第九節 焦がれる理由もわからずに

「はぁ……。疲れたな…」


わたしは夜の仕事を終え、一息ついた。

エオニオスはもう寝ているだろうか。


夕食は運んだけど、食べられたかな。

傷は大丈夫だろうか……。


昨日の光景や、朝の傷が脳裏をよぎり、

不安が胸をざわつかせる。



「……様子、見に行ってみよう」



わたしは不安を抱えたまま、疲れた足取りで 

エオニオスが休んでいる自室へ向かうのだった。



***



やがて自室にたどり着き、

そっと静かにドアを開いた。


薄闇の中、窓辺の椅子に腰を掛け、

窓から天を仰いでいる姿が見える。


青白い月光つきひかりが差し込む部屋で、

エオニオスは淡く輝いているようだった。


神秘的で、美しかった。


前にも同じように見惚れたことがあった。


でも、その時よりももっと神秘的で、

まるで、月すらも彼の為にあるのではないかと、思う程で……。



「あ、ウルキア……お疲れ様」


わたしの気配に気づいて

エオニオスはこちらを向き、柔らかに微笑んだ。


「あ………お疲れ。……ご飯、食べれた?」


「うん。ちゃんと食べたよ。

 傷も朝より少し良くなったくらいだ」


「そっか。よかった。

 あ、でも傷が良くなったとしても

 まだ消毒と包帯の交換はちゃんとしないとね」


わたしは救急箱を棚から取り出し、

エオニオスに見せた。

彼は「うん、お願い」と返事をして、

上着を脱いでベットに腰掛ける。


「まだ、しみるかもしれないから、我慢してね」


わたしはそっと包帯をとり、消毒をする。

明らかに良くなっているが、まだ痛々しい。


切なく感じる孤独な背中に、そっと触れてみる。


この背中一つで、

彼は一体何を背負っているのだろう。


そう思うと、胸が痛んだ。


「ウルキア……?」


傷のない所に頬を当て、彼を感じる。


「暖かい…」


もう、傷ついてほしくない。

命を、危険に晒してほしくない。

それは避けられない事なのだろうか。


「……どうしたの?」


「わたしにも、分からない。

 ただ、この温もりを、

 エオニオスを、失いそうで……」


「ウルキア……」


エオニオスは、わたしと向き合うように姿勢を変え、

包むように抱きしめた。


「私が、消えてしまうことが、

 

 ……怖いの?」



エオニオスの言葉に、はっとする。


あ…そうか、……わたしは、怖いんだ……。

わたしは………––––。


「ウルキア……?」


「……ねぇ。

 ……どこにも、行かないで。


 旅に出たっていい。

 別の所に住むのだっていい。


 ただ、


 ……二度と会えない所には、行かないで」


––あなたがいない世界が、どうしようもなく怖いの。



エオニオスはそれを聞くと、一瞬だけ身体を震わせた。

驚かれたのかもしれない。

友達にこんな事を思うなんて、おかしいにきまってる。


「あ……ごめん、なさい。今の、わすれ…」

「忘れない」


エオニオスは少しだけ身体を離し、

自分の額とわたしの額をつけ、

優しい大きな手で頬を包んだ。


彼の吐息がかかる。

胸が苦しいのに、心地よい距離なんだろう。


「私は、君が望む限りそばにいる。

 君に害をなさない限り、……どこにも、行かない」


「…………うん」


自然と涙がこぼれてきた。

受け入れて貰えたことへの安堵か、

どこにも行かないと言ってもらえたことへの安堵かは、

わからない。

ただ、涙が止まらなかった。


人を失うことが、

こんなにも怖いのだと、初めて知った。


エオニオスは目元に口づけをし、

安心させるように、優しく微笑みかける。


「ごめんね…すぐに止めるから。……待ってね」


「謝らないで……、私は嬉しいのだから」


「嬉しいの……?」


「うん。……だってそれは、

 私の存在がウルキアの中で、

 大きくなってきたということだから。


 そんな風に思って泣いてくれる人は

 今までいなかったから、……嬉しい」


月光を反射する彼の深海色ダークブルーの瞳はとても綺麗で、

寂しさと共に、嬉しさを灯していた。


なんて、悲しい瞳だろう。

そっと彼の首に手を回し、

傷に触れないよう、頭を引き寄せるように抱きしめた。


抱きしめられると思っていなかった彼の手は、

戸惑いながらも、応えるように、

辿々しく背中を這い、抱きしめ返す。


ぴたりとはまり、一体となる感覚は

とても不思議で、心が満たされる。



「エオニオス、あったかいね……」


「うん。…あたたかい。

 とてもともて、優しくて……あたたかい」


「ごめんね、もう少ししたら、

 ちゃんと、包帯、巻くから……もう少しだけ」



なぜ、この人の体温はこんなにも心地がよいのだろう、


声も、吐息も、眼差しも、胸を焦がすというのに、

なぜ、こんなにも安心するのだろう…–––




恋も知らぬ、あの頃のわたしは

身を焦す気持ちの正体すら知らないまま、

彼の全てを自然と求めていた。





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