もうすぐ世界が終わるので、私とデートしませんか?

湯灯し詩葉

第1話 Shall we dance?

 特別な存在というのは、案外そこらじゅうにいるものだ。

 人より頭が良いだとか、人より身長が高いだとか、運動神経が良いだとか。

 訂正、例の出し方に不備がある。特別な存在とは何も人より優れている奴のことを言うのではない。逆もまた然りだ。それに人を寄せ付けないだとか、社交的だとか、そもそも比べようもない特別だってこの世界には存在する。むしろ特別ではない「普通」を探すことが難しいくらいだ。


 かく言う俺、桜庭寅。身長体重、加えて学歴や親の年収に至るまでド平均の俺ですら、自分でも気付かない特別は存在するのだろうというのが持論である。いや、どちらかといえば願望に近いのか。


 しかしそれでは「普通」なんて言葉自体が無意味になってしまう。それは普通が可哀想じゃないか。持論を展開して普通と特別を引き剥がしてしまった手前、自分が特別に代わる伴侶を見つけ出してやるしかあるまい。人に表と裏があるように、言葉にも対になるもう一つの言葉というものは必要なのだ。なぜなら裏は表の、表は裏の存在証明になるから。線引きといった方が分かりやすいかもしれない。ただ、厄介なのは人も言葉も、その表面からは想像もつかないほど多くの裏面を持ち合わせているということなのだが。

 

 だからよく「言葉の裏を読む」という文を見るが、実際のところ、言葉の裏なんてすべて読めるわけなどない。話を聞いただけで「心中お察しします」などあり得ないのだ。


 そういうわけで、言葉の裏面探しもなかなか馬鹿にできないものである。


 そうだな、仮にいま俺が直面している状況を普通だとするなら、この脈絡のない文章も、これから起きる七転八倒の災難もすべて「普通」の出来事と言わざるを得ない。


 だが俺がこの状況に関して、今、見ず知らずの女の子に膝枕をされている状況に関して、率直に感想を述べるとするならばーー

 

 「異常事態だ…」


 「ん…あ、起きました?」


 霞んだ視界がだんだん明瞭になってくるにつれ、その声の主の顔もまた、鮮明に映し出される。


 目の前には、少し幼さの残る輪郭に、頬をうっすら薄紅色に染めた少女が右手で黒い髪をかきあげながら覗きこんでいた。


 全く見覚えのない少女。

 

 あまりに透き通った白い肌のせいか触れれば消え失せてしまいそうなほどの儚さで、しかし精彩を放つ大きなアーモンド型の瞳で寅に微笑を向けている。


 後頭部に確かに感じる温かい感触。一瞬夢かとも思ったが、時が経つにつれ目が冴えてくるにつれはっきりと感じ取れる太ももの柔らかな感触や目の前に突き出された謎の美少女の顔が、夢や幻の類でないと告示していた。


 そんな彼女の口元がふと動く。


 「なーにじろじろ見てるんですか、そりゃあ目の前にこんな豊満なお胸を突き出されたら目が離せなくなる気持ちも理解できますけど、私も年頃の女子なので羞恥心の一つくらいは持ち合わせてるんですよ。てゆうか、あんまり見てると通報しますよ?」


 「胸なんか見てねえ。というかそんな豊満なお胸があるのに今お前と目を合わすこと出来ているのはどうしてなんだろうな。どう見てもそり立つ壁じゃねーか」


 そう返した瞬間、寅の視界は途端に光を失った。同時に激しい痛みが両眼球を襲う。


 「うぎゃあああああ」 


 幕間。寅の目に再び光が戻るまで、あと3分。


 柔らかい太ももの上で両眼球を押さえながら暫くのたうち回りながら、寅はある違和感に苛まれていた。


 今どうして、どのような経緯で女の子に膝枕をされ、あげく目潰しを食らい悶え苦しんでいるのか、分からない。


 一応誤解を解いておくと、彼女が自分の大層慎ましい胸をさも巨大な造形物の様に言い表したのを指摘しただけでなぜ俺が目潰しを受けなくてはならないのか理解できない、という話をしているのではない。

 神経が無いという話ではなく、記憶が無いという話。


 今の寅にはこうなる直前の記憶がまるっきり残っていなかった。


 そもそも何がどうなれば、見ず知らずの女の子に膝枕されるという展開が起こるのか。いや少し違う。先の会話で少し分かった事がある。分かったというか、感じたことが。


 俺はこの子を知っている。


 少し自虐的にはなってしまうが、寅には女の友達がいない。仮に同じクラスになり、ある行事に際して業務連絡の様に一言二言、言葉を交わしただけの女子を友達と呼んでも良いのなら、寅は人類皆友達なんてことを自慢気に話すのだろうが、多分きっと、そうではない。

 

 加えて寅の持つ生まれついでの目つきの悪さ。名は体を表すとは言い得て妙。威嚇する虎のような眼光鋭い猫目が近づくものすら寄せ付けず、交友関係を3割増しで軽薄にしていた。


 そんな日頃人と関わる機会の極端に少ない寅に女子の知り合いが、それも開口一番、中々デリケートな冗談をかませるほど親交深く、歳の近しい女友達が齢18の人生のなかに果たしていただろうか。


 「ぱんぱかぱーん」


 視力の回復を待たずして、少女は訳の分からないファンファーレをさも気怠そうに歌った。

 こういうSEは大概、良い知らせの前置きとして使われそうなものだが、彼女の声色からは吉報の予感など微塵も感じられない。恐らく先ほどの件でさぞやお怒りになられているのだろう。視力が戻った時の彼女の形相を想像するだけで身体がこわばる。


 「桜庭寅さん」


 「ハイッ」


 突然のフルネームでの呼びかけに返答の声が裏返ってしまった。当然だろう。寅の心持ちとしてはもう今すぐにでも逃げ出したいのだ。

 

 この状況、おそらく目潰しだけでは済むまい。もしこの瞬間、彼女が寅に襲い掛かり羽交い締めを繰り出そうものなら、いくら男と女の対格差があろうともこの膝枕の体勢では圧倒的に寅の方が不利。あっという間に無意識の海に沈められるだろう。


 寅は見えない目をぐっと閉じて身構えた。だが、降ってきたのは鉄拳でも手刀でも、ましてやチョークスリーパーでもない。それは、柔らかくも艶やかな唇だった。


 見えずとも分かる、額に残る温かい感触と微かにかかる吐息。それが彼女の一連の行動を物語っていた。


 心音が高鳴る。脈動がリズムを早める。何かが額から流れ込んでくる。全身が自分ではない別の「何か」に侵食されていく感覚。だが不思議と不快感はない。


 彼女は言葉を続ける。

 

 「桜庭寅さん、あなたは今日、お亡くなりになりました」


 残念でしたね、と軽々しく語った内容に、寅は硬直する。


 突拍子もない彼女の発言。冗談にしても悪質すぎる。

 

 そう、悪い冗談。それで済むはずの彼女の言葉に、寅は核心を突かれたかのような衝撃を受けていた。まるで今まで忘れていたことを思い出したような。

 この胸の高鳴りはきっとキスのせいではない。


 「どういうことだよ」


 「あ、えっと、正確にはつい先程、道路に飛び出したところでトラックに轢かれてですねーー」


 「違う、俺は生きているじゃねぇか。ほら、目こそ見えちゃいないが、耳も聞こえる、手も動く。現にこうやってお前と喋ってるのはーー」


 「うーん、説明すると長いですけど、要するに生体リンクってやつです。今、桜庭さんは私の五感を使って、私の意識を借りて動いているんですよ。だから私が生体リンクを切れば桜庭さんの心臓はーー」


 「俺はまだ死んでねぇ!」


 自分に言い聞かせるように放った言葉は、虚しく空に消え去った。

 

 身体は初めから正解にたどり着いていた。自分の身体でありながら、自分のものではない感覚。違和感は最初からあった。ただ寅の意識が、借り物の意識がそれを認めたくないと、自分はもうすでに生きてはいないと確信するのを恐れたのだ。


 「落ち着いてくださいよ、話はまだ終わってません」


 彼女は泣き喚く幼子をなだめるように優しく透き通った声で囁き、もう開けて大丈夫ですよ、と瞼の上に手を重ねる。すると、先程までの目の痛みが嘘のように消えた。


 「確かに桜庭寅さんの人生は今日終わりました。だから代わりに私の人生を始めてほしいんです」


 光を取り戻した寅の瞳が捉えたのは、宝箱を開く直前の子供のような、期待の詰まった無邪気な笑顔だった。

 そこに道化の様子は一切ない。少なくとも、彼女が本気で言っている事だけは間違いないようだ。

 

 そのことを踏まえた上で一言。何を言っているんだこいつは。


 「ちょっと聞いてます? 私けっこう真剣な話をしているつもりなんですけどー」


 「ちょっと待ってくれ、話の整理がまだ……。だいたいお前の話には掴み所が無さすぎるぞ」


 何だか現実味が無くなってきた。もしかすると本当は俺はまだベッドのなかで、夢オチなんてことはないだろうか。いや、ないな。


 彼女の話が飛躍し過ぎて、もう逆に落ち着いてきた。どうしてくれるんだ、自分は死んだと言われたばかりなんだぞ。もう少し動揺させてくれよ。

 

 「掴み所が無いのは当然です。私は幽霊なので。正しくは幽霊になったと言うべきですかね。」


 そう言った彼女の艶やかな黒髪が、毛先に向かって段々と白く染まりーー脱色していくのを寅は目の端で捉えた。髪だけではない。彼女の気配や存在そのものが薄れていく。


 「おい、お前……」


 命が遠退いていく不気味な感覚に、反射的に起き上がって少女と距離を置く寅。

 だが寅の態度にも彼女のにこやかな表情は崩れる事なく、淡々と話を続ける。

 

 「私の目的は先ほど話した通りです。もし貴方が望むなら、私は貴方を生き返らせる事ができます。少し条件付にはなりますがーー」


 寅は耳を疑った。

 本当に出来るのか、生き返らせるなんて事が。

 そもそも自身が死んでいるのか、生きているのかさえも完全に把握していない寅にとって実感の湧きにくい話ではある。

 

 しかし、少しずつ戻りつつある記憶のなかに、「トラックに轢かれた」という事実があること。それに少女からここまで真っ直ぐに死の宣告をされれば、もう信じる他ないだろう。


 俺は死んだんだ。


 そして、まだ謎は多いが、その彼女の人間離れした雰囲気や言動。とても信じがたいが、彼女ならばあるいは神憑り的な蘇生術を使える可能性もあるのではないか。


 「俺もこんな訳の分からんまま死ぬのはいやなんでな。条件を聞かせてくれ」


 「おお! 何だか初めて会話が成立した気がします!」


 失礼な奴。そんなに目をキラキラさせて言うことか。


 「ではでは、詳しい説明をーー」


 彼女は一度深呼吸すると、暫く考える仕草をして宙を仰いだ。


 「最初に、乗り気になってくれている所申し訳ないですが、貴方を生き返らせても、桜庭さんが生き返ることはありません。残念ながら今の私の力では生命は復元できても、「桜庭寅」という存在自体を残すことはできないのですーー」


 彼女の言いたいことはつまりこういうことらしい。

 俺は生き返ることは出来るが、それまでの友達や、親や、世界から「桜庭寅」の存在に関する記憶は忘れ去られる。また俺の経歴、小学校入学から高校卒業に至るまで、全てが抹消される。たとえ生き返っても、俺は「桜庭寅」ではない「誰か」として生きていかなければならない。


 なるほど、まさしく存在が消え去るわけだ。


 「続けてくれ」


 寅は黙って聞いていた。新しい誰かとなって生きるか、桜庭寅として死ぬか、2つを天秤にかけながら。


 少女は頷く。


 「ここからは条件というより、私の願望です。だから断っていただいても構いません」


 すくっと立ち上がった彼女の表情が少しだけ緊張の面持ちを帯びる。胸の鼓動が早い。これは恐らく彼女のものだ。


 「本当ならこの後、私はちゃんと成仏できる筈だったんですが、幾つか未練を遺してしまったようで……」


 そう言ってワンピースの裾を掴んでヒラヒラして見せた。


 「だからその、私の成仏を手伝ってほしいんです」


 「いいぞ」


 「ですよね、そんな面倒なことするわけないですよね……」


 「だからいいって」


 「…………」


 「……本当ですか?!」


 彼女は想定外とでも言いたげに目を丸くして驚いている。この反応も大概失礼だと思うのだが。

 

 話を聞いていて思う。彼女の方が俺よりよっぽど潔いじゃないか。俺が自身の消滅に怯えている時に、彼女は成仏を手伝ってと言う。一端の少女が自分の死を認め、あまつさえ自ら進んで消え去ろうとしているのだ。そんなこと、立派な大人でもそう簡単に決断できるものだろうか。


 悩んでいる事すら馬鹿馬鹿しくなってきた。俺が「誰か」になったって、生きている方が良いに決まっているじゃないか。


 となれば彼女の望みを断る理由もない。俺は命の恩人を蔑ろにするほど不義理な男ではないのだ。それがたとえ小生意気な少女であっても。


 「俺からも土下座で頼むぜ」


 「ありがとうございます!」


 よほど嬉しかったのかその場で2.3回まわって満面の笑みを見せた。こうして見ると結構な可愛げもあるものだ。年相応の弾けるような活力は見てるこちらまで上気分にしてしまう。


 「それで、生き返らせるってのは具体的にどうやるんだ?」


 「あぁ、それはもう終わりました!」


 「終わった?」


 「はい!蘇生自体は桜庭さんを膝枕している時に完了しています!」


 膝枕、改めて言葉にされると気恥ずかしいな。ってそうじゃない。

 

 寅はほんの数分前の出来事に思考を巡らせる。


 そうだ、思い当たる節が一つあった。


 あの時のキス。まさかあれが蘇生の儀式だったのか。


 彼女に悟られないよう、さりげなく額を擦る。そこにはまだ唇の感触が残っているようだった。


 別に行為自体に不満はない。寧ろこんな美人にキスされるのは光栄とさえ思う。ただ問題はそこじゃないだろ。


 「別に大したことでは無いので、伝えるつもりも無かったんですけど、一応桜庭さんの意思確認はした方が良いかなって」

 

 「いや大したことだろ! 仮にも命の問題だぞ。それにお前のそれは意思確認じゃない。事後報告だ」

 

 彼女はまるで寅がおかしなことを言ったかのように首を傾げる。

 

 「え、だって生きてたいって思うのは当然でしょ?」


 虚飾ない彼女の表情に、返す言葉が詰まった。

 

 肉も皮も失い、幽霊となった彼女だからこそ言える、生きている、生きる可能性のある寅に向けての最大の皮肉。

 

 彼女はきっと、そんなつもりはないのだろう。ただ真っ直ぐに、本心を言っただけ。


 でもな、違うんだよ。お前は気づいてないかもしれないけどな。


 それって、お前も「生きたい」と思ってるってことじゃねぇか。

 

 幽霊としては少々重すぎる言葉に、それ以上の言及はできなかった。その代わりに思い浮かんだのはーー。


 「じゃあ、お前の力で自分の蘇生をすればーー」


 「ではでは、元の世界に戻りましょう!」


 寅の一言は呆気なく流された。本当に自分勝手な奴。まともに俺と会話する気ないだろ。

 

 この時、彼女が寅の言葉を遮ったように感じた事には、あえて触れなかった。どうせ成仏に付き合うんだ。そこら辺の事情もおいおい分かって来るだろう。


 「元の世界?」


 「はいっ、ここは所謂あの世とこの世の境目ですから」


 そう言われて見渡してみたが、辺りは至って普通の大通り。ビルや店が立ち並び、道路には車やバイクが、歩道には疎らにだが人もいる。


 だが、それらは動いている訳でもなく、まるで時間が止まったかのように静止した状態だった。落下したはずの木葉でさえも空中にとどまったまま動かない。


 異様な光景に目を泳がせていると、彼女のほうから「準備は良いですか」と声がかかった。


 「おう」と気のない返事。準備と言われても、特にすることもないしな。


 「ではでは、早速……」


 彼女は胸の中心に両手で輪っかを作る。すると円の中央から光の玉が出現した。光は段々と溢れて大きくなっていく。


 いよいよ彼女が何者か分からなくなってきた。幽霊ってこんなことも出来るんだっけ?


 そして彼女が両手の輪を解いた瞬間、彼女の姿は見えなくなり、空気中、周り一体が白い光に包まれた。


 幻想的な景色のなかで、寅はふと思い出す。


 「そういえばお前の未練ってなんなんだ?」


 一瞬の沈黙の後、彼女は息を目一杯吸い込み、高らかに言う。

 

 「恋をすることですっ!」

 

 光の中で得意気に鼻を鳴らす音が聞こえた。

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