第2話 百万本桜 その四



 誰か来る。悪魔だろうか?

 龍郎は身がまえた。

 悪魔の結界のなかで人に出会うとしたら、それはかぎりなく悪魔である可能性が高い。


 だが、しばらくして小径の端から姿を現したのは、疲れきったようすの男女だった。ハイキングのような服装をして、二人ともリュックを背負っている。


「……うそでしょ? また帰ってきたよ? 瑛斗えいと、どうしよう?」

「なんだよ、ここ! どうなってんだよ!」

「あたしに怒鳴ったってしょうがないじゃん!」

「うるさいな! キイキイ騒ぐなよ」

 どう見ても仲たがいしているカップルだ。


 二人とも三十に手がかかりそうな年齢で、ことによると女のほうは、さらに少し上。女は十人並みの顔立ちだが、男はまあまあイケメンの部類に入る。いかにも軽薄そうなのと、サラリーマンには見えない風態が気にならなければ、言いよってくる女はそれなりにいるだろう。瑛斗という名前からして、ホストの源氏名のようだ。


 二人は言い争いながら近づいてくる。

 地蔵堂のかげになっているので、まだ龍郎たちには気づいていない。


「なんで、ここから出られないの? 早く家に帰りたいよ」

「騒ぐなよ。腹へるだけだろ」

「あなたがハイキングに行こうなんて言うからじゃない」

「おれだって、こんな変なとこだと知らなかったんだよ」


 どうも悪魔のようには見えない。

 龍郎は地蔵堂のかげからふみだした。

「こんにちは。道に迷ってるんですか?」


 声をかけると、男女が同時にこっちをかえりみる。

 龍郎を見て——というより、龍郎のうしろにいる青蘭を見て、度肝をぬかれている。つれの龍郎でさえ、この風景のなかで見る青蘭は桜の精霊のようだと思ったのだから、見ず知らずのアベックが、恐ろしく蠱惑こわく的な魔性のように思うのはしかたのないことだ。


「あ、大丈夫です。おれたちも道に迷ったんです。車道に置いた車まで戻りたいんですが、なかなか、そこまで行けなくて」

「ああ、そう」


 見るからに、ほっとしたようすで、男女は近づいてくる。女は恐る恐る。瑛斗は目に見えて元気をとりもどし、興味津々で青蘭の顔をながめに来る。


「うわぁーッ。すっごい美人だなぁ! おれが知らないだけで、もしかして芸能人? モデルとか新人女優? アイドルっていうよりは綺麗系の顔立ちだよね。こんな美人、生まれて初めてみた!」


 瑛斗が手を伸ばしてきて、勝手に青蘭の手をにぎろうとする。

 すうっと青蘭の目が細くなり、何事か話しだすように赤い唇をひらくので、龍郎は理解した。青蘭が「この愚民が、僕は男だ。どこに目をつけている?」と、言いだすつもりであることを。


 龍郎はサッと手を出し、瑛斗の手をにぎった。必要以上に強くにぎりしめてやる。

「こんにちは。おれは龍郎。こっちは、おれの男友達の青蘭」

「男友達?」

「男友達!」

「……そっか。おれは瑛斗。こっちは、ほのか」


「そっか」の前のに、龍郎は瑛斗の激しい落胆と失望を察した。自分がそうだったから、そこは男同士、同情する。


「あなたたちも道に迷ってるんですよね?」

 再度、聞くと、瑛斗は道端にすわって、ガックリと頭をかかえた。迷っていることにもだが、青蘭の性別を知ったショックも大きかったに違いない。

「もう三時間くらい、この道をぐるくるしてるんだ。おかしいだろ? 二又の道を逆に行っても、けっきょく、ここに戻ってくる!」

「この道を……ですか」


 龍郎たちがこの小径に出たのは、ついさっきだ。それまでは山中の道なき道をさまよっていた。道に出ただけでも進歩だと思っていたのだが、どうやら、そうではなかったらしい。


「一周するのに、どれくらい時間がかかりますか?」

「え? さあ。注意してなかったけど、えーと……たぶん、三十分くらい?」


 龍郎は考えた。

 瑛斗たちは霊的なものが見えない一般人だ。霊的なものが見える龍郎なら、正しい道しるべのようなものが見えるのではないかと。


「ザッとでいいんで、道筋を教えてください。おれ、行って確認してくるから」

 龍郎が言いだすと、青蘭が龍郎の服をにぎってくる。

「龍郎さん。僕、歩けない」

「うん。おれが見てくるあいだ、ここで休んでればいいよ」

「でも……」

「ちゃんと戻ってくるから」


 青蘭は行ってほしくないようだった。

 うるんだ瞳で龍郎を見つめる。瞳の奥にミラーボールでも入っているかのようにキラキラしている。


(これは! 俗に言う“捨てられた子犬の目”! なんて超絶プリティーなんだ!)


 なんだか鼻血が出そうだ。

 龍郎はあわてて少し上をむいて、鼻を押さえる。大丈夫。鼻血は出てないと、確認してから手を離した。


「問題ないよ。おまえに何かあったら、一瞬で戻ってくるから」

「ほんとに?」

「うん。約束する」

「じゃあ、ほんとに一瞬でワープしてきてね?」

「うん」


 青蘭のためなら瞬間移動もできそうな気がしてくるから不思議だ。


 龍郎は腰かけがわりになる岩を見つけると、ニットをぬいで、そこに敷いた。青蘭のための即席チェアを作ってやる。

「ほら。ここにすわって」

「うん」


 龍郎たちのようすを、ニヤニヤ笑いながら、瑛斗が見ている。いやな感じがしたが、いたしかたない。

 瑛斗は丁寧に道筋を教えてくれた。龍郎が青蘭のそばを離れることが嬉しいのかもしれない。そう思うと、少し不安も残る。が、青蘭はこう見えて、体内に魔王を二柱も宿しているのだ。ほんとに追いつめられたときには、それを呼びだせばいい。


 青蘭の身に危険はないと判断して、龍郎は一人でその場を発った。

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