第2話 百万本桜 その二



 半畳ほどの三和土たたきをあがると、かぼそい廊下があり、そのわきに四畳半の和室があった。そこは家具がほとんど置かれていないので、住職の居室や寝室ではないようだ。座布団が一隅に積まれ、七輪が一つ置かれている。調度品はそれだけである。


「ここはお客さんが泊まる部屋だ。あんたさんたちは、ここで今夜、休むといい」

 こっちが頼む前から、住職はそう言った。龍郎たちにしてみれば渡りに船だが、話が早すぎて、かえって不気味だ。


「あの、住職ですよね?」

「いかにも」

「急にやってきたおれたちを、こんなに簡単に家にあげてかまわないんですか? もちろん、おれたちは助かりますが」

「あんたたち、道に迷ったんじゃないかね?」

「はい。そうです」

「百万本桜に化かされたんだろう?」

「百万本、桜……ですか? いえ。桜なんて見かけませんが」


 龍郎の答えを聞いて、住職は見るからに、ほっとした。

「なんだ。そうかい。それなら案ずることはなかった。だがもう、どっちにしろ外は暗い。今夜は泊まっていきなさい」

「はい。ありがとうございます!」


 龍郎は素直に他人の親切を受け入れる。あまり人を疑ったことがない。

 住職が七輪に火を入れてくれ、質素だが夕食を用意してくれた。

「布団はそこの押入れに入っておる。好きに使うといい」

「どうも」


 それにしても、気になるのは、さっきの住職の態度だ。

 龍郎は聞いてみた。

「あの、住職。いいですか? 百万本桜って、なんですか? 桜が人を化かすんですか?」


 湯呑みに急須から煎茶をそそいでいた住職が、一瞬、だまりこんだ。が、思いなおしたようすで、口をひらく。

「おまえさんたちに何かあるといかんからな。話しておこう。百万本桜はこの山に植えられた桜の森のことだ」と、住職は語りだす。


「もともとこの山は姥捨山だった。あんたがたの年齢じゃ、姥捨山なんぞと言ってもピンとこないだろうのう。昔は飢饉の年など、口べらしのために年寄りを山に捨てたもんだ。ただ、捨てられたのは年寄りだけではなくてな。昔は今のように中絶だの避妊だのの技術もないもんで、どの家も子どもはいっぱいいた。五人兄弟、八人兄弟なんていうのはザラだったもんだ。飢饉になると、親が生きていくのが先決だからなぁ。いらない子どもは山に捨てられた」


 一人っ子の多い現代では、とうてい考えられないが、歴史的な事実として口べらしの風習があったことは、龍郎も知識として知っていた。うなずくと、住職は続ける。


「大勢の子どもが捨てられたらしい。まあ、大昔のことだ。ここは、そういう言い伝えのある山なんだよ」

「その子たちの幽霊でも出るんですか?」

「それも関係はあるんだろうなぁ。五十年ほど前に、このあたりに良作りょうさくという男がおった」

「良作さんですか」


 農夫らしい名前だ。

 きっと、農家の人だったのだろう。


「うむ。良作には息子がおった。一人息子がな。女房はとっくの前に離婚して出ていっとったんでな。家族はその息子だけだった。だが、その息子が山菜とりに行き、道に迷い、この森のなかで死んでしまったんだ。良作はそれは嘆いてなぁ。供養のために、息子の遺体が見つかった場所に桜を植えた。最初は一本、二本……だが、それが毎年、増えていき、今では百万本だ」

「百万本ですかっ? それはスゴイ!」


 龍郎は素直に感心したのだが、よこから青蘭のひじ鉄が飛んできた。けっこう容赦ない威力に、龍郎は思わず「ぐふっ」とつぶやいて脇腹を押さえる。

 青蘭は「バカじゃないの? 言葉の綾でしょ?」という目をして、龍郎を見ている。

 もちろん、住職が盛ってるな、とは龍郎だって感じていたのだが……。


「そ……それで、百万本桜って言うんですね。でも、桜が化かすって、どういうことです?」

「桜には魔がひそむと言うじゃないか。どうも、あの桜が植えられてからというもの、このあたりで遭難者が続出してのう。桜に化かされて、道に迷うらしいんだ。わしは化かされたことがないもんで、真実かどうかは知らんがな」

「ふうん。良作さんという人は今、どうされてるんですか?」

「もちろん、とっくに鬼籍に入っておる。植樹を始めたのが五十年も前のことだ」

「それもそうですね」


 その夜は早く休もうということになって、龍郎たちは布団に入った。

 とくに異変もなく、ゆっくり朝まで眠った。


 しかし、問題があったのは、その翌日だ。


「昨夜はお世話になりました。おかげで助かりました。お礼をしたいのですが」

「そんなものはいらんよ。気をつけて行きなさい。桜に化かされんようにな」


 龍郎たちは住職に礼を言い、朝早い時間に寺をあとにした。

 寺のまわりは樹木が鬱蒼うっそうとしていて、眺望がきかない。

 車を停めてきた車道の方角へ歩き始めてまもなくだ。


 青蘭が立ち止まり、あたりを険しい目で睥睨へいげいする。

「いる。貪食だ」


 ハッとして、龍郎も周囲を見まわした。青蘭ほどではないが、悪魔の匂いがわかるようになったので、それらしきものを感じないかと、くんくんと空気の匂いをかいでみた。が、龍郎には感じられない。単に青蘭に「龍郎さん。犬みたい」とバカにされただけだ。


「貪食って、人間を食うやつだろ?」

「貪食の正体は、たいてい、飢えて死んだ怨霊です。死にぎわに悪魔になったヤツらだ。だから、食うことしか考えてないよ。低級な悪魔はたいてい貪食だね」

「怨霊……か」

「生身の人間が悪魔になったヤツにくらべたら、たいした力はない。知恵もない。でも、一度つかまると、やっかいなヤツではある。ヤツらは飢餓のかたまりだから」


 青蘭に初めて会ったときのことを、龍郎は思いだした。電車のなかで偶然いっしょになった青蘭のよこ顔に、魂をうばわれそうになったことを。


 あのときに遭遇したのが貪食の悪魔だった。やっかいな相手だから、青蘭は見逃したのかもしれないと、今になって思う。


「青蘭でも退治するのは難しいのか?」

「言ったろ? 僕は実体を持たない悪魔とは戦えないと。その場から追いはらうことはできるけど、完全に消すことは難しい」

「なるほど」


 魔王を粉砕してミックスジュースみたいに丸飲みしてしまう青蘭が、低級な霊を撃退できないというのは、なんだか不思議な気がした。


 青蘭のなかにあるのが賢者の石のうち“快楽”を司る玉だからということが関係しているのかもしれない。青蘭は肉体的な快楽で悪魔を虜にすることができるから、実体を持つ者に対してのほうが威力が高いのだろう。


 とにかく、出会うとマズイやつが近くにいるらしい。

 龍郎たちは警戒しながら進んだ。

 じつは、そのときにはすでに遅かったのだが……。

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