第14話 アタシ⑤

 文化祭まで、あと四日。放課後の教室はいつにない活気に満ちていて、それは他のクラスも同じ。

 けど、アタシたちのクラスは他のクラスに輪を掛けて忙しない。

 ほんの二日前に相方さんがクラス企画の規模を大きくする提案をして、特に反対意見も出ないまま新たな準備が始まった。

 相方さんの手には前まで使っていたのとは違う色のノートがあって、あれこれと動いている。最初は怪訝そうな顔をしていた人たちも、直前の緊張感と時間がない危機感からハイになっていて、クラスはそれなりに上手く動いていた。

 そんなそこにいるだけでウズウズするような空気の中、一ヶ所だけそんな楽しげな雰囲気とはかけ離れた切迫感を漂わせている所がある。相方さんの発表と同時にクラスにまた顔を出すようになった簾内だ。

 急な話だったはずの相方さんの提案にほんの数日でノートを新調してみせた簾内は、みんなから離れた所で机に向かってプリントを書いている。十分も経たない内に一枚消化して、その間にいくつかの新しいプリントやレシートが投げ込まれていた。

 実行委員絡みでクラスに来れなくなったはずだけど、ああしてここにいるのはまず間違いなく相方さんが原因だ。

 大方、全部押し付けられたんだろう。馬鹿みたい。

 いつもいつもヘラヘラヘラヘラ、要領を得ない愛想笑いばっかり浮かべてるからこうなるんだ。必死そうな顔して、いかにも皺寄せを受けた被害者みたいになってるけど、あんなの全部自業自得だ。

 けど、そうは思わない人もいるらしい。イライラしたオーラを破って、簾内に近づく人がいる。

「……慎」

竹馬さんが遠慮がちに声をかける。

「なに。問題でもあった」

簾内は機嫌の悪さを隠そうともせずに竹馬さんを見やると、竹馬さんの足が少しだけ後ろにズレた。

「いや……そういうのじゃないんだけど、ちょっと休んだら、どうかなって……。ほ、ほら、これ飲まない?」

そう言って竹馬さんは手に持っていたココアを差し出す。けど簾内は受け取ったそれを飲もうとはしないで、近くの机に置いただけだった。

 カツン。

 缶と机のぶつかる音が、簾内の周りの空気を冷たく引き締める。

「時間がないんだよ。それに、そっちは追加の分の装飾はもう終わったの?」

「……まだだけど、でも、」

「じゃあそれ終わらせといて。それが終わったら大道具のチェックも」

「……………」

取り付く島もない。竹馬さんは離れた所に置かれたココアを寂しそうに一瞥して、仕事に戻ろうとする。

「簾内くーん。ちょっといいー?」

そんな空気を知ってか知らずか、遠慮なく近づいていくのは相方さん。手に持ったプリントをヒラヒラさせながら簾内の前に立つ。

「……相方さん。なに」

「ここなんだけどさー、もっとどうにかなんない?」

「……どうにかって?」

「だから、もう少し豪華にできない?これだとあんまり前のと変わってないっていうかさ」

「……それは、他の部分を足したりして時間的にも作業的にも予算的にも大きくするのは難しいって、前に言ったよ」

「言ってたけどさー……でも人はこんだけいるんだし、作業は大丈夫じゃん?あとは簾内くんが予算を少し融通してくれれば解決じゃん。簾内くん、実行委員会の会計やってるんでしょ?」

これだけ無理を強いておいて、まだ不満があるらしい相方さんはそんなことまで言い出す。そんなこと、できるわけないのに。

 このクラスの学級委員は、揃いも揃って馬鹿しかいないわけ?

 はぁ。

 思わず吐いたため息が、誰かと被る。これを聞いてれば、アタシみたいに思う人もいるよね、やっぱ。

「……………」

簾内は俯いたまま答えない。それを押し切るチャンスだと思ったのか、相方さんは前のめりになって畳み掛ける。

「ねぇ、なんとかならない?作業も順調でもっと大きくする余裕もあるんだからさ、できるだけやらないのは勿体ないじゃん。最後の文化祭なんだしさ」

「……………」

簾内は答えない。代わりに、無言で立ち上がった。

 机を押し出す勢いの相方さんを押し返すように強引に立ち上がったせいで、机の上に積み重なったプリントが崩れ落ちる。

 ─バサッ、バササササッ。

 クラスを満たしていた喧騒が少し弱まった。

「……簾内くん?」

突然足元に降りかかったプリントの束に相方さんの気勢が削がれる。伺うように見上げた簾内は、俯いたままなにも言わない。

「……便利だな、『最後の文化祭』って言葉は」

沈黙ののちに簾内が発したのは、肯定でも否定でもなかった。

 全く別の、刺々しい言葉。

「……え?」

「それを言ってればなんでもかんでも言うことを聞かせれるんだから。『最後の文化祭だから』本番直前に規模を拡大したい、その計画を練り直して欲しい。『最後の文化祭だから』犯罪紛いの詐称をして欲しい。なんにでも使えるな?」

「犯罪って……そんな……」

「そういうことだろう。予算をどうにかして欲しいってことは。押し切れば、そんなこともさせれるって思ったか?僕ぐらいが相手なら、ちょっと強くでればそれくらいさせれるって?」

簾内は一方的にまくし立て続ける。誰も予想もしなかった簾内の反応に、相方さんはすっかり怯えて後ずさる。けど、簾内はそれも許さない。

 強引に押し続けられた机の足が、床と擦れて不愉快な音を立てる。

 もう誰も喋っていない。クラスは静まり返って、壁を隔てた隣のクラスの話し声と、平坦な簾内の言葉だけが響いている。

「……どうなんだよ。言えばなんでもさせれる便利屋だと思ってたんだろ?自分たちじゃやりたくないつまらない仕事を、適当に放っておけば勝手に済ましといてくれるゴミ処理機かなんかだと思ってるんだろ?」

「……………」

もう相方さんはなにも言えない。目に涙を浮かべて、首を横に振るだけ。

「それとも、」

「慎っ!」

それでもまだ詰め寄ろうとした簾内の肩を、竹馬さんが掴んだ。

「落ち着いてよ。慎、やっぱり疲れてるんだよ」

「……疲れてる」

「そうだよ。こんなの、慎らしくな、」

誰かが、息を呑む気配がした。竹馬さんが殴られると思ったのかもしれない。

 手を乱暴に振り払われた竹馬さんは、呆然と不自然に宙に浮いた自分の手を見つめる。

「らしくない、か。これは、僕らしくない?」

誰も答えない。

「じゃあ、友からみた僕って、どんな人なんだ?どういう僕が僕らしい?ここで一人みんなの雑用を黙って処理する僕か?笑って無理難題をなすがままに押し付けられる僕か?……教えてくれよ」

「……………」

「……………」

「……………」

「……僕は、友が思ってるようななんでもやってくれるいい人じゃない」

簾内は、苦々しいものを絞り出すように言う。

「今まで僕はみんなに頼まれたことはなんでも引き受けて、上手くやってきたかもしれない。けど、あんなのは本当の僕じゃない。断りきれなくて、引き受けてきただけだ。心の底から善意で動いてきたわけじゃない。僕は、そんな聖人君子じゃないんだ」

「……………」

竹馬さんは哀しそうに簾内を見る。簾内は、そんな視線を避けるように目を逸らす。

「……友の思ってる僕は、僕が作った偽物の僕なんだ。本当は、みんなに思われてるほど沢山のことはできないんだ。だから……だから、もう僕になにも期待しないでくれ。頼まないでくれ。望まないでくれ……もう、無理なんだ」

それだけ言うと、簾内は鞄を掴んで教室を出て行く。

「……ごめん」

本人は聞かせるつもりはなかっただろう呟きは、静まり返った教室には大き過ぎるくらい響いた。

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