3.コルチカムの襲撃
「おはよう。リョウ」
「おは、よ。」
今日、ラッキーなことに仕事は休みだった。昼頃に起きたリョウに、白米と味噌汁と目玉焼きを出した。顔は少しダルそうだ。食欲なさそうかな?と見えたが、カナウの出した食事には食らいつき、おいひいおいひいと言いながら、完食した。
「い、い。匂い!」
「ふふ、お花の匂いがする消臭剤をかけておいたんだ」
リョウは壁の突起にかけてあった自らの黒のロングパーカーに顔を埋めた。ラベンダーの香りがした。カナウに喜びを伝えると、優しい笑顔を向けてきた。その笑顔はまるで女の子のようで。カナウはどこかに出かける様子のリョウに声をかけた。
「リョウ、どこ行くの?」
「いった、ん。おうち、かえる。いろい、ろなもの取って!くる。」
「そっか!分かったよ!」
黒のロングパーカーをせっせと着たリョウは、玄関を開けて出かけて行った。ついていくように手を振り見送る。その後、小走りですぐさま布団に行き飛び込んでみた。リョウの匂いに包まれる。
「好き。好き好き好き。」
愛の言葉を呟く。少し汗臭いのが堪らなく好きなのだ。柔軟剤、フレグランスの匂いがない肉体そのものの匂いがドストライク。
「...僕ってゲイなのかな」
リョウ以外の男は無理だ。ゲイではない。リョウだからこそ直球な感情を抱いてしまう。自らの恋愛人生において重鎮であると、カナウは感じていた。
「早く帰ってきて」
こんなに有り得ないストーリーの始まり方でも、好きなもんは好きなのだ。顔は大事だ。顔が良ければ中身なんて見る必要がないし、本性がなんであれ受け入れれてしまう。例え、非人道的なことをされても。現実を見てない時期は、幸せなものだ。
「ただいま」
リョウは家路を辿り、マンションの階段を上り、自宅前に着いた。「3-240号室」鍵を開けた。リョウには弟がいる。かなり難ありで、非常に面倒くさい。お兄ちゃんが帰ってきたら、弟はおかえりなさいとでも言うのが普通だ。が、そうはいかない。返事かわりにビニール袋が暴れる音と、呻き声が聞こえた。ああ、また今日もだ。靴を脱ぎ捨て、リビングの扉を開けた。
「おい!やめろ!」
「ヴっぅ、ヴぅん...!」
大きなゴミ袋を開け、その中のゴミを食べている白髪(シロカミ)の少年がいた。今日は、発泡スチロールを咥えていた。背から肩に手を入れ、引き剥がす。
「アイナ!やめろって!」
「...お兄ちゃんが遅いから」
泣きそうな顔をし中性的な声でリョウに言ったのは、リョウの弟、アイナ、だ。リョウはアイナと2人暮らし。母親は知らない。父親に虐待されたあと、この部屋に置き去りにされた2人。たったの2人でどうにかして生き抜かなくてはならないので、兄弟以上の絆があった。それは、アイナが小学校低学年までだが。
「冷蔵庫の中に、茹でた肉あるって言ったろ!なんでそれを食べないんだ!」
「だって、ご飯食べたくないもん!」
「ゴミなんて食べなくたって、俺は大丈夫だから!お願いだから、飯を食えって!」
「嫌だ!お兄ちゃん助けるもん!」
アイナは幼い頃から異食症を患っていた。異食症には、消しゴムのカス、木、壁を食べてしまうなどの症例があるが、アイナはゴミを食べてしまう。そのため、常に体調を崩し、身長が160センチに対し29キロしかないのだ。本来ならとっくに死んでいてもおかしくないが、リョウが無理矢理ミキサー食を食べさせているので、生きてはいる。しかし、見た目はかなり醜く、外に出ればヒソヒソと笑われ、指をさされる対象になるだろう。リョウの弟であるから、本当はとても綺麗な顔をしているのだけど。それに...
「お兄ちゃん!どこ行ってたの!?なんでお花の匂いがするの?なんで、アイナたちのお部屋の匂いがしないの!?誰かのもとに行ってたの?ねえ!」
「夜、ネカフェで寝てたらさ、隣の女がすんげー匂いして、移ったんだよ。」
大雑把な嘘だが、アイナは表面は簡単に信じ込むのだ。裏面では、嘘つき殺すぞと思っている。アイナは兄であるリョウに恋愛感情を抱いている。愛情はかなり強い。精神疾患を患っているため、さらに厄介だ。俗に言うメンヘラ、 そして、ヤンデレを持ち合わせてしまっている。
「分かったよ...お兄ちゃんのこと信じるね?」
抱き着いて見上げるアイナの顔、相当痩せ細っている。骸骨かよ。アイナの介護に疲れ切っているリョウはそう思った。早く、本物の骨になってくれと。
「お兄ちゃん、好きな人出来たんでしょ。赤ちゃんみたいな喋り方して、おうちがつらいとか言って、どうせ、泊まったんじゃないの?」
「...」
コミニュケーション能力も低いアイナは、子供のような口調で話す。しかし、透視能力があるのではないかと疑いたくなるほど、リョウの言動を見抜くのだ。透視能力というか、過度な妄想癖で出した結論を無茶苦茶に喋っているだけだが。
アイナには、熱中できる趣味もなければ、テレビも見ない、スマートフォンは持っているが、この部屋にはネット回線もなければ、電話も機能しない中古品を持っている。じゃあ、日頃。何をしているのか。こんな奴が外に出れるわけがない。疑いを完全に晴らさぬまま寝室に篭もり始めたアイナは、大音量のヴィジュアル系を流し始めた。近頃は、メンヘラ系やキラキラ系と言われるものが多いが、生まれてもない頃のグロテスクな曲をかける。音楽鑑賞も程々にしてほしい。
「はぁ...」
そんなアイナから言われた、赤ちゃんみたいな喋り方して。 。カナウの前にいるリョウは偽りの偽りの姿だ。あの喋り方は、たまに一人でしてしまう。障害なのかストレスなのか知らないがリョウもリョウで赤ちゃん返りをしてしまう。アイナが寝室に籠っている時とき、リビングでひとりテレビを見ながら、お猿のおもちゃのように手を叩いたり、高い声を出してしまう。本人に自覚はある。でも、やめられない。楽しくて楽しくて仕方ない。だいぶ前に行った精神科の医師からはなんだか難しい病名を言われたような。
「思い切ってやってみたけど、許してくれるのか。」
子供の演技を故意にして気を引かせようとしたリョウを受け入れたカナウ。誰にも真似できない優しさだと思う。普通ならドン引きされるだろう。
「大好き」
襖の向こうから大きすぎるシャウトが聞こえてきた。うるさい。耳障りだ。一瞬で終わったが、ガタン!と襖が開いた。
「お兄ちゃん。時間だよ」
怪しい笑みを浮かべるアイナに手を引かれる。ベッドに投げ込まれた。服を脱がされ、全裸にされてしまった。両手をベットの柵から伸びる手錠で頭の上で拘束される。
「これ、ほかの男の匂いがするから、捨てるね。」
アイナは立ち上がる。リビングにあるゴミだらけのシンク。そこにカナウがつけた匂いがする黒のロングパーカーを投げ捨てた。そして自らもボロボロのワンピースを脱ぎ捨てた。あまりにも醜すぎる身体は見るに堪えない。
「覚悟してね」
そこからの記憶はない。
「いってえ...」
目覚めると隣には白骨化した人間にしか見えないアイナが眠っていた。死体ではなく、白骨化しているようにしか見えない。吐き気を催しながらも、これは弟なんだと、つい数時間前まで愛し合っていた弟なんだ、と思い込み、ギシギシの白髪(シロカミ)を撫でてみた。眠っている間に手錠は外してくれたのだろうけど、あまりにもキツく拘束されていたために、手首はアイナのようになっていた。ジンジンと痛むのを振り払うように、手首を少しストレッチして、ベッドから脱出。
「服がねえ...」
そうか、カナウに会いに行くための正装は投げ捨てられてしまったのか。起きない程度に舌打ちした。軽くシャワーを浴び、ただのTシャツとジーンズを着た。物音一切立てまいと、かなり慎重にキャリーケースの中へ、日用品や、大切なものそして、棚に積み上げられていた札束を雑に詰め込んだ。
「これでもうお前なんかとは会わない」
襖の向こうで眠っているアイナに告げ、カナウの元へ向かう。準備は整った。重いキャリーケースをわざとらしく引きずり、玄関を強く閉めた。
「...っ」
アイナは起きていた。睡眠薬を飲まないと眠りが浅いため、極小の物音でも起きてしまうのだ。左脳が痺れ、痙攣が止まらない。目の前はボヤけているのに、意識は朦朧としない。リョウへの熱烈な愛情故の殺意が湧いてきた。
「お兄ちゃん、誰に惚れたの...」
アイナはリョウの仕事を知っていた。男に呼ばれると、身体を使って対応するというものだ。リョウは隠していたのだが、アイナは分かっていた。毎晩秘めているところを見続けていたから。とはいえ、そのお金で自分たちは生活出来ていたわけで。障害を持っているのにも関わらず、正しく処置されなかったリョウとアイナに働くなど無謀すぎた。大好きなお兄ちゃんが、ほかの男と毎晩踊っているなんて許せなかったけど黙認していた。お兄ちゃんは常に最善を尽くしていてくれた。それは分かっている。
「絶対に許さない...」
アイナは強い怒りに包まれた。冷や汗が止まらない。自分を傷付けるのではなく、他人を傷付けたいと初めて思った。生まれてから外に出たことはない。だから、人というものを知らず、お兄ちゃんであるリョウという物体しか知らない。誰かを攻撃したい衝動は常に起こっていた。大好きなお兄ちゃんを傷つけるわけにはいかない。自分を傷つけ続けた。
「許さない...許さない許さない許さない許さない許さない」
初めて、リョウを人だと認識した。人とはこんなものか。アイナはリョウからの愛の言葉を何一つ忘れていなかった。父親に捨てられた幼少期から今に至るまでの全ての言葉を。幼少期の本心から成長してからの偽りの愛の言葉まで。
「ぼくに感謝しろ」
リョウを必ず、取り戻すのではなく、人間から物体に戻す。そう心に決めたアイナは、目を瞑り脳みそを動かし始めた。
リョウは服屋に寄り、捨てられたものと似ている黒のロングパーカーを購入した。服屋を出ると公園の便所で着替えた。
「カナウはなんて言うかな...ひひっ」
カナウのことを考えるだけで、気分が高まって変な声が出てしまう。数十分歩くとカナウが住むアパートについた。扉の前で立ち、インターホンを押す。
「はーい...リョウ!遅かったね...心配したよ」
「あっ、あ、えっ、うん」
「荷物持つよ」
「あり、がとう!」
リョウの人格は故意的に変えられた。はしゃいだようにお礼を言われてカナウは思わず照れてしまう。人の荷物を運ぶなんて些細なことだが、「心遣い」というものを知らないリョウにとって、優しさに包まれ幸福を感じていた。軽々と重いキャリーケースを持ち上げリビングへと向かっていったカナウに驚きつつ、リョウも靴を脱ぎ歩いていく。
「ふふ、お茶入れるね?」
「うん!」
何回見てもリョウの眩しすぎる笑顔は慣れない。「花より綺麗」自分でそう考えたのだが、なかなかの名言だと思った。マグカップにお茶を注ぎ、テーブルに置く。リョウはふうふうと息を吹きかけ冷ましながら飲み始める。
「キャリーケース、開けていいかな?片付けてあげるね!」
「ありが、と!」
キャリーケースのチャックを動かし切り、左右に開く。すると、何かがゴトンと床に落ちた。
「ん?なんだ、…札束!?」
「ゴホッ!!!」
やばい、札束を詰め込んだことすっかりと忘れていた。リョウにとってお金などその程度なのだ。しかし、正直に言えば大好きなカナウに確実に引かれてしまう。通帳すら持っていない。なんと説明すればいいのか。飲んでいたお茶は変なところに入っていき、大きな声で咳き込んでしまった。
「リョウ…これ、なに…」
カナウにとってこんな大金は触ったことないし見たこともない。リョウの仕事や年齢は気になっていたけど、なぜ。引いてしまうというより、驚きすぎて言葉が出なかった。
「あ、あの。その、俺通帳持ってないんだよな…んで、働いてさ、直接貰ったのをカナウと暮らすために貯めたっていうかさ、あーえっと、とにかく現金派なんだよ」
「あ…普通に喋れるんだね」
「あっ…」
アクシデントにより人格は解けてしまう。ペラペラと喋れたリョウを見てカナウは少し怖くなった。今までの言動はなんだったのか…リョウを見ると怯えた目付き、幼い目付きなんて何処かに消え去っていた。嫌われたくない。リョウは立ち上がり、カナウの肩を抱いた。
「ごめんね。カナウの気を引きたくてあんな演技をしてた。いっつもこの風貌で人に怖がられるから幼い風に見せれば、カナウも受け入れやすいかなって」
「演技なの…?」
あまりにも出来上がりすぎていた。カナウに戦慄が走る。僕の気を引くために、幼い子供のようなことを?言動から、瞳まで全てが子供のようだった。じゃあ、本当のリョウ姿は?
「これから、一緒に暮らそうよ。本当の俺と」
「えっ…」
背中に這ってきた大きな手は突然爪を立て、上から下へと引っ掻いていく。リョウの顔を見ると、幼く可愛らしさを含んでいた瞳は、完全に乾き死んでいた。リョウには自らに3つの人格がある。「子供」「お兄ちゃん」、「犯罪者」。自称サイコパスほど痛々しいものはないが、リョウの頭の中には犯罪者的思想が張り巡られていることを自覚していた。それなら、大嫌いなアイナのこと殺せばよかったではないかと思われるだろうが、リョウは分かっていた。アイナは自分よりサイコパス、ヤバい奴だと。逆らえば、殺される程度では済まない。手を出すことはなく、常に従ってきた。大嫌いな奴を殺して本物の犯罪者なるより、大好きな子を…。
「本当の、リョウ?」
悪寒が走る。背中を刺激されたせい?いや、直感だ。そんなカナウをよそに、リョウは妖しく笑顔を浮かべキスをしてきた。
「痛っ、苦し…い」
柔らかいキスから突然唇全体を噛み付かれた。ベロベロと弄ばれ、深く深くキスをされる。酸欠になりそうだ。リョウの背中を叩く。数秒経つとようやく離れた。口周りはリョウの唾液でドロドロだ。正直、気持ち悪いと思ったし、嬉しいとも思った。リョウを自らの嗜好が満たされる観賞用としかみていなかったことに気が付いた。
「リョウ…」
「とても可愛いよ」
立場は逆転した。先程までの明るいカナウとは違いすっかりと怯えた様子へと変わった。たった一晩での変貌ぶりに、恐怖に突き落とされていた。長期間ダラダラと恋愛関係を続けるくらいなら、短期間で服従関係になった方が。一応数週間は子供でいようとは思ったけど、アクシデントによりリョウの心は変わった。その一方でカナウはリョウを世話していく未来を浮かべていた。いわゆるヒモ状態を作ろうと。収入もそんなに多くないのに、うまくいくと思い込んでいた。そんなあまっちょろいことは、リョウの頭の中には全くなかった。
「とりあえず。キャリーケースはいいや。500万持ってるからだいぶ持つでしょ。カナウひとつ、お願いがある。」
「な、何?」
カナウを抱き締めたリョウはとあるお願いをした。
「あの花屋を辞めて。」
「えっ、それは無理だよ…」
「なんでかな?」
無言の圧力をかけてくる。
「分かった。分かった!辞めるよ、辞める。」
「そうしてね。」
もし僕が辞めたらあの店は回らなくなる。レイさんには申し訳ないけどリョウの言う事に従おう…。と決めた。あの日、感動した綺麗な顔は保たれたまま、狂気の本性を見せてくるのだろうか。なんとなく、監禁生活...が始まることを、悟っていた。
「とりあえず、あの花屋を辞めたら、絶対に外には出てはいけない。この部屋と隣の寝室。カナウはずっと部屋で生活すること。」
「そんな!」
やっぱり。アニメに出てくる教師のように、一定の空間を往復しながら人差し指を立てて、ルールというものを提示してきた。外に出たりリョウに反抗した場合どうなるのだろう。返事の後に見つめ直し、もう一度頷く。リョウ的には3−240号室へ連れ込みたいくらいと考えていたが、とりあえず服従関係を完成させておかなければ、脱走されるかもしれない。
「よし、いい子だ」
自然と正座をしていたカナウの頭を愛情を込めて撫でる。まるで犬だ。ぴょんぴょんと尻尾が踊っているのが見えてくる。
「そう言えば」
リョウはキャリーケースの中身を乱雑に広げ、カラフルな小袋を出した。窓際へと駆け寄った。
「ごめん、これ抜くね」
「あっ!やめっ、て」
「あれれ、反抗しちゃうの?」
「ちがう」
カナウが室内で育てていた大事なビオラだ。リョウは無慈悲にも引っこ抜き床に捨て出てしまった。つい立ち上がって阻止しようとしたが、反抗したら。
「代わりに、コルチカムを植える。」
「コルチカム…」
もちろん花言葉は知っていた。
不透明な艶笑を浮かべたリョウには、危険な美しさが醸し出されていた。
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