7.コルチカムの結末
「今日は行くからな」
「うん。」
結婚式をあげた日から拘束は解かれた。カナウも脱走する気が起こらず、二人で静かに暮らしていた。週に一度の出勤のため、リョウは夜の街へ出かける準備をしていた。少しだけ高い黒色のメンズ用ワンピースを着た。
「ゴホッゴホ、」
「大丈夫?」
「ちょっと風邪っぽいんだよな」
「無理しないでよ」
「まあ行ってくるよ」
「うん。気をつけて」
カナウ的には行って欲しくないのだが、生活するためには仕方ないし、カナウが働こうにも、社会復帰は精神的にかなり厳しいだろう。
「正直、花屋に戻りたいな…」
聞かれていたらブチギレ案件だが、本音のところはそうだ。リョウも好きなんだけれど。夢を諦めきり、自分の正しい居場所に戻りたいのは一つの進歩だと言い聞かせた。というか。結婚式を境にレディースの服しか着させてもらえなくなった。女装癖があるわけでもないし、とても恥ずかしい。リョウしか居なくても恥ずかしい。今日はレディース用のTシャツに半ズボン。ニーハイを履かされ、ない胸にブラジャー。ま、前みたいな苦痛すぎる拘束生活じゃないんだしよしとしておこう。
「ド、ド、ド、変態だな。」
一人で何言ってるんだろうとクスクス笑った。ともかく、やけに優しくなったなあ。またヤンデレをぶり返して貰っては困る。今も監禁状態なのは変わらないけど。コロコロ変わるリョウへの気持ちについていけていないのは自分自身だ。不安定な気持ちは治らないが、手はいつのまにか治っていた。多分一時的に、麻痺していたのだろう。カナウは食卓の上で、色鉛筆で花の絵を描き始めた。ーーー降りかかる不幸を知る由もなく。
「危ない!!!!」
夜の街…売春街近く、通称夜の街の人気のない横断歩道を渡っていると遠くから声が聞こえた。さっきからやけに五月蝿い車がいるもんだ、と思っていた。振り向いた。ライトに包まれ真昼間のよう。
(「お前さえ居なければ…!」
「お兄ちゃん、あのね」
「リョウ…愛してるよ…」)
「えっ」
何が起きている。呆然としていると、強い痛みに襲われ、身体を吹き飛ばされた。
「大丈夫ですか!?」
「ゔっぅぁっあ」
車が去っていくと、遠くから男性と女性がやってきて、リョウに声をかけた。陸にあげられた魚のように息をしていると、目の前の世界がなくなっていく。
「あぁ!!!ヴぅう…」
リョウを轢き殺したレイはそのまま誰もいない道に逃げて行った。手を口で抑え吐きかけていた。
助手席にいたアイナは意味が分からなかった。今の光景、とても綺麗だったじゃない。
「どうして吐きそうなの?」
「どうしてって、人を、人、を殺した…ゔぁっ」
アイナは吐かなかった。吐き気すら出てこなかった。それに対し、レイは今にも吐瀉物をハンドルにかけそうなくらいえづいていた。
「アイナ、正気なの!?」
「だって、リョウが死んだら、嬉しいじゃん?」
憎いリョウが死んだ。嬉しいじゃないか。爽快で堪らないじゃないか。レイは自ら頷いたくせに、後悔をした。ああもう人生が終わった。どうして、カナウだけ幸せになればいいなんて思ったんだろう。恋とは頭がおかしくなるものだ。一回、いや、一瞬の判断を間違えると地獄へ突き落とされる。カナウが好きな気持ちは変わらない。でも、それは、自分が生きていける位置にいるから、楽観的になって言えたこと。もし、警察に見つかれば、どうなるだろう。もし、あいつと憎く呼んだリョウが死ねば、罪が重くなり、地獄で燃やされるであろう。それなのにどうだ、アイナは平然とした顔でキャンディーを舐めていた。しかも、レイが一着だけ持っていた甘ロリの派手な服を着て。アイナが一番頭おかしいのではないか。
「僕ねー、お兄ちゃんのことが大好きだったの。お兄ちゃんを軟禁してたの。」
「なっ…」
「お兄ちゃんを拘束してね、毎晩セックスしてたの。どこの誰だかしらねえジジイに抱かれたお兄ちゃんを抱いてたの」
急に子供のような口調で話し始めたアイナはキャンディーを舐める音を大きくした。レイにとっては不愉快極まりなかった。今までの優等生らしい姿は演技だったのか。幼い笑顔をレイに向けた。
「とりあえず、車をここで捨てよう。ま、警察さんは来るだろうけど!」
「いやっ…」
涙が溢れて止まらなかった。もう終わった、私は終わった。近くの海に沈もうか。カナウちゃんに会うことなく死ぬんだな。ハンドルに頭をぶつけて泣いていると、アイナは後部座席に潜り込んだ。もしもの時に使おうと決めていた包丁と鎌が置いてあった。出発前レイは違和感を覚えつつも、アイナに従い、車に凶器も乗せたのだ。包丁は要らない。レイのアパートのゴミ捨て場に捨ててあり、盗んだ鎌を取り出した。
「レイ、あの海に首を沈めようと思ったけど」
「えっ…いや、やめて!!お願い!!アイナ!!!」
殺人ピエロのような笑顔を浮かべたアイナは、窓のカーテン全てを閉め、絶望する顔のレイに鎌を振り下ろした。首元に一発、目元に二発、口元に一発、心臓に何回も。アイナの本性が現れた。アイナはイオリの思惑通り、本性を現し、人間を殺害した。
「レイさん、あのね、ちょっとだけ触らせて」
真っ赤な物体になったレイに話しかけても無駄なのだが、座席に踏ん反り返ったままのレイの服を脱がした。
「へえー。女の人の身体ってこんな感じなんだ。」
大きな乳房を始めて見たアイナは触って見た。
「なんでこんなカチコチ?」
死後硬直を知らないため不思議に思った。それにしても綺麗な形の乳房だ。むしゃぶりつきたくなった。先端に噛み付く。
「あんまり美味しくない」
見た目的にイチゴミルクの味でもしそうだったが、血の味がした。感染症のリスクも知らずに舐めまわした。血の味は知っていた。自分の手首を切っていた時に水分補給として飲んでいたからだ。潮っぽくて、いつまでも喉が渇いて辛かったけど。
「下も見せてよ」
黒く変色したスカートを健康的な太ももに通して脱がせた。鎌の先で優しく切り込みを入れて下着を破った。これも初めてだ。黒い毛が張り付いていた。
「突起物があるのか…」
割れ目があったので指を中に入れると突起物と隙間があり壁があった。
「レイありがとう。よく知れた。ぼくは、女という生き物から生まれたらしいね。漫画で読んだよ。男と女が交尾をしたら、精子と卵子が体内で合わさって、子供が出来るとか。ぼくの母親の子宮は腐っていたのかな?どうしてこんな出来損ないをつくったのだろうね。せめて、レイみたいな素敵な女性から生まれたかったよ」
本能的に女性への苦手意識を持っていたアイナだが、唯一短時間で心を開けた。
「それでもごめんね。レイは殺さなきゃいけないの。夢の中でお父さんが言ったの」
ごめん、そう言ってアイナは鎌を持ち直した。レイの手足をギリギリと切り落とした。ボロンと手足が落ちる。
「昔からゴミを食べていたけど、人間を食べるのは初めてだよぼく」
「ごめんね、レイ。カナウはぼくが助け出すから」
手足を後部座席に並べると、左手から噛み付いた。ゴミを食べていた時を思い出した。違和感があるけれど、とても美味しくって幸福感に満たされた。
「次は、頭かな」
鎌を持ち直し、レイの頭部へと突き刺した。そのまま、一周回り捻り込むと、ぱっかりと脳みそが見えた。
「ジュルジュル...美味しそう」
脳みそを捨てたいと願っていた過去だが、実際に本物の脳みそを見ると、美味そうで美味そうで仕方なかった。こんな美味しいものを常に体内にもてているの?じゃあまた、食事が出来なくなった緊急事態なときに、自分の脳みそを。
アイナはかぶりついた。
ーーーー 一通り食べ終えたアイナは、山で転落し、枝などに引っかかって怪我をしたように見せかけるために、鎌で自分の手足を軽く傷つけた。力加減はしたのだが、簡単に皮膚がえぐり取られて、深い傷ができた。多分、死にはしないだろう。鎌を置いたアイナは車から降りた。誰も居ない道路をひたすらに歩き続けた。レイがリョウを轢き殺した際、自我を失い、猛スピードで一直線でここに来たため、道なりに行くだけでいい。不思議と疲れなかった。朧月が綺麗だった。40分ほど歩いただろうか。リョウが喘いでは稼いでいた売春街へと辿り着く。周りの不潔な人間どもが怯えた顔で見つめてきた。リョウを轢いた横断歩道へ行くと、白線に鮮明な赤い血が染み付いていた。コンクリートは、黒い水溜まりのように見えた。リョウは死亡したのか一命を取り留めたのか、気になるところだが、とりあえず、カナウへ会いに行こう。3–240号室への道のりは忘れるはずがなかった。どんな過酷な状況にいても忘れなかった。街に出ると、感じる視線は一段と強くなった。傷や血だらけの白髪(シロカミ)少年が胸を張って歩いている。気味の悪い光景に通行人や運転中の人々は気分が悪くなった。
「リョウ、遅いな。いつもなら帰ってきてるはずなのに。」
なんにも考えずに画用紙の裏にふと思いついて描いたのはスノードロップ。なかなか上手だ。味のある繊細な絵だ。頬杖をついて足を揺らしながらリョウを待っていた。すると、インターホンが鳴った。
「はーい。リョウ、鍵忘れちゃったのかな。鍵あいてるのに。ふふ、リョウおか…」
気分を高まらせ玄関を開けると目の前には血だらけの少年が立っていた。アイナの顔を直接見たことがないカナウは誰だか分からなかった。それより、血まみれで怪我だらけだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ちょっと、派手に転んでしまいまして…」
あまりの風貌に驚き、違和感を覚えず室内へと招き入れた。アイナもアイナで、久しぶりの我が家にカナウがいることに動揺した。一応、リョウを殺し、レイを殺したことを隠すため平然を装い対応した。先ほどまで座っていた椅子に、アイナを座らせた。
「ほ、包帯とか出してきます!」
「ありがとうございます」
寝室の押入れのカラーボックスの中にあった包帯を出した。アイナの手足に巻いていく。
「あの。」
「はい」
「ぼく、リョウの弟なんだけどさ」
「えっ…」
包帯を手から落としてしまった。顔を再確認すると、確かにリョウに似ていた。リョウを幼く女性らしくした顔。血に隠れている部分を想像しても、リョウと合わさった。そういえば、この3-240号室を知っているのは、リョウとカナウだけじゃ。リョウは以前、弟アイナと住んでいたと話していた。
「本気で言ってる?」
「本気だよ、ぼくリョウの弟のアイナ」
戦慄が走った。アイナは深い笑みを浮かべた。
「ぼくのお兄ちゃん、あんたに取られちゃったの」
「何言って…」
「だから、お兄ちゃん、あんたに取られた」
痛みに耐えている目付きが人を嘲笑う目付きへと変わった。転がった包帯を右足の親指で突いたアイナは、立ち上がった。玄関の方を振り向くと、同時にインターホンが鳴った。
「僕が出るから…座ってて」
「分かったよ」
大人しく従ったので、リビングの扉を開け、玄関を開けた。警官が立っていた。真夜中になんだ、アイナを探しに来たのか?
「夜分遅くにすみません。此処は、このお方の自宅で宜しいでしょうか?」
「え?」
警官が見せてきたのは、鉛筆で書かれた似顔絵だった。リ、リョウではないか。嫌な予感がした。リョウが何かしでかしたのか?監禁生活がバレたのか?
「似顔絵の男性はリョウという名前ですか?」
「ええ、リョウさんかと。しかし彼、所持品もなく、札束をポケットに詰め込んでいただけなんですよ。」
「な、何が起こったんですか?」
「彼、交通事故に遭って危篤状態なんですよ。血縁関係の方を調べたのですがね、情報が何一つなくて」
どうやって3-240号室に辿り着いたかは教えてくれなかった。それより、カナウはリョウが危篤状態と伝えられ、パニックに陥っていた。
「リョウはどこ!?リョウは、リョウは!?!?」
警官は低い声を出したカナウに驚いた。女性かと思っていたが、男性だったのか。警官の肩を掴んで叫び散らかしてくる。
「お、落ち着いてください!」
「なんで早くこなかった!!」
「貴方が落ち着かないと病院には連れて行けませんよ!!」
警官もカナウの肩を掴み落ち着かせている。アイナは状況を瞬時に把握し、警官とカナウが絡んでる内にと、リビングで血だらけの洋服を脱ぎ捨て、寝室に行き、リョウサイズの黒ロングパーカーを出して着替えた。血だらけの洋服は、ベットのシーツの下に隠す。急いで玄関に向かった。
「ちょっとそこの人、どうにか!」
「カナウ、落ち着こう、落ち着けば病院まで行けるぞ」
「あいつ…」
警官は白髪(シロカミ)の少年、アイナを見て驚いた。ボロアパートで暴れていたあいつだ。アイナを拘束した時と同じ警官がやってきたのだ。確かこいつは精神病院に放り込まれたんじゃ。今回事故に遭った男に向かって「お兄ちゃん」と叫んでいたような。
アイナの声掛けによりカナウは少しだけ落ち着いた。
「その似顔絵、ぼくの実兄ですね。そして、この彼の恋人...ぼくとこの彼、病院まで行く足がないもんですから、連れて行ってはもらえないでしょうか?」
カナウは自分が落ち着かなければどうしようもないと気が付いた。深呼吸して、警官に「お願いします」と小声でお願いした。
「分かりました。後ほどお話を聞きます。それではパトカーまで行きましょうか。」
二人とも警官の前を歩き、パトカーへと向かった。警官も二人が暴れ出さないように、肩に手を置いていた。似顔絵はぐちゃぐちゃにしてポケットにしまった。周りから見ればこの2人が悪いことをしたかのように思える。警官は特にアイナを警戒していたが、まさかアイナが殺したとは知る由も無い。パトカーに乗り込むと、病院へと向かった。
「なあ、あいつ。」
「やっぱりそうだよな。」
「あの白衣。ったく、何考えてやがんだよ」
運転席と助手席に座る警官二人は小声で話していた。
二人は、アイナの事件のときからイオリに買われていた。イオリに従えば、たんまりと金が貰えた。前々からリョウとアイナのことは教えられていた。リョウが轢かれ、通報された時、顔付きにピンときた警官2人は、すぐさまイオリの元へと駆け寄った。そして、「3-240号室」を教えられたのだ。そんな2人をよそに、アイナは考えていた。今から、リョウの死体を見るのか?もしリョウが目覚めたら、なんと言うのだろうか?ワクワクが止まらない。あっという間に総合病院に着いた。個室へと連れて行かれた。
「リョ…ウ、嘘だろ!!ねえ!!!」
「お兄ちゃん…」
そこには、医師と看護師が2人。そのほか、誰もいなかった。ベッドに寝かされていたリョウの顔は、白い布に覆われて見えない。
「貴方は?」
「彼の、恋人です」
「あっ、ぼくは、実の弟です」
医師と看護師はゲイカップルか…、初めて見たぞ。と少しだけ驚いた。
「そうですか…それでは。10月23日、午前4時45分36秒、御臨終致しま」
「うわぁぁぁぁあああ!!!!リョウ!!!!」
聞いた瞬間、カナウはベッドの柵を握ったまま、立ち崩れた。泣き叫んだ。視界がないまま、リョウの顔が見えないまま、泣き叫んだ。
「さ、最期に、お顔を見てあげてください。」
「カナウ、見てあげなよ」
ふと、アイナの声が聞こえた。なんのことか理解したカナウは、震えながら立ち上がり、枕元に行くと、白い布をめくった。
「リョウ…リョウ、どうして、なんで…これから、二人で」
ふと、カナウの悲しそうな言葉が聞こえた。アイナは思い出した。「脳○少年」という曲が脳内で流れ始めた。リョウの死体を見て泣き崩れるカナウを見て、欲情した。君はちょっと普通じゃない。頭の中の狂気が笑った。前からそんなこと分かりきっているが。初めて美青年の死体を目にした。そして、それを悲しむ美青年。綺麗だった。とても綺麗だった。
「アイナも、見てあげてよ…」
「うん」
白い布を被せ直し、アイナと場所を交代した。アイナは涙を見せる様子もなく、なんだか楽しそうだった。
信じられなかったカナウは怒りが湧いてきた。自分の兄が死んでよく正気でいられるな。
「お兄ちゃん…綺麗だね」
アイナは白い布をカナウと同じようにめくった。リョウの死に顔は、見たことがないくらい綺麗だった。とてもとても綺麗で、この世でこんなに綺麗なものがあるのかと、あの日見た夜景より、綺麗なものがあるのかと。真っ白でカチコチに固まる顔を少しだけ撫でた。
「ああ、触らないでください。感染症のリスクが有りますので。」
「お兄ちゃん…」
また、リョウに恋をしてしまった。死んだリョウに恋をした。死体に恋をした。物体に戻ったリョウに恋をした。腐るまで一緒にいたいと思った。花より綺麗だと思った。リョウが毎日購入して食卓の上に置いていた赤い薔薇より綺麗だと思った。背後でカナウは憔悴していた。
その後、カナウは花屋時代に貯め、リョウには隠していた貯金を使って、小さな葬式を開くことにした。葬式もそうだが、遺骨の引き取りの問題を考えた。霊安室にカナウとアイナは座っていた。カナウはリョウのもとへ行き、アイナに話しかけた。
「アイナ。遺骨のこと…」
「まさか、カナウが引き取ろうとでも?」
「リョウなら、僕にしてくれというと思うが」
遺骨を引き取るなら、自分しかないと思った。カナウが強気になると、アイナは立ち上がった。反対側に立つと、大きな音を立て床を蹴った。
「お前はリョウと血が繋がっていないだろう。ぼくはお兄ちゃんと、血が繋がってる...。恋人と肉親どちらかなんて考えたら、言わなくてもわかるよなあ?」
カナウは何も言えなくなった。絶縁していたとはいえ、アイナはリョウの肉親…。僕は、リョウの、なんだ。(「俺を信じてよ」)自宅で開いた結婚式で言われた。でも、常識的に考えたら…。
「アイナ…そうだね、君は、肉親だもんね」
胸が締め付けられて苦しくなってきた。リョウは、また、アイナのもとに戻っていくのか。嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
「遺骨は、肉親であるぼくが貰う。」
通夜、告別式があっという間に終わった。狭い式場でたった三人。坊さんと、カナウと、アイナ。カナウは憔悴し切っていた。涙も出なかった。何もかもが終わった。リョウ。せめて。最後に抱きしめて欲しかった。ああ、リョウが炎の中へ。リョウが燃やされて、もう、この世から居なくなってしまう。リョウへの気持ちは定まらなかった。綺麗だと思って惚れて、痛めつけられて嫌いになって、生涯の愛を告げられて好きになり直して。居なくなってから、気が付くんだ。本当に大切なもの。遅かった。バカだ。アイナより。アイナは分かっていたのか。何もかも。この、気狂いが。
誰もいなくなった式場で立ち尽くしていた。遺影を見ていると、涙が止まらなくなった。漸く出てきてくれた涙。せめて、暖かくいたい。背後から足音がした。
「カナウ。何もかも終わったね」
「ああ…」
「お兄ちゃん、骨になっても、ぼくが幸せにするんだ。」
ゆっくりとゆっくりとカナウに近付いてきたアイナ。すると、突然走り出し、祭壇に飛び乗った。
「何してる!!」
「お前ってやつはほんっとバカだな!笑えるよ!!」
「おい!アイナ!!黙れ!降りろ!」
遺影の前で仁王立ちしたアイナは片手に骨壷を掲げた。大爆笑し始めた。こいつ、何を考えてる。
「アイナ!!!」
「あのなあ。ぼくとお兄ちゃんは離れられない関係なの。なんたって、兄弟なんだ。血が繋がっていて、正真正銘の兄弟なんだ。お前はなんだよ?恋人だと?リョウの花嫁だと!?ふざけんな。そんな愚かな関係に堕ちた時点で…」
「アイナ、やめろ!!やめろ!!」
「あははははは、ははは!!!あーーーはは!!」
アイナは骨壷の中から、遺骨を掴み取った。口元に運び、笑いながら、
「食べた…」
「あひっふふっごっ、ふふふふふ。花より、綺麗な、リョウが、花より、綺麗な、ぼくに食べられちゃった!共喰いだ、ね!!」
咀嚼をした。リョウの遺骨を噛み砕いた。ゴリゴリと歯ごたえのいい音がする。そのまま飲み込んだ。どんどん食べた。リョウを、魂を、食べていく。
「アイナ…アイナ、ふざけるな…」
「もう、お兄ちゃんは、ぼく…アイナの胃の中、魂の中ー!!!もう一度言う!!リョウはアイナの、胃の中、魂の中!!」
祭壇から飛び降りたアイナは骨壷を放り投げ、カナウの肩を叩いた。
「じゃあね。カ、ナ、ウ、ちゃん?」
アイナを殴り飛ばし、殺す気力なんて出なかった。
「もう、なんで、なんでだよ…」
その場で倒れ込んだ。立つ気力すら出ない。誰か、誰か、助けてくれ。呼吸を整えようとしていると、耳にピアノの音が入ってきた。かなり激しい。でも、しっかりとした旋律だ。聴いたことがある。なんだか既視感がある。頑張って立ち上がり、音色の方向へと顔を向けた。遺影の左下に置いてあった、グランドピアノ。アイナが頭を振って掻き鳴らしていた。
「アイナ…やめろ、やめろ」
生き甲斐をまた失ったカナウは、無意識にまた生き甲斐に戻ろうとしていた。あの日見た夢。ミュージシャンを目指した夢。歌もピアノもドラムも出来たのに、全ての人間から捨てられた。五月蝿い、五月蝿い、綺麗すぎるピアノの旋律が、五月蝿い。アイナは掻き鳴らしながら、大声で叫んだ。
「あのな、カナウ!ぼくは思うんだけど。」
「魂の中に魂を閉じ込めてしまえば、もう出られないと思うんだ。」
アイナのピアノはとても、過激で、とても、綺麗だった…。
「お兄ちゃん、これからお話ししようか。いま、胃の中にいてどう?」
「へーそうなんだ。アイナの胃の中楽しいんだね、骨は消化されても、魂は浮いてるからね。お兄ちゃんは、ぼくの体内で暮らすんだ。」
アイナは3-240号室へと向かった。
「お兄ちゃん、帰ってきたよ」
胃の辺りをさすりながら声をかけた。なんだか、懐かしくもあり、寂しくもなった。もうお兄ちゃんという人間はいなくて、お兄ちゃんを物体に戻したのだが、焼かれて食べてしまったのだから。軽く喪失感を感じるも、鬱々しくはならなかった。可愛らしい声を意識して話しかけながら、以前までアイナの居場所だった寝室の襖を開けた。
「お兄ちゃんとぼく以外の匂いがする」
匂いに敏感なアイナは、リョウが焼かれている時の匂いが鼻から離れなかった。寝室に充満しているカナウの体臭と、レイの血臭を嗅いだ途端、不快感に襲われた。物体のリョウの匂いのままでいて欲しかったのに。
「ねえ、お兄ちゃん、ぼくと愛し合ったベッドにも、あいつの匂いがついてるよ」
ベッドに飛び込むと強くカナウの匂いがした。吐きそうになったので、口を手で抑えた。ベッドの上に立ち、辺りを見回した。
「なんだあれ。」
押入れ近くに、赤い変な形をしたハサミ、カナウの赤い花ハサミが落ちていた。ベッドから降りて、赤い花ハサミを手に取った。
「変なの…なにこれ、「かなう」?あいつのハサミなの」
この変な形のハサミが、花ハサミであることを知らなかったアイナは理解ができなかったが、何か意味があるのだろう。カナウの所持品をリョウが手に入れて保管していたのか。黒マジックで書かれ、セロハンテープで貼られていた「かなう」という名前を見て確信した。
「あは。お兄ちゃん…これしかないね。」
花ハサミを握りしめたアイナは、3-240号室を後にした。
「そ、そういえば、僕には、レイ。レイさんがいる。」
すっかりと記憶の中から消えていたが、花屋で働いていた頃の先輩レイを思い出した。とりあえず式場を出て、ブカブカの喪服のまま花屋へと向かった。久しぶりだ。こんなにも歩くのも、外の空気を吸うのも。なんだか、とても居心地が良い。世界が嫌々にカナウを包み込んでくれているような気がした。足取りは安定せず、花屋に向かうのにかなり時間がかかった。
「誰もいない、レイさんは…」
夕方。まだ営業時間内のはずなのだが。店内は真っ暗で誰もいなかった。扉のプレートはcloseとなっていた。花達も元気がなさそうだ。ドアノブを握り押すと、開いた。
「レイさん、レイさん」
何度呼びかけてもレイは出てこなかった。まさか、失踪したのか?照明をつけて、ひたすら呼びかける。孤独な音声が店内に響く。
「レイさん…?」
うろちょろしていると、窓の向こうから聞き覚えのある声が複数聞こえた。振り向くと、常連客のおばさまたちだった。事情を知っているかもしれない、急いで外に出た。
「カナウちゃん!!久しぶりね、私たち心配してたのよ」
「あ、あの、僕はやめただけです。それより、レイさんは?」
「レイちゃんねえ、カナウちゃんがやめてから少しおかしくなっちゃったみたいでね」
「そうそう、結局営業時間を減らしたのはいいけど、当然一人じゃやってけないし、結局お店を畳もうとしていたみたいで。でもね、数日前からパッタリと姿を現さなくなったのよ」
「えっ…」
そんなことが。僕がやめたせいで、レイさんが。まさか、自殺したんじゃ…。いや、レイさんがするはずない。カナウの頭の中は混乱していた。
「ま、あんな気の強い子が死ぬはずないし、夜逃げでもしたんじゃないの?」
「そうよね。カナウちゃんがここを立て直してでもくれれば、私たちまた来るから。じゃあ、さようなら」
おばさまたちはカナウの肩を叩くと去って行った。そんな元気ねえよと言いたかった。大丈夫、元気を出せ。警官には「犯人が見つかりません」なんて言われたけれど。もう見つからないだろう。あの警察はあからさまにやる気がない。殺された。リョウの分まで生きていかなきゃいけないんだ。いやにでも、明るくしないと。リョウ、リョウ大好きだよ。萎れかけている赤い薔薇の前で天国のリョウへ語りかけた。実感が湧いていないから、少しだけ正気でいられる。のちの地獄をカナウは分かっていた。頭の中で繰り広げられる毎日。それにしても、住む場所はどうしようか。花屋を立て直すにしても一人じゃ出来ないし、葬式を開いたことによって貯金は尽きた。3-240号室に戻ってもあいつがいるし。
「あいつさえいなくなれば。」
「ふふ、ぼくにいなくなって欲しいの?」
「なっ、アイナ…」
当の本人が真後ろにいた。アイナはなにやら微笑んでいる。血が広く滲んだような服を着ていた。柄、なのか?違う。きつい血の匂いがする。
「カナウちゃんさあ」
「ちょっと、離して」
右手を強く掴んできた。嫌な予感。何かやられる。鼓動が激しくなる。アイナに以前の自宅へ帰る裏ルートだった細道に連れて行かれた。
「な、何?何の用?」
「ごめん。居なくなるのは、次はカナウの番なんだ。」
すると、アイナは背後に回り込んで、端に積まれていたレンガを手にした。ヤバイ。逃げなければ…。
「ゔうっ、ア、アイナ…やめろ!」
足元にしゃがみ込んだアイナは、レンガでカナウの足を潰し始めた。かなりの勢いで足に攻撃を始めた。カナウは強烈な痛みに呻きながら倒れ込んだ。左足が潰れると、右足も潰した。
「ゔっゔっぁぅゔ」
「ごめんねー。カナウちゃん。因みに、レイちゃんなんだけど、ぼくが殺したんだ」
「おま、え」
唖然とすると、アイナはレンガを喉元に振り下ろした。カナウは掠れた呻き声しか出せなくなった。動けない、痛い、死ぬ、殺される、動けない。次はなんだ、もういい、殺してくれるのか。アイナ。
「殺してほしい?」
「ゔゔっぅ…」
次は左手を潰した。そして、右手も。ぐちゃ、ぐちゃとエゲツない音がした。四箇所を真っ赤にしたカナウは息絶える狭間で呆然としていた。アイナは馬乗りをした。
「ほら見て、カナウちゃん。」
アイナはポケットから花ハサミを出した。カナウはぼやける視界の中で認識した。リョウ、そして、レイを思い出した。
「ざ、ょな、ら」
「ああ、サヨナラさ。」
アイナは、カナウの首元に花ハサミを突き刺し、皮膚を切り落とした。
「りょ、ゔ」
「リョウは、ぼくとレイで轢き殺したのさ」
もう一度、皮膚を切り落とした。肉が見えてきた。肉も切り落とした。
「れ、ぃ、ざ」
「レイはね、ぼくが鎌で殺してバラバラにして食べたのさ。」
肉を切り落とすと、頸動脈が見えてきた。
「ぼ、」
「ぼ?」
「く」
「ああ。さよならだよ。カナウちゃん」
そして、頸動脈を刃先で切断した。
「カナウちゃん。本当はどうしたかったの?」
死んだはずのカナウが、目を開けて首を上げていった。
「シニタカッタ」
「へえ。」
そういうと、カナウは、永遠の眠りについた。
アイナは証拠も隠さず3-240号室へと帰宅した。カナウの死体から、喪服だけを脱がした。手足を通すときは簡単だった。血まみれの喪服を着た。リビングの端には、大量の札束が積み上げられていた。警官がまたやって来たようだ。身寄りのないカナウの葬式を開くと伝えておいた。
「アイナよ。よくやった」
「先生...!」
警官の後ろにやってきたのは白衣を着た男。イオリだった。イオリはアイナを褒めちぎった。警官は分かっていた。アイナがカナウを殺したことを。それでも何も口出しはできなかった。
「先生....来てくれたの?」
「ああ。来たよ。最高の宴になるだろう。」
葬式当日、リョウの式場とは違う、大きな式場で開いた。アイナの隣にはイオリがいた。少しでも華やかにするように、サクラをたくさん呼んだ。イオリが線香を上げている。アイナはその横でたった一人、微笑んでいた。
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