第18話 アタシ⑦
親子連れのお客さんが笑いあいながら教室を出て行く。
「ありがとうございましたー」
「じゃーねー!」
お母さんに手を握られた男の子は手を振り返してくれた。
─ピシャン。
ドアが閉められて、教室からお客さんがいなくなる。
「……終わったね」
誰かがそう呟くのが聞こえた。
あの二人が、最後のお客さんだった。その二人も満足そうに帰って行って、アタシたちの文化祭はこれで終わり。
「……みんな、お疲れ様でした!」
「お疲れー!」
「いやー、ホント疲れたわ!」
緊張の糸が切れたように、教室中がワッと賑やかになる。
……本当に、終わったんだ。
なんか、どっと疲れた。ちょうどいい所にあった椅子に座ってはしゃぐみんなを見る。焦点が合わなくて、誰も彼もぼんやりとしか見えない。
「じゃあさ、このあと打ち上げしようよ!行く人いる?」
一際声を張り上げているのは水城くんだ。さっそく打ち上げをするつもりなのか。どうしようかな、いつもなら行くんだけど……。
「直音ー!打ち上げだって!行くでしょ?」
考えている間にも、ヒトエが駆け寄ってくる。
「……アタシはいいや。パスで」
気がついたら、口が勝手にそう答えていた。
「え、行かないの!?なんで」
「あー……なんかつかれちゃってさ。二人は楽しんできなよ」
けど撤回するきも起きなくて、手を振ってヒトエに戻るように促す。戻ったヒトエから話を聞いた水城くんも心配そうにこっちを見たけど、特になにか言ってはこなかった。
「……じゃ、アタシは帰るね。お疲れ様でした」
他のみんなは打ち上げに参加するつもりらしい。参加しないアタシがいつまでもいるのも悪いし、鞄を持って教室を出る。
「直音、お大事にねー!」
「気が向いたら来ていいからね」
「うん。ありがとね」
廊下はとても静かだった。ついさっきまで人でごった返していたからかもしれない。ドアの隙間から漏れた教室の中の喧騒が一層寂しい。
今まで、こんなに静かな所で一人になることはなかった。自然と早足になって昇降口に向かう。
学校から駅までの道は、いつも同じ学校の人が結構いた。けど今日はその数が少ない。何人かのグループになってる人はいなくて、一人で歩く人がちらほらいるだけだった……って、それはアタシもか。
駅に着くと、ちょうど二本の電車が同時に来ようとしていた。一本はアタシの家の方向に向かう電車。水城くんたちが打ち上げをするなら、こっちを使うはずだ。もう一本は、滅多に乗らない家とは反対方向の電車。
正直、打ち上げに行く気はないけどこのまますぐに家に帰る気にもなれない。それに、親には帰りが遅くなるって言っちゃったし。
少し悩んで、結局反対方向の電車に乗ることにした。
半ば勢いで乗ったはいいものの、アタシはこの電車が止まるどの駅がどんな場所なのかさっぱり分からない。二十分くらいボーッと揺られて、人が何人も降りた駅で流れに乗るようにして降りた。
当然、ホームに掛けられた駅名を見てもどこだか分からない。けどここでずっと立ってたって仕方ないから、流れに乗って歩く。
改札を出ると、すぐ目の前に駅ビルがあった。人の出入りが激しかったからもしかしたらと思ってたけど、その予想は当たってたらしい。他に行く所もないし、ここで適当に時間を潰そう。
ここはそこそこ大きな場所みたいで、色んな店が入っていた。いつもアタシたちが行ってる所よりも大きいかもしれない。目的もなくただなんとなく、その賑やかな中を歩く。
「……あ、」
と、見覚えのある店があった。いつだったかみんなで来た新しいブランドの店。ここにも来てたんだ。
見慣れない店ぼかりだったところに知ってる店があって、つい足が止まる。棚に置いてある商品を手に取ってみたりする。
「……さすがに、もう変えるのは早すぎるよね……」
新商品も出てるみたいだけど、すぐに試す気にはならない。手に取っては戻し、取っては戻しを繰り返して、どんどん店の奥に入って行く。気づけば見覚えのあるアイシャドウが手の中にあった。水城くんたちに勧められて買ったこれは、今アタシの部屋にある。
─直葉には、これの方が似合うと思うよ─
─スグのイメージぴったり─
─もっと自然な方がいいと思うけど─
「……………」
嫌なことを思い出した。
簾内は、昨日も今日も来なかった。相方さんも、他のみんなもそれをなかったことにして、元からいない人のように扱っていた。きっとこれからもそうだろう。竹馬さんだって、あんなことをされたら今まで通りにはいかないはずだ。
結局、あいつはなんだったんだろう。
からかい半分で、どうせ適当なこといって流すだろうと思って話しかけてみたら意味深なことを呟いた。けどすぐに気持ち悪い愛想笑いでごまかした。そしてそのままヘラヘラ笑ってるのかと思えば、文化祭直前になってキレて、全部放ったらかして消えた。『今までの僕は全部作り物だ』だとかなんとか、意味分かんないことを叫んで。
アタシたちに見せてきたあれが作り物なら、本当のあいつは一体どんなのなんだろう。まさか、あの時呟いてたのが本物?
さっぱり分からない。考えようとしても、思い出すのはあのヘラっとした薄ら笑いだけで、なんだか頭の中の考えまでその笑みにごまかされてる気がする。
……気持ち悪い。
こんなこと考えるつもりじゃなかったのに、余計なことを考えてしまった。これ以上変なことにならないように足早に店を出る。
人混みの中に戻って時計を確認すると、まだ十五分も経っていない。
これからどうしようかなぁ……。
漠然と辺りを見回す。
「……あれ?」
少し離れた所にいる人に目が留まった。
その人は本屋の前に立ち止まってぼんやりと並んだ本を見下ろしている。なんとなく見知った人だというのは分かるけど、被ったフードとマスクのせいで、後ろからだといまいちよく分からない。前に回り込めば……、
「……あ!」
「……え?」
噂をすれば影。
マスクで顔のほとんどが隠れてはいるけど、たしかに失踪中の学級委員、簾内だ。
「簾内じゃん」
「……本生さん?なんで……?」
「なんでって、それはこっちの台詞なんだけど。なんでこんな所にいるの?」
簾内は気まずそうに目をそらす。
まあ、誰だって文化祭をサボって時間を潰していたなんて答えられないだろう。
アタシでも分かる。簾内は、そんなに肝が据わってる奴じゃない。
「……………」
「……………」
けど、こんな所で会ったってそもそもアタシと簾内じゃ話題なんてない。しかも簾内には負い目がある。ただただ気まずい沈黙が流れた。
「……あ、じゃあ、僕は行くから……」
どんより重い空気に耐えかねたのか、簾内はそう言ってそそくさと離れようと、
「待って」
「……え?」
「あ……」
あれ?なんで?
反射的に服を掴んで引き留めてしまった。簾内が驚いたようにアタシを見るけど、アタシの方が驚いてる。
アタシと簾内じゃ、まるで噛み合わない。アタシは簾内の笑ってごまかそうとする所は本当に嫌いだし、簾内だって別にアタシのことが得意ではないはずだ。
だから、アタシが実は簾内のことを気にしてるからだとか、そんなラブコメみたいな理由はありえない。
ならこれは、
「……ちょっと付き合って」
ずっとアタシの中でわだかまっていた疑問を解消するためだ。
「ちょ、本生さん、付き合うってなにを……」
もごもごと口ごもる簾内を引っ張って、さっきまでいた店に戻る。まずは……これかな。
チークの並んだ棚から適当な二つを手に取って、簾内に見せる。
「ねえ、これとこれだと、どっちがアタシに似合うと思う?」
「え?……なに、これ?」
あー、まずはそこからか。でもいちいち説明するのはめんどいし……。
「あー……今のアタシの頬、これを使って紅くしてるんだけど、これ似合ってると思う?」
「どうしてそんなこと急に……」
「いいから」
簾内はしばらく口ごもっていたけど、やがて小さな声で答えた。
「……別に、そんなのしなくたっていいと思うけど……」
「そう。じゃあ次」
二つとも棚に戻して、今度はアイシャドウの棚へ。その次はグロス。その次はヘアカラー。店にあるほとんど全部の棚を回って一周した所で、簾内を解放する。
「本生さん、さっきからなにを、」
「ありがと。もう帰っていいよ」
「……え?」
「また明日ね[#「また明日ね」に傍点]」
アタシが店の中に戻ったあとも、簾内はしばらく呆然と突っ立っていた。
今日は朝から変な感じがする。アタシ自身慣れないことをしているからかも知れないし、周りの視線を集めているからかも知れない。
校舎に入って友達とすれ違うようになると、その反応はもっと露骨になった。話しかけてこようとするのを流して教室に向かう。
この話をするのは、まずあいつからだ。
「おはよー」
─ザワッ。
教室に入った途端、マンガでしか見たことがないような音が聞こえてくるようだった。そんなことより……いた。
我関せずで机に突っ伏している、そのすぐ目の前に立つ。すると気配を感じたのか、のっそりと顔を上げてこっちを見る。
「おはよう」
「…………え?本生、さん?」
胡乱だった簾内の目が驚きで大きくなる。
こんな顔を見たのは初めてだ。鼻を明かしてやれたみたいで、これだけでやってよかったと思える。
けど、これで終わりじゃない。もう一つ、言ってやらないといけないことがある。
「どう?かなりのイメチェンでしょ。これ、全部昨日簾内が選んだやつなんだけど」
「……僕が……それ?え、でもなんで……」
「簾内さ、前にアタシが髪型が似合ってるか聞いたとき、なんて言ったか覚えてる?」
「……………」
答えはない。でも覚えてはいるらしい。なにか言おうと口が動いて、でもなにも言わずに中途半端に固まる。
「あんなこと言われたの初めてだし、簾内のアドバイスに従ってみたんだけど、似合ってる?」
「……あ、」
簾内が何か言おうとした時、教室のドアが勢いよく開く音がした。
「……でさー、そんときアイツがさー」
「えっ、それマジ?そんなことある?」
「あるんだよねー、これが。水城くんも見たよねー?」
入ってきたのはアスカとヒトエと、水城くんたち。いつもなら駅で待ち合わせるんだけど、今日はいつもより早めに来たんだった。
水城くんと、アスカとヒトエの目がアタシを捉える。
「おはよー」
「……え、直音?」
「え、ちょ、どうしたの!?」
バタバタと慌ただしく駆け寄って来たアスカに肩を掴まれて前後にガクガクと揺すられる。いつかも見た光景だけど……あ、これ思ってたよりキツイ。
「なにがあったの!?失恋!?」
「ちょ、そんなんじゃないって、」
「じゃあなんで、」
「まぁまぁ、アスカ落ち着いて」
放っておいたらアタシの首が折れるまで揺すってそうだったアスカを水城くんが止めてくれる。
「……でも直音、随分変わったね。どうしたの?」
「いやー、ちょっとある人のアドバイスがあってね……」
すっかり置いてけぼりな簾内をチラッと見ると、その視線を追って水城くんも簾内を見る。急にアタシと水城くんから注目されて、簾内の肩が跳ねた。
「水城くん的にはこれ、どう?」
「あ、やー……」
いつもの水城くんなら、ここでスラスラと良い所を言ってくれるのを、なぜか頬を掻いて明後日の方角を向いてしまう。
「うん、まあ、正直驚いたって言うか……うん、でも、すごく良いと、思うよ……うん」
たどたどしくそう言って、水城くんは鞄も置かずに教室を出て行ってしまった。
うーん、これはどう受け取ったらいいものか。
と、ヒトエがニヤニヤしながらアタシの肩をつついてきた。
「……直音、あれ完全に見惚れてたよ」
「え?」
「いや、だってあれ、小学生の頃に近所のお姉さんに抱っこされてたときと全くおんなじ反応だもん。本当に照れると途端に化けの皮が剥がれるんだよね、あいつ」
「そうなの?」
「そうそう」
ヒトエが水城くんと仲がいいのは知ってたけど、そんな話は聞いたことがない。
「久々にあんな反応してるの見たし、いじってこよ」
ヒトエはいたずらっぽく笑うと、アスカの」腕を掴むと水城くんを追って教室を出て行った。あとにはアタシと簾内だけが残される。
「……なんか、意外と好評だね。簾内のアドバイスのことだから、正直もっと微妙だと思ったんだけど」
「……なら聞かなければいいのに」
「しょうがないじゃん。気になってたんだから」
「?」
「簾内さ、」
そろそろ、本題に入ろう。改めて簾内に向き直る。真っ直ぐ、本音を伝えるつもりで、その目を見る。まずは、何日もアタシを煩わしてくれた疑問を問いかけた。
「もっと自然な方がいいって言ったあと、なんでもないってごまかしたよね。あれも、自分を作ってたから?」
簾内は少し黙ると、そっと目を逸らして呟くように答えた。
「……まあ、そうだけど」
ああ、そうだったんだ。
答えを聞いたとき、一番最初に浮かんだのはそんなあっけない感想だった。そして、そんなあっけないことに振り回されたのがムカついてくる。
はっきりそうと言ってくれればいいものを、変に思わせぶって、もったいぶって。
何が作ってただ。何が演じてただ。期待?そんなものをただ同じ部屋にいるだけの生息域の違う学級委員にするわけがないのに。なのに勝手に型に嵌められただとか思いこんで、勝手に抱え込んで勝手に抱えきれなくなって、勝手にキレて。意味分かんない。
言ってやりたい文句は次から次に出てくる。ただそれを全部言うのは無理そうだから、最低限伝えたいことと、ちょっぴりの悪口を。
「……そう。じゃあ、それはもうやめて」
「……?」
アタシがそう言うと、信じられないというふうに簾内はアタシを見つめる。自分から言い出した癖に。
「アタシ、前々から簾内のヘラヘラした感じ嫌いだったんだよね。もしそれが素の簾内じゃないっていうなら、二度と演じたりしなくていいから。周りの期待がどうとか言ってたけど、そもそも簾内に期待とかしてなかったし。自意識過剰で勝手に自滅とか、ほんと馬鹿みたい」
「……………」
簾内は何も言わずに俯くと、そのまま黙った。
「……ははっ、返す言葉もないや」
けど、やおら顔をあげて心底おかしそうに笑った簾内の笑顔は、今まで見た中で一番薄っぺらくない笑顔だった。
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