4.恋愛と兄弟愛

アイナはかなり病んでいた。もう5日もリョウが帰ってこない。本当にサヨウナラをしてしまったのか。自宅を探ると、棚などに飾られていたリョウの愛用品や、日用品は全てなかった。キャリーケースもなかったから、詰め込んでどこかに旅立ったのだろう。絶対に許さないと意気込んだのはいいけれど。無意識に透視、いや、縮れた脳を必死に使いリョウが行きそうな場所を考えた。

「お兄ちゃんに会いたい」

アイナにとって考えるという行為は苦痛でしかない。強烈な吐き気がして立っていられなくなる。物理的な証拠を探してみよう。リョウは中古の携帯すら使っていなかったから、何も手がかりがない。手紙なんていう面倒なことはしないだろうし、性格を考えると、惚れた男に対して強行突破したんだろう。しかも短期的に。そりゃあんなにもカッコいいのだから、相手も惚れるだろう。

「死にたい」

食欲と現すのはおかしいかもしれないが、好んで食べていたゴミさえも口にすることが出来なくなった。リョウを助けるために食べ続けたゴミも魅力的には見えなくなった。このままだと、お兄ちゃんに一生会わないまま死んでしまう。悟ったアイナは、とりあえずゴミではなく、冷蔵庫を開けた。一週間ほど前に茹でた鶏肉がサランラップをかけられ置いてあった。食物が腐るという概念を知らない。傷んでいても元々の形だと認識する。サランラップを乱暴に剥ぎ、手に取って、口に放り込んだ。

「変な味…」

よく無理矢理、ドロドロの緑の物体とか食べさせられていたけど、この肉はきもちわるい味がして、噛むのに疲れてしまう。とはいえ久しぶりに腹が満たされた感覚になったアイナは、「固形物である食物を食べると腹を満たされる」ということを生まれて17年目で覚えた。

「お兄ちゃん会いたい...」

とにかくリョウに会いたいという気持ちしか湧いてこない。いっその事外に出て直感で歩いてみるか?赤子の頃から外に出たことが無いアイナにとって、玄関の外には得体の知れない妖怪達がうじゃうじゃしているとしか思えなかった。リビングを出て、玄関のドアスコープを覗いてみても、真四角に囲まれているマンションに住んでいるため意味がない。

「お外はどうやってみればいいんだろう...」

リビングに戻り、アイナは考える。自分の中に張られている一線を超えれば怖いもんなしなんだけど、基本的には極度の怖がり。ひとつのことを考え始めると、止まらなくなる。視界を失い、フラフラする。リビングをうろつき始めたアイナは、どれだけ柱や棚にぶつかっても考えることを辞めなかった。リョウがよく座っていた窓際に行くと、床に置いてあったテレビのリモコンに足を引っかけ体勢を崩してしまった。

「わぁっ!」

大きなカーテンの端に尻もちをついた。父親に捨てられ、何十年も変えてないカーテンだ。もっと前の、父親が住み始めた頃から変えてないだろう。既に老朽化していて、アイナの体重でもレールからスルスルと外れてしまった。重いカーテンに包まれたアイナは弱々しい力でもがき脱出した。

「いったぁ..。...わぁ...」

カーテンが外れたことにより、テラス戸が晒された。初めて見る夜の都会、外の世界。藍色の空が広がり、朧月が浮かぶ。真四角の建物たちに、てんてんとライトが灯り、どこをかしかも幻想的だった。アイナにとっては見知らぬ世界。でも、綺麗な世界。一歩踏み出すと行けるような気がしたので、立ち上がってゆっくりと一歩二歩と進んでみた。

「硬い。透明の板?」

進めなくなり、硬い感触。手をつけてみると、透明の板があることを認識した。

「綺麗...マリスの世界みたい...」

重くハードな曲も聞くが、マリスミゼルも愛聴するアイナは簡単に世界観を思い浮かべれることが出来た。

「お外って、こんな美しい世界なんだ。お兄ちゃんは、こんなに美しい世界に行ってしまったの?お兄ちゃんとこの世界はお似合い。お兄ちゃんとこの世界を、手繋いで歩きたい」

普段のメンヘラモードから、心の底に眠るメルヘンモードに一気に変わってしまった。こうなると止めることはできない。病み、なんて強制的に落ち着かせればいいけど、メルヘンワールド、すなわち、本当に妄想を映し出している世界に入ってしまうと、なかなか引き出すことはできない。リョウも定期的に苦労していた。

「お兄ちゃんのお姫様になりたい」

自らの真っ白な細すぎる指を見つめた。

「ぼくは、お兄ちゃんのお姫様として理想的」

確信したアイナは、幸せな気持ちでいっぱいになり眠りに落ちて行った。

(「お兄ちゃん」

「何、アイナ?」

「あのね」

「うん」

「死ねよ」)

「うっ...」

ひどい夢を見て目が覚めた。アイナがリョウを殺してしまうという夢だ。メルヘンモードから醒めてないアイナは、とてつもなく気分が悪くなった。昨晩見た外の世界を見ると、真っ白な光が差し、全ての空間を包んでいた。朝だ。カーテンに遮断された世界しか知らないアイナには時間という概念もないので、初めて朝を知った。

「今は、明るいんだ...!明るいんなら、お外もよく見えて歩ける!」

アイナなりに考えた結果。17の朝に、初めて外に出ることにした。ここまで来ると躊躇しない。お兄ちゃんという王子様に会いに、真っ白なレースのワンピースに着替えて、玄関から飛び出した。さすがに目の前の柵から飛び降りたら死ぬと分かったので、とにかく、地上へと行けるルートを見つけ出し、走った。アイナは異食症だが、拒食症の人間は低体重でも異常に活発という例も多い。アイナも当てはまった。走るなんて知らなかったけど、身体が本能的に動いてゆく。

「なんだこれ...!」

自宅の高い位置から階段を駆け下り、地上に足をつけたアイナは驚愕した。昨晩、そして、先ほど見た世界はまるで夢のような世界だったが、目の前に広がるのは無機質な感情のない建物やコンクリートの道路。

「これも硬い...昨日見たのは、みんなふわふわしてたのに」

歩道の人々はあまりにも細い白髪(シロカミ)の少年が歓喜の声を上げながら歩いているため、少し奇妙に感じ取れた。痩せこけていても、リョウの弟だ。綺麗だと感じ取った物好きもいるようで、アイナから視線を外さない女やわざとらしく近づいて行った親父もいた。妖怪、なんて変換してしまうかもしれないが、夢心地に落ちているアイナに妖怪達は見えてなかった。周りが見えない状態のアイナは曲がることなく、道なりに進んだ。

「えっ、お兄ちゃん!?」

花屋の数メートル横の飲食店で立ち止まった。アイナはリョウを感知した。そばに金髪の男が居た。親密そうに話している。まさに、リョウとカナウだった。

「何してるんだろう...あの男誰なの」

堂々と歩道の真ん中で立ち尽くしている。アイナに気付かず二人は店内へと消えて行った。

「カナウちゃん、おはよ、う...久しぶりだね。」

「おはようございます、レイさん」

「そちらの方...」

開店前の清掃をしていたレイの元に二人がやってきた。嫌な予感がした。追い払ったあの男だ。かなり強く睨み付けてくる。威圧感は物凄く、強気なレイも怯んでしまった。カナウの恋心を含んだ潤った目付きは、乾いて死んでいる目付きへと変わっていた。レイの疑問を無視し、カナウは話を続けた。

「レイさん、お話が」

「なに?」

「お店を辞めさせて頂きたいです。」

嫌な予感が的中して引き留めようとしたが、後ろの男が今すぐにでも殺しにかかってきそうで、何も言えなかった。

「う、うん。カナウちゃんにも色々な事情があるよね。分かったよ。新スタッフ募集しなきゃね〜あはは...」

「今までありがとうございました」

「うん!こちらこそ!」

深くお辞儀をして枯渇した視線を向け直す。レイはあからさまな焦り方をしているが、気にしない。リョウの言うことを聞かなければいけないのだから。

「へえ〜カナウのこと好きなんだ」

「はあ?何言ってるんですか」

カナウを外に出したリョウは、レイに攻撃を始めた。恐ろしい低音で話し始め、焦りではなく恐怖に包まれた。

「もしカナウに触れたらね」

「痛っ!」

唐突に距離を縮め、頬を平手打ちした。かなりの痛みが走り、レイは体勢を崩してしまった。見上げたリョウは完全に凶悪犯罪者の顔をしていた。

「私何も言ってないじゃない!」

「寂しそうな顔しちゃって。もう一生、カナウは此処に戻ってこないからね」

どうして恋心を見抜いたのかは分からないが、こういう人間に限って洞察力が異常に優れている。事実であってもなくても攻撃をしてくるから危険だ。レイは体勢を直した。

「そんな事ないですよ。カナウさんは優秀な仕事仲間でしたので、そりゃ寂しくなります…あはは〜」

「そうだよな〜カナウって、出来のいい人間だもんな」

やられたまんまでは調子を良くしてしまうと考え、震えながらも対応した。威勢良く持ち直したレイを見て演技だと分かったが、リョウは立ち去ることにした。

「じゃ、今までお疲れ様でした」

「カナウさんにそう伝えといてください」

なんの口が言ってんだよとキレたくなったが、大事になる前に去っていったリョウを見て少し安心した。でも、リョウに連れられ同じように去っていくカナウを窓越しに見て、涙が出てきた。

「いかないでよ」

小声で呟いても何も返ってこない。レイの嫌な予感は止まらなかった。もし、殺されてしまったら。自分が殺されても止めなかった、私の責任だ。と、立ち崩れた。


「あっ、出てきた…どこ行くんだろう」

居場所を変えず、迷惑そうに避けていく通行人も気にせず、2人が出てくるのを待っていた。数十分経つと出てきた二人は、裏ルートであろう細道に消えていく。堂々と足音を立てて追いかける。

「居た」

そうか、あまり近づき過ぎてはダメだ。まずは2人の住処を見つけようと、珍しく計画を練っていた。細道を出ると寂れた商店街が出てきて、こんなノスタルジックな場所もあるのかと驚いた。人っ子ひとりいない、所々錆びたシャッターが降りている。

「お兄ちゃん、綺麗だな…」

日光に照らされるリョウの後ろ姿に、アイナはときめいた。ぼくの王子様。いつかぼくと結婚する王子様。

結婚するには、隣の男を排除しなければならない。ルンルンメルヘン気分とサイコ気分が混ざった。

「あっ、ついていかなきゃ」

いつもとは大違いの楽観的な思想に蝕まれ、テクテクという効果音が似合いそうな歩き方で2人に着いて行く。

「あの女、邪魔だな」

「…」

「かなりカナウに好意を寄せていたようだね。気が付かなかった?」

「ただの仕事仲間だから」

わざとらしく「仕事仲間」と強調する事に、関係を察した。相当仲が良かった時期があったのだろう。リョウの頭の中にすっかりアイナは抹殺されていた。当然ストーカーするアイナに気が付くことなく、俯きながら歩くカナウと腕を組み、一方的に話しかけた。頷くだけの様子を見て微笑んだ。見下すように、ニヤつきながら、話しかけ続ける。腕を解き、カナウの背中に手を当てた。一直線に家路を歩いた。複雑な道もないので、馬鹿なアイナでも簡単に場所を覚えられてしまった。

「あの男、カナウって言うんだ。変な名前」

リョウが普段の声量で話すもんだから、名前まで伝わってしまった。カナウという名前の第一印象はあまりいいものではない。

「金髪だし、危ない奴じゃ」

お前の方がよっぽど危険な奴だと言ってやりたいくらいだが、本人は自らが危険な状態に居ることを好んでしまうので意味がない。2人はアパートに着くと、階段を上る。アイナは少し距離のある人気のない道路に棒立ちしていた。やっぱりリョウは惚れた男と暮らしているんだ。リョウはカナウを先に自宅に入れ、視線を感じたので道路側に振り向いた。

「お兄ちゃん!」

思わず目が合ったので大きな声を上げた。リョウは驚いた顔をして、急いで中へと入ってしまった。

「待って!!」

アイナは走って階段を上り、カナウの部屋の前に行った。右手でドアノブを握りこじ開けようとする。左手を扉に叩きつけた。

「お兄ちゃん!!何してるの!?ここで何してるの?男に惚れたの??ねえ!」

板一枚挟んだ向こうでカナウは怯えていた。

「なに…なんなの!?」

「いいお前は気にするな。リビングに行ってろ」

ボロアパートの扉だ、アイナがかなり強く叩くので外れそうな音がしてきた。リョウはリビングに行くように促し、強敵…いやバケモンと対決することにした。

「おい!やめろ!」

「うるさい、死ねよ!最愛のぼくを捨ててこんなことしやがって!死ね!殺すぞ!死ね!死ねよ!」

「畜生」

ガムシャラに扉を叩き続けるアイナは現実を直視したことで、偽の自我を失いメルヘンモードが解除されてしまったようだ。それもそれで危険だ。特に危険だ。ストックの少ない暴言をとにかく吐いている。リョウは決死の力で扉にぶつかった。

「テメー…なんでこんなとこにいんだよ」

「ぼくはアイナだよ!テメーなんて名前じゃない!」

「黙れ、ちげーよ。なんでここにいるんだよ。テメーは一生外に出なけりゃよかったんだよ」

「うわあああああああああああああ!」

自分は滅茶苦茶に言う癖に、他人から無造作に責められるとパニックを起こし奇声をあげてしまう。突き飛ばされたアイナは倒れながら叫び続けた。

「うるせえなクソが!殺すぞ!」

「なんで、なんでそんなこと、言うの!!ぼくは、お兄ちゃんを助けるために来たんだよ!!小さな頃言ったでしょ、ぼくがお兄ちゃんを助けるんだって!!」

「テメーに助けられるくらいなら、死んだほうがマシだ。それに俺には今愛する人がいるしな。テメーに殺されないように守らなきゃいけねーんだよな。」

リョウが今まで隠してきた本性を現すとアイナは奇声をやめて、過呼吸になりながら泣き始めた。カナウはリビングで耳を塞ぎながら蹲っていた。

「ぼくたちは兄弟でしょ!?!?一緒にいなきゃいけないの!!」

「悪いが、お前の気色悪い兄弟愛は受け入れられない」

アイナの恋は儚く砕けた。

民家から人がちらほら出てきて、ついにはサイレンを鳴らしたパトカーがやってきた。

「お兄ちゃんなんて死んでしまえ!死ね!死ね!死ね死ね死ね死ね死ね!!!!!!!」

「お前が、な」

パトカーから降り、階段を駆け上がってきた警官を見てリョウは声を鎮めた。それに反してアイナは警官にも気が付かず、叫び続けた。

「なにが起こっているんですか!?」

「友人が、その、暴れ始めちゃって」

「おい、そっち持て!」

「はい!」

警官は二人がかりでアイナを抱き上げた。足をジタバタし暴れ再度奇声をあげ始める。リョウはこんな奴が弟だと思われたくないので、友人と言った。それを聞いたアイナはヒートアップ。手がつけられない状態になってしまった。

「うわあああああああああああああああああああ!!!!お兄ちゃん!!!!!!!」

「おい!拘束しろ!」

のちに到着した救急車の中から救急隊員がやって来て、5人がかりでアイナを拘束した。拘束も無視してとにかく暴れ続けた。担架に乗せられたアイナは救急車の中へと吸い込まれていく。

「ご友人ですか?お兄さ」

「はい、友人です。少し頭のおかしい奴なので、俺を兄弟だと思い込んでいるみたいです、失礼します」

「ちょっ、」

警官の問いかけを強引に押し切り、自らも中に入り、ガタガタになってしまった扉を閉めた。

「あいつ…」

あのまま精神病院で生涯を終えてくれないか。色々探られて、入院費でも請求されたらたまったもんじゃないが、あいつが死んでくれるなら本望だ。変な方向へ曲がってしまった手首を優しく労わり、リビングへと行った。そこには、耳を塞ぎ蹲っていたカナウがいた。

「ごめんな、カナウ。怖かったな」

「あの頭のおかしい人なんなの…リョウには弟がいるの?」

「血は繋がってるけど...あんな奴家族じゃないよ。絶縁してるしな。多分あいつは精神病院に一生監禁されるだろうから大丈夫だよ!」

細い目には涙が溜まっていた。そりゃそうだ。あんな奴、目の前に現れただけで怖い。絶縁と言っても数日間会ってないだけだが、リョウにとっては立派な絶縁だ。カナウを宥めていると、遠くへと消えていく黄色いサイレンが聞こえた。

「ほら、もう大丈夫だろ?」

「うん」

子供のようにグズグズ泣いて落ち着いたのか、胸に飛び付いてきた。なんだこの子。相当可愛いぞ。ああ、なんだろう。タガが外れたリョウを見たのに、なんだかとても安心感に覆われた。多分いつかは僕もあんな風に怒鳴られるんだろう。そしていつか、あの男が。

カナウを放したリョウは、玄関へと向かった。

「ありゃ。これはもうダメだな」

「壊れちゃったの?」

「ほら、隙間ができてる。歪んでる」

「弁償になるのかな」

扉を壊した少しだけアイナを褒めた。ほんの少しだけだけど。あいつの馬鹿力は舐めてはいけない。ま、カナウといとも簡単に服従関係を作れたわけだし、このボロアパートを出るきっかけも出来たし、3-240号室へと連れ出すことにした。今の状態なら、尻尾を振って喜んでくれるだろう。この部屋は住み心地が悪すぎる。3-240号室ではアイナが帰ってこないことを祈るだけ。

「あのさ、俺んちに行かない?」

「え?」

「ほら、ここ扉も壊れちゃったし。住みにくい感じもするだろ」

ボロアパートだからね、なんて言えないのでやんわりと伝えた。

「うん、まあ、そうだね。行きたいな」

ぱあっと顔を明るくした。深い笑い皺が愛おしい。また抱き着いてきた。いい匂いだ。リョウも、偽の匂いではなく肉体の匂いが好きなのだ。なんとなく気持ちが穏やかになってきたカナウは、リョウの透き通った瞳を見ながら、あざとさをアピールした。

「リョウのお家、楽しみ。とっても楽しみ。あのヤバイ人、いないよね?」

「アイナか?いないよ。病室で首吊って死ぬんじゃない?」

笑ったら呪われそうだと思ったが、思わず吹き出してしまった。ああいうアタマのオカシイ人が、可哀想な結末を迎えるのって、面白いんだよね。自らが置かれている状況から現実逃避するようにアイナのことを腹から笑った。

「カナウ。荷物まとめようぜ。俺はもうキャリーケース閉めるだけだから」

「じゃあ僕、詰め込んでくるね」

リョウは転がっていた札束をシートの隙間にねじ込み、乱暴に折りたたみ、チャックをしめた。

「この家はどうすればいいの?なんか手続きとか...」

「俺が済ませとくから気にすんな」

数日前と比べると人が変わったかのように頼もしい。いや、変わってるんだけど。まるで自分が息子で、リョウが父親みたいだ。そのくらい頼もしかった。監禁されているんだよな...リョウのことがよく分からなかった。カナウは愛用品や洋服を自らの赤い小さなキャリーケースに詰め込んだ。ミニマリストに近い生活をしていたので、容量には困らなかった。

「リョウってさ、何歳なの?」

「俺か?19だよ」

「そうな、えっ!?19!?」

「そうだけど」

当たり前ですがのような顔をしてこちらを見てきたが、まさか自分の9つも下だとは驚きのあまり顔を戻せなくなった。あまりにも大人びている。自分の未熟さに死にたくなってきた。ため息をつきながら、出勤用のカバンの中を探った。

「あっ、これ」

「凄い形のハサミだね」

「花屋で使ってたやつ…」

レイとの会話を思い出した。赤い花ハサミ握っていると頭の中はレイの声が響いた。赤が好きなことを伝えたんだっけ。

「貸してよ」

「ちょっと!」

「なんだよ」

「いや…」

レイを考えたって言ったらこの花ハサミで殺されるだろうか。まず、花屋ってワードで癇に障ってしまいそうなのに。

「かわいい。かなうって書いてある」

「業務用だからね、書かなきゃいけなくて」

花ハサミ特有の太いアームの部分に、黒マジックで平仮名で「かなう」と書いてあって、その上から消えないようにとセロハンテープが貼られていた。

「これ、欲しい。俺、欲しいんだけど」

「ど、どうぞ」

「やった。カナウちゃんの所持品ゲット」

なぜ要求してきたのか分からないが、もう使わないんだし、リョウへ渡すことにした。脳内ではこれを使って刺される場面が浮かんだ。考え過ぎだ。いや、この人は分からない。でも、好きなんだよな。ぐちゃぐちゃの思いについていけなくなりそうだ。頭を振って一旦落ち着かせた。寝室の窓際まで行って、リョウからの贈り物である6本の薔薇も優しく入れた。ガマズミは枯れてしまったが、残しておいた。それも入れた。

「コルチカムは俺が持ってくからな」

「うん...」

抜かれたビオラは捨てろと命令されたので捨てた。命を殺したも同然。言い返したって無意味なのは分かってるから、何も言わなかった。もし反抗したら、多分リョウは「正義ヅラしてんじゃねえよ」とキレてくるだろう。布団はいらない、と言われたので置いていくことにした。キャリーケースを閉める。

「なにこれ?チョウセンアサガオの種?」

「あー。うん。」

「これだけなんで小袋で?」

「えっと…」

チョウセンアサガオの種は食べてしまうと。薬物中毒者でも手を出さないらしい。リョウは知っていた。アイナがこれを食べて発狂していたような。買え買えと言われたので、大人しく買っていたのだが。花屋に勤めていたカナウがこれを知らないはずがない。察したリョウは無言でポケットにしまった。カナウは俯いていた。怖くて手が出せなかったけれど、カナウの目的もアイナと同じだった。

「俺んち行こうな」

スルーされた。ゴミや食器も放置だけどいいのだろうか、常識に敏感なカナウは気になって仕方なかったが、リョウがなんとか処理してくれると思い込んで落ち着かせた。リョウが外に出るようにと促してきたので、従った。

「少し歩くけど、頑張ろうな」

「うん」

さようなら、我が家。本格的に監禁されてしまうのか。これからもう外に出ることはできないのか?ただの脅しかと思いたいが、あの目と声は本気だ。怯えながら、落ち着かせながら数十分歩くと、リョウが指をさした。そこはマンションだった。

「ここ。でけえだろ。」

「ほんとだ...」

予想以上の大きくて不思議な形のマンションだ。もう少し歩く。立ち止まった目の前には大きなガラス扉があり、リョウが変なことをして開けた。カナウにとっては未知の世界だ。エレベーターに乗り、だいぶ上がった。なぜか階数が表示されない。リョウの後についていく。柵の下は中庭が広がっていた。非常に高く飛び降りたら一大事だ。

「ん、ここね」

「3-240号室、?」

「そうだよ」

見る限り3階でもないのに、どうして「3-240」と位置づけられたのかは疑問だ。しかもここだけ、数字がおかしい。

「げっ、開いてんじゃん」

「えっ!」

リョウがドアノブを握ると、いとも簡単に開いてしまった。リョウはアイナが飛び出して行ったのだと察した。カナウは泥棒がいるんじゃ…と不安がった。待ってろ、と肩を叩き、室内を確認しに行った。カーテンレールが外れていて、埃くさかった。まーた暴れたのか?とりあえず、空き巣に入られた様子もなければ、人が居座っている様子もないので、カナウを招き入れた。

「お邪魔します。…すごい、広い」

「汚くてごめんな」

無言で首を振ったカナウの肩を押して座らせた。玄関まで行き、鍵をしめると、チェーンロックもしめた。本当は内側からも開かなくしたいけど、流石にやめた。でも、カナウを置いとくには、寝室を使えばいいか。カナウは座ったまま辺りを見回した。リョウ一人が住んでいたのだろうか。なぜ、カーテンレールが外れてるのか。新しい環境に慣れるのが苦手なカナウは落ち着きをなくしてきた。

「カナウ、大丈夫か?」

「う、うん。」

「ちょっと待ってろ。カナウの部屋を掃除してくる」

ソワソワしている様子だったので頭を優しく撫でた。コルチカムの植木鉢をもって、寝室の襖を開けた。キングサイズのベッドに敷かれていたシーツは乱れていた。所々シミがついている。大嫌いな弟と抱き合っていた部屋に、本当に大好きな子を監禁するのか。アイナのことを思い出すのは胸糞悪いが、もう「新しい」生活が始まるんだから。思い出すことはやめにしよう。フラッシュバックに悩んだらカナウの唇でも奪おう。コルチカムの植木鉢を窓の下のスペースに置いた。シーツを洗う暇はないし、匂い…もないので、シーツを整え、床に落ちていた布団を敷いた。

「アイナ…」

布団を上にあげたとき、ゴトンと音がした。アイナの携帯だった。これで爆音の音楽を聴いていたのか。柵からは手錠が伸びている。何処で手に入れたのかは知らないが、拘束力は凄まじい。押入れの扉を横に動かし、積まれている黒いカラーボックスの一番下を開けると、ロープや鎖標、ただの鎖、SM用品まで…色々あった。もしかしたら、行方が分からない父親が置いて行ったのかもしれない。父親のことを思い出すのも、

「うっ…」

強烈な吐き気を催すほど胸糞悪い。それでもリョウは自らが受けてきた仕打ちを、カナウに実行しようとしている。それで、カナウも自らも幸せになると思っていた。さあ、カナウを呼ぼう。

襖を開けると、カナウは下を向いていた。顔を上げた。リョウの妖しげな目つきを見て、少しだけ鳥肌が立った。次は肩を持たれ立たされて、手錠が伸びているベッドに座らされた。さっきまで優しかったリョウは一変していた。目が逝っている。でも、笑えている。

「両手を後ろにしてね。」

言われた通りに両手を腰の辺りで組んだ。カチャン!と音がすると、動けなくなっていた。拘束された。

「ルールは覚えているよね?復唱させなくても、いいよね?動けないとは思うけど」

「うん」

震えが止まらなくなってきた。やっぱり怖い。アイナのことを笑ったのに、悲しい結末を想像した。殺されるのか。死にたくない。素晴らしき人生でもないんだけど、死にたくない。死ぬのは、怖い。リョウへの恐怖より死への恐怖が上回る。

「死ぬことを考えるのは早いよ。まずは、色々楽しまないと」

脳内を読まれているような気がした。身の毛がよだってもリョウは綺麗だった。とても綺麗だった。目の中に入るリョウは綺麗だった。ドラスティックな人格変更も、カッコよかった。リョウからの熱いキスを受ける。もう苦しみを知らせることはできない。両手は使えないから。酸欠になりながら、赴くままに愛情を受け取った。カナウの首が震えるくらいキスをすると、少しだけ離れた。ベッドから降りて、姿勢を良くした。

「それでは、始まり始まり」

拍手と共に、花より綺麗なストーカーとの監禁生活が始まった。


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