第26話 アタシ⑨
年が明けると、もう授業はなくなって自由登校になった。そのあとすぐにセンター試験があって、私立大学の入試が始まった。スマホの電源をつければ、毎日必ずどこかに誰かの合格報告がある。
アタシやアスカ、ヒトエは私立大学に受かったし、周りのみんなもほとんどが進路を決めていた。残るは国公立の二次試験だけど、そもそも国公立大学を受ける人自体が少ないから、そういう話は聞かない。このクラスだと、そういう人は簾内しかいなかった。
グループトークの履歴には、少し前まではあった合格発表を待ってる人への気遣いはなくなって、受験からの開放感のままなメッセージが飛び交っていた。一応ここに簾内は入ってるはずだけど、本人もなにも言わないしいないように扱われている。
あとは卒業式に出るだけの身になると、時間の浮いた平日にすることなんてベッドに転がりながらスマホをいじるくらいしかない。みんな似たり寄ったりみたいでスマホの通知は止まる気配がない。
『ねえねえ、誰かこのあとカラオケ行かない?超暇でさー』
『分かる!でも今日はちょっと用事ある……』
『いいねそれ行きたい!』
『私も行く。どこ集合?』
『ほんと時間余るよねー。今度みんなでどっか行こうよ』
『そう言えばさ、卒業式の日、打ち上げする?』
『え、しないの?』
『普通にすると思ってた』
そういう話が出てくるとは思ってた。他の学年だってやってるし、やるのが当然みたいな空気はある。
それになにより、このメンバーで集まってなにかできるのはこれが最後だ。誰だって、最後くらいは校則だとか先生の目とかがない中ではっちゃけたい。
『じゃあ、やるってことで。いつ頃が都合いい?』
『あー、でも卒業式の日は部活の集まりがあるかも』
『あたしも』
『じゃあその前後で決めようか。都合いい日があったら教えて』
最後のメッセージは、水城くんのアカウントから送られている。きっとこの打ち上げでも幹事を務めるんだろう。
『アタシはいつでもオッケーだよ』
送ったメッセージには、すぐに10近い既読がついた。しばらく待つとほとんど全員の既読がついた。
けど、残る一つの既読はいつまで経ってもつかない。しばらく前のメッセージを遡っても、全員分の既読がついてるものはない。
「……」
みんなが簾内をいない人のように扱うのは、これもあるのかもしれない。受験が終わってないからだと分かってはいるけど、頑なにつけられない既読は簾内がもうこのクラスに関わるつもりがないという拒絶のようにも見えた。
『久し振りにさ、学校行ってみない?』
アスカからそんなメッセージが来たのは卒業式まであと二週間弱、クラスの打ち上げまであと一週間弱のときだった。
ヒトエはもう行く気らしい。どうせ今日は予定もないし、行ってみることにした。
久し振りの制服に袖を通して、集合場所の校門前に着いたときには二人とももう着いていた。
「おまたせ」
「はよー。久し振りだね。どう、制服似合ってる?」
「なに言ってんの、ずっと着てたじゃん」
「そうだけどさ。久し振りすぎてなんかへんな感じがして」
「あー、それは分かる」
なんとなくぎこちなく感じてたのはアタシだけじゃないんだ。
なんとはなしに安心しながら一ヶ月と少し振りの校舎に入る。一年生のときとか二年生の頃に使ってた教室も見てみたかったけど、普通に使ってるはずだから人気のない三年生のフロアに向かう。
誰もいない、ただ同じ大きさ、同じデザインの机と椅子が整然と並んでるだけの教室はなんとも言えない空気が漂っていて、肌に引き攣るような感覚が走る。放課後の教室なら今までも見たことはあるはずだけど、何日も人が使ってなかった教室は、それとはまた違う雰囲気がする。
二人も似たようなことを思ったみたいで、しばらく三人してなにも言わずにぼんやりと無人の教室を眺めていた。
「……いやー、なんか変な感じがするね」
妙な緊張みたいなのを破ったのはアスカ。手近な椅子を引いて勢いよく座る。反動で脚が持ち上がったせいで、スカートの中が少し見えた。
「ホントだね。あ、でもこの落書き見たことある。多分アスカのじゃない?」
「え?どれどれ?」
ヒトエが指差す落書きを覗き込むと、シャーペンで薄っすらと兎に似たキャラクターが描かれていた。要点を押さえて書いてあるおかげで、すぐにピンとくる。
「あれ、これ……」
「あー!懐かしい!これ、六月頃にハマってたやつだ!」
「だよね。アスカ、すっごい熱上げてたよね」
「そうそう、で、夏休み終わった頃にはもう飽きてた。ミーハーだよね、アスカは」
「違うよ、あれは飽きたんじゃなくて、それ以上の情熱を別のに注いでたの!」
「浮気じゃん。尚更タチ悪いよ」
他にも、自分の名前だとか目印を机や椅子に刻んでる人は結構いて、そういうのを見つけてはこの筆跡は誰のだとかそれは誰のトレードマークだとか、宝の地図を解読するように遊んでいた。
やがてそれにも飽きて、誰からともなく椅子に座った。
誰も喋らなくなったせいで、教室が元の静かさを取り戻す。
「……これで、卒業かあ。早かったね」
この声は……どっちのだろう。ぼーっとしてたせいでよく聞き取れなかった。
また別の声が答える。
「そうだね……個人的には遅かったような気がするけど。スグ的にはどう?」
「アタシは……」
どうだったろう。この教室の一年間だけじゃなくて、この真下の教室の二年生は、さらにその下の一年生は。
正直、思い返してみても思い出せることはそんなにない。アスカと最初に会ったとき、ヒトエと初めて話したとき、そういうのは覚えてるけど、一日一日となると、ぼんやりしている。いつのともわからない思い出がごちゃまぜになっている。明確な映像になるのは、ほんの半年分くらいだ。文化祭の準備をしながら喋ってたしょうもない話だとか、当日に色んな所を回ったことだとか、あとは……簾内のこととか。そういうのを振り返ってみる限り、あっという間だったと思う。
けど、他のぼんやりした部分は……、
「よく……分かんないかな。長かった気もするけど、短かった気もする」
「あー、なんか分かるかも」
要領を得ないことを言ったと思ったけど、意外と二人は頷いてくれる。
「最近のことは早く感じるけど、よく覚えてないことってなんとも言えない感じだよね」
「それね。この教室のことは早かった気がするんだけどなぁ……」
もう一度、この一年の全部を思い出すようにぐるりと見回す。
「……ん?なにこれ」
黒板の片隅に、目立たない緑色でなにか書いてある。
「どしたの?なんかあった?」
同じようにしていたアスカとヒトエが、席を立って近づいてくる。
「これ、二人が書いたの?」
緑色のチョークで、花束のブーケのようなものや、アニメのキャラクターなんかが描いてある。細かく描き込まれていて、ただの落書きにしては手が込んでいる。
「いや、知らないよ」
「っていうか、そもそもそんな画力ないし」
「確かに……」
まあ、かくいうアタシだってそんなに絵心があるわけじゃないけど。
なら、他の誰かか。もしかしたら、アタシたちみたいにここに来た人たちがいたのかもしれない。
なんてことを考えていると、廊下から足音と話し声が聞こえてきた。音はだんだん近づいてきて、この教室のドアを開ける。
「あ」
「あっ」
ドアを開けたのは、竹馬さんだった。それともう一人、隣に見覚えのある人がいる。確か、美術部の人だったはず。
竹馬さんたちは教室にいるアタシたちを見て固まっていたけど、アタシたちが見ていた絵を見て慌てたように動き出した。
「あっ!ごめんそれ描いたの私なの。すぐに消すから。ごめん」
早口でそう言うなり、黒板消しで一気に絵を消してしまう。
「えー、消しちゃうの?勿体ない」
「せっかく上手かったのに」
アスカとヒトエが口々に零すと、竹馬さんは困ったように笑う。
「いやいや、ただの落書きだから。どうせすぐ消すつもりだったし」
「でもさー。卒業式の日にはみんなで落書きするんだし、それまで残しといても……」
「そんな、わざわざ残しとくようなものじゃないよ」
不満気に口を尖らせるヒトエをよそに、竹馬さんはばたばたと忙しなく黒板消しを動かして黒板を消していく。
そういえば、このクラスはやるんだろうか。黒板アートみたいなの。中学のときはやった記憶がある。
まあみんなの画力のことを考えれば、そんな大層なものにはならないんだろうけど、銘々勝手に色々書いたりはするんだろう。これも卒業式の定番イベントって感じだ。
あ、そうだ。
「竹馬さん」
黒板を消し終わって、そそくさと教室を出て行こうとする竹馬さんを呼び止める。一つ、聞いておきたいことがあった。
「今度打ち上げみんなで集まるじゃん。そのとき簾内が来るかどうかって、聞いてる?」
「え」
一瞬、竹馬さんの表情が凍った。けどすぐに困ったような笑みに変わる。
「……あー、なんか簾内くん忙しいみたいで。私もよく知らないんだ。ごめんね」
「そう……」
簾内のやつ、結局竹馬さんとはぎくしゃくしたまんまか。せっかくせっついてあげたのに。
「えー、簾内くん来ないの?」
アスカが拍子抜けだと言わんばかりに目を丸くする。
「あれ、そういえばさ、直音簾内くんの連絡先持ってなかった?」
「うん」
そう。簾内がだんまりを決め込んでも、個人にメッセージを送ることはできる。あいつ本人がどう思ってるのか分からなかったからなにも送らないでいたけど。
「竹馬さん」
「……え、あ、うん。なに?」
「竹馬さんは来るんだったよね、打ち上げ」
「うん、そのつもりだけど……」
「竹馬さん的にはどう?アタシとしては、どうせ最後なんだし全員集まりたいって思ってるんだけど。簾内のこと誘ってもいいと思う?」
竹馬さんの目が僅かに見開かれて、微かに揺れる。
これが最後だ。アタシにとっても、簾内にとっても、竹馬さんにとっても。
アタシの言いたいことは通じたらしい。竹馬さんはしばらく考えるように目線を彷徨わせていたけど、
「うん。お願い」
覚悟を決めたような目で真っ直ぐアタシを見て、竹馬さんは一つ頷いた。
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