74 彼女はきっと、あなたを心から愛してくれますから

『わたくしがずっと婚約を望んでいるのは、今も昔も青葉様おひとりですわ』



 長い睫毛が瞬く度に、ぽろりぽろりと真珠のような涙が落ちる。


 その綺麗な雫を見て、僕はようやく、その言葉が嘘ではないのだと理解した。




***




 泣いていた。いつもどんな時でも冷静で、決して感情的にはならず理性的な薫子が、僕のことが好きだと言って泣いていた。そうさせたのは、他の誰でもなく、自分だと自覚している。


 彼女は兄さんのことを好いていると思っていたから、僕は驚いてしまって……何も言ってあげられなかった。



「……はああああ……」



 もう何度目かわからない深く長いため息が出る。


 多分、僕は彼女を傷つけた。……いや、違う。ずっと傷つけてきたんだ。これまで何度僕は、彼女を傷つけてきたんだろう。考えただけでまたため息が出そうだ。


 あれから2ヵ月も経つというのに、僕は返事という返事も出来ていない。


 すぐに黄泉とシローくんに相談したんだけど、黄泉には「……そんなことオレに聞かないでよ」と言われてしまい、好きな相手に気持ちを気づいてもらえないという点で薫子の気持ちがよくわかるというシローくんには「……悪い、今回は相談にのれそうにないわ」と断られてしまった。


 こうなると僕はもうお手上げだ。瑠璃は薫子のことが昔からあまり好きじゃないようなのできっとこんな相談をしてもいい顔はしないだろうし……はあ。


 そう、つまり今回の件は自分で考え、答えを出さなきゃいけないのだ。



 そう思い到ってから僕は学校がある日の昼休みは必ず図書館にいる。うちの学園の図書館は3階建てで、僕が今いるのは3階だ。ここには数多くの図書や資料が所蔵されており、私語厳禁のスペースだ。何かを考えたいときにはちょうどいい静寂の空間。……ここにいると薫子のことだけでなく、昔を思い出す。



『……お前なんて、いなければ、俺は……!』



 大好きな兄に愛されていなかったことを、思い出してしまう。



「あっ……」



 考え事をしていたせいか、持っていた本を落としてしまう。拾おうとする前に近くにいた人に先に拾われてしまう。



「どうぞ」

「……あ、ありがとうございま──……立花雅さん!?」



 自分でもびっくりするくらい大きな声が出てしまい、慌てて手で口を覆ってしまう。そんな僕を、彼女は唇に人差し指を当て、「しー!」と注意する。



 ……相談できる相手がまだいたじゃないか!




***




「……どうかしたんですか?」



 図書館で出会った青葉はいつもと様子が違っていて、何か私に言いたげに見えたから、ディスカッションのできる私語の可能な1階まで降りてきたのはいいんだけど……さっきから目の前にいる王子様は何も話さない。早くしないと昼休み終わっちゃうんですけど。



「いや、君に聞いて欲しい話があったんだけど……一応婚約者候補の君に他の令嬢の話をするのは、デリカシー的にどうなんだろうと思って……」

「何ですかそれ。今更過ぎますよ。一条くんが無配慮で無神経でデリカシーがない人だなんてとっくに知っていますもの」

「……そこまでかなあ!?」



 そんなの本当に今更だ。だけど気にするようになっただけすごい進歩かもしれない。有り難い気遣いだけど、別に私は『立花雅』みたいにずっと青葉のことを好きとかじゃないから、その気遣いは不要だ。



「例えばの話なんだけどさ」



 ようやく話し出したかと思えば突然例え話? 一体なんなの? 



「昔からずっと自分のことを一途に想ってくれている女の子に対して、その相手はどうすればいいのかな?」

「……一条くん、あなたもしかして……まだ、わたくしがあなたの理想の『立花雅』のように、一途に想っているとでも思っているんですか?」



 だとしたらすごく困る。彼のことだ。また私に婚約を迫るんじゃないか? せっかく折ったフラグを建てないでくれよ!



「……ちがっ、もうそんな風に思ってませんよ! 例えばの話だって言ったじゃないですか!」

「……ならいいんですけど」



 どうやら私の早とちりだったらしい。ふぅ、良かった。



「実は、ダンスパーティーでパートナーになってほしい人には既にパートナーがいてね、誘いたくても誘うことすら出来なかったんだ。……なんて言い訳かな。多分、パートナーがいてもいなくても、断られてしまっていたと思う。彼女、僕なんか眼中にないから」

「え、一条くんから誘われて断る令嬢なんているんですか?」

「………………」



 え、何この沈黙。そして何よその顔は。私の疑問は解消されることもなく、「……えっと、とにかく」と彼は話を続ける。



「他に誘いたい人もいないし、今年はひとりでもいいかななんて思ってたら、他の令嬢にパートナーになってほしいって言われて……その時にずっと好きだったって想いを告げられたんだ……」

「……えっ! それで一条くんはどうしたんですか!?」

「何も出来なかったよ。どうすればいいのか、わからなくて……ううん、今もわかってないんだ。ねえ、立花雅さん。僕はどうすればいいのかな?」



 こんな重要なことを対して親しくもない私に相談してくるなんて。きっと彼はよっぽど切羽詰まってたんだろう。弱っている彼を見ていると、不謹慎だけど、可愛いななんて思ってしまう。これが母性本能というものなのかもしれないわね。



「……そのご令嬢って、どんな方なんですか?」

「すごく、可愛らしい子だよ。一途で、様々な習い事をこなしているのに弱音なんて決してはかないストイックな子で、健気でつい応援したくなるよ」



 それに、と彼は思い出し笑いを浮かべる。とても愛おしそうに。



「どんな時でも冷静で、決して感情的にはならず理性的だ。おまけに賢くて淑やかだし、令嬢の中の令嬢だと思うよ」

「…………似ていますね」

「何が?」

「あなたの好きな方に」



 ──あなたが大好きな深窓の令嬢に。



「そういう人を、わたくしも1人知っています」



 真っ先に思い浮かんだのは、もちろん彼女のこと。



「報われないのに、ずっとずっとある方のことを想っていて、たとえ同情でも何でもそばにいられることが幸せだったんです。馬鹿なんですね、きっと」



 そばにいれば、『一条青葉』があなたに心動かされるとでも? 好きになってくれるとでも? ……本当に馬鹿な人。



「だけどそんな馬鹿な彼女だからこそ、あの方は心動かされたんでしょうね」



 誰だって好きだと言われて嬉しくないはずがないものね。あれだけ健気に想われてしまえば、同情でも何でも、彼女に対して感情が芽生えるだろう。



「その想いに応えたいと思ったんですよ」



 今はきっと突然の告白に青葉も頭が混乱しているのかもしれない。だけど、あなただって紛れもなく『一条青葉』なんだ。あのゲームの『一条青葉』とまったく同じ人間だとは思わないけれど、きっと、気持ちを理解できる日がやってくる。



「一条くん、想いを告げられて、あなたはどう思いましたか? 迷惑でしたか? 煩わしく思いましたか?」

「そんなことない! ……僕は、今までずっと傷つけてきたんだって、それが申し訳なくて……でもこんな僕を好きだと言ってくれるのは純粋に嬉しかった……。ちゃんと向き合いたいって思った、こんなに懸命に想いを伝えてくれる彼女のことを」

「わたくしに相談しなくても、もう答えは出てるみたいですね」

「あっ……」



 昼休み終了5分前を告げるチャイムが鳴る。この話は終わりだというように「お先に失礼します」と私は固まる青葉を残して立ち去る。



 相手が誰かなんてわからない。けど、多分その人はこの世界におけるあのゲームの『立花雅』のポジションにいる子で、私みたいな名ばかりの紛い物なんかじゃない。その証拠に『一条青葉』が彼女の想いに心動かされた。


 なんとなく、青葉がその令嬢と婚約する日は近いような気がした。ねえ、一条くん。もしもそんな日が来たら、その方を大切にしてあげてくださいね。よそ見なんてしないで、彼女だけを見てあげて。決して傷つけないで、精神的にも肉体的にも。



 殺人、ダメ絶対。あと彼女の可愛いヤキモチにも大人な対応をしてあげて。突き放したりなんてしないで。女の子は傷つきやすいんだから。



「……彼女はきっと、あなたを心から愛してくれますから」



 私の呟きは、誰に聞かれることもなく、溶けて消えた。

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