第2話 百万本桜 その三
あれ? この木、もしかして桜かなと、しばらく山中を歩き続けて、龍郎はふと思った。
葉は落ちているし、花も咲いていないので、よくわからないが、つるつるとした幹は、なんとなく桜のような気がする。
かたわらに見かける木が、いやにみんな似ている。まさかと思うが、そのすべてが桜なのだろうか?
龍郎はおかしく思い、青蘭に相談すべきかどうか迷いながら進む。
そのころには、しだいに暑さも感じるようになってきた。真冬のコートの下にニットを着ていると、汗がしたたり落ちてくる。
運動したから体温が高くなったせいか?
しかし、いくら運動したからと言って、ほんの十分ほど、ゆるいペースで山道を歩いただけだ。こんなにも熱いなんて異常だ。まるで服を着たままサウナに入っているようである。
青蘭も息が荒くなり、着ているコートをぬぎすてた。捨てていくつもりのようなので、龍郎が拾ってかかえる。青蘭のは高級なカシミアだ。
「変だな。なんで、こんなに暑いんだ? 気温があがってきたのかな?」
「少なくとも二月の気温じゃないね。四月の陽気がいい日並みには暑い。二十度、超えてるんじゃないの?」
たしかに、さきほどまで道脇の日陰に、ぽつぽつ積もっていた雪が、まったく見あたらない。
「それにしても遠いなぁ。こんなに車道から離れてたっけ? せいぜい十分ていどしか歩いてなかったはずだけどな」
「…………」
もうその倍は歩いている。
と思うと、とつじょ、目の前がひらけた。なだらかな傾斜が続き、視界をさえぎるものが何もなくなる。
龍郎は目をみはった。桜が咲いている。それも、花盛りだ。百本ばかりか。ソメイヨシノが真冬の森の一画を占拠して、今を盛りと咲きほこっているのだ。
その桜の中心に、建物が見える。どうやら、昨夜泊めてもらった寺のようだ。
「なんだ、これ? なんで桜が咲いてるんだ? それに、あれ、昨日の寺だよな? さっき出るときは、まわりに桜なんて咲いてなかったけど」
思わず大声を出す龍郎の袖を、青蘭がしっかりとにぎる。
「貪食の仕業だ。龍郎さん。気をつけて」
「あ、うん」
低級な貪食はたいした力なんてないんじゃなかったのだろうか?
だとしたら、ほんとうに季節を変えたり、まだ咲かないはずの花を咲かすことなんでできないはずだ。
「えーと、つまり、相手の結界のなかに捕まってる?」
「まあ、そんなところですね。貪食一匹だけなら、ここまでの結界は作れない。でも、ここには土台がある。この場所で飢えて亡くなった大勢の思念。淀んだ磁場。そういうのは悪魔の肥やしになる」
口べらしのために捨てられた老人や子どもたちのことか。
つまり、怨念を土壌にして巣喰う貪食がいる。
「どうする? 青蘭。車道をめざすか? それとも、あの寺に帰る?」
たずねると、つかのま青蘭は迷った。
「こう見ると、寺はヤツの結界のなかだ。桜の咲いてる場所がそうなんだと思う。だから、桜の咲いてない方角に向かったほうがいい」
「わかった」
見渡してみたとき、頭上に車道のガードレールが見えた。きっと、昨夜、龍郎たちが、おりてきたのはあの場所だ。いつのまにか思っていたより下方にさがっていたようだ。近づいているつもりで遠ざかっていたのだろう。
周囲の景色はどこも同じような山のなかだし、起伏があって、ひんぱんに上下するので、方向感覚を見失っていた。
「よし。じゃあ、あっちだな。まあ、たいした距離じゃないよ。百万本は盛りすぎだな。せいぜい百本桜だ」
青蘭を励ますために軽口をたたいたのだが、歩きだすと、また迷った。
桜の森がどこまでも続いている。霞のかかったような白い景色。風にヒラヒラと桜の花弁が優雅に舞う。
なんだか異界につれてこられたかのような美しさだ。いや、悪魔の結界のなかだから、異界は異界なのだろうが、それにしては世界が美しすぎる。
こんな場所で見る青蘭は、桜の精霊そのものだ。高飛車で毒舌なところは喋らなければわからないし、端麗なおもざしが、なおいっそう幻想的に見える。まつ毛の一本一本が光のなかに消えてしまいそうに儚げだ。
「ふつうにデートで来たかったなぁ」
「ふーん。龍郎さん。デートする相手いるの?」
「おまえとだよ!」
「今、来てるよ」
「だから、ふつうに来たかったんだって」
会話もループするが、帰り道もループする。さっき見た場所を何度もグルグルしているような?
なんだか桜が増殖しているように感じる。最初はほんとに百本ていどしかなかったのに、今では千本か、それ以上の桜が行く手を阻んでいるようだ。まるで龍郎たち二人をそのなかに閉じこめようとするように。へたすると、事実、百万本の桜が存在しているのかもしれない。
体感として一時間ほども経過したころ、青蘭が一本の桜の木の根元にしゃがみこんだ。
「龍郎さん。僕、もう歩けない……」
べそをかくようすが、たまらなく可愛い。ほんとに、なんでこんなに庇護欲をそそるんだか。
「大富豪の王子さまは自分の足でこんな山道歩くことなんて、そうそうないよな」
からかうと、青蘭は憤然とした。
「なんなの? お金が欲しいの? なら、欲しいだけあげるから、おぶってよ」
龍郎はしゃがみこんだ青蘭の前に、目線が同じ高さになるように、自分もしゃがむ。
「よしよし。いい子。いい子」
ぽんぽんと頭に手をのせると、青蘭は静かになった。よくわからないが放心している。
「休める場所を探そう」
龍郎はコートをぬいで、その場に捨てた。青蘭のコートもかさねて置く。もったいないが、しかたがない。
そして、両腕を青蘭の背中とひざの下にまわし、抱きあげた。
すっかり静かになった青蘭は、おずおずと龍郎の首に両手をまわしてくる。
桜の精をさらっていくみたいだなと、龍郎は考えた。
神聖な精霊界から、精霊をさらっていく人間の男。ゆるされぬ道行き。
なんでこんなときに、これほど甘い気分になるんだかと、自分がおかしい。
しばらく歩いていくと、小径の端に地蔵堂が建っていた。寺の敷地に戻ってきたのかもしれない。
赤い前垂れをかけた地蔵が、小さなお堂に鎮座している。そのよこに平坦な空き地があった。
「あっ、青蘭。水がある。湧き水みたいだぞ。これで少し疲れがとれるよ」
地蔵堂の裏は山の斜面だ。その岩壁を掘って水がたまるようにした
龍郎がそこに青蘭をおろし、二人で喉をうるおしていると、どこからか人の声が聞こえてきた。
もしや、貪欲の悪魔がやってきたのだろうか?
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