第十節 星降る夜に燃えた恋情

しばらくしてから、

ウルキアは身体を離し、照れ臭そうにしながら

包帯を巻いてくれた。


彼女の気持ちは今、どちらに向いているのだろう。


自らが“友達”と望んだのに、

先程のウルキアの言葉はどうしようもなく嬉しかった。


自分を恋望むようで、心が乱される。

きっと彼女が私を求めたら、私は許してしまう。


悲しむ彼女を見たくない。


でも、欲しい。


喉から手が出る程の恋情を突き放す術を、

私は知らない。


どうすれば、良いのだろう……。



そう考え込んでいると、

救急箱の片付けをしているウルキアから

一つの提案を持ちかけられた。


「ねぇ、……空、見ない?」


「え?」


「わたしが来た時、空…見てたじゃない?

 だから、どうかなって。

 特等席があるんだけど、……よかったらどうかな?」


驚きと共に、自分を見てくれていたことが、

たまらなく嬉しかった。

自然と笑みが溢れる。


「是非」と私は望み、ウルキアの提案を受け入れた。




ウルキアは窓をそっと開いた。

秋の香りを纏った夜風が心地よく入り込む。


彼女はそこから屋根へ足を下ろし、私を案内する。


そこには腰を掛けるには丁度良い所があり、

夜空を見上げるには最適な場所だった。


こっち、と手招くウルキアに従い

肩を並べて星空と月を眺める。


星が降り出しそうな濃紺の夜空。

青白く輝く大きな月。

灯りがなくとも、とても明るく美しい。


ふと横にいる彼女に視線を移した時、

私は、息を飲んだ。


月と星の涼しげな光を浴びた彼女は、…美しかった。



いとけない少女と大人が入り混じる彼女の相貌かおも。


色素の薄い潤色うるみいろの髪が、

光の加減で時折、銀に光ることも。


輝きを増す薄萌葱うすもえぎ双眸そうぼうも。


その全部が、美しかった。



「この宿屋、

 3階建てで他の民家やお店より背が高いじゃない?

 だから空を遮るものがないの。

 

 アガタで、一番空に近い場所なの。


 星には……届かないけどね」


少しおどけるように星に手を伸ばして笑う姿は、

愛おしく、可憐ささえも携える。


「…なんて、美しいのだろう」


つい、言葉が漏れてしまう。

けれど、彼女は星空のことだと思ったらしく、

自分のことだとは気づかない。



「でしょ?

 それにここには、

 わたしと、あなたと、夜空だけ。


 少しでも、……自由になったような気がしない?」


自由………。


あぁ……、そうか。

彼女には解っていたんだ。

先程、私が空を見上げて、何を思っていたのかも。


どうして、いつも彼女はいとも容易く、

私を満たしてくれるのだろう。


心が震える。


どうしようもなく彼女が欲しい。

彼女が望むなら、満たし合いたい。



「あ、そうだ、

 エオニオスは特別に、今度からここにきても……」


ウルキアが私の方に顔を向ける。

愛おしさが溢れ、彼女の頬に手を掛けた。


もう、気持ちを止めるのは、無理だった。


「……ありがとう」


礼と共に、顔を近づける。


「エオニオ…」


驚いた彼女が名前を呼ぼうとしたが、

そんなのは、静止する材料にはならなかった。


柔らかく小さな唇に口づけを一つ落とす。

一瞬だが、甘さが広がる。


「ウルキア……」


一つを奪えば、十が欲しくなる。


一度走り出した想いは、堰を切ったように

止まることを知らなかった。


彼女が抵抗しないことをいいことに

もう一度唇を重ねる。

先程とは違い、唇とたわむれるような甘い口づけをする。


彼女が驚きから我に返ったようで、甘く声を漏らす。


「ん……っ、エオ、ニオス…」


その声すら、媚薬のようで脳内に甘く広がった。


私を求めて、ウルキア。

もっと、私で埋め尽くしたい。

頬と耳を覆い隠すかのように手を添える。


「んっ……ど、して…」


「……ん?」


「…どうし、て……、

 こんなことを、するの……?」


彼女はまだ“友達”という純粋な言葉に

囚われているのだろうか。


こんなにも、君に溺れ、求めさせようとしている

卑怯な私を目の当たりにしているというのに。


ウルキアの声が聞きたい。


私はウルキアが話しやすいように、

唇を彼女の頬や額に移す。


「嫌だった?」


「嫌、じゃない、……けど、

 いけないことを、しているみたい」


「いけない……?それは、どうして……?」


「だって、…わたしたちは……友達、で……」


案の定、彼女は言葉に囚われてていた。

恋を知らぬ、純真無垢な子。

なんと、穢れを知らない子なのだろう。


こんな綺麗な魂を、

私は苦しめ、穢そうとしている。


少しだけ身体を離し、ウルキアを見つめる。

彼女は潤んだ目を伏せて、頬を赤らめていた。


彼女の髪をすくい、口づける。

髪の毛一筋一筋すらも、愛おしい。


何も言わさず、何も聞かず、

このまま攫ってしまいたい。


でも、彼女に決めてもらいたい。

彼女の意思で望まれたい。



「ねぇ、ウルキア。

 これから、どんなに悲しいことがあっても、

 受け入れたくない現実に襲われても、


 私の傍にいたいと、想ってくれるだろうか?」


「エオニオス……?」


「嘘をついて、……ごめん。


 君を、愛している。

 私は、……君と、生きたい。


 “友達”ではなく、

 一人の男として、……君の傍にいたい」


彼女は驚いた表情かおをし、頬を涙で濡らした。


果たして、唇から溢れるのは、拒絶か応諾か。

私は彼女の涙を掬いながら、言葉を静かに待つ。

あせらせたくなかった。

彼女に考えさせたかった。


そして、震えた唇から、答えが紡がれる。


「…………わたし、


 エオニオスと、……生きたい。


 でも……、これが、この気持ちが、

 エオニオスとお揃いの気持ちか、わからないの…。


 …独りに戻ってしまうのが、

 ただ、怖いだけなのかもしれない……」


無理もない。

彼女は愛も恋も知らない、雛鳥のような子だ。


でも、彼女には解ってもらいたい。


「ウルキア、触れてもいい?」


ウルキアは悲しそうに俯きながら頷く。

私は出来るだけ優しく片手でそっと抱き寄せ、

片方の手を頬に添えて、顔を上げさせる。


「ウルキア、さっき、私が消えるのが怖いって

 言ってくれたよね。


 独りになるのと、私と会えなくなるの、

 どっちが怖いってよぎったの?」


「あ……それは……、


 エオニオスと、会えなくなることを……思って」


気持ちを整理しながら、

辿々しく話す仕草すら愛おしい。


「じゃ、今みたいに触れられているのは、どう?」


「……胸が、苦しい。


 でも、エオニオスみたいな綺麗な人にされたら、

 誰でもそうなるよ。……きっと」


自覚はなかったが、私は綺麗な見た目らしい。

今まで、色んな者に言われたが、

崇める時の常套句かと思っていた。


彼女に言われると、

興味がなかった自分の見た目を悪くないと思える。


「綺麗な人になら、こんな風に触らせてしまうの?」


「そ、それは、ないよ。

 ……こんな風に触らせるなんて…」


「じゃあ、友達かは微妙だけど、

 村の知り合いの顔見知りの男なら、触らせる?」


「それも、ない!

 今こうしているのも、

 エオニオスだか、ら……………」


彼女は更に顔を赤らめ、目を逸らす。


「ウルキア、…きっとこれから

 おそらく君が想像しているよりも、

 ずっと、ずっと、辛いことが起こる。


 えにしを深く結べば、

 深い分だけ、傷つくと思う。


 “友達”の距離くらいが良かったと嘆くかもしれない。


 もし、本当に嫌になったら拒んでもいい。

 逃げたくなったら、

 私の元から羽ばたいて行ってもいい。


 でも、こういう事をされてもいいくらい、

 私が特別なら、


 ……君の気持ちが拒絶に変わる日まで、

 私だけの人でいて貰えないだろうか?」



動揺して一瞬だけ見開かれるまなこ

愛が欲しいのに臆病で、

激しい恋情すらも知らない娘の瞳が揺れる。


そして、深呼吸をして、ゆっくり彼女は私を見据えた。


「……私で、いいの?」


「君じゃなきゃ、嫌だ」


ウルキア、やっと、見つけた、私だけの人。

愛している。


この気持ち全てを君に伝えられたら

どんなにいいだろうか。


溢れる気持ちのまま、

ウルキアの顎を持ち上げ、

口づける。


もう、彼女は抵抗しなかった。


ただ、慣れない甘い痺れに身悶えている。


吐息を漏らす唇を狙い、

深く、深く、口づける。


彼女に己を刻みつけるかのように。


「んっ、…あっ、待っ……」

「これ以上は、……待てない。

 んっ……。


 愛している。



 ……ウルキア。私の、ウルキア」



頭をくらめかせ、意識が揺蕩たゆたう。


甘い甘い、快楽けらくに呑まれそうになる。


気づけば手を伸ばし、彼女は私の首に腕を絡める。


相手と触れ合って、心が、身体が満たされる。


求められ、与えて、与えられて、求めて、

無限に続く合わせ鏡のように、

終わりが見えない。


そんな時だった。



「エオ、ニオス……、好き」


ウルキアが、

息も絶え絶えに想いを漏らしたその言葉は、

まるで、魔法のようだった。


あぁ、やっと解った気がする。


この時のために、

きっと、この為だけに、

私は産み落とされたのだ。


産まれ落ちた意味を、やっと見出せた。


ありがとう、ウルキア。


「私もだ」




星がひしめく満天のもと

私達は、恋し合った。

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