第10話
何が起きるか分からない未知の雰囲気に、固唾を呑んで見入る観客。
両方に満足したノクトは言った。
「始め!」
声が響き渡り。
そして、間髪入れることなく剣先が舞う。
圧倒的な光景に皆が一瞬にして呑み込まれた瞬間だった。
「・・・何よ・・・何なのよ・・・これぇ・・・」
震えるヴィオラの声。
彼女が呟いてしまったのには理由が有る。
少年の素振りと。
あまりに速すぎる打込みと。
繰り出す子も大概だが、それを容易く受ける親の姿を目の当たりにしてしまったから。
「こんなこと、あってたまるもんですか・・・」
自分の両腕で己の身をそっと抱きしめ、慰めるかのように優しく自身へ語りかけるヴィオラ。
己の常識と自信を砕かれたのは彼女だけではない。
大衆も似たようなもので、想像を凌駕され思考が追いつかないのだろう。
似合う感想を捜し求めて迷走しているように、揃って困惑した表情をしている。
「・・・・・・」
ギャラドとウルバも、ポカーンと口を開けたまま動くことができず。胸板の前で組んでいた両手はぶらりと下がり、目は点になっていた。
単調な打込みがリズム良く。且つ、素早く行われているだけ。
本当にそれだけの事なのだ。
上から下へ。
右上から左下へ。
左上から右下へ。
基礎を繰り返し繰り返し、そしてまた基礎を繰り返し繰り返し。
何の面白みも無い反復の打込みが繰り広げられているだけなのに、不思議と皆の視線が釘付けになる。
たった一つ、速い。という要素が加わっただけで、ただの打込みがこれ程まで別物となってしまうとは、誰が予想できたことだろう。
だからこそ大衆の応えが静寂という形で現れ、そして見入ってしまう。
「そのまま―――」
周囲の様子を横目に頷くノクトの姿。
雰囲気を掴むことは出来た。けれどそれは、皆が現実と理想の差を把握できずにいるだけで、戸惑い半分驚き半分といったところだろう。
盛り上がってもらうには足りてない、もっともっと驚きを勝らせる必要が有る。
「打込みに、左右の薙ぎを加えよう」
父親の投げかけに対し打ち込みに変化を加えることでサンラは応えた。
速さを維持したまま変化が加わるその様子は、例えるなら、見事な下書きに色彩が付けられていくような工程。
「すごい・・・」
見ていた誰が呟いた一言が切っ掛けになり、次の人も、と連鎖を呼ぶ。
やがて、小さな波は大きな波へと変化を遂げ、いつの間にか野次は見る影も無くなると、残っているのは声援だけだ。
そんな中。
「・・・ウルバ。どっちが速い?」
正気に返ったギャラドとウルバの間で、問いが生まれていた。
「また唐突に・・・。一応、答え間違いの無い様に聞くけど、それは、自分とサンラ君を比べて?それともノクト氏とサンラ君を比べて?」
「それこそどっちも、だ」
まったく強情な奴だ。という声は、波打つ歓声に掻き消されてしまったが、十分に考えてからウルバは答える。
「サンラ君と自分なら自分が上かな、多分だけど。ただし、瞬間的な話であって、自分はあの速度を維持したまま打込むのは不可能。やろうとしても息も身体も続かないよ」
「んてことは、まだまだ坊主はもう一つ二つ早くなるってか。まったく末恐ろしい子供と出会っちまったもんだ」
「まったく同感だ。そして・・・」
視線をノクトへと二人は移し。
「彼の底は未だ見えてこない」
「ああ。気の良い父親って印象だったのに、こんな隠し玉持ってやがったとはなあ。上には上が居るとは言うけども、どんだけ上に居やがるってんだ?見上げても足の裏一つ影も形も見えてこねえ」
ひたすらに目の前で行われる親子のやり取りに、感嘆をこぼすことしか出来なかった。
そして、事態は急変を迎える。
まさかの出来事。響き渡る声援が突如として止む事態が発生したのだ。
理由は、親子の動きが止まったから。いや、父親が止めたと言っていい。
父親が突如鍔迫り合いへ持ち込んだと思ったら、サンラを後方へ数歩弾き飛ばし距離を取った。
軽く肩で呼吸する子と、始まる前と何ら変わらない様子の父親が睨み合ったまま動ず、何かを待つように時を待つ。
周囲も固唾を呑み何が起るのかと見守り、全員心臓を掴まれたかのように動けない。
少ししてサンラの呼吸が落ち着くとノクトは言った。
「好きに打込んできなさい。ただし、少しでも隙を見せたら反撃するぞ」
「っ!?」
サンラだけじゃない。皆、忘れていたことに気が付き驚き、一斉に息をごくりと呑んだ。
今までは一方的な打込みであって子からの一方通行。それだけで歓声が生まれていたのに、親からの攻めが加わったらどうなるのか。
誰もが期待を膨らませてしまった瞬間。
「隙有り」
「―――!」
既に隙は生まれていた。
ノクトは踏み込み。数歩の距離を、瞬きも許さない速度で詰め寄る。
「っぁ!?」
サンラにしてみれば数歩先に居た父親が、突然目の前の景色が入れ替わったかのように感じただろう。
目前に突如として現れた父親の顔に、ドクンと心音が破裂せんとばかりに脈打ち。日頃の成果と言うべきか、それとも、父親の声を掛けてからという手加減も合わさってというべきか。奇跡的に一撃を避けた所で、打込み合いが始まる。
苦し紛れでは有ったものの、避けることができたが父親の追い討ちが始まり、防戦一方。
打込みだけじゃない。
父親の姿が大きく見え、今までに無いプレッシャーを全身に感じ汗が噴出す。
打込みも受けるでも捌くでもなく、弾かせるよう守らされ、徐々に動作が大きなものになっていくと、ついにサンラは、激しい攻めに防御が崩された。
もう駄目かと思い、せめて一撃だけでもという考えから、出鱈目に、そして苦し紛れに放った一撃。
それは、先ほど目にした彼らの剣舞で見た技の一つ。
無意識で繰り出された一撃ではあったけれど。
「お、っと?」
運良く功を奏したのか、ノクトは捌くのを止めて回避を選ぶ。
すると、立て直す時間が生まれ、呼吸は上がってしまったが仕切り直すに十分な距離は取ることができた。
束の間に訪れた呼吸が出来る一時。
大衆も息を吹き返したかのように歓声が沸き、地響きのように周囲を駆け巡る。
「ふぅーっ、ふぅーっ、ふぅーっ」
だからといって父親は待ってくれないだろう。であれば息は攻めながら整えなければならないと判断し、呼吸も乱れたままに攻めへと転じる。
「坊主頑張れー!勝てるぞー!」
「親父に負けてねえ!いけえええ!」
声援は力だ。人を動かす原動力の一つ。
サンラも不思議と力が湧き上がり、自分の限界を押し上げていく。
今のままでは通用しない。
もっと早く、より速く。父親の想定を超えた一撃を放り込まなければ届かない。
どんどん、どんどんと勢いが増し。
内心に秘める何かが足掻き求め続ける。
もっと。もっと、もっと。と望む。
技の一つ一つがキレを上げ、より滑らかなものへと変化していけば行くほど、それは発現し始めた。
「・・・?」
ノクトが感じたのは、ほんの僅かな違和感。
先程から、一振り、また一振りと、速く鋭利になっていく息子の打込みに見え隠れする何かが有るのだが、正体を掴むことができず。その何かを感じる度、不思議な感覚が身体を駆け巡るのだ。
この感覚は何だろうとノクトは思う。
嫌じゃない。むしろ何処か懐かしいと言ってもいい。
くすぐったい様な、それでいて触れていたいような、淡い思いを抱かせてくれる感覚。
ノクトもまた、追い求めるほど集中力が増していき、攻防もより高いものへと変化していく。サンラの打込みや、大衆の歓声も比例して。
高みへ行くほど、違和感は明確に姿を現し始め。
息子が腕を振る瞬間に見え隠れし。
息子の体さばきの内に現れては消えていたが・・・
度重なる打込みの中の、一振りだった。
「こ、れは・・・」
そして、それは重なる。
昔何処かで感じた感覚は、彼女の、彼女と幾度交わした剣舞で感じたものと同じ。
自分と彼女の愛の結晶だと分かっていても、実際自分の手で、見て、感じるとは思いもしなかった。
彼女と比べること自体間違っていたとしても。
確かにそこに―――。
サンラが打込む姿に、妻が。居た。
「・・・ははは。ははは」
誰もノクトの変化に気が付かない。いや、気が付くことなどできない。
打込みながら幸せそうに、目尻に涙を滲ませながら笑みを浮かべる姿に。
身体は正確無比に子の打込みを捌き反撃し、頭は彼女との思い出に浸る。
何て幸せな、心が温まる時間なのだろうか。永遠に触れていたい時間であるが、冷静に思考は働いていた。
とうの昔に息子は限界を超えている。これ以上は、息子の身体が持たないだろう。
噛み締めるよう現実を受け止め、区切りを付ける為に距離を詰める。
貴重な体験をさせてくれた愛息子と愛妻に向けて、ありがとう。と思いを込めて。
もう一度鍔迫り合いに持ち込み一言。
「さぁ、これで最後だ。思いっきり一撃を打込んでおいで」
「!!」
腕を僅かに押出しただけで、サンラは後方へ飛ばされる。
その距離は全力で打込むに十分な助走距離があった。
サンラとノクトの視線が衝突し、サンラは地面を蹴り、吼える。
「せやああああああああああああ!!」
甲高く、大きな衝撃と音が響き渡れば。
サンラの持っていた剣は空を舞い、地面へと落ちる。
つまりは、決着だ。
大衆も最高潮。割れんばかりの拍手と喝采を親子へ送る。
何時までも鳴り止まない、人の手と声で演奏される長い長いファンファーレの中。
静かに、ノクトはサンラに囁いた。
「これが剣舞。サンラとお父さん、そして、お母さんとの剣舞だよ」
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