第24話 私⑧

 部活がなくなって、放課後がぽっかり空いたようになった。もちろんやることはある。受験勉強をしなきゃいけないけど、それでも虚ろな感じは拭えない。

 一日の授業が終わって、HRが終わって、みんなが動き出して騒がしくなる。銘々色んな話をしてるけど、だいたいやることは一緒のようでぞろぞろと教室を出て行く。その流れに乗って、私も鞄を肩に掛けた。

 その流れの中、少し先に慎が一人で歩いていた。誰と話す様子もなく、俯きがちに足を進めている。私の足も、そのペースに追いつくように段々と速くなる。

 これで、慎に追いついたら話しかけてみよう。

「でさー」

「え、そんなことある?」

「あるんだって!ホントに!」

 と、色んな話し声が混ざったざわめきの上を滑るようにして、その話し声だけがはっきりと聞こえてきた。

 本生さんたちだ。

 本生さんたちは私の少し後ろにいる。さっきまで声も聞こえなかったから、あとから追いついてきたんだろう。すぐに慎にも追いつくに違いない。

 さっきから足に違和感があるけど、おかげで慎に追いついた。隣に並んで、慎の顔が視界の端に映る。

 今だ。横を向いて、『久しぶり』って言うだけ。いや、そんなことは言わなくてもいい、ただ『よっ』って言うだけで。

「……………」

 視界から慎が消える。

 視界の後ろに慎が消える直前、慎が目を上げた気がした。けど、今更振り返れない。

 きっともうすぐ本生さんたちが慎に追いつく。そしたら慎も話の輪に入って、一緒に予備校にも行くんだろう。この前だって、隣の席に座って、終わったあとには遊んでいた。今日もそうなるんだろうし、そこに私は入れない。

 ─もし、本生さんたちが来なかったら。

 ……ああ、こんなことを考えるなんて、どうかしてる。こんなしょうもないことを考えるような私だから、本生さんとか見目さんみたいに慎に接せないんだ。

「あ、簾内じゃん!今日予備校いつ頃行く?」

 本生さんたちが慎に追いついたらしい。話し声が聞こえてくる。万が一にも追いつかれないように、更に足を速く動かした。

 変な力の込め方で無理のある歩き方をしてるせいかもしれない。

 心臓が、脚が、とても痛い。

 

 今日は講義自体はないから、別に予備校に行く必要はない。もちろん自習することはできるけど、今日はそのまま帰ることにした。

 予備校に行って、もし慎と鉢合わせでもしたら、どうしたらいいのか分からないから。

 右に曲がれば駅、左に曲がれば家に向かうY字路を左に折れる。

 慎たちは、ここを右に曲がるはずだ。もう追いつかれる心配はない。ようやくペースをいつも通りに戻して歩く。

「やっっっと追いついたっ!」

 ドンッ。

 背中に衝撃。ぶつかってきたなにかはそのままのしかかるように圧力をかけてくる。

 えっ、えっ?誰?

 一瞬パニックになったけど、覚えのある柔軟剤の匂いで気づいた。

「……竹視さん?だよね?」

「ピンポーン!です!」

 背中が軽くなって、竹視さんが隣に並んだ。

「いや、ピンポーン!じゃなくて。今日部活あるよね?どうしてここにいるの?」

 私はもう引退したけど、竹視さんはまだ現役、どころか最上学年のはず。それに、竹視さんは電車通学だ。

「……えーっ、とーぉ」

 竹視さんは明後日の方に目を逸らして頭を掻く……どこから突っ込もうか。

 と、ポケットの中でスマホが震えた。取り出して見ると梅松さんからメッセージが来ている。

『小百合がそっちに突貫してませんか?』

 まるで今の状況を見透かしたようなタイミングと内容だ。

『うん。今タックルかまされたところ。なにがあったの?』

『なんでも、「先輩センサーが反応した」だそうです』

 え。

 「先輩センサー」。私の体調が悪かったり、テンションが低かったりしたとき、いつも竹視さんは敏感に察知して駆け寄ってきた。「先輩センサーが反応しました!」って言って。

 梅松さんからまたメッセージが届く。

『小さなことでもなにかあったら雪に話してあげて下さい。じゃないと、一生離れないと思います』

「……………」

 竹視さんと目が合う。「えへへ」と照れくさそうに笑っている。

「……前々から疑問だったんだけど、一つ聞いていい?」

「なんですか?」

「どうして分かったの?」

 体調が悪いって言ったって、本当にまずそうだったら休んでたし、テンションが低いのだって一晩経てば治るような小さなものだった。今日だって、露骨に表に出したりはしてなかったはずなのに、なんでいつもいつも、竹視さんには見抜かれるんだろう。

 竹視さんは今度は目を逸らさなかった。ニコッと微笑んで私の手を取る。

「……見てれば分かりますよ。それよりほら、なにがあったのか、ちゃんと話して下さい。今だってセンサービンビンなんですからね」

「うん……」

 ここから少し行った所に小さな公園がある。いかにも住宅街の真ん中にありそうな何本かの木とベンチとブランコしかないような小さな公園で、昔はよく遊んだ。あまり人の多いところじゃないし、話すならそこがちょうどいい。

 これから話すことを考えると世間話はしにくくて、公園まで無言で歩く。普段はよく喋る竹視さんもなにも言わなかった。

 もう日が落ちかけている。もちろん公園に子供はいなくて、木が微かに葉擦れの音を立てている。サァサァと音を立てる木の、真下にあるベンチに並んで座った。

「……………」

「……あ、寒いよね。なにか買ってこようか」

「え、ホントですか、奢りですか?」

 話の上手い切り出し方が分からなくて、取り敢えずこの沈黙から逃げる口実を作ってしまった。けど、竹視さんは無邪気に目を輝かせた。

「うん。相談料、ってことで」

「じゃあ、ココアがいいです!」

「分かった」

 外れにある自販機に小銭を入れて、ココアのボタンを押す。

 ガタンッ。

 ココアを取り出そうとして、取り出し口のプラスチックに映った竹視さんが見える。足をゆっくり前後に動かしながら、囁き声みたいな葉擦れの音を聞いてるみたいだった。

 「先輩センサー」がなんなのか分からないけど、私はこれから竹視さんにあの話をするんだろうか。相談料なんて言ったけど、相談にはならない気がする。

 正しくは、懺悔。後悔。

 十字架に向かって、跪いて。

 私の中の卑怯を、卑劣を、臆病を、矮小を、馬鹿を、愚劣を、阿呆を、能天気を、無知を、無自覚を、無頓着を、無関心を、無責任を。

 「先輩」と呼ばれて、「先輩」として接してきた私の、人間の底を、痛い所も痒い所も全部、この可愛い後輩に打ち明けるんだろうか。

 そんなこと、出来るんだろうか。

「先輩?どうしたんですか?」

 プラスチックの中の竹視さんが、首を傾けて私を見る。

「あ、ううん、なんでもない!」

 急いで自分の分も買って、ベンチに戻る。

「はい」

 ココアを差し出す。幸いまだ冷めてはいない。

「ありがとうございます。あ、先輩もココアですか?」

「うん。私も好きなんだ」

「そうなんですか。……へへ、お揃いですね」

「飲んじゃうから、ペアルックとかにはならないけどね」

「缶だけでもとっとけばワンチャン……」

「ない。ないよ」

「……で、本題なんですけど」

 唐突に笑顔を引っ込めて、竹視さんは真面目な表情になる。

「先輩、最近なんか元気ないですよね。今日は特にそうでしたけど、前に食堂で会ったときだって」

「……そう、かな?別に体調は悪くないんだけど……」

「本当は、文化祭のときから変だなって感じはしてました。他に気掛かりなことがあるって言うか……心ここに在らず、って感じで」

「……………」

 そんな前から、おかしかっただろうか。あの頃はまだ、今ほどではなかったはずなのに。

「受験のストレス、とかじゃないですよね。部活だって、私先輩になにか悪いことした覚えはありません。……もしかして、クラスでなにかあったんですか?」

「……どうして、そう思うの?家のことかも知れないよ?」

「それはないと思います」

「即答だね」

「それははっきり分かってます。だって、この前食堂で会ったとき、先輩ずっと後ろの方を気にしてたじゃないですか。だから、そこにいた人の誰かに関係あるんだと思ってます」

「……………」

 竹視さんは、ココアに口もつけないでじっと私を見つめる。その目は真剣で、冗談の色は少しもなかった。本気で私のことを見て、本気で私のことを心配してくれている。

 もし、あのことを言うべき人がいるなら、竹視さんにこそ言うべきなのかもしれない。

 ここまで私のことを気にしてくれてる人にこそ、本当の私を知ってもらうべきだ。

 ここで本当の私を知ってもらって、私に失望してもらって、その気遣いをもっと大事な他の人に、梅松さんとかに向けてもらおう。

 本当の慎すら受け入れられない私に、他の人に受け止めてもらう資格はない。

「……長くなるかもしれないけど、いい?」

「もちろんです。ドンと来て下さい!」

 竹視さんは拳で胸を叩いて見せる。……この顔は、あとどれくらいで軽蔑の色に変わるのかな。

「文化祭のときのことなんだけど……私たちのクラスね、最後の文化祭だからって大きい出し物をすることになったの。私も張り切ってたし、みんな張り切ってた。飾り作りとか、買い出しとか、色々遅くまで残ったりしながらやってた。けど、みんなお金の管理とか書類仕事とかはやりたがらなくて、学級委員の人に全部押し付けてたの」

 さすがに、慎の名前は出せなかった。竹視さんは知らない人だし、言わなくてもいいはずだ。

 竹視さんは、なにも言わずにい一つ頷いて続きを促す。

「けど、その学級委員の人は頼んだことをなんでも笑って引き受けてくれて、私たちみんなどんどん甘えるようになった。無理なことも、大変なことも、その人のことは全く考えないでどんどん押し付けてた。でも、文化祭の直前になって、その人は耐えられなくなった」

 手を振り払われたときの、あの苦しそうで、恨めしそうな慎の顔。

「……もう限界だって。それで、すごく乱暴な言葉を言ったりもした。けど、それでもその人は色んなものを抑えてたんだと思う。なのに私……その人にらしくないから止めろ、なんて言ったの。この人なら頼めばやってくれる、って私たちの勝手なイメージでその人は追い詰められてたのに、それなのにまだらしくない、だなんて……」

「……………」

 震えが止まらない、怖くてしょうがない。思い出す度、口に出す度。

 なんで私はあんなおぞましいことをしたの。

 今竹視さんは私をどんな目で見てるの。

 怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

 竹視さんが目に入らないように、両手で頭を抱えて視界の端を塞ぐ。早くこの件を終わらせるために、竹視さんの反応を見るのを遅らせるために、口だけは必死で動かす。

「違う、違うの、苦しめたかったわけじゃないの、不安だっただけなの、いつもとあんまりにも違うから、私の知らない顔だったから、縛るつもりなんて、期待を押し付けるつもりなんかなかったの、無理させるつもりなんてなかったの、無理させてたなんて知らなかったの、笑ってて欲しかっただけなの、怒ってて欲しくなかっただけなの、私、私は、」

 ああ、駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ。思い出す。浮かび上がる。失敗、後悔、嫌悪、恐怖、憎悪、殺意、絶望、破壊衝動、自殺願望、罪悪、不幸、悪夢、怨念、無念、見たくない、吐きたい、なくしたい、びりびりにしたいものばっかり浮かんでぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ、

「先輩」

 背中が優しく叩かれる。

 ごちゃごちゃ狂ったものに落ち着いたペースを刻むように、トン、トン、トン、トン、トン。

「……………」

「大丈夫です、先輩。落ち着いて……」

「……文化祭が終わってから、話しかけられなくなった。あんなひどいことをして、嫌われてる気がして。今までのは本当の自分じゃない、演技だって言われて、私が知ってるのは私が勝手にイメージしてるものなんじゃないかって気がして。今までみたいに話しかけるのはおかしい気がして……」

 言葉が止まった。そこからなにも出てこない。話し続けたい、話し続けないといけないけど、なにを言えばいいのか考えもつかない。

 ジャリッ、と音がして、手が地面に転がった缶を拾い上げるのが見えた。隣から人の気配が消えて、自販機に向かう。手になにか持って戻ってきた。

「飲んで下さい。好きなんですよね、ココア。きっと落ち着きます」

 転がってたのと同じ缶が差し出される。手が勝手に動いて、プルタブを開ける。甘い、トロンとする匂いがした。

「……落ち着きましたか?」

「……うん……」

「ちゃんと全部飲んで下さい」

 言われるままにココアを飲み干すと、隣から伸びてきた手に缶を取られる。

「先輩がずっと元気がなかった理由は分かりました。どういう気持ちだったのかも。話してくれてありがとうございました」

「……ごめんね」

「いやいや、こっちとしてはむしろありがたいくらいです。夏奈に代返を頼んだかいがありました。先輩、いつも隙がなかったんですもん。こういう一面も見れてラッキーって感じです」

「……え?」

 ラッキー?

 なにが?どこが?

「そりゃラッキーですよ。だって嬉しくないですか?普段知らない一面を見れたら。先輩も、昔から仲が良かった人がずっと隠してたことを知れたんですよね。それって、なかなか貴重な体験じゃないですか」

「知らない一面って、そんな……」

 知らない一面なんて、そんな穏やかな表現が当てはまるようなものではないと思う。それは知らなかったんじゃなくて見なかっただけで、私は見たくないところに目をつぶって、都合の良いところだけ見ていたのに。それでいて、『慎らしい』なんて呑気で見当違いなことを言っていたのに。

「もちろんそういう言い方もできると思います。でも、そんな思い詰めるほどのことですか?だって、話を聞いた感じだとその人、自分で見せないようにしてたみたいじゃないですか。自業自得……って言うのも変ですけど、先輩が知らないのも無理ないですよ。それは、その人も分かってるんじゃないですか?」

「……………」

「むしろ先輩は、ここで落ち込むんじゃなくて喜ぶべきだと思います。普通なら知らないまま過ごしてたのを、文化祭のおかげで知れたんですから」

 喜ぶ。

 そんなこと、できるのかな。

「その人、今はどんな感じなんですか?」

「え?今って?」

「そういう人は頼られてるときだって友達は少ないと思いますけど、本性を明かした今はクラスでどんな立ち位置にいるんですか?例えば先輩以外の人とは話してますか?」

 確かに、文化祭の前から、というか昔から、慎に話しかける人はいても遊んだりする人は見かけなかった。けど今は……。

「……文化祭が終わってから、何人か話す人はできたみたい。休み時間とか、予備校とかで一緒にいるの見たことがある」

 本生さんはやっぱり、と言って笑った。

「多分ですけど、そういう人たちはその人が今まで隠してたことを知ったから仲良くなったんですよ。頼ったり頼られたりするビジネスライクな関係じゃなくて、表も裏もどういう人なのか知って、それでも関係を持とうとするのが友達じゃないですか」

「友達……」

 今までの私はどうだったんだろう。慎のことはずっと見ていた。いつだって、慎の一番近くにいて一番たくさん話してたと思う。けど、私が見て話してきたのは慎が取り繕った表の顔で、文化祭で慎は表の顔を取り繕うのをやめた。

 その裏側から出てきた顔を、私はどう思うんだろう。どう思えばいいんだろう。

「……けど、」

 竹視さんの表情が厳しいものに変わる。

「けど、やっぱりそんないい話ばっかりでもないと思います。みんな多かれ少なかれ隠し事はするし、見せたくない自分もあります。見たくない他人もあります。私だってそうです。だってそうしないと友達なんてできないから。本当の友達は出来るかもしれないけど、それだけじゃきっと窮屈だし、その人が完全に自分のままに振る舞うなら嫌がる人もいると思います」

「……そう、だよね」

 私がなんだかんだ言って話せないでいるのも、多分そういうところに理由がある。色々それっぽいことを言ってみたって、所詮私はそんな人間なんだ。

 そして、それは慎にも分かってるはずだ。あの時かけた無責任な言葉で、いやもしかしたらずっと前から。

 今まで私と話してくれてたのは、慎が演じようとしてたからかもしれない。そうなら、もう私と話したりはしないだろう。

 私が慎を嫌うんじゃなくて、慎が私を嫌ってるとしたら、

「あー、そうかもしれませんね」

「……え?」

「もしかしたら、その人からしたら先輩はトラウマみたいになってるかもしれないです」

「……………」

「それか、単に先輩と顔を合わせるのが気まずくなってるだけかもしれないです。先輩に対して申し訳なく思ってるかもしれないです。先輩に嫌われたと思い込んでるだけかもしれないです。話しかけようとしたときにたまたま他の用事が入ってタイミングを逃し続けただけかもしれないです。それとも、」

「……どういうこと?」

「その人が先輩に対してなんて思ってるのかなんて、その人にしか分からないってことです。先輩、まだ一度も話してないんですよね?なら、分からないじゃないですか」

「……………」

「もしその人が先輩が思ってるみたいに先輩を嫌いになって、先輩も変わったその人に今まで通り接せないなら、それは本当の友達じゃない、隠し事をしないと続けられない関係だったってことだと思います。そっちの方が多いと思うし、それが普通だと思います。でももしそうじゃないなら、多分先輩とその人は最強になれると思います」

「さ……最強?」

 話の雰囲気とは明らかに違う単語が出てきて、漢字が浮かぶまで時間がかかってしまった。

「最強です。お互いの嫌なことを知ってて、それでも近くにいられるなんて、最強の関係じゃないですか。話題が合わないとか、喧嘩したとか、既読スルーしたとか、好きな人の取り合いになったとか、テストの成績に差が開いたとか、そんなちっちゃなこと今更気にならないんですよ?凄くないですか?」

 竹視さんは目をキラキラさせて、身を乗り出して、拳を握り締めて力説する。

 そういえば、梅松さんもよく竹視さんの愚痴を言っていた。自分勝手すぎるとか、行動が読めなくてフォローするのが大変だとか。でも、次の日には笑って小突きあっていた。この二人も、竹視さんの言う『最強の関係』なのかもしれない。

 もし、竹視さんと梅松さんのような関係に私と慎が慣れたら……あのあとすぐに、いやすぐじゃなくてもいい、落ち着いたあとに笑って茶化したりできたら。

 どんなにいいだろう。幸せだろう。

「……そうだね」

「ですよね!それに、もしその相手が好きな人だったりしたら、もうすっごいですよ!ほら、ラブコメとかでたまに恋敵とかから本当に好きなのか聞かれて悩む人とかいるじゃないですか。ああいうときに、悩まないで即答で『好きだ』って答えられるんですよ。それって、やっぱりカッコよくないですか?」

 竹視さんは、きっとそのくらい好きな人がいるんだろう。好きも嫌いも、酸いも甘いも噛み分けて、それでも好きな人が。そして、もしなにか今までの関係が揺らぐことがあっても、それを前向きに捉えようとするんだろう。

 本当の関係を築けるのは、こういう人にしかできないことなのかもしれない。少なくとも、今みたいな私に、竹視さんのようにはなれない。

 ありもしない絵空事かもしれない。捕らぬ狸の皮算用かもしれない。現実逃避の空想かもしれない。

 でも、そういう『最強な』関係を思い描いてみると、なんだかほっとしたような、怖いものなんかないような気分になれた気がする。

「……そうだね。ありがとう、話聞いてくれて」

「いえいえ。こちらこそいい話を聞かせてもらいました。おかげで私も、自信を持ってられます」

「え?自信?」

 唐突に出てきた言葉に、思わず聞き返してしまう。

 竹視さんは「あっ」と言って口を覆うジェスチャーをすると、そそくさと鞄を持って立ち上がる。

「さて!先輩センサーも穏やかになったし、夜も遅いし、私もう帰りますね!お疲れ様でした!」

 そういうなり、私がなにか言う間もなく走って公園を出て行こうとする。

「あ、竹視さん!」

 咄嗟に飛び出た声はなんとか届いて、竹視さんが振り返る。

 でも、なんて言おうとしてたんだろう。感謝?別れの挨拶?さっきの言葉の真意?

 結論が出ないまま、焦って口が先走る。

「ココアの缶、持って帰らないでちゃんと捨ててね!」

 ……我ながらしょうもないことを言ってしまった。もっとほかになにかあったでしょ、私。

 そんなしょうもない言葉に、竹視さんがなんて返したのかは聞こえなかったけど、辛うじてなにをしてるのかは分かった。

 ウインクで、舌をだして、手を頭にあてがって。

「……テヘペロ☆」

 ……全くもう、あの子は。

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