第五節 あなたの為に、希う

「ウルキア、おはよう」


「エオニオスさん、おはようございます。

 ゆっくり眠れていますか?」


「ここ数日で、だいぶなれたよ。ありがとう」


眩しいばかりの笑顔を

おかみさんとわたしにみせるエオニオス。


あの日から数日がたった。

彼は少しずつ馴染んできており、

話しかけてきてくれるまでになった。


それにしても…。

顔面が凶器になる美しさってこのことね。


当の本人は何も思ってないらしく、

わたし達のようすをみて

「?」と小首を傾げている。


「なんでもないです。

 エオニオスさん、今日のご予定は?」


「今日は何もないんだ。

 なので、よかったら

 何かを手伝わせてくれないだろうか?」


「いえいえ!お客様なので!それは!」


慌てて拒むわたしに少し残念そうな顔をする。


「駄目かい?よくしてもらっているお礼に

 何かさせて欲しいんだ」


おかみさんに困ったように目配せをする。

…が、おかみさんから意外なお声が。


「いいんじゃないか?ウルキア。

 今日は洗濯が多いから

 手伝ってもらったらどうだい?」

「いや、でも、おかみさん、お客様だよ?」

「お客様のご意志を尊重することも大事さ」


それを聞いてエオニオスの顔がパーッと輝いた。


「ふぅ。わかったわ…。

 それじゃあ、洗濯のお手伝いをお願いします」


「もちろんさ、よろこんで!」




***


「…エオニオスさん、洗濯、

 もしかして初めてですか?」


「あぁ!初めてだ!

 こんな風にするんだね!」


洗濯初めてで興奮って、

どっかの貴族なのかな、この人。


歳は20くらいだうか。

大人で紳士な仕草をしたと思えば、

今のような無邪気な一面もある。


子供のわたしが言うことではないが、

彼は純粋な子供のような人だった。




「エオニオスさん、

 もう少しピンと張れますか?

 シワになっちゃいます」


「こうで良いかな?」


「そうです、そうです!

 背丈があると台もいらないから

 干すの楽そうでいいですね」


「ウルキアは背が高くなりたいのかい?」


「すごい欲しいわけじゃないけど、

 それなりには欲しいですね。

 でももう伸びないかもしれません。

 伸びる時期は過ぎてしまったので。


 って、うわぁ!!」


「こんなのはどうだろうか?」


エオニオスはわたしを軽々持ち上げてしまった。

いやいやいや、

子供にやる高い高いみたいなで恥ずかしいんですが…!


「ねぇ。高くていい感じ?」


顔を赤くして困っているわたしのことなど気にせず、満面の笑みで聞いてくる。


「高くていいですけど、

 子供みたいではずかしいです!!」


「でも、空、近くなったでしょ?」


「そ、それは素敵なことなんですが、

 恥ずかしいです!!」


あわあわと照れていると

「そうかい?残念」と素直におろしてくれた。


「洗濯にも便利だし、

 高くて、空に近くて、いいかなって思ったんだ。


 それに、ウルキア、空好きでしょ?」


ちょっと残念そうに微笑むエオニオス。


またこの顔だ。

たまに全てを悟ったように翳った微笑みを浮かべる。


「それにしても、空が穏やかで凄くいい天気だね。


 このまま、どこかに飛んでいけたら、

 いいのにね」


空を見上げながら彼は遠くを見つめた。


「……エオニオスさん、

 自由になりたいんですか?」


わたしは思わず聞いてしまった。

彼は一瞬だけ目を見開いて

わたしのほうに視線を移した。


そのまま彼は目を伏せて

「自由か…」って苦笑いをした。


「自由なようで自由でないし、

 何でも出来るはずなのに、

 何もできていない。

 みんないるのに、

 独りぼっち。

 そこかしらにあるのに、

 私の手の中には何もない」


「エオニオスさん…」


「自由になって好きなように生きて、

 そうしたら……」


彼は何か言葉を飲み込んでしまった。

 

「はぁ……。おかしいだろ?

 この歳でね。こじらせらせ続けてるんだ。


 ずっと……ずっと」


彼の無理した笑顔が心に刺る。

この人の抱えているものが

見えたらいいのに。

この人も心が迷子になってしまっているのかもしれない。


涙は流れていないのに、

そこに涙が在るような気がして彼の頬に手を添える。


「ウルキア……?」


「無理に、笑わなくてもいいんですよ。

 笑いたくない時は笑わなくていいし、

 泣きたい時は泣けばいい。

 叫びたいなら叫び散らしたって、

 いいんです。


 頑張らないといけない時はあるけど、

 頑張りすぎなくていいんですよ、きっと。


 そして、

 今はきっと我慢しなくていい時ですよ」


誰かに言って欲しかった言葉であり、

彼に伝えたかった言葉を伝える。


彼はうつむいて頬に置かれたわたしの手を握り、

少しだけ手に頬を擦り寄せた。


「すまない…少しだけ、

 少しだけ、このままで……」


彼の少しだけ暖かく柔らかな頬。

この頬を誰も拭ってくれる人はいなかったのだろうか。


秋の優しい風が心地よくわたし達をなでる。


ふと彼の目が開き、わたしが映る。

空を閉じ込めたかのような美しい蒼い瞳に、

まるで仕舞われてしまったかの様に。

なんて綺麗な瞳をしているんだろう。


「ウルキア…」

掠れ気味に彼はわたしの名を呼んだ。

心地い声にわたしはそっと願いをかける。


「きっとあなたなら、

 いつか叶えられるよ、その願い。

 いつか、叶うといいね。

 自由になって、叶えられるといいね」


これもわたしが誰かに言って欲しかった言葉。


でもきっとこの言葉を今一番必要としているのは

この人なんじゃないかなて思った。


わたしがほしかった言葉たちだけど、

少しでも彼の役に立てれば嬉しい。


そしていつか、憂いが晴れた顔で笑った彼を

みてみたいと思った。



出会って間もない、関係も深くない人だけど、

この人のこの寂しさに触れてしまったら

なんだか放って置けないと感じてしまった。


きっとこの時がターニングポイントだった。

引き返すならこの時だった。

でも、わたしは後悔していない。


あの時、

幼いながらも彼を救いたいと思った。

彼の幸せを祈った。


そして、彼を愛することになった。


どんなに残酷な運命の果てに

この愛情が流れ着いても、

愛することを知ることができた。


彼を愛せて、愛してもらえて本当によかった。

そう、本当に思っている。





***



少し時間が経ち、

エオニオスの様子が落ち着いた頃、

わたし達は解散した。


エオニオスは少しだけはずかしそうに

微笑んで「また夕食の時に」と別れを告げた。



わたしは夕食の仕込みをしに、向かうことにする。


その時ふと疑問がよぎる。


あれ??

そういえば……空が好きって

なんで彼は知っていたのだろう?


今度聞いてみよう。

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