第1話 魔女の見る夢 その十四



「失礼。私は用事があるのでね」と言って、フレデリック神父は立ち去ろうとした。


 この神父はもっと知っている。

 あるいは火事のとき、その場にいたかもしれない。


「待ってください!」

 呼びとめたが、神父はそのまま行ってしまった。ただ、去りぎわに妙なことを言った。

「君も特殊な才能があるね。もっと多くの人と握手してみてはどうだね?」

「握手?」


 なんのことだろうか?

 アイドルになったわけでも議員に立候補したわけでもないのに、不特定多数と握手することに意味があるのだろうか?


 困惑しているうちに、神父は去っていった。


(握手? 握手ねぇ。昨日、フレデリック神父とは握手したな。それに、神崎先生とも……)


 あ、いや、待てよ——と、龍郎は思いなおした。

 神崎先生とはしていない。手をさしだして、にぎる直前までは行ったが、途中で神崎先生がやめたのだ。たしか坂本久遠の容態が悪くなったせいだったが、龍郎の手をにぎる寸前、神崎先生が顔をしかめたように思う。


(おれの手をにぎることをためらったのか? なんで?)


 龍郎の右手。賢者の石が埋没した手だ。ふつうの人間なら、これにふれたからと言って何かが起こるわけではないが、もしも……。


(もしも、悪魔だったなら?)


 悪魔は龍郎の手にふれると、炎に焼かれたように傷痕を負う。

 だから、神崎はさけたのだ。


(アイツ、悪魔だ!)


 龍郎は教会をとびだした。

 職員室へ向かうが、神崎の姿はない。

 机にすわった学年主任の先生がいる。


「神崎先生を見ませんでしたか?」

「ああ。神崎先生なら、美術部の顧問ですよ。美術室にいるのでは?」

「ありがとうございます!」


 美術室は、たしか理科室のとなりにあった。龍郎は廊下を走って美術室に向かう。


 中庭に面した広いテラスのある美術室。フランス窓から明るい光がこぼれている。その光はやや傾きかけていた。

 生徒は数人しか残っていなかった。

 みんな、それぞれのキャンバスに向かっている。


「おや。本柳先生。小テストはできあがったんですか? また白石先生に注意されますよ?」


 からかうような口調の神崎に、つかつかと近よると、龍郎はいきなり右手を彼の前にさしだした。

「は? なんです」と、首をかしげる神崎に、「昨日、握手しそこなった。握手してください」

「は? 別に、いいですよ。必ずしないといけないものでもないでしょう」

「いや、こういうのはちゃんとしとかないと気になる性分で」

「変わった人ですね。嫌われるよ?」

「握手してくれないと、あのこと、バラしますよ?」

「はッ? やなヤツだな。あんた」


 神崎はやけに渋って、あとずさる。

 美術部員たちが不審そうな目つきで、このやりとりをながめている。


「なんで? できないわけでもあるんですか?」

「そんなわけないでしょう」

「じゃあ、かまわないじゃないですか」


 神崎は弱りはてている。

 あきらかに恐れをいだいた目で、龍郎の右手を凝視していた。

 龍郎は確信を持って、むりやり神崎の手をにぎった。神崎はすぐにその手をふりはらったが、肉の焼ける匂いがした。神崎がフランス窓から中庭へ走りだす。龍郎はあとを追った。


 すぐそばに大きな薔薇の茂みがあり、神崎はそのわきを通りぬけようとして、服がひっかかった。

 けっこう簡単に追いつく。悪魔にしては、あっけない。


「やっぱり、そうだ。あんた、悪魔だな?」

「ああ、そうだよ! だから?」

「だからって……ひらきなおるなぁ」

「おれは悪魔だが、能力は封じられている。小娘の命令でしか動けない」


 なるほど。だから人間の龍郎に簡単に捕まってしまうのだ。人間的な身体能力で言えば、身長や筋力のある龍郎のほうが、はるかに優位に立てる。

 青蘭のなかにいるアンドロマリウスが、青蘭に命じられたときにしか魔法を使うことができないようなものなのだろう。


「小娘って? そいつが魔女なんだな?」

「おまえ、何者だ? ただの人間じゃないな?」

「契約者のことは、かばうんだな」

「なんで、おれがかばわなきゃいけない? あの小娘が死ねば、おれは自由になれる」

「利害は対立してるんだな」


 しかし、聞かなくてもわかっていた。

 神崎の手の甲の模様。

 それと同じ模様を持つ者がいた。


「その手の模様。契約の証なんだろ? あんたを縛ってるのは、白石先生だ」

「ご名答」

「白石先生は、あんたに何をさせてるんだ?」

「何も」

「そんなわけないだろ? 生徒が行方不明になるのは魔女のせいなんだ。そうだろ?」


 神崎はクスクス笑う。小馬鹿にしたような表情で、龍郎の目をのぞきこんでくる。中性的なので、そういう目つきをされると、青蘭を思いだしてしまう。ドキドキしていると、うしろから声がした。


「もういいわ。あとは、わたしから説明する」

 背後に、白石先生が立っていた。

「保健室に行きましょうよ。あそこのほうが安心して話せる」


 というわけで、龍郎たち三人は保健室へ移動した。

 フランス窓から美術部の生徒が覗いていたせいもある。

「きゃあっ。見た? 見た? 新任の先生が神崎先生に迫ってたよ!」

「告白してたよね?」

「つきあってくださいって」

「これって、アレ? おじさんずラブ?」

「おじさんはかわいそうじゃない? 二人ともイケメンだよ」

 なんて騒いでいたから、あとでどんな噂が広まるか知れたものではない。


 保健室に逃げこむと、美月先生がため息をついた。

「バレちゃったの? リーネ」

「ええ。この使えない低級悪魔のせいでね」

 やっぱり、美月先生が白石先生を“リーネ”と呼んでいる。


「どうして、白石先生をリーネって呼ぶんですか? 白石先生は白石陽菜でしたよね?」


 白石先生と美月先生はおたがいの顔を見あわせる。

「それ、話しだすと長いよ? 大事なのは、今、この学園で何が起こっているかじゃないの?」と、白石先生が反問してきた。やっぱりクールな女性だ。

「まあ、そうですね」

「でしょ? じゃあ、そこは割愛させてもらうわ。かつて、この学園で生徒の連続死があって、その犯人がコイツだった。わたしがコイツを封印して事件は解決したけど、その代償として、わたしと陽菜の体が入れかわった——とだけ言っておく」

「ふうん。じゃあ、白石先生……いや、美月先生は良い魔女ってことですか?」

「信用できない?」

「そうですね。まだ、完全にはムリかな」

「なら、これでどう?」


 白石先生はカツカツとハイヒールの音を鳴らし、書類などの置かれたデスクに近づくと、そこの引き出しから紙のたばをとりだした。バサリと、龍郎の前になげだす。


「行方不明になった生徒のリストよ」




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