2.平凡な薔薇の正体は黒影

「カナウちゃんどうしたの。暗い顔して」

「ちょっと、疲れてて」

今日は客が少ない。瞼が下がりそうになりながら、花達のお手入れをしていた。レイは重いオーラと目の下の濃いクマを心配してカナウに声をかけた。

「変わろうか?」

「大丈夫です。眠いだけなので。」

何だか、最近寝付きが悪い。いつも身体に悪そうな睡眠の仕方をしているのが溜まりに溜まってきたのか、夢の内容もシリアスで、時にはグロテスクな夢まで見てしまう。決まって出てくるのが、黒いモヤモヤとした細長い塊。頂点から少し下には白いシミがあって、不気味だ。それに帰宅途中、毎日呼吸と足音を感じ、大きな黒い影を見るようになった。少し前に見たスレンダーマンかと勘違いしたものとまったく一緒。そして、夢の中の黒い影とまったく一緒。耳を澄ますと呼吸と足音がやけに人間くさかった。幽霊ではないと、直感が話す。繊細なカナウにとってこれらはかなり負担だ。

「眠れないの?」

「変な夢ばかり見るんです。それに、毎日黒い影に追われてて」

「ちょっと、何それ。かなりストレスがあるんじゃない!?ほら、幻覚とか言うじゃない!」

「呼吸や足音も聞こえるんです」

「重度じゃない!早退していいから病院行きなよ!クリニック?とか探してあげるからさ!」

大きな目をぱっちりと開け顔を覗き込んできた。人の言葉に流されやすいので、自らを心配してしまった。そんなことを言われてしまうと怖いじゃないか。それ以上に、レイの目を見ると自分のことを本気で心配していると分かってしまった。しまった。

「レイさん、大丈夫ですよ!ここに来れば、花達に癒されてそんなことも忘れてしまいます。心配しないでください」

「あっ...カナウちゃんが笑った。あは、かわいい。笑顔を浮かべれるなら大丈夫かな。ごめん、心配し過ぎも迷惑よね」

「いえ、そんなこと。嬉しかったです」

接客で鍛えられた表情筋が役に立った。いや、正直言えば嬉しい。親も友達も居ないから心配してくれる人なんていないし。少し安心した勢いで、一通りお手入れを終わらせた。外を清掃しようとほうきとちりとりを持ち、扉を開けようとドアノブのあたりに視線をやった。

「え?薔薇?」

ビニールが一本の茎や花弁を包んでいるギフト用の赤い薔薇が白いタイルの地面に置かれていた。薔薇を傷付けないように、少しだけ扉を開けて、体を捻り外に出た。

「なんだこれ。お客様が落として行ったのか?」

一切汚れもなく状態がいい。かなり最近に購入したものか。この店でも扱ってはいるけれど、今日はこれを購入した客はいないはずだ。落とした割には綺麗に置かれている。さっさと清掃を済ませ、薔薇をレイに見せた。

「レイさん、入口の前にこんなのが落ちていました。」

「え、薔薇?明らかにギフト用だね」

「まず今日は、お客様は少ないし、ご来店した方もこれを購入していかれた方はいません。通行人が落として行ったのか...」

「それしか考えられないね。うーん。捨てるのは勿体ないし、売るのもおかしい。事務所に保管しておこうか」

「はい」

デスクの上に優しく置いた。もしかして、美人なレイに誰か置いていったのではないのか。変な妄想が止まらない。カナウはおばさまたちにいちゃつかれるが、レイはおじさまたちにかなりの人気だ。レイに接客されているおじさまは完全ににやけている。さすがに目に見えたセクハラはないけど、こういうことは普通に有り得そうだ。

「レイさんに、誰か置いてかれたのでは?」

「ちょっと〜、カナウちゃんなーに言ってんの?なわけないでしょー。意外と面白い子だね」

思わず言ってしまった。少しレイに対して気が緩んだせいか...。何言ってんだこいつを柔らかくした表情でレイはカナウをつついた。

「ま、誰も取りに来なかったら持ち帰ってもいいよ。カナウちゃんも、誰かに渡したら?あはは」

「いやいや、レイさんこそ」

ふたりの笑い声が狭い事務所に響いた。あれ、なんか楽しい。久しぶりにハイな気分になってしまった。頭の中からは黒い影のことなんて消え去っていた。自然と表情筋が緩んで、頬が暖かくなった。

「あ、カナウちゃん、お客様。お願いしていい?」

「はい!」

レイは気持ちが落ち着いた様子のカナウを見て安心した。

「かわいい...」

思わずこぼれてしまった心の声が聞こえてないことを祈るばかりだ。


「え、また!?」

「そうなんです。入口を清掃しようとしたら、また。」

「もう6本目よ。まさか、ストーカー?」

あの日を境に二人の関係はかなり縮まった。どんだけ時間かかってんだとお互い思っていることだが、楽しければそれでいい。しかし、気にかかることも増えた。毎日毎日、入口にあの赤い薔薇が置かれ続けているのだ。既に2日目から違和感があった。

「ストーカー...レイさん、大丈夫ですか?」

「いやいや、私なんて何も無いから。それより、カナウちゃんが言っていた、呼吸、足音、影って、まさか人間のストーカーじゃないの?」

「え、僕にストーカーなんてつくわけないじゃないですか!前言っていたようにストレスによる何かですよ」

「そうだけど...。でも、ありえないことないでしょう?愛を伝える赤い薔薇。絶対に誰かからのメッセージよ」

レイの薔薇を握る手つき、薔薇を見る横顔。そこにしか目がいかなかったが、レイはまたカナウを心配し始めたようだ。

「カナウちゃんにストーカー...私が絶対に始末するからね!」

「えぇ?何言ってるんですか...」

面白い子だねと笑われたことがあるが、貴方の方が面白い子だと言いたい。そんなことは言えるはずないので、ゴクリと飲み込んだ。すると、ウインドウから視線を感じた。

「何あの人?カナウちゃんのこと、ずっと見てるけど」

「あの人、一度だけ見たことがある気が」

「え?ちょっとあの人、この薔薇握って...カナウちゃん!」

一度目にした時と変わらぬ綺麗な顔に吸い込まれるようにウインドウに駆け寄った。既視感ではない、だいぶ前に一目惚れしたあの人だ。同じ黒ずくめの格好。レイとの親密な関わりにすっかりと忘れていたが、一度だけよからぬ妄想をしてしまったあの人。しかも、あの、赤い薔薇を握っていた。彼か彼女かは断定できないほど中性的で綺麗。目線を変えることなく大きな目をギロりと剥き、ただ何処かを見つめ続ける。思わず扉を開けて外に出てしまった。ぐあんぐあんと暴れる扉を抑えて、僕も見つめてみた。フードの端から見える横顔が、とても綺麗。

「あっ、あの!」

鼓動が激しい。冷や汗をかきながら、声をかけた。ウインドウを割るくらいの熱視線は僕の方に向けられ、背の高さに上目遣いになるのが恥ずかしいが、彼?彼女?はゆっくりと口を開いた。

「だい、すき」

「えっ...」

あまりにも綺麗すぎる顔にカナウは動揺する。かなり背が高いであろう。子供のように見下される。大きな目、高い鼻、薄ピンクの唇、透き通る肌。小さ過ぎず大き過ぎない骨格。サラりと下がる黒髪。突然、矢がカナウの心臓に飛んできた。カナウは避けることも出来ず、刺さった。

「だい、すき。」

「誰、が?」

風貌からは予想できないあまりにも拙い言葉に少し気味が悪いと感じるが、右手に持っていた赤い薔薇を渡してきた。

「あげ、る。」

「くれるんですか?」

「うん」

「あい、なの。」

あいなの?言葉がか弱すぎて漢字まで伝わってくることがなかった。でも、声の低さから男性であることはわかった。沈黙の時間ができたが、裂くように扉がいきなり開いて、レイが出てきた。

「貴方?毎日毎日赤い薔薇を置いていくの。この子に何の用?ストーカー?ねえ」

「ちょっと、レイさん!」

怒鳴るレイを阻止するも、彼は怯えた顔をして逃げ去ってしまった。僕の右手に握られた赤い薔薇。綺麗なはずだ。それを上回る彼の麗しさ。僕は完全に。

「あいつきっとストーカーよ!こんな不吉なもの捨てるよ!」

「やめろ!」

握られた薔薇を奪い取ろうとしたレイに、次にカナウが怒鳴り付けてしまった。驚きの顔を見せるレイに罪悪感を覚えるも、カナウは彼を逃してはいけないと確信した。

「ご、ごめん…」

「…すみません」

気まずい空間になってしまったが、カナウはさっさと店内に戻り、事務所にあるカバンの中に貰った薔薇を大切にしまった。今までの薔薇も、全部。乱れる呼吸を整え、脳内を整理する。まず、彼は何と言ったのか。確実に聞こえたのが、「だいすき」という言葉だ。レイを見ているのかと思った視線は、カナウに向けられていたのだ。すると、「あい、なの。」という言葉は、「愛なの。」と変換することができる。

「あの人が、僕なんかのこと、好き…?」

熱烈な愛情なんかも上回るのが、彼の美貌だ。あまりにも、綺麗だった。店内に急いで戻り横目で花達を見だときも、彼は花より綺麗だと思った。耽美主義のカナウはそこに惚れてしまった。

「お、男…」

同性愛の経験なんて一度もないし、まず恋愛経験すらないカナウにとって、パニックに陥るほどの出来事だ。

「だい、すき…」

夢なのかもしれない。カナウはそうやって自らに言い聞かせることにした。あまりにも、衝撃的すぎるから。微かにレイが接客をする声が聞こえた。レイにも悪いことをした。あとで謝っておかなければならない。

「どうすればいいの」

この複雑すぎる感情はどう片付ければいいのか。もしかしたら彼はもう現れないかもしれない。

「ごめんなさい」

あの時怒鳴ったレイを、やっぱり恨んだ。下を向いて落ち込んでいると、接客を終えたレイがやって来た。神妙な面持ちでカナウの方を向いた。

「カナウちゃん、なんか、ごめんね。」

「別に大丈夫ですよ。何者かも分からない人に薔薇貰ったってね。」

「あは、そうよね、ちょっと気持ち悪いよね」

レイは見逃していなかった。わかっていた。カナウの男を見つめる目つき。


「お疲れ様でした」

「うん、お疲れ様...」

数日経ったが、元の関係に戻ってしまった。いや、カナウがあからさまにレイを避けている。あの男を追い払ったことに相当ムカついていると思われる。バタン!と大きな音を立てて入口を閉めていった。心配しただけなのにどうして。というのがレイの想い。しかし、レイも気付いていなかった。自らの汚点。

「疲れた...」

退勤時間を早くしたカナウは暗闇と違うオレンジ色の道を進む。気が付かなかったけれど、あの呼吸も足音も影も今日はなかった。レイの「ストーカーじゃない!?」という言葉を聞き、もしかしたら彼なのかも。と盲信し始めたカナウはショックを受けた。捨てたいと願った脳みそには、彼の顔が刻み込まれ、それしか映さなくなった。

「ねえ」

「...は、はい?」

この声は。振り向くとまさかの彼だった。夕日が照らす彼、とても儚く見えた。急展開だ。ひょっとすると、夜道を歩いていたせいで彼のことが分からなかったのかもしれない。

「ごめ。ん、ね。前。俺、会い。たかった。」

「僕に?」

「そ、う。俺、君、ストー、カーしてる。の。」

あの時の子供のような拙い言葉に、似合わない大人らしい綺麗な顔。それ以上に「ストーカー」を告白された。思わず子供を宥めるような口調になってしまう。

「なんで僕をストーカーしたの?」

そう言うと、彼は薔薇を握っていたはずの右手で僕の右手を握った。

「す、きなの。惚れ、た。窓から、君、見えたの。とっても、好きに、俺なった、から。」

「会いに来てくれたの?」

「ううん。ずっと、夜、後ろに、いた。君の、夜は、知り尽くした。」

彼は微笑んだ。ハリのいい白い肌に浮かぶ笑顔がとても可愛らしい。彼の右手を握り返した。毎日の黒い影は彼だった。身長が高いから、スレンダーマンのような影になるのも分かる。退勤時間も、夜道も、家も、知り尽くされているようだ。彼は途切れ途切れの言葉で住所を述べてきた。

「うん、あってるよ。僕の家だね。」

「ご、めんね。ストー、カなんて、して。」

「そんなことない嬉しいよ...」

ああ、なんてことだろう。こんな事があっても良いのだろうか。カナウはまさに青天の霹靂のような感覚に陥った。彼の右手はとても冷たい。それに対して、カナウは全身が暖まってきた。特に、目元が。

「君、俺こと、好き?」

「当たり前さ、大好きだよ。一目惚れしたんだ。」

両手で彼の左手まで包み込んで告白した。すると彼は、ポケットからどこからか引きちぎったであろう小さな白い花を出してきた。

「あ、げる。」

「これは、ガマズミ...」

「ねえ、たすけ、て」

ガマズミの花言葉は誤解されやすい愛情、「愛は強し」という表意味の反面、「私を無視しないで」という意味がある。

「助けて?どうしたの!ねえ、どうしたの!」

「つ、つらい、家、つら、い。」

「家?両親に何かされてるの?大丈夫!?」

愛のあまり思わず大きな声を出してしまった。彼はそんなこと気にすることなく、つらい、つらい、家がつらいと泣き続けた。

「僕の家来る?ボロアパートだけど...。寝るスペースくらいはあるよ」

本気で心配し始めたカナウは自我を失ったかのように頷く彼の手を引き、自宅へと歩かせた。顔を近づけたとき、確かに、口端にはうっすらとアザが見えた。まさか、暴力を受けているのではないのか。もしかしたら彼は背が大きいだけで、まだ子供かもしれない。恋人からのDVもありえる。古びた軋む階段をのぼり、乱暴に鍵を開け、電気をつけて、布団を敷き、彼を座らせた。怯えた様子の彼を抱き締め、フードを取り、優しく黒髪を撫でた。少しだけ汗臭い。それすらもカナウにとっては愛おしかった。

「こ、こ。君の、家の中」

「そうだよ。ここなら誰も来ないし安心だよ」

「あっ。俺、置いた、の。」

彼が指さした先は、あの時の赤い薔薇が6つ飾ってあった。カバンにしまい込んだ日、カナウは100円ショップに寄り、6つの赤い花瓶を購入し、窓際に飾ったのだ。

「あは。あの女の人が捨てようとしたんだけどね。持ち帰って、飾ったんだ。」

「うれ、しい!」

彼は突然高い声を出して、手を叩いた。その様子で、彼はなにか障害を持っているのかと不謹慎だが考えてしまった。ニヤニヤし始めた彼に思わず頬が緩む。ヤカンの熱いお茶をこぼさぬように心かげた。2つのマグカップに注ぎ、テーブルに置いた。

「暖かいお茶だよ。」

「う、ん...」

「名前は、なんて言うの?」

そういえば、名前を知らなかった。愛おしい彼の名前を呼びたい。あの日とは違い立場が逆転した。彼の顔を軽く覗き込むと、薄ピンクの唇が動く。

「リョウ、。」

「リョウ...じゃあ、リョウって呼ぶね!」

いつの間にか怯えモードに切り替わってしまったリョウを安心させるよう、明るく言い放つ。リョウ。とてもいい名前だ。

「俺、自分の、なま、え。嫌い。」

「そんな事ないよ。とっても素敵な名前!僕なんて、カナウって言うんだよ?間抜けそうだよね!あはは」

カナウも自分の名前が嫌いだ。カナウなんて、ね。親の顔を知らず、児童養護施設で育ったから、意味なんてさらに分からない。○○が叶いました〜!なんて、馬鹿にされた。それに比べ、リョウという名前がとてもカッコよく感じた。

「カナウ!カナウ!かわいい!」

「えぇ!?」

これまたはしゃぎモードに変わったリョウは、急にカナウの元にやってきて抱き着いてきた。テンションの切り替わり方がよく掴めないが、急に抱き締められ赤面してしまった。

「カナウ!好き!」

ポニョ!そうすけ好き!の勢いと全く同じだ。あまりの可愛さにカナウも抱き返した。打ち解けられたようだ。その後、粗末なお茶でティータイムを過ごした。

リョウが腹減ったと無言の圧力で腹を鳴らすので、カナウは冷蔵庫を覗いた。

「うーん。野菜炒めしか作れないかも...」

基本的にカップラーメンしか食べないが、一応健康のためと野菜は常備してあった。

「やさ、い、苦手。」

「それなら、このインスタント麺と白米しかないかな。」

「それが、いい!俺、それ!」

「分かった!」

お茶を専用の容器にいれ、軽くヤカンを洗った後、水を沸騰させ、熱湯を二つのカップラーメンに注いだ。行儀は悪いが箸を蓋の上に乗せ、テーブルに置いた。

「...はい、3分経ったよ」

「いた、だきます!」

正確ではない脳内時計を伝えると、リョウはズルズルと食べ始めた。こんなイケメンもカップラーメンなんか食べるんだ...とギャップに萌えつつ、カナウも食べ始めた。すると、リョウは蓋を完全に取り、裏返したところに麺を置いた。

「えっ?」

「これ、あげる!」

僕も食べている上に味はおんなじなんだけど...。と思いつつ、リョウのは有難く貰った。間接キス。気色の悪いことを思いながら、リョウとの楽しいひと時を過ごす。

「俺、カナウと、暮ら、すの。家、嫌い。やだ。ダメ?」

「いいよ!僕なんでもするから!」

カナウはリョウの綺麗な部分しか見ていないのに、あっさりと承諾してしまった。深夜、眠りについたリョウの綺麗な寝顔を眺める。

「綺麗...」

貰ったガマズミを花瓶の横に優しく置いた。



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