32 ずっとお会いしたかったです。立花雅さん



『忘れてください』



 随分とスッキリとした表情でそう言われた時、少年は一瞬何を言われているのか理解できなかった。


 その発言は100%善意から来るもので。一切のまじりっけなどなかった。しかし、それが余計に少年を苦しめた。


 自分のためだと言われて、その好意を断る方法など、愛情に飢えたこの少年は知らなかったのだ。



『……そう、わかった』



 そう頷くことが、少年には精一杯だった。


 本当は少しもわかってなどいない。忘れられるわけがなかった。


 初めは本気になんてしていなかった。けれども次第に本当にそうならばいいのにと思うようになっていた。それなりに期待だってした。それなのに、忘れろと言うのか。


 何より記憶力が人よりもかなり優れている少年にとって、忘れるという行為は不慣れなもので。ましてや忘れろと言った本人から何度も何度も聞かされていたため、そう簡単には忘れられるはずもなかった。



 ──そして、その時初めて少年は自分の気持ちに気がついてしまった。




***




 瑠璃ちゃんと和解し、黄泉と友人になってから、短くない日々が流れた。


 目下の悩みであった瑠璃ちゃんから青葉との婚約を勧められることと、黄泉からの謎のアプローチもなくなり、私の睡眠不足は完全に解消されていた。気のせいかお肌もつやつやしてる気がするし。最近何もかも順調な気がする。


 以前はほぼ毎日瑠璃ちゃんと黄泉と赤也の4人で昼休みはテラスに集まっていたけれど。この頃は4人での集まりは週に1度だけで。それとは別に瑠璃ちゃんと2人だけの集まりも週に1度設けている。


 おかげで桜子ちゃんからの不満も減り、クラスメイトとの交流も深められている。女子10人しかいないからね。もうすぐ3年生でクラス替えとはいえ、せっかくだから残り短い今のクラスメイトと、もっと親しくなっておきたいしね!


 ……というのは建て前で本当は他の人の恋バナを聞きたいだけ。


 半数は親同士が決めた婚約者がいるみたいなんだけど、不満があったりなかったりで、聞いていてすごく為になる。その不満へのアプローチの仕方がその人の人間性が出るなって感じ。


 私だったらそれとなく相手に伝えるけれど、意外とみんな言わないで自分が我慢するパターンが多いみたい。



 ……みんな控え目なのね。



 私は今まで葵ちゃんと白川くんばかり注力して見ていたけれど、最近前野くんと桜子ちゃんもお似合いだなぁって思ってきたのよねぇ。


 互いに「桜子」「シロー」と名前で呼び合う、とても仲の良い幼なじみってことは元々知ってたんだけど。あの2人が一緒にいると絵になるのよこれが。この間よろけた桜子ちゃんを支えた前野くんを見てビビっときたね。……お2人ってお似合いじゃない? って


 そう力説する私に葵ちゃんは「雅、あんた見る目なさすぎ……あそこはそういうんじゃないでしょ」とバッサリ。



 何よっ! 見る目ないって言うけどさっ、私は葵ちゃんの白川くんへの想いにいち早く気がついたじゃないか!



 前野くんと桜子ちゃん、とってもいいコンビだと思うんだけどな~。私ってそんなに見る目ないかなぁ? お兄様よりはマシだと思うんだけど……



 黄泉は黄泉で順調のようで、クラスの女子に優しくしていたら親衛隊のようなものが出来、黄泉の物が盗まれないように常に目を光らせてくれるようになったらしい。良かったね、窃盗の被害が減って。こちらとしても毎日貸すのは大変だったから心から良かったよ。


 あんなに邪険に扱っていたくせに、女の子には優しくした方が何かと得だと気づいた途端、手の平を返したように優しくするんだから。まあ、女の子達も満足してるみたいだしいいとは思うんだけどね。その顔面に産んでくれた親に感謝しなよ? たくっ、ふてぶてしいやつめ……。




 そして今日が春休み前最後の瑠璃ちゃんと二人っきりの昼休み。彼女が来るのを今か今かと待ち構えていると、突然私の視界が暗くなる。ああ、またか。いつものことなので私は特段驚かない。



「だーれだっ!」

「うーん、瑠璃ちゃんかしら?」

「さすがお姉様! 正解です!」



 正直立花雅である私にこんなことをする人は、私の知る限り瑠璃ちゃんしかいない。最近の瑠璃ちゃんのマイブームだ。


 私の周りにいる子達は、幼い頃から家名を汚すことがないようにきちんとした教育を施された所謂ちゃんとした子どもが多い。だから、あまりこういった子どもらしい行為をする子はいないのだ。


 ……えっ、瑠璃ちゃん? 瑠璃ちゃんもそういった部類に入る子だと思っていたんだけど。まあ、今は私と瑠璃ちゃんの2人しかいないから、リラックスしてるんじゃないかしら?



「そういえば、お姉様って攻略キャラとは関わりたくなかったんですよね? ですが赤也とはゲームの中の雅様のように姉弟の関係を築いていますし、黄泉様とはご友人になったんですよね? ……よろしかったのですか?」

「ああ、そのこと。今のところ問題ないわ」



 瑠璃ちゃんの言う通り。私は当初攻略キャラとは一切関わるつもりはなかった。まして姉弟や友人になんて。



「何も相手が攻略キャラ・・・・・だから問答無用で避けていたわけじゃないの。わたくしは、『立花雅』にとって死亡フラグがたつ可能性を避けたかったの」

「……つまり、どういうことですか?」



 全然わかりませんと眉をひそめる。



「そうね、じゃあ順を追って説明しましょうか」



 私と赤也の出会いを。あの時は5歳になってから少し経った頃だったから、あれからもう3年になるのか。なんだか感慨深い。



「まず、わたくしが最初に出会ったのが、『立花雅』の唯一の幼なじみであり弟のような存在である『有栖川赤也』よ。彼は雅のことを姉ではなく、1人の女性として愛してしまう。その愛故に、雅を殺害してしまうわよね?」



 ええ、そのように記憶していますと瑠璃ちゃんは頷く。ここまではあのゲームをプレイしたことのある彼女ももちろん知ってる話だ。



「当初わたくしはそもそも彼の姉にならなければいいと考えたわ。そうすれば、彼との関わりも薄れ、好意を向けられたり殺害されたりすることはないだろうと」

「……なるほど。ですが、実際は赤也の姉になっていますよね?」



 わかってるわ。辻褄が合わないわよね。確かにそうね。まさか私だって『有栖川赤也』の姉になるなんて思っていなかったもの。でもちゃんと理由はあるの。



「ええ、父親からの愛情が欠乏しているからそれを補うために誰でもいいから家族になって欲しいのかと思ったけれど、赤也はちゃんとわたくし自身を望んでくれた。他の誰でもない、わたくしに姉になって欲しいと言ってくれた。その想いにわたくしは応えたいと思ったの」

「……素敵ですね、お姉様らしい優しいご決断ですわ」



 瑠璃ちゃんは私が『立花雅』ではないと知った後もこうしてお姉様と呼び、慕ってくれている。それは嬉しいし有難いのだけど、実際は彼女の言うように素敵なんかじゃない。



「……いいえ、全然優しくなんてないわ。赤也が弟になって欲しいけれど、わたくしは自分の命を犠牲にするリスクは犯したくなかった」



 たとえ弟になったとしても、ゲームの『有栖川赤也』のように『立花雅』を殺害するという可能性がある限り、どうしても『有栖川赤也』が雅を殺害するスチルがフラッシュバックして、私は心から赤也を可愛がることなど出来そうになかった。



「わがままで自己中心的で貪欲なわたくしは、彼の姉になるにあたって、赤也にある約束・・をさせた」

「……『約束』、ですか」

「そう、2人だけの約束を。この約束がある限り、赤也は絶対にそういう意味でわたくしを好きになったりしないの。だからわたくしも安心して愛情を注げるわ」



 それにね、赤也はおそらく瑠璃ちゃんに気があるようだから私としても、もう安心なのだ。もちろん、勝手に赤也の気持ちを瑠璃ちゃんに伝えるなんて野暮な真似しませんよ。



 ちなみに黄泉の場合、私は彼のルートを攻略していなかったので、正直適切な彼との距離感を掴めず、考えあぐねていた。彼と雅の関係性がわからないことには、死亡フラグがあるのかどうかもわからないからね。


 だが、あの日、瑠璃ちゃんと和解した保健室で、黄泉のルートを詳しく聞くことが出来たのだ。今考えれば、それが彼と友人になる道の第一歩だったのかもしれない。


 瑠璃ちゃん曰く、黄泉のルートでは『立花雅』と黄泉はそれなりに親しい友人関係にあったようだ。


 それを聞いた時、ルートによって『立花雅』とキャラの関係性が変わることに驚きつつも少し納得した。だって親しい友人という割に、『有栖川赤也』と『一条青葉』のルートには『西門黄泉』は一切出てこなかったもの。黄泉は黄泉専用の悪役令嬢でもいるのかしら? と思っていたくらいだ。


 黄泉のルートでは、青葉に振り向いて貰えない雅は孤独を抱える黄泉と自分を重ね親しくなっていく。そうしている内に互いに惹かれあっていくものの、雅には青葉という婚約者がいる。


 青葉と黄泉、どちらも好きになってしまった雅は、その罪悪感に少しずつ苛まれていき、最終的に精神に異常をきたしてしまう。ありていに言えば病んだのだ。


 また、ルートによっては、青葉という婚約者がいながら黄泉を好きになってしまうことで学園中から責められ、立花家も没落するらしい。ちなみに黄泉とヒロインは結ばれる。


 つまり黄泉ルートでは『立花雅』は物理的には死なないけれど、精神的または社会的には死ぬのよね。


 でも私、今後も青葉と婚約なんてするつもりなんてないから、仮に黄泉を好きになったとしても責められる要素がないのよ。なら別に友人になってもいいんじゃないかなぁって。



 ……それに黄泉は友人だからそういう感じじゃないんだよねぇ。


 美少年だとは思うし、見つめられたらドキドキはしたけど、彼にときめいたことは1度もないし。お兄様には何度もときめいたことあるんだけどね!




***




 今日は楽しみにしていた瑠璃ちゃんとの季節限定桜のアフタヌーン。ここのホテルは駅から少し離れているところが難点ではあるけれど。専属のドライバーさんがいる私にはあまり関係がない。


 本格的な英国式のアフタヌーンが味わえるらしいからすっごく楽しみだ。なんだかんだ3段ケーキスタンドって、今までもあまり経験ないのよね。2段プラススコーンのお皿とか。3段でも重箱に入っている和のアフタヌーンだったり。



 ああ、楽しみ!



 ……それにしても瑠璃ちゃん遅いわね? もうそろそろ始まってしまうというのに。



 左手にはめてある腕時計で、もう1度時間を確認しようと思った時。私の視界は真っ暗になった。


 瞬時に、また彼女のいたずらだと理解した。さすがにこのような場でそういうおふざけはあまり喜ばしくはないけれど。それが逆に彼女らしくて自然と笑みがこぼれる。



「ふふふ、また瑠璃ちゃんね。ここは学校じゃないんだから、あんまりふざけちゃダメよ?」



 あら? おかしいわね。


 いつもならここですぐにだーれだって聞いてくるのに、今日は何も言わない。もしかしてようやく声でバレていることにも気がついたのかしら? でも、残念ね。瑠璃ちゃんだってお見通しよ!



「ハズレです」



 想定していたよりも、幾分か低い声。


 急に怖くなって、私の目を塞ぐ手を剥がす。自由になった視界から、後ろを振り向きその人物を確認すると、予期せぬ人物がそこにはいた。


 ……どうして、あなたが、ここにいるのよっ!



「こんにちは。こうして直接会うのは初めてですよね? 僕は瑠璃の兄で、一条青葉と言います」



 ……ええ、知っていますとも。あなたは私の知る『一条青葉』と同じ顔をしているもの。


 赤也と初めて出会った時はまだ幼さを残していて『有栖川赤也』の面影はうっすら感じる程度だったが、彼は既に出来上がっている。


 容姿や表情や仕草。


 どこからどう見ても、私の知る『一条青葉』そのものだ。



「ずっとお会いしたかったです。立花雅さん」



 出来ればこれから先もずっとあなたとは会いたくありませんでしたわ。


 突然の天敵の来訪に、私はもしかしてこれもいつぞやの夢ではないだろうかと、現実から逃避することしかできなかった。


 ……ほら、私の夢っていつもやけにリアルだからさ。……ははっ。

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