第1話 魔女のみる夢 その十一



「無効化……の魔法か?」


 そういえば、龍郎には魔法を無効化する力があるのだった。

 どうやら、魔王の結界をやぶって現実世界に戻ってこれたようだ。


「それにしても、よく魔王の魔法をやぶれたなぁ。今のも、おれの力?」

「たぶん……」


 非常階段はほぼ暗闇なので、青蘭の表情が読めない。廊下のところまで帰ると、黄色っぽいものの視界を保つ光量は充分になった。青蘭は難しい顔で考えこんでいる。


「今のは影だった。でも、きっと本体もどこかこの世界にいるはずだ。魔女が召喚したのかもしれない」

「ああ。魔女がいるって言ってたっけ」

「魔女と言っても女とはかぎらないけどね。魔法使いのことを総じて魔女と呼ぶので」

「へえ。そうなんだ」

「生徒が行方不明になることと関係していると思う」


 エレベーターに乗るために歩いていった。エレベーターの前に何人か立っている。ホテルの総支配人と、医者らしい風態の男。それに、あの銀髪の神父だ。


「こんばんは。こんな夜中に何かあったんですか?」

 たずねても、総支配人は言葉をにごす。

「ああ、いえ。その……」

 かわりに医者が答えた。

「急患があったんですよ」

「ああ、そうですか」


 まあ、ホテルだから、いろんな人が泊まっている。急に容態が悪くなる客もときにはあるだろう。

 しかし、医者やホテル関係者はともかく、なぜ学園の神父が真夜中に客室へ呼ばれていくのだろうか? いくらなんでも、この時間に結婚式の打ちあわせではないだろう。


 龍郎は聞いてみた。

「神父さんも急患のかたのところへ?」

 神父はまっすぐに龍郎を見返してくる。

「ええ。患者さまがカトリック信者なのです」

「そうですか」


 患者が死ぬ前に懺悔ざんげをしたいとでも言ったのだろうか?

 日本人にキリスト教徒は少ないだろうが皆無ではない。それに聖マリアンヌの生徒の保護者なら外資系の企業の社長がいたっておかしくない。

 龍郎は納得した。ただ、その場合、患者の容態はかなり悪いということだ。


 それにしても、フレデリック神父、いやに青蘭をじろじろ見ている。それは青蘭ほどの美貌なら万国共通の麗人だ。神に一生を捧げた神父が見とれてしまっても、いたしかたないが。


 エレベーターのドアがひらいた。

「青蘭」

 龍郎は青蘭の肩を抱いて乗りこんだ。あとから三人が入ってきて、階数表示のボタンを押す。最上階だ。行き先は同じだ。


 最上階で、龍郎は死に瀕した患者が待っているのだろうと思い、開のボタンを押して、総支配人や医者たちに先を譲った。青蘭が降り、最後にエレベーターを降りる。

 総支配人や医者は廊下を歩きだしていたが、神父だけが途中でひきかえして戻ってくる。


「セーラ? サー・マスコーヴィル・ヤエザキ?」


 青蘭がハーフだということは知っていた。しかし、龍郎も聞いたことないようなフルネームをペラペラしゃべって、神父は親しげに青蘭の肩に手を置く。ビクッと青蘭は電流でも走ったように、体をこわばらせた。


「まちがいない。青蘭だね? 覚えてないかな? セオだよ。君のお父さんの親友だった。お母さんにそっくりになったね。だが、お父さんの面影もある。細身でずっと少年みたいな体形だった」


 青蘭のようすが明らかにおかしい。

 動揺して、ふるえている。

 青蘭は五歳までの記憶がないと言った。あの火事の日につながる記憶を刺激されることを無意識にさけているのだ。


 龍郎は二人のあいだに入り、青蘭の肩にかけられた神父の手をどけた。

「すいません。つれが嫌がってるので」

「ああ。失礼。残念だが、私のことを忘れてしまったんだな。まあ、しかたないか。十五年も前の話だ。青蘭はまだほんの子どもだった」


 十五年? 青蘭が五歳のときだ。

 青蘭が火事にあった五歳のとき……。


(何者だ? こいつ?)


 まさか、青蘭の父の友人だったとは思わなかった。

 火事について、何か知っているのかもしれない。

 聞きたかったが、そのとき、廊下の奥から総支配人が戻ってきた。


「フレデリックさん。頼みます。急がないと」

「ああ。失礼」


 神父は総支配人に応じておいて、最後に一言、青蘭の耳元に何事かささやいた。龍郎には聞こえなかったが、青蘭の顔つきがますます厳しくなった。


 神父は柔和な笑顔で立ち去っていく。

 彼が去ってから、龍郎は聞いてみた。

「神父さん、なんて?」


 青蘭は無意識にだろうか?

 スーツの胸ポケットを押さえる。

「父の形見を身につけているかって」

「お父さんの形見?」

「ええ。コレです」


 青蘭がポケットから出してみせたのは、銀色のロザリオだった。




 *


 青蘭の父の形見。

 そのロザリオは、龍郎も以前に見たことがある。以前、中位の悪魔を退治するときに、青蘭が使っていた。


「それ、お父さんの形見だったのか」


 部屋に帰り、リビングルームのソファーに腰かけると、龍郎は問いかけた。

 青蘭はロザリオをにぎったまま、物思いに沈むような目をしている。


「僕も知りませんでした。焼け跡に、これが残っていたんです。ほかはみんな燃えつきて炭になっていたけど、そのなかで、これだけが燃えもせず、このままの形で残っていたって」

「青蘭のお父さんって、神父だったんじゃないの?」


「さあ。そうなのかも。さっきの神父と友人だったのなら。父のことは何もわからないんです。ある日、ふらりと母の屋敷に来て、素性もわからないままに結婚したらしくて。祖父は最後まで二人の結婚に反対したようです。きっと、財産目当てのヒモ男だって考えたんでしょうね。

 じっさい、働いてたようすもないし、そうだったんだろうって僕も思ってたけど……神父だったのなら、違ってたのかな? そういえば、僕の口座に毎年、相手が不明の振込があるんですよね。年間五千万ずつ。さほど気に止めてなかったけど、あれって父への送金なのかも。その口座はもともと父のものだったから」


「えッ? 年間五千万って、そうとうの額だけど?」

「そう? 僕の預金利息のほうがずっと多いよ?」

「ああ……」


 青蘭に常識を求めてもムダだった。


「いやいや。神父で五千万って、ありえない報酬だから。教皇とか法皇とか、バチカンの上のほうの人たちがどのくらいの収入を得てるのか知らないけどさ。一介の神父が五千万も貰えるわけないって」

「そうなの? じゃあ、僕の父は何をしてたのかな?」


 龍郎は言葉に詰まった。

 わからない。わからないが、まっとうな商売でないだろうということは、わかるから。

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