第2話 百万本桜 その五
見渡すかぎり桜の森。
桜だけが咲き誇る森のなか、細々と続く小径。
それは夢のように美しい景色だが、どこか、さみしい。
瑛斗に言われたとおり歩いていくと、やがて二又にわかれる道に出た。小さな木の看板みたいなものがあって、何やら書いてあるのだが、文字が薄れていて読めない。
道は左右にわかれている。まったくの逆方向にだ。ここを歩いていって、どちらを選んでも元の場所に帰るなんて、通常ならありえない。
しかし、結果的にはそうなった。
じゃあ、二又のどちらでもなく、道を逆戻りしてはどうかと龍郎は考えたのだが、それもムダだったと瑛斗から聞いてきている。
つまり、道のある三方向のどこに向かっていっても、さっきの地蔵堂に戻るということだ。
(山道に地蔵が置かれていることじたいは変なことじゃないから、疑問に思わなかったけど、でも、待てよ。あんなところになんで地蔵堂があるんだ? だって、ここは悪魔が魔法で作った世界なんだよな? そこに存在するものには、なんらかの意味があるんじゃないか?)
地蔵っていうのは子どもの味方だ。地獄の閻魔さまが、子どもを守るために姿を変えているのだと聞いたことがある。
(ここって、たくさんの子どもが親に捨てられて死んだ場所だ。飢えて死んだだけじゃないだろうな。なかには熊や猪みたいな獣に襲われて殺されたり、さまよううちに崖から落ちたり……みんな、苦しんだんだろうな)
想像すると涙がこみあげてくる。
当時としてはしかたないことだったのだろうが、あんまりにも残酷だ。
親は子どもが死ぬ瞬間を見なくてすんで気が楽だっただろうが、危険な山中に一人で捨ておかれた子どもは、どんなに不安で心細く、恐怖にふるえながら死んでいったことだろう。
ベソベソしすぎたのだろうか?
泣き声が聞こえる。
自分の泣き声かと思って、龍郎はあせった。が、泣き声は少し離れたところから届いてくる。
(子どもだ。子どもが泣いてる)
龍郎は夢中でその泣き声をたどった。
子どもの泣き声を聞くと、近ごろは青蘭が泣いているような気がして落ちつかない。青蘭のなかにいる子どもの青蘭には、まだ会ったことがない。が、つねに涙を流しているのではないかと思うと。
道なりに歩いているかどうかも、よくわからない。
しばらく進んでいくと、目の前に洞穴があった。入口のあたりで子どもが泣いていた。五さいくらいだろうか?
青蘭が火事にあったころの年齢だ。
「青蘭」
呼びかけると、子どもは泣きやんだ。
顔をあげて、龍郎を見る。
青蘭ではない。その年齢だから普通に可愛いものの、青蘭のような特別な美貌ではなかった。
着ているものは、青色のセーターと半ズボンだ。長い靴下をはいている。靴下も靴も泥だらけで、顔や手足には、ひっかき数がたくさんついていた。長時間、森のなかを迷っていたのだろう。
「ぼく、名前は?」
「良太」
「良太くんか。迷子になったのかい?」
「うん。桜がいっぱいで、おうちに帰れないよ」
「そうか。お兄ちゃんがいっしょに、おうちを探してあげるよ。行こう」
「うん!」
「ほら、手をつなごう?」
右手をさしだすが、良太は恥ずかしそうにモジモジしている。そのくせ、龍郎があきらめて手をひっこめると、反対側から近づいてきて、左手をにぎった。子どもというのは、よくわからない。
さっきの二又——正確に言えば
(なんだ、これ? 腹ぐあいか?)
龍郎が看板を凝視していると、良太は「こっち」と言って、迷わず腹いっぱいの道を指さす。青蘭たちのいる崖の上の地蔵堂の方角ではない。
龍郎は迷ったが、行ってみることにした。どっちみち、道がどこに通じているのか、ほんとに地蔵堂にしか行けないのか、調べてみる必要があった。
良太と手をつないだまま歩いていくと、あっけなく家を見つけた。
(あれ? ここ……)
昨夜に泊まった寺のあった場所ではないだろうか?
車道のガードレールが遠くに見えている。周囲は桜だらけだが、そこから見える山の形が朝方に見たときと似ている。
「あっ! ぼくのおうちだ!」
良太が喜んで龍郎をひっぱっていく。
龍郎は不思議に思いながらもついていった。
「ただいま! お父ちゃん!」
こぢんまりした家だ。家の前にささやかな畑がある。その畑をよぎり、良太は縁側から家のなかへあがった。
手をつながれているので、龍郎もあわてて靴をぬぎ、良太に続いた。
「すいません。縁側から失礼します。どなたかご在宅じゃありませんか? 息子さんが迷子になっていたので、つれてきました」
縁側と部屋を仕切る障子をあけて声をかけると、奥から男が現れた。
その顔——住職だ。
年齢は昨夜見たときより、はるかに若いが面影がある。
すると、住職は龍郎をにらんで叫んだ。
「なんで、つれてきた! この馬鹿者が!」
「えっ? なんでですか? あなたの息子さんでしょ?」
「こいつが、おれの息子なもんか。女房が浮気して作った子だ。この年まで隠してやがって……だから、だから、おれは……桜を植えたんだ。こいつが帰ってこれんように。桜に惑わされて、二度と帰ってこれんようにだ!」
ようすがおかしい。
昨夜に聞いていた話と内容が違う。
昨夜は良作という男が、死んだ子どもの供養のために植樹したと聞いたが?
「あなたが良作さんですね? 百万本桜を植えた?」
「そうとも」
「お子さんの供養のために植えたんじゃないんですか?」
良作は皮肉に笑う。
「おれの子じゃない子がどうなろうと知ったこっちゃない。のたれ死ねばいいんだ! 山のなかに捨てて、やっと死んでくれたと思ったのに、頭に角を生やしたこいつが、夜な夜な帰ってくるようになってなぁ。家のなかに入れろぉ、入れろぉと言いやがるから、こいつが迷ってこれんように桜を植えた。魔除けだよ。魔除けさね」
龍郎は悲しくなった。
きっと住職ももう狂っているのだろう。自分の愛する息子が自分の子ではないとわかったときに、きっと彼の心のなかで何かが壊れてしまったのだ。
増殖する桜は、彼の心の狂気が作りだす幻影なのかもしれない。
「でも、良太くんが悪いわけじゃない。何も殺さなくたって……」
つぶやくと、龍郎の手をにぎっていた小さな手が、すっと離れた。
「良太くん?」
良太の目が赤く光っている。
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