第27話 私⑨

 文化祭が終わってから、あっという間に高校生も終わろうとしている。ついこの前私の受験も終わって、第一志望の大学には行けなかったけど第三志望の大学に合格して、これで進路は決まったことになる。

 卒業式までの浮いた時間は、部活に顔を出して過ごした。竹視さんと遊びに行ったりもした。

 たまたま同じ日に部活に来てた子と、三年生でお世話になった教室に落書きをして遊んだ日、本生さんとも偶然会った。まさか同じようなことを考えてる人がいるとは思わなかったけど、そこで本生さんに聞かれた。

 簾内くんと、もう一度会いたいかどうか。

 本生さんはぼかしていたけど、本当に言いたかったのはそういうことのはずだ。本正さんは簾内くんと仲よかったし、そのときに今の私たちの状況も知られてたんだろう。

 竹視さんに相談に乗ってもらったのに、あれから私は一度も簾内くんと会っていない。受験で忙しくなったってのもあるけど、メッセージも送っていない。

 つまり私は、今でも臆病でこそこそしてるだけ。なにも変わってない。

 だから、本生さんが作ってくれたこの機会、これが最後だ。やり直すなら、この機会しかない。もしここで駄目なら、きっと卒業式でたって駄目だ。

 

 打ち上げは、学校の近くのカラオケでやることになっている。クラスで仲の良かった子と待ち合わせして、集合時間の五分前くらいにカラオケに行くと、もう10人以上人が集まっていた。本生さんが携帯を片手に人数を数えていて、私たちを認めると一つ頷いた。

「よし。じゃあ大体集まったみたいだし、入っちゃおっか」

 その一声で、本生さんを先頭にぞろぞろとお店に入っていく。予約してあったみたいで、すぐに大きな部屋に案内された。

 でも、揃ったという割には人が少ない。本生さんたちと一緒にいた水城くんたちがいない。もうみんな受験は終わってるはずなのに。それに、簾内くんも。

「おっ、竹馬さん。久しぶり」

 本生さんに聞くべきか、どうしようか迷っていると、ポンと肩を叩かれる。

「……あ、見目さん。久しぶり」

 見目さんは他の人よりも少し大きな鞄を適当な席に置いて腰を下ろした。私もその隣に座らせてもらう。ふんわりと、嗅いだことのない甘い香りがした。

「いやー、それにしても本生さんはすごいね。こんなに人集めるなんて。ウチが中学のときなんて、こんなに人集められなかったよ」

 その本生さんは、携帯を耳に当てて誰かと連絡を取っているらしい。まだこれから来る人がいるのかな。

「あ、竹馬さん、飲み物とりに行かない?」

「え?あ、そうだね」

 他の人が何人か部屋の外に出て行くのを見て、見目さんが立ち上がる。まだ始まるまで時間もあるみたいだし、先に貰ってきた方がいいだろう。私も部屋を出た。

「そういえばさ、簾内くんって今日来るのかな」

 ボタンを押してジュースを注ぎながら、なんてことのないように見目さんが呟く。

 それは、私も知りたいこと。

「どうだろ……。声はかかってるはずだし、試験も終わってると思うけど……」

 けど、グループメッセージには相変わらず簾内くんの影はない。本正さんにあんなことを頼みはしたけど、それがどうなったのかは知る由もない。

「ふうん。そっか」

 見目さんは特に表情も変えないまま、グラスに氷を落とす。

「じゃあ、聞いてみるか」

「え?聞いてみるって?」

「行こ、竹馬さん」

 それには答えないで、見目さんは私の手首を掴むと早足で部屋に戻っていく。ドアを開けると、ちょうど本正さんと目があった。

「本正さん」

 見目さんが、立ったまま声をかける。

「今日、簾内くんは来るの?」

 前振りもなんにもなくて、ただ要件を単刀直入に尋ねる。

 けどそんなあけすけな質問に、本正さんは気を悪くした様子もなかった。それどころかニヤリと笑ってスマホを耳に当てる。

「そうだね、そろそろいい時間かも」

「……本正さん?」

「簾内なら来るよ。座って待ってたら?」

 そう言うなり電話を始めてしまう。

「座ってようか」

 見目さんに促されて腰を下ろしても、なんだか落ち着かない。意味深な言葉の意味はなんなんだろう。

「……あ、もしもし水城くん?」

 電話の相手は水城くんらしい。そういえば彼らもここにはいないけど、都合が悪いわけではないのかな。

「そっち、みんな揃ってる?……ならよかった。そろそろ時間なんだけど、どう?」

 もしかして、来れるかどうかの確認をしてる?でも、そうでもない気がする。だってただの確認なら、本正さんはこんなにニヤニヤする必要はない。

「……あ、来た?予定通りだね。じゃあ、あとは計画通りにお願い。場所は分かるよね?……オッケ。ゴタゴタ言われると面倒だから、一気にやっちゃって」

 ……これ絶対ただの出席確認じゃないじゃん。

 電話を切ると、本正さんはゆっくりと脚を組んでグラスに口をつける。こう言ったらアレだけど、なんか……マフィアのドンみたいな貫禄がある。

 隣の見目さんを伺うと、ちょうど目があった。

『どう思う?』

『分かんない。けどヤバそう』

 けど、そんな不安がってるのは私たちだけで、周りのみんなは久し振りの再会に花を咲かせている。

「ねえー、そういえば男子ちょっと少なくない?水城くんとかどうしたの?」

「もうすぐ来るよ。それで全員揃う」

 全員揃うって……じゃあ簾内くんも水城くんたちと一緒くるってこと?ならさっきの電話は……。

 そわそわしながら待つこと十分。なにか喋る気にもならなくて黙り込んでいると、廊下の方から人の声が聞こえてきた。

「……-?見目さん、なにか聞こえない?」

「え?聞こえるって?」

 見目さんだけじゃない、ほかのみんなも特には気にしてないみたい。けど、確かになにか……。

 ドアを薄く開けて廊下を覗く。

「お、竹馬さん!久し振り!」

 片手を振りつつこっちに向かってくる一団は、間違いなく水城くんだった。そして水城くんや後ろの人たちに囲まれるようにしているのは、困惑気味の簾内くん。

 久し振りに見た簾内くんは、思っていたより変わらず私が知ってた通りの簾内くんだった。

「おーい、連れてきたよー」

 水城くんたちは簾内くんをがっちりホールドしたまま部屋に入っていく。それを本正さんが立ち上がって出迎えた。

「久し振り」

「……本正さん」

 笑顔な本正さんと、苦々しい顔の簾内くん。

 ますます、スパイ映画みたいな絵面だ。

「……どういうこと。僕が呼び出されたのは学校のはずなんだけど」

「ちゃんと学校にいたでしょ?水城くんたちが」

「後ろから掴みかかるのは待ち合わせとは言わない。大体、なんの用で、」

「そんなの、ここに連れてくるために決まってるじゃん。最後の打ち上げ、こないなんて白けることは言わせないから」

「…………」

「…………」

 本正さんは、普通に誘ったら簾内くんは来ないと踏んでこんな強行突破をしかけたらしい。それを悟った簾内くんは、一つ息を吐いて突然の出来事に固まったみんなを見回す─本正さん、水城くん、見目さん、私。

 簾内くんは私と目があってもなにごともなかったかのように目をそらした。

「白けるって、そもそも僕が来た方がよっぽど、」

「久し振り簾内くん。来てくれてよかった。卒業式まで会う機会ないんじゃないかって思ってたから」

 簾内くんの言葉と静まり返ったこの空気を破るように、隣で見目さんが片手を上げる。笑顔で簾内くんに歩み寄って、手に持っていたグラスを渡す。

「あ、そうそうウチさ、最近料理の練習してて。あのクック、クック……なんとかで」

「パッド」

「そう、それだ。なんでか覚えられないんだよね。でさ、最近こんなのがあって……」

 仲よさげに簾内くんと話す見目さんを皮切りに、静かな部屋に話し声が戻る。

 本正さんは水城くんたちと歌う曲を選んで、私も同じ美術部の人と近況を報告し合って。

 高校最後、このクラス最後の打ち上げは緩やかに盛り上がっていった。

 

 なんだか、小学校の運動会のビデオを観てるような、不思議な気分だった。

 最初は見目さんと話し込んでいた簾内くんだったけど、水城くんに肩に手を回され、半ば強引にグループに引き込まれていた。ここに連れてこられたときもそうだったけど、そんな強引な扱いにも満更でもなさそうで、楽しそうだった。

 高校一年生の終わりに開いた打ち上げでは、幹事の人と話す以外はずっと私としか話してなかった。それまでもずっとそうだったし、私自身それが普通だと思ってて、変わるなんて考えもしなかった。

 みんな、変わったんだ。

 大学に進んで進路が別れて、新しい関係を築いたらきっと、更に変わるに違いない。

 私も、変わらなくちゃ。

 打ち上げは六時まで続いて、陽も落ちかけてきた頃に解散になった。本正さんも見目さんも水城くんも電車通学で、駅に向かわないのは私と簾内くんだけ。

 駅に向かって行く一団を、二人並んで手を振って見送る。みんなが遠くに消えてしまうと、どちらからともなく手を下ろした。

「…………」

「…………」

 気まずい沈黙。

 話さなきゃ、話しかけなきゃ。

 でも、なんて?なんて切り出すの?

 これが最後のチャンス。これを逃したら─。

 なんて言ったら自然?ぎこちなくない言い方はどれ?

 一体どうしたら、

「……じゃ」

 呟くような別れの言葉を残して、視界の端から簾内くんが消える。

「あ……待って!」

 咄嗟に大きな声が出てしまった。あれだけ考えて、結局こんな言葉しか出てこない。

 簾内くんは考えてることの読めない無表情で私を見る。

「い……一緒に帰らない?ほ、ほら、道一緒だしさ」

 その無表情が怖くて、言わなくてもいいことを口が勝手に言ってしまう。

 前はなにも言わなくても並んで帰れてたのに、なんでこんなに言い訳がましいんだろう。

「……別に、いいけど」

「ありがと……」

 気持ちテンポを落として歩き出した簾内くんに並んで歩く。

「……………」

「……………」

 けど、それで会話が生まれるわけじゃない。この気まずい間は埋まらない。

「……その紙袋、どうしたの?」

 なにか話さなきゃと必死に頭を回した結果、出てきたのがこれだった。

 簾内くんは、ここに来たときには持ってなかった小さな紙袋を提げていた。

「ああ、これ……なんか、見目さんに貰った」

「見目さん?」

「遅めのバレンタインだって」

「バレンタイン……」

 紙袋が揺れた拍子に、甘い匂いが風に乗って漂ってきた。これ……見目さんと一緒にいたときしてた匂いだ。

「最近、料理の練習始めたみたいで。これも自分で作ったんだって。毒味しといて、って言われた」

「ふうん……」

 毒味って言ったって、こんないい匂いのする物が毒なわけがない。きっと美味しいに違いない。

 最近始めたのなら、これ一つを作るのに相当苦労したと思う。

「…………」

「…………」

「……そう言えば、」

 なんとなく次の話を振れなくなった私に代わって、今度は簾内くんの方から話しかけてくれた。

「進路は決まった?」

「うん……近くの私大。簾内くんは?」

「無事受かったよ」

「そうなんだ。おめでとう」

 無事受かったというのは、第一志望の国立のことだろう。なら、これから私と簾内くんは全くの逆方向に進んで、まず会うことはなくなってしまう。

「……やっぱり、大学に進むとみんなバラバラになるよな」

 簾内くんも同じことを考えてたみたいで、その頬がふっと緩む。

 あの笑みは、どういう意味なんだろう。

 今までの人間関係が終わることへの寂しさ?

 それとも煩わしいしがらみがなくなることへの喜び?

 どっちだろう。どっちもあり得る。それでもし、簾内くんが今までを捨てたいと思ってるなら、これから私がすることは迷惑になる。

 でも、私はしなきゃいけない。大学に行くからって、進路が分かれるからって、私が臆病だからって、そんな理由で私は離れたくない。

 我儘でも構わない。私は、今までもずっと、これからもずっと我儘だ。押しつけもする、期待もする、偏見も持つ、らしさも求める。

 けど、もしそれを簾内くんが鬱陶しく思わないでくれるなら。

「慎」

 もう公園が見えてきた。時間はあまりない。

 突然名前で呼んだからか、慎が足を止める。私も立ち止まって、向き合う。

「……竹馬、さん?」

 慎の目が戸惑うように揺れている。逃がさないように、その目をしっかり見つめる。

「……今度さ、二人で打ち上げしない?」

「……え?」

 すぐには理解できなかったらしい。目をパチパチ瞬かせて、それから口の端を吊り上げる。

「打ち上げって……今したばっかりじゃん」

「今日やったのは、高校三年生の打ち上げでしょ。そうじゃなくて、私と慎が知り合ってからの15年分の打ち上げだよ」

「15年分……?でも、なんでそんなこと、」

「だって、もう終わりじゃん」

 どことなくそわそわしていた慎の動きが止まる。張り付いていた笑みがゆっくりと溶けて消えた。

「……終わり?」

 もしかして、ショックを受けてくれてるのかな。だとしたら、少し嬉しい。

「本当なら、文化祭が終わった日にでもすればよかったんだけどね。遅くなっちゃった」

「……もしかして、」

 付け足した一言で、慎はハッとしたように私を見る。それには笑って応える。

「どう?卒業式の前にやっておかない?」

「……いいよ。やろう」

 少しの間をおいて、慎はにっこりと笑った。今まで見た中で、一番底抜けな笑顔。そう思えるほどに。

「よかった。じゃあ、また連絡するね。今日はもう遅いし」

「だね」

 あとは、家に着くまでほとんど無言だった。話した言葉といえば、別れる時の挨拶くらい。

「じゃあね、慎。また今度」

「うん。今日はありがとう、友」

 けど、私にはこれで十分嬉しかった。

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