第1話 魔女のみる夢 その十二



 寝苦しい夜だった。

 前日にいろいろなことがありすぎたせいだろう。青蘭のことや、青蘭の父のことや、学園に住みついた魔王のことや、それを呼びだした魔女のことを考えて、なかなか寝つけなかった。


 朝方、やっと眠りについた。

 ウトウトしながら、いやに肩口に冷たい風が入るなぁと思い、龍郎は薄目をあけた。


 誰かがベッドのわきに立っている。

 青蘭だろうか?

 昨日は泣かせてしまったから、さみしくなって一人で寝られないんだろうか?


(青蘭。ここにおいで。おまえがイヤなら触れないから。いっしょに眠ろう。幼な子みたいに)


 自分ではつぶやいたつもりだったが、たぶん声にはなっていなかった。


 朝になって目が覚めたとき、ベッドには龍郎しかいなかった。龍郎はゲスト用の寝室の一つ。青蘭は主寝室を使っている。ベッドから起きだして、主寝室を覗いてみると、青蘭が安らかな寝顔ですやすや眠っている。寝顔は天使だなぁと、いつも思う。


(変だな。けっきょく自分の部屋に帰って寝たのかな? それとも、おれが寝ぼけただけか?)


 首をかしげながら、そっとドアを閉める。青蘭はまだ寝たりないだろう。寝させておいてやろう。


 龍郎は着替えて一人でプレミアスイートルームを出た。一階にある食堂へ行った。昨日のレストランとは別で、ここはホテルの直営なので、宿泊費に食事代も入っている。

 なかへ入ると、意外と思っていたより利用している宿泊客が多かった。学園の父兄だけが寝泊まりするのなら、夏休み前や週末などをのぞけば、ほとんど開店休業状態だろうと思ったのに、どのテーブルにもポツポツと人が座っている。


 ここも学園同様ビュッフェスタイルだったので、何度か皿を手に料理のあいだをウロついていると、客どうしの話し声が聞こえてきた。


「聞きました? 奥様。昨晩、亡くなったそうよ」

「あら、まあ。今度は誰?」

「…………の桜子さま」

「イヤだ。まだ、ぜんぜん、お若いのに」

「急性心不全だったそうですよ」

「ほんとに? これで何人め?」

「怖いですわねぇ」

「こんなこと外に聞こえたら、下々のいい噂の的になってしまいますわ。せっかく風紀も正しい素晴らしい学園なのに」

「ほんとに」


 二、三人の金持ちそうなおばさんたちが、ひそひそ声をかわしている。

 龍郎は朝食どころではなくなってしまった。今の会話によれば、このホテルの客が立て続けに死亡している——ということではないか?

 昨夜、深夜に神父たちが客室にむかっていたのは、そのせいだったのだろう。


(生徒は行方不明。父兄は突然死? おかしすぎるぞ。このホテル。絶対、何かある)


 昨日のあの魔王を使って、誰かが何かをしている。そうとしか考えられない。そして、その誰かとは学園にいる魔女に違いないのだ。


 龍郎は食うだけ食って、最上階に戻った。昼間には、さすがに悪魔は現れないようだ。


 しかし、昨日、この廊下で坂本久遠を見かけたことを思いだす。あのとき、久遠はホテルに泊まりにきた伯母に会いに行ったと言っていた。

 最上階にはスイートルームしかない。

 かなりの上客だけが宿泊できるようになっているだろう。

 昨夜、総支配人たちは最上階でエレベーターを降りて、この廊下を歩いていった。ちょうど久遠を見かけた方向だ。


(もしかして、昨夜に亡くなった宿泊客って?)


 久遠の伯母なのではないかと思った。

 龍郎はいったん部屋に帰ったが、青蘭はまだ眠っていた。

 授業に行ってくるよと書き置きしておいて、龍郎は再度、部屋を出た。今度は学園へと向かう。


 急いだのでホームルーム前に来ることができた。すぐにも坂本久遠と話したかったのだが、職員室の前で白石先生に見つかってしまった。


「本柳先生。どこに行くんですか? 今から朝礼ですよ」

「朝礼?」

「職員のですよ。昨日はいつのまにかいなくなるし、困ります」

「すいません。でも……」

「本柳先生。ここは女子校ですよ。いくら教諭だからって、好き勝手に校内を歩かないでください」

「…………」


 妖精のように美しいのに、白石先生はとんでもなく気が強い。ちょっと陰のある感じはするのだが、クールでカッコイイを通りこして、少し苦手かもしれない。


(いやいや。青蘭だって、最初はなかなかのものだったぞ? 口をひらけば『愚民』だったんだからな)


 そのころのことを思いだして、龍郎はクスクス笑った。

 白石先生が青い瞳で、キッとにらんでくる。

「本柳先生?」

「あ、すいません。なんでもありません。そうそう。白石先生は保健の美月先生と仲がいいんですね?」


 白石先生はなおさらキツイ目つきになってくる。

「それが何か?」

「いいえ。昨日の放課後、二人が話してるのを聞いた……から……」


 龍郎は急にひらめいた。

 そうだ。昨日の違和感の正体。

 声だ。あのときガラス越しに聞いていたが、話の内容はおおむね聞きとれた。が、たしか、最初に聞いた声は美月先生のものだったのに、彼女は相手に対して、こう呼びかけていたのである。「ねえ、リーネ」と。

 なぜ、美月先生は白石先生のことを自分の名前で呼んだのだろう?

 美月リーネは美月先生自身だ。


 龍郎はあらためて白石先生を観察した。細部までながめていると、服の袖で半分隠れた手の甲に、青い模様が見えた。青い星のような模様だ。厳格な女子校で教師がタトゥーを入れているわけはないから、ペイントだろう。あるいはシール。


「それ、ヘナですか? キレイですね」

 龍郎はたずねてみた。

 白石先生は顔をしかめて、手の甲を押さえる。

「ええ。そうです。そんなことより、職員朝礼、始まりますよ」

「はい。すいません」


 白石先生のあとについて職員室に入ると、神崎先生がチャラい感じで手を振ってきた。苦笑いして会釈を返すものの、神崎先生のその手を見て、龍郎は戸惑った。

 ついさっき見たばかりの模様が、そこにもある。

 白石先生と同じ色、同じ形の青い星が、神崎先生の手にも描かれていた。

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