第1話 魔女のみる夢 その十五



 龍郎のすわるベッドの枕元に、大きな目玉クリップで止められた紙のたばが投げられる。龍郎はそれを手にとり、目を通した。

 最初の一枚に、生徒の名前がつらねてある。そのあとは名前に該当する生徒の写真つきの詳細な個人情報および、いなくなったときの状況が記されていた。

 龍郎が知っているのは、橘笑波だけだ。

 しかし、数枚、めくってみるうちに、妙なことに気づいた。


「なんか、いやに養女が多いんだな」

 つぶやくと、白石先生がうなずく。

「そうなの。変でしょ? 行方不明になったことのある子たちの多くは、もともと養女か、または失踪事件後に実家より資産家の家の養女になっているの。そうでない子たちも親戚から多額の遺産を受けとっている」

「消えていたことで報酬を得たってことかな?」

「そうも言える」


 養女ということなら将来性を買われたのだとも言えるが、それなら何も行方をくらませる必要はないわけだ。


 女の子が夜間に消える。しかも、となりの敷地にはホテルが併設。あいだの鍵は生徒でも保護者でも通ることができるから、事実上ないに等しい。

 なんとなく、セクシャルな匂いがした。


(高級娼婦というか、愛人斡旋所みたいな? 地方にはまだまだ経済的な理由で大学に行けない子は多いし、そういう家庭の美人の女の子なら、愛人になってでも金持ちになりたいと考える子も、なかにはいるだろうな)


 龍郎は試しにその考えをその場にいる人たちに語ってみた。またまた、白石先生がうなずく。


「わたしたちも、そう考えているの。だって、そういうことが起こるようになったのは、学園を移設してホテルのとなりに建てなおしてからだしね。きっと理事長とホテルの総支配人はグルね。校長は金を渡されて沈黙しているんだと思うの」

「そう……だな」


 もしそうなら、昨日の魔王がどう関連してくるのだろう?

 その説明がつかない。とは言え、いちおう論理的な回答ではある。

 今のところ、そうとしか考えられない。


「それで、白石先生……いや、美月先生たちは、理事長や校長の悪事をあばいて、学園に平和をもたらしたいということなんですか?」

「あなたは表向きどおり、わたしを白石陽菜と呼んでくれていい。そのほうが混乱しないだろうし、万一、誰かに聞かれても問題が起きない」

「そうですね。そうします」

「わたしと陽菜にとって、学園が我が家のようなものなのよ。だから永続的に続いてほしい。ただ、それだけ」


 魔女にだまされるなと青蘭は言ったけど、龍郎は白石先生や美月先生を信じていい気がした。龍郎の受けた印象では、彼女たちに淀みはない。自分の欲のために大勢の女の子を犠牲にするような人物とは思えなかった。


「わかりました。では、おれたちは協力者ですね。おれたちも悪魔退治にここに来たんだ」

「おれたちってことは、仲間がいるのね?」

「相棒というか、上司というか」

「そう。頼りにしていいの? この低級悪魔よりは?」


 白石先生は侮蔑的な表情で神崎を指さす。龍郎はその関係性が、青蘭と自分に似ている気がして笑ってしまった。


 神崎が憤然とする。

「私は低級悪魔ではない。魔王サミジナの第二十四軍団の団長にして、中将を司る上級悪魔だ。私をあなどっていると痛い目を見るぞ。小娘が」

「わたしに簡単に封じられたくせに、えらそうにしないでよ」


 歯噛みしている美青年の姿の悪魔に失笑しながら、龍郎は腕時計を見た。


「あッ。マズイ。もう六時前だ。帰らないと。またアイツが泣いてるかもしれないからな」

「泣いてるって? 誰が?」

「おれの上司が。大丈夫。アイツはスゴイ力を持ってる。とりあえず、あんたたちのことは信じる。協力して、あの悪魔を退治しよう」

「いいわ。あなたのことは信じられる気がする」


 龍郎は白石先生と握手をかわして、保健室をあとにした。


 昨日より時間が遅い。この季節の午後六時前は、もはや夜だ。あたりはすっかり暗くなっていた。


 長い渡り廊下を通り、ホテルへ帰ってきたとたんだ。

 龍郎は身ぶるいのつくような寒気を感じた。何か来る。


 廊下やロビーを歩いていた客たちの姿が急速に薄れて消える。

 龍郎だけがこのホテルのなかに、とり残されてしまったかのようだ。

 異相空間——

 昨夜の魔王のあの結界の内に、龍郎は囚われてしまった。


(くそッ。青蘭がいないときに)


 青蘭がいないと、逃げきれる自信がない。自分一人では何もできない気がする。


 龍郎は走った。魔王の結界内でも、物理的に近づけば、青蘭に出会えるような気がした。とにかく、最上階まで帰ろうと、エレベーターへ走る。


 そのとき前方から女が走ってきた。

 昨日、龍郎たちが逃げこんだ非常階段のある細い廊下からだ。

 その姿を見て、龍郎は、あぜんとする。女が裸だったからだ。女というより少女だ。まだ十五か六くらいの少女が、素っ裸で廊下を走ってくる。恐怖にゆがんだ表情だが、どこかで見たことがある。


(えーと……誰? 生徒の誰かか? そうだ。あの子だ。昼休みに久遠と話していた。橘笑波じゃないか)


 自分のクラスの生徒が裸でホテルを走っているという不条理な事態に、茫然自失して立ちすくんでしまう。


 ホテルのなかは魔王の結界のせいか、やけに暗い。真夜中と同じほどだ。暗闇のなかで、少女の素肌が白く発光するように光る。高校生にしては未成熟なほうだろう。貧弱な胸がふるふると揺れるさまは、ある意味、美しかったが、それどころではなかった。


 とつじょ、非常階段のある暗い穴から、アレが現れた。巨大な黒い馬。両眼が真っ赤に血走り、静脈が全身に浮きあがっていた。

 非常階段から廊下に出現したとき、粘土細工のように折れまがっていた足が元の位置に戻った。


 魔王ガミジンが、歯を噛み鳴らし、疾駆してくる。

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