第15話 私⑤

 明日は文化祭。今日は授業もなくて、一日文化祭準備のために使える。もう夕方にもなると他のクラスは作業も終わって円陣を組んだりしてるけど、私たちのクラスにはその余裕はなかった。誰も手を休めることなく作業を続けている。

 特に忙しそうなのは、相方さんのグループだ。いくつも繋げたテーブルの上に、ノートやプリントを沢山広げて、厳しい表情でペンを走らせている。

 慎が作業を抜けた影響は、確実に広がっていた。

 今まで誰もやりたがらなかった事務作業を誰がやるかというのもそうだし、そもそもそのやり方自体、誰も知らなかった。今は相方さんがやっているけど、ドミノ倒しみたいにどんどん作業は遅れていって、文化祭前日なのに準備が終わる目処も立っていなかった。

 誰も教室を出る気配はないけど、私は作業のキリがいいところで手を止めて鞄を肩にかける。

「竹馬さん。もう帰るの?」

それを見つけたのか、少し離れた所にいた見目さんが声をかけてくる。

「……うん。ちょっと調子悪くて」

「そうなんだ。明日は本番だし、気をつけてね」

「ありがとう」

見目さんはなにか言いたげに私を見たけど、結局なにも言わずに手を振ってくれた。

 なにを言いたいのかは、大体分かる。私は、準備が忙しくなったこの数日間、ずっとみんなより早く帰っていた。

 迷惑なことをしている自覚はある。けど、いたたまれなくて、いても立ってもいられなくて、あの教室にいるのは耐えられない。

 私の手を振り払ったときの慎の顔。言葉。色んなものを、思い出してしまう。

『友からみた僕って、どんな人なんだ?どういう僕が僕らしい?ここで一人みんなの雑用を黙って処理する僕か?笑って無理難題をなすがままに押し付けられる僕か?』 

『僕は、友が思ってるようななんでもやってくれるいい人じゃない』

『今まで僕はみんなに頼まれたことはなんでも引き受けて、上手くやってきたかもしれない。けど、あんなのは本当の僕じゃない。断りきれなくて、引き受けてきただけだ。心の底から善意で動いてきたわけじゃない。僕は、そんな聖人君子じゃないんだ』

『友の思ってる僕は、僕が作った偽物の僕なんだ。本当は、みんなに思われてるほど沢山のことはできないんだ。だから……だから、もう僕になにも期待しないでくれ。頼まないでくれ。望まないでくれ……もう、無理なんだ』

苦しかったろうと思う。言いながら、ずっと顔を歪めていた。きっと、慎は言いたくてあんなことを言ったんじゃない。

 私が言わせたんだ。

 『慎らしくないよ』。ああ言ったのは、慎を追い詰めたかったからじゃなくて、ただ初めて見た他の人を責める慎が怖くて、やめて欲しくて言っただけだった。

 見たことがないのは、私が見せないようにさせてただけだっていうのに。

 なにが幼馴染なの。

 なにが『昔から知ってる』なの。

 知ってたんじゃない。慎のことなんてまるで分かってなかった。

 私の思う、私の親しみやすい『慎』の型に慎を押し込んで、押さえつけてただけ。

 最低だ。

 道中のことなんてなにも覚えてないけど、気がついたらもう家に着いていた。少し目を右にずらせば、隣には慎の家がある。足が、自然とそちらに向かう。

 郵便受けに、新聞が溜まっている。お父さんとお母さんが両方家に帰ってこないことが多い慎の家では、昔から見ていた光景だった。私と慎が知り合ったのも、私のお母さんが一人で寂しいだろうからと私を慎の家に行かせたのがきっかけだ。

 そっと、インターホンを押す。

 ─ピーンポーン。

 反応はない。

 道に面した窓には、緑のカーテンがかけられている。灯りが透けているから、慎は部屋にいるはず。

 ─ピーンポーン。

 ……それでも反応がないのが、きっと慎の私に対する答え。

 自分の家の玄関を開けて、出てきたお母さんに適当に返事して、部屋に入ってドアを閉める。

 いつも通りの顔をするのは、そこまでが限界だった。

 制服を脱ぐ余裕も、鞄を机に置く余裕もなくて、ベッドにうつ伏せに倒れる。床に投げ出した鞄からスマホが飛び出して、画面が白く光った。

 昨日送ったメッセージに返信はない。きっと、もう届いてすらいない。

 私は、慎に嫌われたんだ。

 白い光はいつまでもいつまでも、嫌がらせみたいにその証拠を私の目の端に焼き付ける。

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