特別編後半 デージーのせい


 ~ 五月二十九日(水)

  vanity counter ~


 デージーの花言葉 

     あなたと同じ気持ちです



 さっきまでの葉月ちゃんはどこへやら。

 攻守にわたって、八面六臂の大活躍。


 今もまた。

 まるで穂咲のような上投げのパスを前線へ一気に通します。


 その、矢のようなボールを受けるなり。

 瑞希ちゃんはゆっくりとしたモーションで振り返り。

 ディフェンスを自分に引きつけて。


 そして、チェンジオブペース。

 素早い動きで、誰もいない所へチェストパス。


 でも、そのスルーパスのようなボールに追いついて。

 ディフェンスのいないコートを駆け上るのは葉月ちゃん。


「だ、ダメだ! あいつを止めろ!」

「無理です! 雛罌粟さん、速すぎて追いつけない!」


 まさに葉月ちゃんタイム。

 パス回しからシュートまで一人でこなして。

 見る間に点差を縮めていきます。


 そして葉月ちゃんにマークが集まると。

 必然的に穂咲のパスが通り。

 雛ちゃんの突破という黄金パターンで追加点。


 さらに攻めがリズムを作ると。

 必然的に守備もリズムに乗るもので。


「またインターセプトされた!」

「急いで戻れ!」

「やーん! 渡は勉強できるんだから、スポーツくらい下手でもいいじゃない!」


 敵の動きを読んでのパスカット。

 渡さんらしい活躍が、幾度も攻守を入れ替えます。



 ……この、後半の追い上げを見て。

 ギャラリーも大盛り上がり。


 男子バスケの方も気になるとは言え。

 この、ドリームタイムの方が断然燃えるという気持ちはよくわかります。


 気付けば、誰もが女子のコートに釘付けになり。

 熱狂的な声援を、穂咲たちに送ってくれるのでした。


 会長さんが、葉月ちゃんたちに向けて言った通り。

 スポーツは、人をこんなにも感動させるのですね。



 ただ。

 もう時間がない。



 人ごみから逃れて。

 スタッフのていで、電光タイマーの置かれた長机から見守る俺の目に映る三分という表示は。


 どれだけ熱い想いで見つめても。

 増えていくことはありません。



 やはり前半の借金が大きすぎました。

 六点差、あと三分。


 だというのに、がくんとスローダウンした五人。

 そろそろ体力が限界のようです。


 もっと時間が欲しい。

 早く休ませてあげたい。


「残り時間が味方であり、敵なのです」


 俺は、タイマーを抱えるようにして見つめながら。

 必死に声を張り上げます。


「あと三分! みんな頑張るのです!」


 熱狂的な声援、そして拍手が絶え間なく降り注ぐ。

 そんなコートで、太陽のように輝く五人。


 雛ちゃんのお父さんは。

 輝くお嬢さんの姿を。

 一体、どのような想いで見つめているのでしょう。


 そう思って、貴賓席をちらりと見ると。

 騒がしさに眉をひそめながら。

 興味なさげにご覧になられているスーツの男性が目に入りました。


 そんな顔をなさらないで。

 どうか、この必死な想いを分かってほしい。

 雛ちゃんの努力を汲んであげて欲しい。


 ……でも、俺の願いも伝わらず。

 呆れたように首を振っていらっしゃる。


 どうしてだろう。

 俺は、コートの様子を確認してみたのですが……


「あ……。もう、マズいか」


 疲労のせいで、足をもつれさせたよう。

 転んでしまった雛ちゃんを抜き去った敵に。

 絶望的とも言える追加点を許してしまいました。


 万事休したか。

 何か、手はないのか。


「くそっ……。足が思うように動かない……」


 苦しそうにうめく雛ちゃん。

 でも、その腕を引っ張り上げて立たせた渡さんは。

 彼女らしい、厳しい言葉を雛ちゃんにかけました。


「ここからよ! 加藤さん、自分の限界を自分で決めてない!?」

「ちきしょう……。分かった、頑張るよ……」


 ああ、なんて弱気な返事でしょう。

 こんなの雛ちゃんらしくない。


 いつもなら、渡さんに食って掛かるところなのですが。


 …………ん?


 ひょっとして。

 俺、ひとつ手伝えるかも?


「ひ、雛ちゃん! 違う違う!」

「……なんだ?」

「いつも通りに! 渡さんに言い返すのです! でかい声で!」


 雛ちゃんは、リスタートのボールを渡さんにパスした姿勢のままで眉根を寄せていますが。

 どうやら、渡さんには意図が伝わったようですね。


 俺に向けて、こっそりサムアップすると。

 ギャラリーの声援に負けないほどの大声をあげたのです。


「やっぱり加藤さん、その程度の女だったのね! 口の利き方が悪いと、根性無しになるってほんとなのかしら!」

「な……っ!」

「もういいわ、休んでて。あなたが転校していなくなったら、私も精神衛生上助かるからね!」

「なんだとおばさん! もういっぺん言ってみろーーーー!」


 急な口喧嘩に、場内はしんと静まってしまいましたけど。

 これこそ狙い通りなのです。



 ……アドレナリン。

 声を張り上げることによって分泌が促されるっていうしね。



 でも、少々効き目が強すぎたようで。

 激高した雛ちゃんは、渡さんからボールをひったくるように奪うと。


「見てろよばばあ!」


 不意を打ったとはいえ、慌てて立ちふさがる敵をあっという間に抜き去って。

 コートの端から端。

 たった一人の千里行。


 そのままゴールを決めて、再び六点差。

 いやはや。

 口喧嘩作戦は効果はてきめんだったのです。


「ほんと。心底礼儀知らずね。手をはたいて取っていくなんて」

「ぐだぐだ言ってると、また取っちまうぞ!」

「なに言ってるのよ。今度は私が取る番よ?」

「冗談じゃねえ!」


 いつまでも響く二人の口喧嘩。

 そしてコート中央で、掴みかかるほどに顔を寄せると。

 リスタートされたばかりのボールを持った敵選手目掛けて。

 二人で先を競うように襲い掛かるのでした。


 そして、ボールを奪い取った雛ちゃんから。

 今度は渡さんがボールを奪い取って。


 強引にドリブル突破してシュートを決めて四点差。


「ふふっ! 有言実行!」

「この……っ!」


 よっぽど悔しかったのでしょう。

 今度は同じ手口から、雛ちゃんがボールをもぎ取って。


 そして、敵陣へ強引に飛び込んで。

 四人のディフェンダーにもみくちゃにされながら。


「負けるもんかーーーーっ!!!」


 信じがたいほどのボディーコントロールで。

 肩や腕を掴まれながらもシュートを放ち。


 ……そのボールが。

 ゴールにぽすっと吸い込まれたのです。


「ピーーーー! バスケットカウントワンスロー!」

「ウソですよね!? 三点プレー!」


 ろくにルールを知らない二人をよそに。

 知能派三人がガッツポーズ。


 ファウルを貰いながらゴールを決めると。

 フリースローが与えられるのですが。


 でも、よく考えたら。

 この権利を貰えるのは。

 当事者だけなので……。


「やっぱ真上に飛んだのです」


 雛ちゃんに。

 フリースローなんか絶対に無理。


 そもそもパスすら未だに出来ないのですから。



 しかし、これは痛い。

 せっかくの追い風ムードを。

 雛ちゃんが消してしまいました。


 あと、たったの三十秒。

 二点を守り抜けばいい。


 敵は、改めて。

 穂咲と雛ちゃんの弱点を、声を出して確認し合って。


 そして、ゆっくりと落ち着いて。

 三十秒を使い切ろうと、パスを回します。


「みんな、急いでカットして! あと三十秒切った!」


 俺の声に、まるで弾かれたように渡さんがパスカットを試みたのですが。


 指先ではじいたボールは。

 ふわりと浮かんで、サイドラインを越えて行きました。


 惜しい。

 でも、これでは相手ボール。

 残念ながら、意味がありません。


 ……でも。


「こんじょーーーーー!」


 そのボールが地面に落ちる前。

 それまではオンプレー。


「自分を! 信じてーーー!」


 瑞希ちゃんが、貴賓席に突っ込む程の大ジャンプ。

 そして手にしたボールを。

 辛くもコートへ戻します。


 慌てて逃げた皆さんが放置したパイプ椅子を。

 なぎ倒しながら落下した瑞希ちゃんも気になりますが。


 必死のダイブで手に入れたボールを受け取ったのは。

 よりにもよって……。


「穂咲!」

「う、うう、どうすれば……」


 既に、三人の敵に囲まれて。

 パスコースを完全に塞がれた穂咲が泣き言を漏らしていたのです。


 このままでは、敵にボールを奪われるのみ。

 思わず天を仰ぎそうになった俺は。



 その時。



 奇跡を目にしたのです。



「じ、自分を! 信じてなのーーー!」



 我が目を疑う事態。

 だって、あの穂咲が。

 強引に敵の間に体を突っ込ませ。


 手にしたボールを床に一度、二度と叩きつけるように走り出したのです。


「ドリブルっ!!!」


 ドリブルは無いと踏んでいて、不意をうたれた敵の皆さんを置き去りにして。

 血の滲むほどの特訓の成果を。

 ここしかないというタイミングで発揮した穂咲は。


 レーザービームのようなパスを雛ちゃんへ通します。


 ……ですが。

 残る二人の敵さんはこれを読んでいた模様。


 ドリブル突破されないよう。

 雛ちゃんの正面に両手を横に広げて立ち塞がります。


 そしてボールを受け取った雛ちゃんは。

 ドリブルへ移る姿勢を一瞬見せた後。


「ああ、アタシも信じるさ! アタシが積み重ねて来た努力を!」


 フェイントに引っかかって。

 姿勢を落としたディフェンダーの頭上を越えるチェストパス。


 そんな奇跡を起こしたのです。



 気付けば溢れていた涙でにじむ視界の中。

 それを受け取ったのは葉月ちゃん。


 タイマーの表示は。


 03。


「あと三秒なのです!」


 この場面で、プレッシャーに負けずに。

 落ち着いてシュートを決めることが出来れば同点。


 でも、俺の心配をよそに。

 すぐにシュート体勢をとった葉月ちゃん。


 02。


 そこに、敵の一人が辛うじて追いついて。

 ジャンプしてシュートコースを完全に塞ぐのですが。

 ブロックは空振りに終わりました。


 それというのも、驚いたことに。

 今のシュート姿勢はフェイントで。


 葉月ちゃんは、落ち着いてドリブルをして。


 01。


 一歩下がると。

 そこは。


 この数週間。

 毎日毎日、繰り返し練習してきた。


 スリーポイントラインの外だったのです。


「私も、自分を信じます」


 ……これが入れば逆転。

 葉月ちゃんが、ボールを胸に構えて。

 ゴールを見上げたその時。


 00。




 ――俺の、手元のタイマーが。


 無情にも、高らかにブザーを鳴らしたのでした。




 ああ、間に合わなかった。

 終わってしまった。

 


 あと一秒。

 いえ、あと一瞬だけあれば。



 試合が終了した、その直後。

 葉月ちゃんは、見る者すべてが心を奪われるほどの美しいフォームでボールを放ちました。


 高く、高く。

 綺麗な弧をゆっくりと描き。


 数週間の思い出と。

 寂しい未来予想図を。

 みんなの心に解き放ちながら。


 今。

 リングに触れることすらなく。


 ゴールネットから。

 パツンと、乾いた音を鳴らしたのです。



 時を。

 夢を。


 こんなにも。

 無常に感じたことはありません。



 ああ。

 できる事ならば。


 俺が見ているタイマーが。

 この試合のものでなかったらいいのに。


 膝をついて崩れながら。

 審判が吹く、鎮魂歌のような笛の音を。

 俺は、涙と共に耳にして。


 そして。


「スリーポイント!」


 ………………え?


 そして、割れんばかりの歓声と、五人の歓喜の叫び声と。

 さらには、俺が抱えたタイマーのに。

 に置かれた同じ箱が鳴らしたブザーとを。

 同時に耳にしたのでした。


「…………あれ? あれれれれれ!?」


 パニックに陥って。

 一瞬、意味が分からなかったのですが。


 ああ、なるほど。

 落ち着いて考えたら。


 俺から数字が見えたら。

 選手から残りタイムが見えませんよね。


「そっちが女子のタイマーかい!」


 そして俺の突っ込みと同じタイミングで。

 今度こそ改めて。

 審判が、試合終了のホイッスルを吹くと。


 整列も待たずに、客席から生徒がなだれ込んで。

 奇跡の逆転劇を演じた五人の主役に。

 みんなで抱き着いて、健闘を称えたのでした。




 ああ、そうか。


 勝ったんだ。




 ……でも。

 男子の結果は?


 女子は奇跡の逆転優勝。

 でも、男子も勝たないと。

 トータル勝ち数で俺たちの負け。


 慌てて振り向いて。

 男子コートの点数表示を見ようと思ったのですが。


「……おや? どうしました?」


 男子バスケの選手の皆さん。

 揃いも揃って怒り顔で。

 俺を取り囲んでいるのですが。


「ちょっと邪魔です。見えませんよ得点ボード」

「……てめえ、道久……」

「はあ。何を怒っているのです、やべっち君」

「散々、どけって言ったのが聞こえなかったのかよ!」

「はあ。聞こえませんでした」

「てめえがタイマー隠してるから、残り時間分からなくて……」

「ああ、なるほど。こちらが男子用だったのですね?」

「それで、焦って攻めて、カウンター食らって負けちまったんだよ!」


 …………え?


「そ……、それじゃ、総合優勝は……」

「てめえのせいで逃しちまった!」


 うそ。

 でも……。


「そ、それが俺のせいというのは短絡的では?」

「どう考えてもてめえのせいだ! このバカ久!」


 なんということでしょう。

 しかしこのままでは、A級戦犯にされてしまう。


 ……よし。


「三十六計……」

「逃がすかバカ久!」

「そんな格言じゃないのです!」



 ――こうして。

 長い長い俺たちの戦いは幕を閉じたのですが。


 種目優勝で雛ちゃんの転校が回避できるのか。

 その結果は定かではありません。


 だって、結局あのあと。

 みんなとお話どころか連絡もつけることなく。


 日が暮れるまで、俺は逃げ続けていたのですから。



 ……と、言いますか。


「いたぞ! 道久だ!」

「逆側から回り込め!」

「逃がすか! このA級戦犯!」


 とっぷり日が暮れた。

 現在もまだ。


 逃亡中だったりするのでした。


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