第45話 8月
「暑いわね。こんなに暑いと体が溶けちゃうわよね」
久々に会った佐々木さんは相変わらず大きな声で大げさなことを恥ずかしげもなく発していた。
「しゅんちゃんは最近忙しいの?私を置いて戻っちゃったけど。私を部下で使ってみない?仕事はそれなりにできると思うよ。」
佐々木さんは久々に会ったこともあったせいか、いつも以上に矢継ぎ早に話しかけてきた。
「最近までバタバタしていましたけど、さすがに少し落ち着いてきましたよ」
部下の申し込みの話は無視して、最低限の返答をし、早速ビールで喉を潤した。
「そういえば、すずは結婚するらしいね」
「あ~そうらしいですね」
僕も何となく周りから聞こえてくるうわさで、香港の仕事を紹介してくれた人と結婚するということは知っていた。
「何だか反応薄いね。最近結婚式の案内が届いたわよ。さすがにしゅんちゃんのところには届いていないんでしょ?」
「そりゃそうでしょ」
「秋には二人で日本に帰ってくるみたいね」
「そうみたいですね」
僕は少し間をおいて、ぼそっと思ったことをそのまま言ってみた。
「それが正解だったんですかね?」
「ん?正解って?」
「いや、やり残したことがあるようだったから、香港に行ったと思っていたんですけど、結局、想定より早く帰ってくるんだなと。本当は、香港行きを止めるのが正解だったんですかね」
「正解ってものはないんだろうけど。すずが寂しがり屋なのはあんたもよく知っているでしょ。確かなことは、ほっときすぎたのよ」
「まあ、それは否定できないですが」
結局いつものように責められることになり、僕は苦笑するしかなかった。
「でもね、病気は大丈夫なのかな」
佐々木さんはいつものように強い口調だったが、少し心配している心が透けて見えるような眼をして、僕に問いかけてきた。
「治療状態が良いから帰ってくるんじゃないですかね」
「そうだと良いけどね」
少し間をおいて、若干目をそらしながら続けた。
「で、思うんだけどさ、すずの病気が判明したとき、しゅんちゃんがいて良かったわよね。多分力になっていたと思うよ」
「そうですかね」
「きっと、そうよ」
少し力強く言ってくれたことが嬉しかった。
「結局別れてしまいましたけどね」
「そこは反省した方が良いわよ」
少し変な空気が流れたところ、ちょうどよくビールのおかわりが届けられた。
話題を変えるにはちょうど良いタイミングだった。
「あ~あ残念。もう一回くらい香港に行っておきたかったわ」
「別に、勝手に行けばいいじゃないですか」
「知り合いがいて、いろいろ連れて行ってくれるのと、一人で行くのとは全然違うじゃない」
「一人じゃなくて旦那と行けば良いでしょ」
「旦那がいるとますます大変だし」
「とか言って、結構二人で旅行しているんでしょ?前、すずさんに聞きましたよ」
「あの子もよくしゃべるわね」
佐々木さんは少し言葉に詰まったが、なぜか柄にもなく嬉しそうだった。
「そういや、ここでも3人でよく飲んだわね。もう、そんなことはないんだよね」
佐々木さんは少し寂しそうな顔をしながら、少し遠くを見つめていた。
「まあ、仕方ないじゃないですか」
僕は返す言葉が見つからず、適当に答えた。
「仕方ないことはないのよ、あんたたちが悪いのよ」
「はい、はい」
「だから「はい」が一回多いっつうの」
佐々木さんは、そう文句を言いながらも変わらず遠くを見つめていた。
僕とすずさんがつきあったのは1年足らずであったが、今更ながらに濃い時間だったと思う。
そうはいっても、やがて時間がたてば、出会ったことや、仲良く飲みに行ったこと、病気になって二人で落ち込んだこと、香港で夜景を見たこと、全てのことが思い出になるのであろう。
鮮明に覚えていることも、時はおぼろげであいまいなものに変えていく。
僕に足りなかったものは何なのか?そう問いかける回数が減ってきているのも事実である。
僕は変われるのだろうか?
ただ、はっきりしているのは、出会う前の頃よりも、自分が許せるようになったことだ。
まあ、相変わらず自分が何者かまではわからないが。
そしてあの時、彼女の痛みを半分ではなく全て肩代わりするよう神様に祈っていれば、もっと違った結果になっていたのかもしれない。
僕には覚悟が足りなかったのだろうか?
そう僕が自分に問いかけていると、どこからか懐かしい声で「何黙って飲んでんのよ」と聞こえてくるようだった。
はんぶんこ 具志堅 @gushikenken
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