第17話 アタシ⑥

 文化祭当日。校内は制服の人、仮装した人、私服の人、たくさんの人が入り交じってごった返している。その合間を縫うようにゆっくり進む。

「スグー、次どこ行くー?」

「んー……どこにしよっか」

「あ!じゃああれ行きたい!お化け屋敷!二年生のクラスでやってるんだって!」

「えー?でもヒトエ、ああいう系苦手じゃん」

「だいじょーぶ!こんなに明るいんだし!」

「お化け屋敷の中は暗いよ」

アタシたちは午前に入っていたシフトを終えて、束の間の自由時間を楽しんでいた。このあとまたシフトがあるから、早めに戻らないといけないんだけど……ま、大丈夫か。

「じゃあ、行く?お化け屋敷」

「やったー!」

「はぁ……ヒトエ、頼むから腰抜かしたりしないでよ?面倒見るの大変なんだから」

「だいじょーぶだって!」

ヒトエに背中を押されるようにして人混みをかき分けていく。

 着いてみると、そのお化け屋敷は予想していたより遥かに凝った作りをしていて、文化祭の出し物レベルではないように見えた。

「……ねぇ、ヒトエ、ホントに大丈夫?結構怖そうだけど」

「へーきへーき!ほら、早く入ろうよ!」

結果から言うと、ヒトエは腰を抜かした。ヒトエの手前顔には出さなかったけど、正直アタシも怖かった。

「……あ、あう……ぐすっ」

「ほらー、言わんこっちゃない」

一巡して教室を出た頃には、ヒトエは涙目になりながらアスカの肩にしがみついていて、アタシも後ろは振り向きたくない気分になっていた。こういうのに強いアスカだけがけろっとしている。

「……怖かった……怖かったよぉ……」

「はいはい。でも、結構しっかりしてたよね。スグもそう思わない?」

「うん……だよね。……そうだ、次なに行く?気分転換にお茶でも、」

「ねえ、キミたち、今暇?」

いつまでも止まってても仕方ないので歩き出そうとしたのを、前に出てきた二人組に道を塞がれる。

「オレたち遊びに来たんだけどさー、道に迷っちゃって。ほら、すごい人じゃん?だからもし暇ならちょっと案内してもらいたいなーって思ってるんだけど、どお?」

二人はラフな私服姿で、多分大学生くらい。こういうのに慣れているのか、言葉を挟む隙を与えずに勢いよく話しかけてくる。

 こういうのに弱いヒトエを庇うようにアスカが前に出る。こういうとき、アスカは本当に肝が据わっている。

「えー、もしかしてナンパ?」

「ナンパじゃないよー。ちょっと道を教えてもらうだけ。キミたち、ここの子でしょ?」

「そういうのをナンパって言うんだよー」

アスカが横目でアタシを見る。

 どーする?

 別に、このあとどこに行くという予定もない。いい時間潰しになるかもしれない。もし面倒くさいことになりそうなら、シフトを理由に逃げることもできる。

 いいんじゃない?

「じゃあ、特別に案内してあげるよー。あ、でも代わりになんか奢ってねー♪」

アスカが話を纏めて、二人組を案内することになった。止まっていると迷惑なので歩きながら話すことにする。

「そう言えば、お兄さんたち、どこに行こうとしてたの?」

「いやー、どこに行こうってのも決めてないんだよねー。ただブラブラしてただけっていうか。どこかオススメのお店ない?」

五人の大所帯で狭い廊下を歩きながら目的地を訪ねると、二人は顔を見合わせると頭を掻いた。

 道に迷ったと言っていたのに、目的地はないらしい。まぁ、あんなの口実に過ぎないんだろうし、当然と言えば当然なんだろうけど。

「そうだなー、あ、お昼はもう食べたの?」

「うん、なんか購買みたいなのあって、そこで」

間を繋ぐように話をしながら、人の流れに任せて歩く。と、さっきからキョロキョロと辺りを見回していた一人がポツリと呟いた。

「……やっぱり、こういう日はみんな張り切るんだね。大学とほとんど変わらないや」

言っているのは特に女子のメイクのことだろう。視線を追えば分かる。

 新しい話の方向を見つけて、アスカがすぐに反応する。

「みんな頑張るよ。お兄さんたちみたいな人狙ってる子もいるからねー」

「えっ、そうなの?でも、オレらからしたらきみたちが一番目立ってみえたけどな。あ、もちろんいい意味で」

「そうそれ、それ俺も思った」

もう一人もここぞとばかりに会話に入ってきた。一歩後ろを歩いていたのを前に出てくる。

「なんていうか、こう、一際群を抜いてる感じ?垢抜けてるよね」

「あはは、垢抜けてるって、変な言い方ー」

「でも、シャドウの付け方とか上手いと思うよ。くっきりして、よく際立ってる。下手な大学生よりよっぽどだよ」

「えー、そうー?」

アスカは満更でもなさそうに笑う。ヒトエも、ようやく慣れてきたのか表情の強張りも消えてきた。

 アタシもここが笑い所だ。

 ふと、教室の窓にうっすら映った自分の顔が目に入る。

 誉められたばかりのくっきり縁取られた目は半眼で、口角は中途半端な角度に上がって、頬は引きつっていた。とてもじゃないけど、見られた笑顔じゃない。さっきのお化け屋敷の幽霊って言った方が正しい。

 なに、この変な顔。こんなのアタシの顔じゃない。

 でも、ガラスに顔を近づけて手で確かめてみると、確かにアタシの顔だ。

 ……なにこれ。なんでこうなるの?

 誉められたはずでしょ?

 なんで、嬉しそうじゃないの?

 なんで、なんで─

「スグー?どうしたのー?」

気づけば、みんなはかなり先に行っていた。一人でガラスと睨めっこするアタシを怪訝そうに見ている。

「あ……なんでもない!」

ガラスから目を引き離して開いた距離を詰める。

「……ねぇアスカ、アタシのクラスにでも呼ばない?」

「お、いいねーそれ」

睨めっこの理由を詮索されたくなくて、とっさに思いついた提案をしてみると、アスカは手を叩いて食いついてくれた。振り返って二人に向き直る。

「あのさ、わたしたちのクラスに来ない?」

「へー、いいね。どんなのやってるの?」

「ふふーん、それは着いてからのお楽しみにってことで。じゃ、こっちだよー」

アタシたちの教室は進行方向の反対側にある。アスカは踵を返して歩き出した。

 午後になってますます人が増えたのか、教室に着くまで思ったより時間がかかってしまった。二人を教室に入れた時には、もうシフトが迫っていた。

二人の案内がてらシフトに入ることにして、カーテンで区切られたスタッフスペースに入る。ヒトエもついてきた。

 はぁ、と小さな溜め息が聞こえてくる。

「ヒトエ、大丈夫?」

「うん、まぁ、よくあることだし……」

「一人で歩ける?」

「あ、そっち?……大丈夫だって。もう治った」

「ならいいけど。ヒトエもこのあとシフトだよね?」

「うん」

「じゃあ、あの人たちの接客しちゃおう」

ハンガーにかけられたエプロンとドレスを足して二で割ったような服に着替えて、二人の座る席に向かう。

「お!可愛い服だね!ここって、喫茶店みたいなとこなの?」

「んー、それだけじゃないけど。まずこの中から好きな飲み物選んでよ。そしたら次が始まるから」

「次?」

「いいからいいから」

二人の注文を取ってスタッフスペースに戻る。

「ヒトエー。レモンティー二つおねがーい」

出来上がったレモンティーを運んで席に着くと、ちょうど教室の照明が落とされた。

「え、なになに。なにが始まるの?」

きょろきょろと辺りを見回していた二人も、前の横断幕がゆっくりと開くと黙ってそれを見つめた。

 ─ジーッ。

 レトロな音を立てて始まったのは、ある小説を元にした短い劇だ。色々な衣装に身を包んだ人たちが台詞を叫んで、歌って、時々踊る。

 ヒトエがスタッフスペースから出てきたのにも気付かずに、二人は劇に見入っていた。

 最後にみんなが一礼して幕が引かれると、二人は若干興奮気味に感想を言い合い始める。なんでも、二人はちょうどその小説を大学で研究しているらしい。

「いや、すごかったよ」

そのうちの一人が一口も飲んでいなかったレモンティーを一気に飲み干して言う。

「そもそもこんなに色んなことをやってるってのもすごいし、劇もよくできてる。正直、文化祭レベルだってナメてた」

「ふふーん。すごいでしょ?」

ちょっと調子が出てきたヒトエは得意げに胸を張ってみせる。

 けど、もう一人の一言でその胸は萎んだ。

「でも、こんなのよくできたね。オレらだってこんなことできないよ。やっぱり先生が指揮とかしてくれたの?」

「え?あー……」

アタシたちのクラスの担任はこういう行事にはほとんど出てこない。なんでもこなす学級委員に任せきりで、これもその学級委員が纏めた。

 そして、彼はここにはいない。本番当日の今日も、結局来なかった。

 なんと答えたものか、顔を見合わせる。

 でも、二人が自分たちの話に夢中になってそれ以上追及してこなかったおかげで、なんとかその質問には答えずに済んだ。

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