第16話 ウチ⑥

 いよいよ今日は文化祭。いつもよりはやく教室に向かうと、もう何人も人が来ていた。みんな最後の準備に忙しそうに動き回っている。

 特に忙しそうなのは、相方さんだ。結局終わらなかった作業に一人で取り組んでいる。

「手伝おうかー?」

「ううん、いい。それより、装飾の最終チェックお願い」

友達が声をかけても、断って一人作業を続ける。もしかしたら、贖罪のつもりなのかもしれない。

 荷物を置いて、相方さんの隣に座る。えーっと……これをここに写せばいいのか。

「見目さん。ここはいいから、」

「そう思ったんだけど、どこももう人がいて。それに、リーダーが二人とも過労でいなくなったら困るし」

「……」

 隣で相方さんが息を呑む気配がする。向けられる視線を無視して作業を続けていると、やがて諦めたようで作業に戻る。

「……ありがと」

「ん」

 それからはお互い無言だった。

 ─キーンコーン、カーンコーン。

 作業がようやく終わった頃、見計らったかのようなタイミングでチャイムが鳴る。朝のHRの始まりのチャイム。文化祭開始のチャイム。

 壁越しに隣のクラスが大きく掛け声をかけているのが鈍く響いてくる。クラスのみんなの視線も相方さんに集まった。

「……いよいよ、文化祭本番だけど、」

 たくさんの視線を受けた相方さんは、それら一つ一つを受け止めるようにみんなを見回す。そして視線の数が一つ足りないことを確認して小さく息を吐いた。

「えっと、その……よろしくお願いします」

相方さんはなにか言おうとしたのを飲み込んで、ただ深く頭を下げる。

 賽は投げられた。それぞれがそれぞれの持ち場に向かって移動を始める。

 ウチの今日の動きは、午前中は部活に出て、午後からクラスのシフトを入れている。

 バスケ部のブースに向かう途中、廊下の窓からたくさんの人が正門をくぐってやってくるのが見えた。

 一番の立役者を除いたまま、高校生活最後の文化祭が始まる。

 

「麗華ー!ちょっとこっち来てー!」

「ぶちょー!こっちもおねがーい!」

「あのー、ここの責任者の方は……」

「うわぁーん!おかあさーん!どこ……どこぉーー!!」

午前の三時間は怒涛の内に気がついたら終わっていた。本番になって発生するトラブル、人手不足、視察に来る実行委員の相手、迷子の子供の保護、それらにもみくちゃにされながらの三時間だった。今まで三年の部活のどれよりも辛かったかもしれない。

 ようやく部活から解放されて、でもこのあとすぐにクラスのシフトがある。

 教室を覗いてみると、お昼時なせいもあってかとても混んでいた。待ちの列もできていて、人手は明らかに足りていない。

こうなるだろうと思って予定よりも多く人を呼ぶように相方さんに言っておいて正解だった。

早く入らないと、

 ─ぐぅー。

 ……あ、そう言えばお昼食べてない。部活の方が押してたせいですっかり忘れてた。

 教室の中で奔走するクラスメイトたちに心の中で頭を下げて、教室を一旦離れる。

 いつもはお弁当を持ってくるんだけど、今日は早く家を出たせいで持ってきていない。調達するなら校外に出るか、実行委員会が運営している校内販売に行くしかない。少し考えて、とりあえず距離のい会議室に向かう。

 ある程度予想してたことではあるけど、校内販売は生徒も一般の人も入り混じって長蛇の列を成していた。十五分くらい待って、ようやく商品棚に辿り着く。選んでいる余裕もなさそうだし、適当に二つパンを掴んで財布を取り出す。

「300円になります」

ちょうど300円を財布から出して渡そうとする。けど、レジの人はなぜか受け取ろうとしない。

「……あの?」

「見目さん、だよな」

「え?」

なんでこの人名前を知ってるの?思わず顔を上げると、制服にエプロンをかけた火宮くんだった。

 火宮くんは憚るようにウチの耳元に口を寄せて囁く。

「……話したいことがある。今、少し構わないか」

「え、でも……」

「簾内のことで、話がある」

「……………」

火宮くんは隣の人に二言三言伝えると、会議室を出て歩き出す。ついていくと、廊下の端の人が来ない所で火宮くんは足を止めた。

「……こんな所まで来てまで、話ってなに?それに、簾内くんの話って……」

「今日、簾内は来ているか?」

「……来てない。少し前に準備の途中に出て行ってから、文化祭関係のことには一切来てくれなくなった」

「準備の途中に?なにがあったんだ?」

「……………」

これは、言ってもいいものなのか。

 火宮くんはウチのクラスじゃない。なのにクラス内のいざこざを説明する必要はあるのか。それに、簾内くんだってあれを言いふらされて嬉しいわけがない。

「それより、そもそもなんでそんなこと聞くの?仕事抜け出してまで聞くほどのこと?」

逆に問い返すと、火宮くんは目を逸らして迷うように口元を動かす。

 しばらくそうして、やがて一つ息を吐いて話し出した。

「……三日前、会議室の簾内の机が片付けられていた。それまでにあった仕事は全部終わった状態で、名札だけなくなっていた。それ以来、簾内は実行委員会に一度も来なかった。連絡も取れないまま、今日も来ていない。休み時間に教室に行ってみてもいなかった。なにか心辺りはないか?あの簾内が急に雲隠れするなんて、よほどの理由があるはずなんだ」

「……………」

そうか、簾内くんは実行委員会にも行かなくなったのか。道理で、実行委員長が気にするわけだ。ウチはあの会議室にも何度か顔を出していたし、それでこんな所に呼び出したんだ。

「……四日前に、簾内くんはクラス準備を手伝ってくれてたんだけど、そのときにクラスの人が無理な注文をして……もともとかなり無理はさせてたんだけど、とうとう怒って、それで……」

「怒って?簾内がか?」

火宮くんは不思議そうな顔をする。やっぱり、火宮くんから見ても簾内くんはそういう人なんだろう。

 でも、簾内くんが苦にしていたのは、そういう周りからのイメージそのもの。それを押し付けすぎたせいで、こんなことになった。

 火宮くんはなにか呟きながら考えこむようにしていたけど、突然腰を深く折った。

「……え、火宮くん?」

「見目さん。一つ頼みがある。もし簾内に会ったら、伝えてくれないか。本当に申し訳なかった、と」

「……え、え?どうして火宮くんがそんなこと、」

「確かに簾内が耐えられなくなったのはクラスでのことなのかもしれない。でも、実行委員会の中で俺たちも同じようなことをしていたんだ。間違いなく簾内を追い詰めていたのは俺たちで、もしかしたらそれはクラスじゃなくて実行委員会で起きたことだったかもしれない」

「同じことって……どういうこと?」

わけが分からない。

問い返すと、火宮くんは少し黙って、小さな声で顔を上げないまま話し出した。

「……二週間前に、実行委員会で問題が発生した。詳しくは言えないが、簾内が担当していた予算関係の、重大な問題だった。それを、簾内が解決してくれたんだ。前例もなかったし、急な話でもあったんだが、色々な方面に動いて上手く纏めてくれた」

二週間前っていうと、ウチが書類を出しに初めて実行委員会に行った少し前くらいだ。そんな大きな問題を纏めてた様子なんて微塵もなかったのに。

「そこまでは良かった……問題も解決して、実行委員会も本格的に回り出した。ただ……簾内が色々な方面に顔を出してしまったせいで、会計の分野じゃない仕事も、簾内に頼まなくてもいい仕事まで、みんなが簾内に任せるようになった」

「それって……」

そういえば、バスケ部にも実行委員の子がいるけど、部活の準備にもよく参加していた。話を聞く感じだとクラスにも行っていたみたいだし……まさか。

 実行委員は、ずっと会議室につきっきりになっているわけじゃない。クラスにも参加するし、部活もある。実行委員の仕事とクラスや部活のシフトを調整するのがほとんどだし、基本的に実行委員よりクラスを優先したがる人がほとんどだ。

 そんな中で、会計以外の仕事もできる上に頼めば断らない人として簾内が認知されたら。

「俺が……俺が、どうにかするべきだったんだ……っ」

火宮くんの口調に、苦しいものが混ざる。

「よくない状態なのは分かっていた。簾内に一方的に負担を強いていることもわかっていた。けど、簾内本人は無理なんてしてないって……」

「……………」

簾内くんなら、そう言うだろう

と思う。そこで少しでも抱えた荷物を渡してくれる人だったなら、こんなことにはなってないはずだから。

「……そこで引き下がるべきじゃなかったんだ。無理にでも仕事を減らさせるべきだったんだ。俺は、そう分かっていたのにやらなかった。それを、謝りたい」

火宮くんの懺悔の言葉のはずなのに、それがウチに突き刺さっているような感じがする。

 ウチだって気づいてた。このままじゃダメだってことくらい。

 ウチだって止めようとした。いくらなんでも一人で抱え込みすぎだって。

 でも……ウチも結局引き下がった。『大丈夫』って言われて、笑って流されて。

 そこからもう一歩を、踏み込むことはできなかった。

「……火宮くん。顔上げて」

ずっと、それが自分の義務だというふうに深く下げ続けていた頭を上げさせる。その顔は、歯の隙間から絞り出すようにしていた声よりもずっと、後悔と罪悪感に染まっている。

「見目さん。俺が謝っていたと、簾内に伝えて欲しい。もう俺たちのために無理をしなくてもいいとも」

「それ、自分で言った方がいいんじゃないの?」

どんな場合にせよ、謝るなら面と向かってするのが一番いいと思う。

 けど、火宮くんは寂しそうに笑って首を振った。

「……もちろんそうしたい。けど、俺はもう、簾内に見切られたらしい。当然だ。それに、簾内には俺のことは忘れてもらいたいんだ。下手に会って、簾内が罪悪感にかられるようなことがあったら……俺はいよいよ救いようのない馬鹿だ」

「……………」

「なら、そもそもこんな伝言を頼むなって話なんだが……これは俺のエゴだ。伝えるかどうかは、見目さんに任せる。……突然身勝手な頼みごとばかりで、申し訳なかった」

火宮くんはそれだけ言うと、早足に人混みの中へ戻って行ってしまった。

 お金を受け取らずに、パンと要求だけ押し付けて。

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