第25話 ウチ⑨

 十二月も終わりになると、教室の空気も変わって、休み時間も笑い声や話し声は聞こえなくなった。来月中旬のセンター試験、二月から三月の私大入試、どれもがカレンダーを一、二枚捲ればすぐそこにある。緊張感が生まれるのは当然のこと。

 けど、ウチはその張り詰めた緊張感の中にはいないで、その上でふわふわと漂っている。そんな気がしてしまう。

 実は、ウチは三ヶ月くらい前には私立大学に推薦が決まっていて、受験勉強をする必要がなくなっていた。周りはみんな受験をするから、刺激にならないように言わないでいたけど、やっぱりこういうところではどうしても意識の違いが出てきてしまう。

一ヶ月くらいは同じように参考書を広げてみたりしたけど、さすがにもうそんなごまかしはきかない。

 だから、最近は放課後に部活に顔を出している。ウチ自身の気分転換にもなるし、この先もバスケを続けていくことを考えるとあまり身体を鈍らせるのもよくない。

 そんなわけで今日も、放課後に図書室に向かう人の列に混ざって体育館に向かう。

 ─ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ。

 体育館からは、バスケットボールが弾む音が聴こえてくる。

 あれ?

 いつもならこのくらいの時間はまだバトミントン部が使ってるはず。ローテーションが変わった?でも時々聴こえてくる人の声は聞き慣れない人のだし……まさか。

 そのまさかだった。

 体育館では、見慣れたユニフォームの見慣れた人たちが、見たことのないユニフォームの人たちとボールの取り合いをしている。練習試合だ。

 多分、今日練習試合の予定があるというのを忘れて来てしまったんだ。連絡は貰ってたはずだし、ウチがボケてた。

 みんなウチに気づかず必死に目の前のボールを追っている。ウチは完全にお邪魔虫だ。とは言え、すぐにも回れ右して帰る気にもなれない。二階の観覧席で観戦することにした。

 思えば、こういう角度からこのコートを見下ろしたことはあまりない。だいたいいつもコートの中にいた。もちろん一年生の頃はここにいたんだろうけど、そのときの感覚はもう忘れてしまった。

 最後にここにきたのは、体育の授業でバスケをした時。それに、簾内くんを初めて意識した時。

 今までずっと、人の後ろで縁の下の力持ちに徹していて絶対に気づけなかった簾内くんを、外野から、上から俯瞰して初めて認識したとき、ウチはその姿勢をいいな、って思った。バスケットボールプレイヤーとしても、人のとしても。それから少しずつ目で追うようになって、後ろを見るようになって。

 ウチが見ていた簾内くんは作り物だと、本人から言われた。あのときウチが目を引かれた簾内くんは幻覚だって。

 簾内くんを見ていて、危うさを感じることはあった。ウチらの後ろを歩いて、ウチらが落としたもの、残したものを全部処理しようとする簾内くんの姿勢は、誰よりも簾内くん自身に負担になってるんじゃないかって、薄々感じてはいた。そしてその予想通り、自分や周りの人に決められた自分に耐えきれなくなって崩れてしまった。

 文化祭が終わってからの簾内くんは、本当に人が変わったみたいだった。

 微笑みが消えて、皮肉に口の端を吊り上げることが増えた。

 口調も物腰柔らかなものがなくなって、ぶっきらぼうで突き放すように話すようになった。

 やっぱり、冷たくなったんだと思う。人に対して被っていた猫の皮を剥がして、牙を剥いて。

 けど、それだけじゃない。

 ウチが話しかけても、仕事の話がなくなってしょうもない話になっただけで、ウチからしたら特になにかが変わったとは思えない。

 簾内くんは今までの簾内くんを全部捨てたように言っているけど、本当にそうなのかな。

 文化祭前の簾内くんと、後の簾内くんがどの点でも180度変わったなんて、ウチにはとても思えない。

 ─ピーッ!

 ファールを取るときとは違う、長い笛が鳴る。前半が終わったらしい。自分の考えに夢中で試合をほとんど見てなかった。コートに目の焦点を戻す。

「あれ?」

 ユニフォーム姿の女子たちが歩き回る中に、場違いな制服姿の男子がいる。その人はキョロキョロと体育館を見回したけど、特になにもせず出ていこうとする。

「す、簾内くん?」

 なんで簾内くんがこんなところに?

 ウチの声が聞こえたわけはないだろうけど、まるで声に反応したようなタイミングで簾内くんがこちらを見上げる。

 目があった。

 簾内くんは少しの間ウチを見つめて、観覧席に上がってくる。

「見目さん。なにしてるの、こんな所で」

「なにしてるのって……簾内くんこそ、どうしたの?」

 簾内くんは推薦じゃないはずだし、この時期にこんな所にいる理由がない。

 簾内くんは目を下のコートに向けた。その先には相手方の先生らしい人と話してる顧問の先生がいる。

「ちょっと聞きたいことがあって探してたんだけど、取り込み中だったみたいで」

「ああ……授業の質問」

 なら、まあ分からなくはない。

 けど、どうしてそのまま帰らずに隣でぼんやりとバスケの試合を眺めてるのかは分からない。

「……見目さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 質問責めみたいにならないようにどう自然な感じで訊くか悩んでいると、簾内くんの方から口火を切ってくれる。これに乗っかろう。

「なに?」

「なんで僕に構うの?」

 横から向けられる視線は鋭い。なんでか、噛まれるのを警戒する動物のイメージが浮かんだ。

 ウチが答えられずにいると、簾内くんは言葉を続ける。

「あのときから、みんな遠巻きになった。僕だってそう思ってたし、そういうふうにしたつもりだった。なのに、なんで見目さんは変わらないの」

「遠巻きって……でも、本生さんたちとは仲よさげじゃん」

「でも、と……竹馬さんとは話さなくなった」

 確かに、竹馬さんと話してる姿を最近見ていない。竹馬さんを見てる感じ嫌いになったわけではないと思うけど、簾内くんからしたら同じなのかもしれない。

「……なに笑ってるの?」

 あれ、笑ってた?いけないいけない。

 けど、笑いたくもなる。

 相も変わらず朴念仁な辺りとか、やっぱり簾内くんは変わってない。変に構えるのも今更だ。

「簾内くん。誤解してるみたいだけど、ウチは簾内くんがそんなに変わったなんて思ってないよ、文化祭の前から、全然変わってない」

「変わってない?そんなわけ、」

「あ、いや、前みたいにお人好しな簾内くんじゃなくなったのは知ってる」

「……………」

「前にさ、体育でバスケやったの覚えてる?ウチが初めて簾内くんを意識して見たのがそのときなんだけど、ウチ、簾内くんがバスケやってるの見て格好いいなー、って思ってたんだ」

「………っ!」

 視界の端で簾内くんが身じろいだ。バレないように、簾内くんから見えない顔の反対側だけで笑う。

「けど、そのときウチが見てた簾内くんも演じてたんだよね。安心して。もう格好いいなんて思わないから。だって、演じすぎて堪え切れなくなっちゃったんでしょ?体調管理もできない選手なんて、むしろお荷物だからね」

「……じゃあ、なおさらなんで……」

「言ったでしょ。格好いいって思ったのはあくまで簾内くんに興味を持ったきっかけ。今は、格好いいとは思ってないけど面白いとは思ってる」

「……………」

「簾内くんに興味を持って、実行委員とかで会ったときに話すようになって、ウチ、普通に話せるじゃんって思ったんだよ。今までウチらの後ろにいてよく分かんない人だったけど、話してみたらぶっきらぼうでもないし、ボケたところもあって面白いし。……あのときはもちろんびっくりしたけどね。失望もした」

 いつのまにか二試合目に突入していて、二度目の休憩の笛が鳴る。追うべきボールもなくなって、簾内くんに向き直る。

 この表情は、どういう表情なんだろう。驚いてるのか、訝しんでるのか。

 けど、なんでもいいや。ウチは、笑って言いたいことを言えば。

「ウチは、文化祭の前だって今だって、ずっと簾内くんと話してるつもりだよ。簾内くんはあのとき学級委員で文化祭実行委員の簾内くんを捨てたつもりなんだろうけど、もともとそっちの簾内くんには興味なかったし。こっちの[#「こっちの」に傍点]簾内くんは、全然変わってないでしょ?」

「……………」

 簾内くんは、なにも言わないでウチを見ている。

「……………」

 ドヤ顔で決め台詞みたく言い放ったウチも、流れ的にそのまま見つめ返す。

「……………」

「……………」

 ……うっ、そろそろキツイ。

 そのとき笛が鳴って、後半の試合が始まった。これ幸いにそっちに目を向けて、なんとか空気を紛らわせた。

 簾内くんもしばらく試合を見てたみたいだけど、やがて体育館を出ていった。

 

 次の日、なんとなく簾内くんとは話せなかった。向こうも特に話しかけてはこないで、誰とも喋らないまま昼休みになった。

 受験も大詰めで、大半の人が昼休みにもお弁当を食べながら勉強している。ウチみたいな呑気にお昼を過ごしたい人に居場所はない。

 食堂行くか。

「あ、見目さん」

 お弁当を持って立ち上がったところで、隣から声をかけられた。誰も喋らない教室で、簾内くんの声はよく通った。

「へ?どうしたの?」

 簾内くんから、受験生で寡黙な簾内くんから声をかけられたのは初めてかもしれない。いや、間違いなく初めてだ。

 簾内くんは鞄をごそごそと掻き回して、小さなタッパーを取り出すとウチのお弁当の上に乗せた。

「え……なにこれ?」

 見ると、小さなケーキのような物が入っている。

「……まあ、なんていうか……昨日のお礼」

「ありがと……」

 タッパーを開けると、レーズンのいい匂いが漂ってくる……あ、ヤバ、お腹鳴りそう。

「ねえ、これ今食べていい?」

「え、いいけど……食堂行くんじゃないの?」

 勢いよく椅子を引いて座ると、簾内くんは目をパチクリさせている。

 なにを言っているのか。こんなものを目の前に食堂まで歩いてる余裕はない。すぐにでも食べないと……あ、これ美味しい。

「簾内くん、これもあのクックなんとか?」

「うん、そうだけど」

「へー……あ、じゃあそれは?その、揚げてあるやつ」

「ああ、これはね……」

 結局昼休みの間中ずっと、簾内くんのお弁当のおかずについて話していた。簾内くんは最後まで話に付き合ってくれて、そういえば笑ってるのを久しぶりに見た。

 そんな感じで話を聞く限り料理ってのも結構面白そうで、どうせこれからしばらくは暇なんだし、料理の練習を始めてみてもいいかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る