上に抱え上げた。

「見てよこれ、高級そうなお酒でしょう?」

「おおっ」

 男たちから歓声があがる。

 その酒は一升瓶ほどの大きさで、瓶の下には女神の彫刻が施されていた。

 女神が酒瓶を抱えているデザインをしている。

 ポーン――。

 ローズはコルクを抜いて、その酒を男共に注いでまわった。

「かんぱーい!」

 ローズは、グラスに注いだ酒を一気に飲み干した。

「おいしー」

 ローズは、極上の快楽を得たようで、にやけた面で天を仰いだ。

「うめー」

 男共も一気に酒を飲み干し、二杯三杯と注いでいく。

「私にも、ちょーだいちょーだい!」

 アヒルは、グラスを持ってローズに駆け寄った。

「おいしー」

「それ、どうしたんだよ? 高級そうだけど……」

 俺は、ローズに問い掛けた。

「あの馬車から、くすねてきちゃった」

 ローズは人差し指を立てて、声を落としてそう言った。

「助けたんだから……これくらい当然でしょう?」

「ばれたらどうすんだよ?」

「オークのせいにしておけばいいわよ」

 ローズは再びテーブルの上に乗る。

「さぁ、飲むわよーっ! あはははは」

 カランカラン――。

 ローズが盛り上がっていると、店の入り口の鈴が鳴った。

 剣を背中に担いだ、冒険者風の男が店に入ってくる

「お、ローズ、今日も盛り上がってんな?」

 男は、そのままカウンターに腰掛けた。

「今日はあまり派手にやらない方がいいぜ?」

 男は、ローズに話しかける。

「どういうこと?」

「兵士が、酒場をまわっているんだ」

 俺は、男の話に耳を傾けた。

「貴族の馬車がオークの襲撃にあったのは知ってるか?」

「え? えぇ……」

 ローズが返事をする。

「なんでもその馬車は、王の誕生祭に献上する酒を積んでいたらしく、その酒が盗まれたみたいなんだ」

 俺は、アヒルと顔を見合わせた。

 ローズの顔色がすぐれなくなる。

 男は話を続けた。

「転売されていないか、兵士が酒店や酒場を検査しているというわけだ」

「へ……へぇ……」

 それまで騒がしかった酒場は、一斉に静まりかえった。

「兵士は今、二軒先の酒場を検査しているから、もうすぐここにもくるだろう」

「そ、それは……どんなお酒なの?」

 ローズは、声を震わせながら質問した。

「ドラゴンブレスを100年熟成させた酒らしい……瓶に女神の彫刻が施されているそうだ」

 ローズは、手に持っていた酒瓶に目を向ける。

 すぐに手で、女神の彫刻の部分を隠した。

 瓶の中身はすっかり空になっていた。

「100年熟成……どうりで美味しいと……」

 ローズは、ゆっくりとテーブルから降りた。

「うわあぁぁぁっ」

 男たちは叫び出した。

「どうしよう……俺たち、王様の酒を飲んじまったー」

「ばれたら、よくて禁固刑……最悪打ち首に……」

 ローズは、空になった酒瓶を抱えて呆然としている。

「カツヤ……? 醸造魔法……使えたわよね……?」

 アヒルが、そっと耳元で話掛けてきた。

「まったく……」

「グリモワールⅥの章・分解魔法醸造竜ノ吐息ドラゴンブレス

 俺は、手の中のアルコールをグラスに注いだ。

「ローズ、飲んでみてくれ」

 ローズは、グラスに口を付ける。

 そして、険しい表情でグラスを置いた。

「さっき飲んだお酒と全然違うわ……こんなの渡したら、ばれるわよ」

「それなら、時を戻す魔法で100年前に戻って……」

「だめよ!」

 俺の案をアヒルが遮った。

「今私たちがいるのは50年前の世界……これ以上時の流れに逆らうようなことをしたら、時空の歪みが発生し、世界が崩壊しかねない」

「くそ、いい案だと思ったけど……それなら、どうすればいい?」

 アヒルは何も答えず、険しい表情を浮かべる。

「おい、兵士が近くまできてるぞ!」

 外の様子を伺っていた男が、店の入り口で声を上げた。

「とにかく、そのビンを持ってここを出るぞ!」

 ローズは、呆然として心ここにあらずといった感じだ。

 俺は、座り込むローズの襟を引っ張った。

「ミネルバも、こいつ連れて行くの手伝ってくれ」

「わかった」

 俺たちは、すぐにリリィの元へ向かった。

「リリィー、どうしよう?」

 ローズは、リリィに泣きついていた。

「まったく……すぐトラブル起こすんだから」

「ごめーん」

 昔のローズの破天荒具合はとんでもないな。

 今は、だいぶまるくなったらしい。

 俺は黙って、アヒルに目を向けた。

「なに見てるのよー」

「解決方法探してあげるから、ちょっと待ってなさい」

 リリィは、そう言って奥の部屋に入っていった。

「あの部屋には、多くの書物が置いてあるわ」

 アヒルは、リリィが入っていった部屋の方を見つめる。

「きっと、いいアイデアが見つかるかも」

 それから30分ほどすると、リリィが本を抱えて戻ってきた。

「魔法の文献を調べてみたの」

 リリィは、本を開きテーブルの上に置いた。

 そのページには、ローズたちが飲んでいた酒瓶と同じ絵が描かれていた。

「ローズの飲んだお酒はゴッデスブレス……ドラゴンブレスを聖域で100年間熟成して作られるお酒――とあるわ」

「ようするに、熟成させることができれば、同じ物が作れるってことか?」

 俺は、リリィに問い掛ける。

「その通り」

 リリィは、もう一冊の本をテーブルの上に置いた。

 そこには、魔法書の絵が描かれている。

「そして、熟成魔法は存在するわ」

「おぉっ、希望が見えてきたな!」

「熟成魔法の魔法書のページは、北の谷底にある白霧の祠にある――と書かれているわ」

 肩を落としていたローズは、それを聞いて立ち上がった。

「さっそく、行くわよ!」

「気をつけてね、強力なモンスターが守っているそうだから」

「モンスターですって?」

 ローズは、拳を力強く握りしめた。

「そんなもの、片手でひねり潰してやるわ!」

 俺たちは、すぐに馬車を走らせた。

 ランプを灯した馬車が、夜道を走る。

「夜はゴブリンや獣のモンスターが徘徊するから、気をつけないとね」

 アヒルは、心配そうに窓の外を見つめた。

 ウォーン――。

 ユリルは、獣の雄叫びが聞こえるたびに、びくついていた。

「なんで付いてきたんだ? 怖いなら、寮で待ってても良かったと思うぞ……」

 俺は、ユリルに話しかけた。

「だ、誰もいない部屋で、一人で待っているほうが……こ……こわいし……」

 ユリルは、そう言って俯いた。

 こいつは、お化けとかそういうたぐいが苦手なんだろうな……。

 北の道を進むと、やがて谷にさしかかった。

 その後、谷底を何時間も走り続ける。

 やがて霧が立ちこめてきた。

「なんか……気味悪い……」

 ユリルが、窓の外を見て震えていた。

 風に乗って流れる霧が、まるで魂のようにも見える。

 ユリルじゃないが、俺も悪寒を覚えた。

 ガー……ガー……――。

 馬車の中から音がする。

 俺は、すぐ後ろを振り返った。

 アヒルとローズが、仲良くいびきをかいて眠っていた。

 こいつら、まるで他人事じゃねーか!

 やがて霧の中に真っ白な建物が見えてきた。

「御者さん、ここで止めてください」

 リリィが御者に声を掛けた。

 馬車は、真っ白な建物の前に停車する。

 カタカタ……カタカタ――。

 俺のポケットの中で何かが震えている。

 手に取ると、それはコンパス――。

 50年前に戻ってから使う機会がなかったが、魔力に反応するコンパスだ――。

 針が震えているということは、魔法書に反応しているのか?

 アヒルとローズを起こし、俺たちは馬車を降りた。

 真っ白な建物は石造りで、体育館ほどの大きさがある。

 リリィは、その建物と本の絵を見比べた。

「ここが、白霧の祠で間違い無さそうね」

 俺たちは、その中へと足を踏み入れる。

 外も肌寒かったが、建物の中はさらに何度が温度が低くかった。

 まるで真夏のコンビニのようだ。

 コンパスの針が強く震えだす。

 魔法書は、この先にある!

 ロビーを抜け、細い通路を進んでいく。

 壁には炎が焚かれていたため、内部は明るかった。

 嫌な予感がした――。

 炎が灯っているということは、この中に誰かいるのだろうか!?

 ファウストのように、魔法書を狙うやつがいてもおかしくない。

 通路の突き当たりの壁に、不自然に動く影があった。

 俺たちの影じゃない――。

 だとすると――。

「止まって! 何かいる」

 アヒルが叫んだ。

 その影は、一歩一歩近づいてきているようだ。

 丁度曲がり角になって、影の正体はこちらからは確認できない。

 しかし、その影だけでも、そこになにがいるのか、十分過ぎるほど分かった。

 鋭い牙と爪、背中に大きな翼を持っている。

 まさか――。

「竜!?」

 俺は思わず声にした……そして、その場に立ち尽くす。

 皆もその影を見て、足を止めた。

「どうすんだよ……こんなところに竜がいるなんて」

「た……戦うの?」

 ユリルは、怯えた声で俺の方を見つめていた。

 俺は、何も返事ができなかった。

 こんなところで、戦うはめになるとは……。

 影は、一歩一歩近づいてきている。

 カチッ――。

 ミネルバは、腰のレイピアに手を添える。

「待って……おかしいわ……」

 アヒルが呟いた。

「もしこの先に竜がいるなら、もっと重圧を感じるはずよ」

「確かに……」

 アヒルの言葉にミネルバが答えた。

「そもそもこの建物に入る時に、人を寄せ付けない程の威圧感を感じ取れるはず……ここに、そんな強大なモンスターがいる気配は感じないわ」

 俺もアヒルの言っていることは、よく分かった。

 俺が感じたのは、魔法書の魔力だけ……。

 それならば、あの影はいったい……。

「みてなさい」

 ローズは、そう言って一人で影の方へ進んで行った。

「お、おい……」

 角を曲がりローズの姿は見えなくなる。

 すると、竜の影の前に巨大な人型の影が出現した。

 まさか……ローズが巨大化したのか?

 ローズを前にした竜は、後ずさりをはじめる。

 巨大なローズの影は握り拳をつくり、竜に向かって拳を振るった。

 竜は顔面を変形させて、吹っ飛んでいった。

 竜を拳で殴るなんて!?

 ローズの破天荒さにもほどがある。

 やがてローズが、曲がり角から姿を現した。

 すっかり元の大きさに戻っていた。

 そして、手に何かを持っている。

 それは、ブヨブヨしたゼリー状の物体だ。

「正体はこいつよ」

 ローズは、手にしていたゼリー状の物体を俺たちに見せてきた。

「スライム!?」

 アヒルが声を出す。

「竜に擬態してたのよ……炎の光で巨大な影を映し出していたってわけ」

「影で脅して、人を踏み入れないようにしていたのね」

 アヒルは納得して頷いていた。

「正体が分かれば、どうってことないわ」

 ヒュン――。

 ローズは、手に持っていたスライムを投げ飛ばした。

 ベチッ――。

 スライムは、壁に当たって地面に落ちる。

 そして、逃げるようにしてどこかへ姿を消した。

「さぁ、魔法書のページを探しましょう」

 ローズはそう言って、先頭を歩き始める。

 俺たちは建物の最深部へと足を運んだ。

 その部屋は、四箇所に炎が焚かれ、台座の上に石棺が置かれている。

「カツヤ、蓋を取ってみて」

 アヒルは、ミネルバの腕に抱かれながら俺に言った。

「呪いとか……ねぇだろうなぁ?」

「平気よ……きっと……」

 アヒルは、軽い感じで答える。

 そのいい加減さに、不安を覚えた。

 俺は石の蓋に手を添えた。

 ひんやりとしている。

 ズズッ――。

 石の蓋は重く、体重を掛けて少しずつ移動させた。

 ゴン――。

 石の蓋が地面に落ちる。

 棺の中には、死体などはなく、ただ魔法書のページだけが置かれていた。

 俺はそれを手に取り、アヒルに渡した。

「間違い無いわ……熟成魔法よ」

「はぁ……これで、私の首も飛ばずにすむわー」

 ローズは、その場に座り込んだ。

 俺たちは、祠を後にし馬車に乗り込んだ。

「あのスライムには感謝しなきゃね……人を寄せ付けないように守ってくれていたおかげで、こうして私たちが魔法書のページを手にすることができたんだもの」

 アヒルは、窓の外を見つめながら呟いた。


 俺たちが城に戻ったころには、すっかり太陽が昇っていた。

「グリモワールⅥの章・分解魔法醸造竜ノ吐息ドラゴンブレス

 俺は、空の酒瓶の中にドラゴンブレスを注ぎ込んだ。

 キュッ――。

 酒瓶のコルクを閉める。

 俺は、手に入れた熟成魔法の詠唱を始めた。


 この地に眠る精霊よ。

 我がマナを対価とし、そなたの力を貸し与えよ。

 時は今に、場は我が両の手に。

 この国に反映をもたらさんが為に。

 契約の刻印に魔導師リボンの名を刻む。


 俺はナイフで親指を切って血判を行った。


 今ここに汝との契約は交わされた――。


 俺は、酒瓶に両手を当てた。

「グリモワールⅥの章・分解魔法熟成醸造酒エイジングブレス

 魔法を唱えると、透明だった酒は、徐々に黄色に変わっていく。

「100年て……どれくらいだろう?」

 やがて、酒の色は真っ赤に染まる。

「飲んだお酒と同じような色になったわ」

 ローズが声を上げる。

 俺は、魔法を止めた。

「完璧じゃない」

 ローズは、酒瓶を手に取った。

「機関には、オークをぶちのめして見つけたと言っておくわ」

 ローズは酒瓶を持って、城に向かっていった。


 誕生祭当日――。

 ヒュー――。

 パァン――。

 城下町の上空に、無数の花火が打ち上げられる。

「きれい……」

 ユリルは、その光景に見とれている。

 花火を見るのも、初めてなのだろう。

 城下町は、人で溢れかえっていた。

 楽器隊の奏でる壮大な音色が、町中に響き渡る。

 何台ものパレードの馬車が、メインストリートを埋め尽くした。

 俺たちは、寮の食堂で昼食を取っていた。

「お酒は国王陛下に無事届けられたわ……この後のパーティで飲むらしいわよ」

 ローズが料理を口にしながら、状況を説明してくれた。

「よかった……一件落着ね」

 アヒルは、ため息を漏らす。

「これも、リリィのおかげよ……ありがとう」

 ローズは、リリィに抱きついた。

「これに懲りたら、もう無茶はしないでね?」

 リリィはローズに笑顔を見せる。

「みんなに見せたいものがあるんだ」

 ドン――。

 俺は、酒瓶をテーブルの上に置いた。

 ワインの赤をもっと濃くしたような、真っ赤な酒だ。

「どうしたの? そのお酒……」

 それを見たローズは、驚いて声を上げる。

「同じ物、もう一つ作ったんだ……」

 俺がそう言うと、歓声が上がった。

「飲もー!」

 ポンッ――。

 ローズは、コルクを外しグラスに注ぐ。

「かんぱーい!」

 ローズとアヒルは、グラスを一気に飲み干した。

「うまーい……」

「どうれ……俺も一口」

 俺はグラスを手にする。

「カツヤあんた、未成年なんだから飲んじゃだめでしょう?」

 アヒルが、俺のグラスを奪おうとする。

「中身おっさんだから大丈夫だよ」

「え? 今なんて?」

「いや、なんでもない」

 俺はぐいっと一杯飲み干した。

 な、なんだこの底知れぬ旨さは……。

 口の中に広がる甘みと酸味のハーモニー……。

 まさに、快感……。

 ん?

 ギュルギュルギュル――。

「なんか腹の調子が……」

「私も……」

「腹いてーっ!」

 俺とアヒル、ローズはトイレに向かって一斉に走り込んだ。

 しかし、食堂にあるトイレの個室は一つしかない。

 俺は、個室の扉を手に取り素速く中に入った。

 勝った――一着。

 そして、すぐに鍵を掛けた。

 ガチャン――。

「ふう……」

 ドンドンドンドン――。

 扉を激しく叩く音がする。

「カツヤー、出てきなさい!」

 アヒルとローズが扉を叩いている。

「む、無理だよ……」

「私が先よー!」

「アヒルなんだから、外ですりゃいいだろう?」

「なによ、レディに向かって!」

「こうなったら、扉解除魔法使うわ」

 ローズはそう言った。

「よせー、バカー、開けんなよー?」

「グリモワールⅢの章・造形魔法錠前解錠ロックピッキング

 ガチャリ――。

「うわあぁぁぁぁっ」


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⇒ 次話につづく!

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