第十一節 楽園アトラントシティ

 俺は城下町に向けて馬車を走らせていた。

 荷台にアヒルとユリル、そして連れ去られた弟を助けようとしている少年を乗せている。

 前方には小さく檻の付いた馬車が見える。

「もう少し速度を上げないと、見えなくなりそうだ」

 見失ったら、方角が分からないからな。

「ハイドー、イセカイテイオー」

「坊主、名前は?」

 俺の隣に座る少年に声を掛けた。

「ジャックだ」

「俺はカツ……リボン」

「リボンちゃんか……かわいい名前だな」

「おう、そうだろう」

 うっかり転生前の名前を言ってしまいそうになる。

 これからはリボンで通そう。

「ちょっとカツヤー、このパン食べていい?」

「カツヤって?」

 ジャックは、不思議そうに俺を見ている。

「あぁ……きっと……アヒル語だろう……」

 アヒルには、うっかりカツヤ――って言ってしまったからな……もう訂正できん……。

 それにしてもあいつは、食べることしか考えてねーのかよ。

「そんなに、食ってると太るぞ?」

「え……?」

 アヒルの手は止まった。

「ちょ、ちょっとくらいなら……大丈夫よ……」

 アヒルは、パンを手にしたまま考え込んでいる。

「ユリル、半分食べる?」

 あいつに俺の食料食われそうになったら、今度からこの作戦で行こう。

「城下町ってどんなとこ?」

 アヒルは、パンをかじりながらユリルに問い掛ける。

「楽園よ……こんな荒廃した世界で唯一の……」

 ユリルはそう言って笑顔を浮かべたが、その表情は無理して作っているようだった。

「城下町ってことは城があるんだろう? そこって、アヒルの国なのか?」

 アヒルは、不思議そうな顔を浮かべる。

「アヒルの国って何よ?」

「自分は王女だったって、いつも言ってんじゃねーか?」

 アヒルは驚き、思い出したようにしゃべり出す。

「そ、そうだった……私の国とは別の国よ」

 まさか、自分が王女だってことも忘れ始めたんじゃ……。

 遂にアヒル化が始まったか。

「私の国は……滅んでしまったから」

 これまで、はしゃいでいたアヒルは急に元気を無くす。

 思い出したくないことを、思い出させてしまったようで気が引ける。

「悪かったな……」

 アヒルは首を横に振った。


 うだるような暑さの中、数時間馬車を走らせた。

 アヒルは、樽の上ですっかり干からびて一言も喋らない。

 やがて、一面を塀で囲われた町が見えてくる。

 これまで見てきた中で、最も大きな町だ。

 塀の中には幾つもの石造りの建物が見え、ところどころに木々が生えている。

 この世界にきて、樹木を見るのは初めてだ。

 そして、町の奥の高台には立派な城が見えた。

 まさに、ファンタジー――俺が望んでいた世界は、これなんだよ!

 俺は余りの嬉しさに、浮き足立つ。

 それまで身動き一つしなかったアヒルも起き上がり、目をきらきら輝かせている。

 俺は、大きな門の前に馬車を止めた。

 そこには、槍を持った兵士が二人立っている。

 門の上は見張り台のようになっていて、その場所にも兵士はいた。

「ギルド所属、魔導師ユリルよ」

 ユリルは書類を兵士に見せる。

「こいつらは連れ」

 兵士は俺たちをジロジロと見ていた。

 別の兵士は、荷台を検査している。

「子供だけか……荷物は食料と水だけ……」

「問題ないな、通って良し」

「部外者は入れないわ……わたしと一緒で良かったでしょう? 感謝しなさいよ」

 確かにこんな厳重な警備だと、変身して侵入しようとしても、すぐに見つかってしまいそうだ。

 ギギギギギ――。

 大きな音を立てて、門は開いた。

 俺たちは馬車で中に入る。

 そこには、これまでに見たことのない世界が広がっていた。

 大通りに沿って商店が並び、野菜や果実を売っている。

 皆、食料を大量に買い込んでいる。

 今まで見てきた村とは、まるで別世界だ。

「ようこそ、アトラントシティへ」

 ユリルは笑顔でそう言った。

 なんでこの町は、こんなにも豊かなのだろうか?

 大通りの先には、檻の付いた馬車が走っていた。

「ここでいい!」

 それを見たジャックは、馬車から飛び降りた。

「連れてきてくれて……ありがとな」

 そう言って彼は、駆けだして行った。

「おい……」

「私たちにできるのは、ここまでよ。悪いことをしていたのは、あの子たちなんだし……」

 アヒルは俺の横に立ってそう言った。

 食料を盗まないと、生きていけない世界……か。

「誰が……悪いんだろうな?」

 俺は独り言のように呟いた。

「誰も……悪くないわよ」

 俺の言葉に、アヒルはそう答えた。

 俺は少年を見送った。

「この町、少し見て回りたいわね」

「いい場所があるの」

 ユリルは樽の上に手を突いて、荷台から顔を覗かせている。

 俺は、道から外れたところに馬車を止めた。

 ユリルに付いて、石造りの階段を上がる。

 緩やかな階段を10分ほど上ると、高台に辿り着く。

 そこは、ベンチが置かれた小さな広場になっていた。

 ここから町が一望できた。

 手すりに手を突いて、景色を眺めた。

 吹き付ける風が清々しい。

 城を取り囲むように、家々が建ち並ぶ。

 どの家も、真っ白な壁に、橙色のレンガ作りの屋根をしている。

 統一性があって美しい景色だが、こうも同じ建物ばかりだと迷子になりそうだ。

 家々の外側には、大規模な田畑が広がっている。

 壁の外側は、荒れ果てているのに、塀に囲われたこの場所は、まさに楽園と呼ぶに相応しい所だった。

「大通りに沿って商業地区、その外側に住宅地区よ」

 ユリルは、指を指して説明してくれた。

「あっちの尖った屋根が大聖堂。ギルドは、あの辺りにあるわ」

「ギルドは、後で行ってみたいな」

 俺はユリルに言った。

 ファンタジーと言ったら、ギルドで依頼を受ける――これが定番だ。

 風に乗って、良い香りが漂ってくる。

 この場所は人気のようで、俺たち以外にも客はいた。

 長い髪の女性は、俺たちと同じように手すりに手を突き、景色を眺めていた。

 俺がその人を見つめていると、彼女は振り返らずに呟いた。

「ここは、いい眺めね」

 その人は、モヒカンをレイピアで倒したあの女性だった。

 彼女も、俺に気がついたようだ。

「あら?」

「さっきは助かったよ」

「素敵な町でしょう? みんな幸せに暮らしている」

 彼女は笑顔を浮かべる。

「この幸せが、永遠に続けば良いのに……。いいえ、続くように私が精進しなければならないな」

 彼女は、俺にそう言った――いや、独り言なのかも知れない。

「俺は見てきたんだ……すべての町がこんなではないことを」

 俺がそう言うと、彼女は俺の顔を見つめた。

 美人に見つめられると緊張する。

 俺は言葉を続けた。

「人々は苦しみ、それでも耐えて懸命に生きている……。いつかみんなが、こんな暮らしができるようになるといいな」

「きみは、ほかの子とは少し違うわね……」

 彼女に見つめられると、すべてが見透かされる――そんな気がした。

「そうか?」

 俺は、思わず目を背けた。

「みんな、自分が生きるのに精一杯なのに……どこか余裕があると言うか……」

「それは、俺がここにきて間もないからなのかもな……」

「カツヤー、行くわよー」

 振り返ると、ユリルの頭に乗ったアヒルが手を振っている。

 俺は美人の女性に背を向けて口を開いた。

「それに……余裕があるやつがやらないで、誰がこの世界を救えるんだ?」

 俺は振り返らず、アヒルとユリルの元へ歩いて行った。


 俺たちは丘を下り、ユリルに連れられて町を散策した。

「この国には通貨があるの」

「え? そうなの!?」

 ユリルの言葉に、アヒルは驚いて大声を上げた。

 紙幣なんて、ただの紙切れと化したと思っていた。

「農家は家畜を育て穀物を作り、商人に売って通貨にする。商人はそれを売って通貨を得る。人々は商人から食べ物を買う」

 ユリルは説明する。

「昔はそれが当たり前のことだったわ……」

「金の多さが物を言う時代は終わり、力の強い者が上に立つ時代になったと……」

 俺はそう言葉にした。

 なんか、どっちもどっちって気がするけどな……。

「この国では、人々は様々な方法で通貨を得ているの。家を建てたり、土地を耕したり――そういった依頼が国からギルドに発注されるのよ」

「ギルドって聞くと、モンスター退治だけかと思っていたけど」

「今はモンスター、いないものね」

「わたしの場合は、野盗退治が主な仕事ね」

「はぁぁぁ、こんなことならお金取っておくんだった……」

 アヒルは大きなため息を吐いた。

「わたしのお気に入りのレストランがあるんだけど……お金があれば食べられるわ」

「え? レストラン……?」

 アヒルはよだれを垂らしている。

「行きたいけど、お金持って無いからな……」

 俺がそう言うと、ユリルは少し言いづらそうにしながら呟いた。

「よ、よかったら……おごってあげてもいいけど……」

「え? いいのか」

「ありがとう!」

「馬車に乗せてくれたお礼よ……」

 ユリルは、恥ずかしそうにそう言った。

 俺は、ユリルの後に付いて大通りを歩いて行く。

 いや、まてよ……? 思いだした! 確か俺この世界にくる時、課金したのがあったはず……。

 でも、ここはユリルの顔を立てて黙っておこう。

 折角おごってくれるって、言ってることだしな。

「そう言えばカツヤ、お金持ってなかったっけ?」

 アヒルのその一言で、ユリルは足を止め振り返った。

「な……お金持ってるのに、持ってないふりしてたわけ?」

 俺の目が泳ぐ。

 ユリルは顔を真っ赤に染めている。

「あ、あんたは自分で払いなさいよね!」

 空気が、読めないアヒルめ……。


 レストランは通り沿いにあり、混雑していた。

 白い石壁に大きな窓が付いていて、外の景色が見渡せる。

 店の奥には、煉瓦造りのオーブンが見えた。

 厨房から、良い香りが立ちこめてくる。

 俺たちは、テーブルに着いた。

「この店では、お肉も食べられるのよ」

 肉……。

 俺は思わず喉を鳴らす。

 やがて、ユリルのお任せで頼んだ料理が運ばれてきた。

 色艶やかな料理をのせた皿が、テーブルを覆い尽くす。

「いただきます」

 俺は、パンを薄くのばして、具とソースを掛けたピザのようなものを口に運ぶ。

 ジュルリ――。

「うまいっ」

 俺は思わず、大声を上げる。

 周りのテーブルから笑い声が聞こえる。

「ちょっとカツヤ、恥ずかしいでしょう?」

「うまいものを食って、うまいと言って何が悪い……」

「どお? わたし一押しのお店って言ったでしょう?」

 ユリルが、得意げに腕を組んでいる。

 頬の内側に唾液が溢れ出す。

 少し酸味の利いたソースが絶妙だ。

 そして、次に骨付き肉に手を伸ばした。

 ハムハム――。

 肉の歯ごたえ、この弾力。

 忘れていた肉の食感だ――。

 スパイスが利いていて、食欲をそそる。

 俺は、ほかの料理も、ここぞとばかりに食い尽くした。

 アヒルもテーブルに乗って、鶏肉を頬張っている。

「お前……それ、共食いじゃないのか?」

「わたひは、おうりょよーっ」

 唾と食いカスが飛んでくる。

「分かったから、もう喋るな」

 久しぶりのお肉の味は、サイコーだった。

 食後にコーヒーのようなドリンクを飲みながら、膨れあがった腹を叩く。

 思えば……毎日、パンと芋ばかりだったからな。

 アヒルは口の周りにクリームを付けながら、デザートのケーキを頬張っている。

「その辺にしとかないと、明日から空腹で辛くなるぞ」

「いいの……今がよければ、それで……」

 計画性のないアヒルだ。

 窓から通りを眺めていると、人々は駆け足でどこかへ向かっているようだ。

「なんか、騒がしいな……」

「国王の謁見があるみたい」

 表を見に行ったユリルが戻ってくる。

「行ってみましょうよ」

 アヒルは乗り気でそう言った。


 城の前は広場になっていて、そこに大勢の人が集まっていた。

 中央には低い塔のようになっていて、周りを鎧を着た兵士が取り囲んでいる。

 塔の横に止められた豪華な馬車から、真っ赤なマントを羽織った男が降りてきた。

 頭の王冠が輝いている。

 その瞬間、人々から歓声が上がった。

「国王アトラス様よ」

 ユリルが説明してくれた。

 王は、広場中央の塔のてっぺんに上がった。

「民衆の諸君――」

 王がしゃべり出すと、再び歓声があがる。

 彼は両手をあげて、声が収まるのを待った。

 そして、再び口を開く。

「荒廃したこの世の中において、この国は目覚ましい発展を遂げた。それもひとえに、諸君らの血の滲むような努力があったからに違いない。私は、ここにいるすべての人に感謝し、そして敬意を払おう――」

 王の演説は、常に歓声に包まれていた。

 人々の、支持の高さがうかがえる。

 王の演説が終わると、後ろにいた女騎士が前に立つ。

 王に負けないほどの歓声が上がった。

「我ら王国騎士団は、皆の安全と平和を守るため、槍となり、盾となろう――」

「ミネルバ様は素敵ねぇ」

 近くにいた夫人がそう呟いた。

 スタイル抜群の金髪の美女――見覚えがある。

「あれ、さっきの姉ちゃんじゃねーか」

「騎士様だったのね」

 ミネルバの演説中に、広場の中心付近で人がざわつき始めた。

 槍や斧を持った者たちが、中央の塔に向かって押し寄せている。

「貧民街の奴らだ」

 近くにいた男はそう言った。

 すぐに兵士が、制圧に向かう。

「低俗ね」

「早く一掃してしまえばいいのに」

「いつまで野放しにしているんだ」

 人々から罵声が飛ぶ。

 ミネルバは、暴徒に向けて声を上げて叫んだ。

「武器を捨てろ! 争うことで、何が得られるというのだ?」

 その言葉に対して、暴徒は言葉を返す。

「自由だ! 欲しいものは力で奪い取る」

 ミネルバは一度目を閉じた。

「力か……」

 そして、腰に差していたレイピアを手にする。

「不本意ではないが、私が相手をしよう」

 彼女は塔から飛び降り、暴徒に対してレイピアを振るう。

 その剣裁きはみごとに手だけを突き刺し、刺された者はその場に武器を落とした。

 人々から歓声があがる。

 相変わらず凄い腕前だ。

「引っ捕らえろーっ」

 ほかの兵士たちが、武器を無くした暴徒を捕まえる。

「動くんじゃねー!」

 暴徒の一人が、子供の首に腕を回し、ナイフを突きつけている。

「お前ら、剣を捨てろ、どうなってもいいのか?」

 兵士たちは、その場に立ち尽くした。

「なんという卑劣な……」

 ミネルバはそう言葉にして、構えていたレイピアを下ろす。

 さすがにこれは見逃せねーぞ。

「カツヤ……」

 アヒルは俺の顔を見た。

「あぁ……俺も助太刀する」

 俺は腰に手を当てて、マジカルステッキを天高く付きだした。

「へん――、しん――」

 俺の体は、光に包まれ宙に浮いた。

 魔法使いプリティ☆リボンこと吉野克也は、ステッキのスイッチを入れることで、モンスターに変身するのだった。

 着ていた服は消え裸になる。

「おぉっ」

 町の住人から声があがる。

 暴徒たちも、嫌らしい目で俺を見ている。

 こんな大勢の前で……恥ずかしい……。

 そして、煙に包まれた。

 ぼわん――。

 今回は、何のモンスターに変身したのだろうか?

 なんと手足は全部で4つだ――虫じゃない!

 指先には、吸盤が付いている。

 全身は鮮やかな緑色。

 俺は口にあたる部分から、顔だけを出す形になっている。

 その口の部分からは、長い舌が伸びている。

 これは、おそらくカエルだな。

 この舌を使って、あのナイフを奪えば……。

 俺は舌を、子供を捉える男に向けて伸ばした。

 シュルシュル――。

 舌は、まるでゴムのように伸びて飛んでいく。

 そして、ナイフではなく、子供の体にくっついた。

「あ……」

 舌は縮んで、子供を俺の方に引き寄せた。

 子供を捉えていた男は唖然としている。

 俺の目の前にきた子供は、俺の顔を見上げた。

「よぉ」

「うわーん」

 泣きだしてしまった。

「ちょっとカツヤ! 何泣かせてるのよー」

「いや本当は、ナイフの方を奪おうとしてだな……」

「ごめんね、もう大丈夫だからね」

 ユリルがやってきて、子供をあやしている。

 男は、兵士たちに取り押さえられた。

「まぁ、結果オーライだろう?」

 ミネルバが俺たちの元にやってきた。

「ありがとう助かったよ。きみたちとは縁がありそうだね」

 女騎士は、兜を取り一礼をした。

「私は王国騎士団長のミネルバ」

「俺は、カツ……リボンだ。魔法少女リボン」

「リボン嬢……以後、お見知りおきを」

 子供は、ミネルバの足元に抱きついた。

「おねーちゃんありがとう」

 母親と思われる人物も、駆け足でやってきた。

「ミネルバ様、ありがとうございます」

 ミネルバは首を横に振る。

「すべてリボン嬢のおかげだ。礼は彼女に言ってくれ」

 そう言うと、背を向け去って行った。

「かっこいいわねぇ」

 アヒルは、そんな後ろ姿に見とれている。

「これが縁で、王様から何か依頼されたりしないかなぁ」

「あんた、大したことしてないじゃない? 子供を舌でなめ回していただけでしょう?」

「人聞きの悪いことをいうな! 知らない人が聞いたら勘違いするだろうが!」


 やがて、暴動は収まった。

 兵士が暴動を起こした人々を連れて行く。

 ユリルは、彼らを見つめていた。

 その表情は悲しそうだった。

「どうしたの?」

 アヒルは、ユリルの元に近づいていった。

「彼らは、この町の犠牲者なの……」

「それはどういう……」

 アヒルが最後まで言う前に、ユリルは続けた。

「表向きは楽園でも、皆が幸せではないということよ……」


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⇒ 次話につづく!

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