第六節 千年樹の下(もと)で

あの日からわたしの目は

エオニオスを自然と追うようになった。


「ウルキア、あの人が気になるのかい?」

「うん…なんか色々と悩んでるみたいで、

 ちょっと気になるんだよね」

「ねぇ、ウルキア。

 もし、その人の力になりたいと思ったのなら、

 思うように動いてごらん。

 何もせずに、その背中を送り出す日が来たら。

 きっと後悔すると思うよ」


おかみさんも後悔したことがるのだろうか。

わたしにそっと諭すように微笑んだ。


確かに何かをしてあげたいけど、

何ができるだろう…。



わたしは思考を張り巡らせながら、

夕食の支度をすすめるのだった。



***


その日の夜。

わたしはいつものように屋根に上がり、

夜風に吹かれていた。


風の匂いが夏から

完全に秋のものに変わっていた。


この前の庭で洗濯を干した時、秋風に吹かれたことを思い出す。


今思えば少し大胆なことをしてしまった気がする…。

うーん…少し恥ずかしい。

考えるのはやめよう……。


…それにしても、賑やかでいいな。


遅くてもこの秋が終わる頃には

道が直り、いつもの村に戻るのだろう。


その頃には

エオニオスも旅立ってしまうのだろうか。


エオニオスと話をした時、

わたしは既視感を覚えていた。


苦しそうで、憔悴した表情は

見ているだけでも胸が締め付けられるかのように感じる。


純粋に力になりたい、そう思った。

でも、その反面で、本当は苦しんでいる人が

わたしだけじゃないという安堵感も多少あった。


これに気づいた時、自分が今までより、嫌いになった。

なんて酷い感情なのだろう。


人の苦しみで自分の心を安心させるなんて、

本当にわたしは醜い人間だ。


それに、もしかすると彼の力になりたいと思うのも、

気づかないうちに自己満足のために思い始めたんじゃないだろうか…。


「はぁ。こんな人間だから、

 捨てられたのかも知れないな」



その時、キィー…と

どこかの部屋の窓が開く音がした。


窓から覗かせた顔に胸がドキリと鳴った。

エオニオスだった。


彼は目を瞑り深呼吸をして夜風を

吸い込んでいるようだった。


そしてゆっくりと瞳を開け、

外をゆっくり見渡している。


愛おしいそうに、

この大地を、この星空を見渡していた。


わたしも彼のように景色を見渡してみる。


煌めく星屑、濃く美しい闇色の空、

甘い蜜のように淡く輝く月。

その自然の中に、ほのかに光る灯り達。


あぁ……。

なんでこんなに世界は綺麗なんだろう。

何も悩むことなく、

ただただ、この綺麗な世界で

悪いことなんて知らず、

生きていられたらよかったのに。


わたしは心に宿る醜さを上書きするかのように

美しい夜の景色を心に焼きつけた。





****



翌日、わたしはおかみさんに代わり、

買い出しに出ることにした。


すぐに使う食材はカゴに入れ、

他は宿屋に送ってもらように手配をした。


あとは帰るだけ、と言うその時だった。

リンゴがカゴ零れてしまった。


ここは坂道で、リンゴは止まることなく、

どこまでも転がっていこうとする。


「まって!」


他の荷物も持っているためか

リンゴにはなかなか追いつけない。


リンゴはどんどん坂をくだり、

地面が平たくなるところで止まった。


「ようやく止まった…。はぁ……」

わたしは一息ついてリンゴを拾いあげ、

持っていた布ででリンゴを磨く。


今後は落ちないよう、カゴにしまい、

しっかりと布で蓋をした。


これでよしっと。

そういえば、この道は丘に続く道だった。

もう少し道なりに歩けば丘が見える。


買い出しは順調に終わったし。

少し寄り道してもいいよね。

 

わたしは、休憩しに丘に向かうことにした。




***



わたしが捨てられていたあの丘には

千年樹と呼ばれる大木がある。


そこは捨てられていた場所ではあるが、

どこか落ち着く場所で、よく通っていた。




千年樹はとても大きく、

どの時間帯でも日陰があり、

心地よい木漏れ日と風をくれる。


今日も樹にもたれかかる形で

座り込み空を見上げてみる。


隙間から差し込む陽の光がキラキラと輝き、

美しかった。


風もそよそよと程よい強さで頬を撫でる。


わたしが捨てられていた日も、

こんな風に、心地よい風が吹いていたのだろか。



「このまま世界と一体となって

 消えてしまえたら、……楽なのかな」



感情に振り回されることも、

人に左右されることも、

悩むこともない世界は、楽なのかな。


「ちょっと疲れちゃったなぁ」

 

決して悲しむ様な人生ではない。

むしろ幸運ラッキーな方だと思っている。

でも、自分の存在価値とか、

なんで孤独に感じるのかとか、

色々考えたり感じることに疲れてしまうことがある。


「はぁ……。」

何も考えずにすんだ幼い頃に戻りたい。


このまま何も考えずに、

この千年樹になれたらと思うが

いつまでもそうしていられない。


気持ちを切り替えるため、

大きく息を吸って

身体にある黒いものを全て吐き出すように息を吐く。


そして、新鮮な大気を胸に吸い込む。

「ふぅ……」


ほんの少しだけ、毒が薄まるような感じがする。


更に深呼吸をして

もう少しだけ休もうと思った矢先だった。


華の香りをふと感じた。

どこからだろう…。

どこかで嗅いだことがある気がする

懐かしいような、優しい甘い香り。


けど、華はどこにもない。


不思議だ。

こんなにも強く香っているのに。


立ち上がり華を探そうと周辺を歩き、

樹から少し離れたところで気がついた。


あれ……華の香りが弱くなっている。

樹からしているのだろうか?


振り返り、再度、樹のそばにくると

香りが強くなった。


樹のどこかに華が咲いているのだろうか。


見上げながら樹の周りを回るが、

葉ばかりで華は咲いていそうもない。


そして樹の反対側を覗いた時、

華の香りの正体を見つけた。



それはエオニオスだった。



身体を横たえ、眠る彼は

まるで時を止めてしまったかの様に

静かに眠っていた。

寝てても綺麗なのって、羨ましい…。


その時だった。

彼は穏やかな表情かおのまま一筋の涙を零した。


なんて綺麗で哀しい涙なんだろう。

辛い夢でもみているのだろうか。


短い付き合いではあるものの、

出会ってから彼は一度も涙を見せたことはなかった。

いつも哀しみを瞳に浮かべてはいたが、

どこか飄々としていて、

最後は儚げに微笑んでいるような人だった。


堪え切れない程の哀しみが彼を襲っているのだろうか。


せめて涙を拭ってあげたくて、そっと近寄る。

彼のそばに跪き、

そして頬に手を伸ばした時だった。


彼の目がゆっくりと開き、

そっとわたしを見据えた。


「どうして……君が泣いているの?」

「え……」


彼の手がわたしの頬に流れた涙を拭う。


「あれ……、ほんとだ。なんでだろう…」


わたしは気付かぬうちに

涙が溢れてしまっていた。


彼を可哀想だと思ったから?

彼と自分を重ねたから?

わからない。

けど、胸が熱くなる程の冷たい哀しさが

わたしの心を覆い尽くした。


「ごめんなさ…い、こんなつもりじゃ、

 あなたが泣いていた、から。

 拭ってあげようと、して。

 なんで、涙が……」


なんだろこの感覚。怖い。

ただ、切なくなったとかじゃない。

自分の思考と感情が一致しない感じ。


「ウルキア…?」


エオニオスが心配したようで

顔を覗き込んでくる。


「なに、これ、涙、止まらない……。」


ぞわぞわと身体が何かに支配されるような感覚が急激に襲ってくる。


その間も呼びかけてくるエオニオスの声がする。


彼は側にいるはずなのに

どんどん彼が遠くなるような感覚に襲われる。


あれ、目の前が真っ暗になる感じがする。

見えてるのに真っ暗な、なにこれ。


自分の奥底にある感情を揺さぶられたような、

あぁ……意識がぐわんぐわんする。

理性と感情と本能と意識が、全部一致しない。

意識がぐちゃぐちゃになってく。

その意識の狭間から

心の底にしまっていた感情モノが這い出てくる。


真っ暗な感情が喉元まで込み上げ、

悲しみも、羨ましさも、妬みさえも

全て吐き出しそうになる。


あ、これ……、ダメなやつだ。


身体は強ばり勝手に嗚咽が漏れる。


こんなの知らない……。

彼が見えるのに見えない。

近いのに遠い。

泣きたくないのに悲しい。

いやだ、苦しい。

辛い、苦しい、悲しい、寂しい、哀しい。

ぐちゃぐちゃでどうしていいかわからない。

あぁ……醜いわたしがでてくる、嫌だ。

嫌だ、いやだ、いや!

やめて、みないで!

醜いわたしをみないで……!

あなたにはみられたくない!!

醜くて、我儘で、

汚いわたしを、みられたくない!!!


混濁する意識の中、

彼からなんとか離れようとした時だった。


離れていく腕を、エオニオスが強く掴み、

引き寄せ、わたしを胸に抱きとめた。


「ウルキア、落ち着いて」


「やだ、やめて!!

 みないで!離して!!

 汚いのがたくさん、溢れ……あぁ…!!」


「ウルキア、お願い。私の声を聞いて」


「やだ!!やめて!はなして!!」


「ウルキア……!!」


沼のような黒い闇が

ねっとりと絡みつき、呑まれていく。

感情が抑えられない。


「うぅううぅ……」


「ウルキア?」


もう、 だ め だ。


「ああぁあぁああああっ!!

 どうしてっ!!

 どうしてどうしてどうしてどうして!!!!?

 どうして、わたしは捨てられたの!!?

 寂しい………っ!!

 ここは暗いの!!寒いの!!

 誰か!誰かわたしを見つけて……!

 わたしを愛して!!!!

 わたしだけをーーーー……!!!!!」

「ごめん」


エオニオスは喚くわたしの耳を塞ぎ、

そっと額にくちづけた。


その瞬間からスッと力がぬけて、

頭が真っ白になった。



***



暖かい。

心地よくこのままでいたいと思う程、

優しい暖かさが、わたしを包んでいた。


徐々に意識がもどってきた時、

最初に感じたのはエオニオスの体温だった。


心地よい暖かさは彼のものだった。


優しい揺り籠にいだかれつつ、哀しい声を聞いた。

何度も謝っているようだ。

あぁ、この声はエオニオスのものだ……。


「ごめん……。ウルキア、ごめん…」


あまりにも切ない声。

本当なら彼を抱きしめたかった。

でも身体が重くて彼に手を伸ばすのでやっとだった。

彼の頬が冷たく湿っている。


「ウルキア!?」


「泣か、ないで……」


「……っ!!

 っごめん……、ごめん……!!」


エオニオスは気がついたわたしを

どこにも行かない様にと言わんばかりに

きつく抱きしめ続けた。


なぜ彼はこんなに謝っているのだろうと不思議だった。


それが彼にも伝わったのが、彼は語り始めた。

身体がだるく思うように動かないので、

彼にいだかれながら話を聴いた。


「私は、神の祝福を受けているんだ」


「神の、祝福……?」


「うん。神様からね、

 幸せになりますようにって

 送られるものなんだ。


 私の感情の起伏で

 神力が増幅されることがあるんだけど、

 その神様の神力とウルキアの波長が合って

 共振を起こしたんだと思う」


「感情の起伏……。

何か、あったんですか……?」


「うん。……ちょっとね。

 でも、もう大丈夫だから、

 私のことは気にしなくて良いよ。」


見上げた彼の顔は少し血の気が引いており、

大丈夫そうな顔はしていなかった。


「それより、君は大丈夫なの??」


「はい。身体は重い、ですけど、

 だいぶ、良くなりました。


 あの……さっきの、…ごめんなさい。

 驚きましたよね。


 わたし、

 人のことを羨ましがったり、

 無い物ねだりする、弱い、人なんです。


 この前、あなたに言った言葉だって

 本当はわたしが欲しかった言葉で……。

 

 あなたのこと、少しでも、助けたいと思った。

 けど、その裏側で、

 悩みを持ってるあなたをみて、

 安心するような、嫌な奴で……。


 最低な、奴なんです」


一瞬だけエオニオスの身体に力が入る。

やっぱり軽蔑されたのだろうか。


「ねぇ。ウルキア。


 君は嫌な奴なんかじゃない。」


「え……」


「私を見て安心したのは、

 今まで悩みを共有できず、孤独だったからだ。


 例え、そういう心が潜んでたとして、

 君がくれた言葉や温もりによって

 私が救われたのは事実なんだ。


 だから悲嘆しないで欲しい。


 それに、自分が欲しかったものを、

 人に与えられるのは、素晴らしいことだ。

 

 本当に嫌な奴なら、きっとこう思うよ。

 『わたしと同じくらい苦しめばいい』って。


 だから、君は大丈夫。

  そんな奴じゃない」


「……っ」


わたしは、涙を零していた。

欲しかった言葉をエオニオスはいとも簡単に紡ぎ、

壊せなかった壁をあっさり崩していく。


「……ウルキア。

 今まで、独りで、辛かったね。

 頑張ったね」


エオニオスはわたしを力強く、

されど、壊物を扱うようにそっと抱きしめた。


カチッと何かがはまったきがした。

心の穴は適当には埋まらない。

パズルのピースのように、形が一緒で、初めて埋まる。


「きっと、君なら、大丈夫。

 他人をこんなにも大切に想えるんだ。

 愛されないわけないじゃないか。」


わたしは重たい腕を持ち上げ、

必死に彼にしがみついて、泣いた。


昔から愛してくれているおかみさんでもなく、

何故、この人なのかはわからない。

でもわたしに必要だったのは

この人の言葉と温もりだった。



「苦しむほど羨んだり、悩んだりする物事は

 君にとって必要なもので、

 大切なことだから

 強く望んでしまっただけ。


 確かに執着しすぎるのはよくないんだと思う。


 だけど、その感情を私は簡単に

 醜い、弱い、とは思わない」


彼の首筋に顔をうずめながら、頷く。


「私もね、ずっと求めていることがある。

 でもね、何をしても手に入らない。

 どこにあるかも見つけられていない。


 でも固執してる。ずっと、ずっと。

 きっと君より長い間、固執してる。


 そしてそれは心にぽっかりとした穴となり、

 闇を覗かせている。


 いつでも"堕ちておいで"と言わんばかりに」


エオニオスは

「だから、ね。ほら、君だけじゃないから、安心して」

と、続けて背中をさすってなだめてくれた。


どうしてこの人は、こんなにも優しいのだろう。

自分だって辛いことがあったばかりのはずなのに。

彼のことを思うと切なくなり、

抑えきれず、嗚咽混じりに言葉をぶつけた。


「どうしてーーー…そんなに、優しいの…?

 あなただって、大丈夫じゃ、ないじゃない。

 どうして、さっき、大丈夫なんて、いったの……!

 大丈夫じゃ、ないじゃ、ないですかぁ……。

 わたしの、からだっ!

 心配してる、ばあいじゃ、ない!」


抱かれている腕の力が少し強まる。


「…うん。ごめんね……」


「……!!!

 あやまらないでっ……、

 責めてるわけじゃ、ないのっ。

 あなたの心の穴、

 わたしが、頑張って埋めてみるから……」


「ウルキア……」


「だから…あなたも暗いところからでてきてぇ……!

 心を、見せてっ……!

 あなたを、知りたい……、助けたいの…っ!」


「…………っ!」


そっときつく抱きしめ直した彼は、少し震えていた。

涙が止まらなかった……。

この人の闇はどんなに深いのだろう。

彼も泣いているようで、

肩が、熱い涙で灼かれる様だった。


「長い間ずっとずっと、

 探しているものがあって……

 でも、探しても、探しても……ないんだ。


 いつも偽りのもので誤魔化されて、

 でもそれが嘘だと相手にも言えなくて……。


 私は、いつも与えている側で、

 搾取され、強請ねだられ、

 与えるためだけに存在しているのかと思うと、

 虚しくなって………。


 壊れて、しまいそうになるんだ。


 でも、壊れることも、

 許してもらえないんだ……ずっと、ずっと……」



壊れることさえ許されない。

飼い殺しにされ、搾取され、

踏みねじられた彼。

なのに世界が美しいと

純粋に想いを馳せる優しい彼。

彼の辿ってきたじんせい

どんなだったのだろうか。


どうして、そこまでして、他者を恨まず、

こんなに優しい心が残っているのだろうか。


わたしには、彼が望むモノの本質はわからない。

だけど、これだけは言える。


彼はもっと、愛されて、大切にされるべき人だ。


こんなにも心が綺麗で、

人や世界を愛おしそうに見つめる人が、

踏み潰される草花になっていいはずがない。


「あなたが、この村にいる間は、

 わたしは、必ず、あなたの味方でいるから………、

 独りならないで……。


 あなたには、笑ってて、欲しいの。


 あなたは、

 陽の下で笑っている方が、絶対、似合うから……」


涙がとまらず、言葉が途切れ途切れになる。

みっともないけど、伝えたかった。


エオニオスの咽び泣く声が耳に響く。

そして「やっと見つけた……」という声が

聞こえた気がしたところで、

限界が来て、意識がまた遠のいた。

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