特別編前半 ニチニチソウのせい


 ~ 五月二十九日(水)

        化けの皮 ~


 ニチニチソウの花言葉

     揺るぎない献身



 お客様まで招いて大々的に開催された決勝戦、全十二試合。


 その最終戦。

 男子、女子のバスケットボール。


 体育館はパイプ椅子まで引っ張り出されて。

 超満員の観衆で埋め尽くされています。


 そして、砂被りとも言える位置に陣取る貴賓席には。

 雛ちゃんのお父様の姿が。

 さらに、敵チームのベンチエリアには。

 葉月ちゃんのお姉さん。

 弥生さんの姿が見えるのです。


 その、会長の指導したチームが四勝。

 俺たちは三勝。


 男女とも、決勝相手は。

 会長さんのチームですので。

 最後の二試合がそのまま大会自体の決勝戦。


 屋根が吹き飛びそうなほどの熱気と声援に包まれながら始まった試合でしたが。


 それも今や昔。

 声援は主に、シーソーゲームを演じる男子側に向けられていて。


 同時に行われている。

 女子の、一方的な試合には。


 ハーフタイムを迎えた今。

 とうとう目も向けられなくなりました。



「やばい。完全にばれているのです」


 穂咲にボールが渡ると。

 正面はあけてパスコースを塞がれる。

 雛ちゃんにボールが渡るとドリブルコースだけ塞がれる。


 二人とも、弱点がばれていて。

 一番の得点パターンが封じられてしまいました。


 こうなると、葉月ちゃんたちが頼りなのに。

 この戦法のかげに会長の姿をありありと感じたようで。

 萎縮してしまったのです。


 十五分の前半戦で六対二十四。

 完全なワンサイドゲーム。


 すっかり意気消沈したみんなの中で。

 ひと際表情の暗い葉月ちゃん。


 口ではお姉さんを倒すと言っていながらも。

 やはり彼女の夢を応援したいという気持ちが残っているようで。


 ……その優しさが。

 彼女ばかりか。

 チームの全員を苦しめているのです。



「はい。これで汗を拭くのです」

「あ、ありがとうございます、センパイ」

「……ごめんなさい、秋山先輩。せっかくサッカーで優勝して下さったのに……」

「謝るのはまだ早いのです。相手が出来たのですから、後半はこちらが同じだけ得点を取ればいいだけです」


 そう励ましてはみたものの。

 淡々と汗を拭う雛ちゃんすら。

 俯いたまま。


 万事休す。

 そんな俺たちに。


 厳しさの中に爽やかな涼を感じる。

 渓流を思わせる声がかけられました。


「やれやれですね。なんとも歯ごたえの無い」

「…………お姉ちゃん」


 この絶望的なムードの元凶。

 雛罌粟ひなげし弥生やよいさんが。


 言葉とは裏腹に。

 寂しそうな表情で続けます。


「藍川穂咲と加藤雛は封じた。私の計略で、瑞希さんと葉月の牙も抜いた。これで勝ったも同然です」


 そう言って。

 高笑いなどなさっていますけど。


「……無理ですよ、会長。ここにいるみんなは、会長がわざとあんなことをしたなんて思っていませんので。煽り文句では発奮しません」


 この大会に勝てば。

 つまり、雛ちゃんを転校させることが出来たなら。

 研究資料を雛ちゃんのお父さんに読んでもらえるという話。


 実はそれが計略だったなどと言って。

 また、悪者になったつもりでしょうけど。


 今度ばかりはうまくいかないのです。



 そんな俺の言葉に。

 珍しく、寂しそうに俯いた会長さん。


「……ならば、秋山道久。私はどうすればいいのです?」


 本当に。

 本当に珍しいことに。


 俺に頼ってきたのです。



 でも、かたや転校が。

 かたや長年の夢がかかっていて。


 どうすればいいのかなんて。

 分かるはずないのですが。


 ……そうですね。


 ずっと気になっていたことがあるので。

 せめて、そこはすっきりさせましょう。


「会長。バスケはスポーツですか?」

「……無論です」

「二人三脚は、スポーツじゃないと一蹴されたことがありましたよね?」

「あれは本気で言ったわけでは……、いえ。事情はどうあれ非は認めましょう。体育祭で、あれほど感動的な勝負を見たことなどありません。……それが?」

「ええ。俺にはこの勝負が、スポーツとは思えなくて」


 俺の言葉に。

 静かに頷く会長さん。


 だって、そうですよね。

 外ウマと言うのでしょうか。

 大人が、勝敗に余計な条件を付けて。

 心と体をがんじがらめにするなんて。


「スポーツとは、選手の方が見る方に感動を伝えるものですのに。見る方が心無い言葉をかけては、選手が思い切ってプレーできるはずはありませんね」

「そうなのです」

「……ならば、そもそも私が酷い言葉であなた達にはっぱをかけたことも間違いだと言うのですか?」

「そう思いますよ。だからこんなややこしいことになってしまったのですし」


 俺の言葉に。

 凛々しいお顔を苦痛にゆがめた会長でしたが。

 葉月ちゃんが近づいてその手を取ります。


「ごめんなさい、こんな思いをさせて。私がお姉ちゃんに頼んだりしたから……」

「そうですね。そもそも、それがスポーツマンシップに則っていませんでしたね」

「つまりそういうことなのです。……だから、のこり十五分、気持ちよくスポーツをするために、二人でみんなに謝ってください!」


 ……あれ?

 皆さん、目を丸くしてしまったのですが。

 でも、これでわだかまりとか消えませんか?


 そう思いながら、察しのいい渡さんを見つめたのですが。

 残念なことに、首を横に振られます。


 しかも、雛ちゃんに至ってはため息などついていますけど。


「……あのなあ。この二人が謝る必要なんかないだろ。もう十分伝わったし」

「確かにこの二人の謝罪はいらないですかね。……でも、もう一人分足りません」

「何だよおっさん。アタシに謝れとでも言う気か?」

「いいえ。雛ちゃんのお父さんにも、後で必ず謝って貰います」

「……は?」


 だって、せっかく気持ちのいいスポーツを。

 台無しにした張本人な訳ですし。


「俺が必ず謝らせますので。だから転校の事は気にせず、思う存分スポーツをしてきなさい!」


 あれ? おかしいな。

 俺、今、結構いいこと言ったと思うのに。


 どうして君は。

 初めて弥生時代人の髪形を見るような目で俺を見るのです?


「……意味分からねえ」

「はあ。俺もあの髪形は意味が分からないのです」

「なに言ってんだ、アンタ」


 ああ、いけない。

 確かに変なことを言いました。


 急いで先輩らしい言葉を探す俺でしたが。

 会長が話しかけてきたので機会を失いました。


「ふふっ……。秋山道久。やはりあなたは、どうしようもない不良生徒です」

「なんで!?」

「高名な先生の頭を下げさせるだなんて、不良でしか口にすることなどできないでしょう」

「はあ。……まあ、大それたこととは思いますけど、宣言してしまった以上必ずやります」

「いいって、無茶苦茶言うなよ、おっさん」


 そう言いながら、再び溜息をつく雛ちゃんでしたが。

 小太郎君が、ペットボトルを手渡しながら言った言葉に。

 目を丸くさせたのです。


「ひ、ひ、ヒナちゃん! ボクも、怖いけど、お父さんに間違ってますよって言うから! だから、頑張って欲しいなあって……」

「……コタローも無茶言わなくていいわよ。その気持ちだけで嬉しいから。……あとね、コタロー」

「な、なあに?」

「コーラは無理。……いや、美味しいよじゃなくて」


 やれやれ。

 小太郎君には困ったものですが。

 それでも、雛ちゃんの肩の荷は。

 少しは楽になったことでしょう。


 あとは、葉月ちゃんなのですが……。 


「葉月。……フェンシングでは、私を凌駕する腕前になりましたね」

「え……?」


 俺が雛ちゃんたちと話している間に。

 会長さんが、葉月ちゃんの目を優しく見つめながら語り掛けています。


「初めて私に追いすがった一戦を覚えていますか? ……諦めずに戦うことを学んだあの日の事を思い出しなさい」


 フェンシング同好会の視察に行った時の事か。

 あの、身も心も震わせるほどの戦い。

 今でも思い出すだけで、感動の涙が溢れ出すほどなのですけど。


 ……それが?


「あの日の事……」


 葉月ちゃんが眉根を寄せて考え込んでいると。

 弥生さんは、微笑を一つ残して。


 コートの反対側、敵チームのベンチエリアへ戻ってしまいました。



 ……結局何を言いたかったのか。

 その意図を測りかねていると。


 会長は、わざわざここまで届くほどの声で。

 相手チームの皆さんを叱咤します。


「皆さん、敵が弱いからと言って、手を抜いてどうしますか! これはスポーツです! 全身全霊をかけて戦って、相手にはこんな方と戦えてよかったと思わせなさい! 見学している方へは感動を与えてきなさい!」


 この叱咤に。

 おおと気勢を上げる敵チーム。


 でも、俺にはわかります。


 ……こんな時でも。

 弥生さんは弥生さんの色で咲くのですね。


「……葉月ちゃんには、お姉さんが何と言いたいのか伝わっていますか?」

「え? ……ええと……」

「あれは、葉月ちゃんが情けない試合をしたら、目の前で研究資料を破ってやると言っているのです」


 俺の説明に。

 葉月ちゃんが、はっと目を見張ります。


 あの方にとっては。

 教授との約束があろうが、雛ちゃんの転校がかかっていようが関係ない。


 まじめに、真剣に、必死に戦う者がいれば。

 それが例え敵であっても、彼女は応援するでしょう。


 フェンシングばかりでなく。

 あらゆるスポーツに精通した会長。


 そんな方だからこそ知っている。

 スポーツの本当の意味。


 葉月ちゃんへ、そんな大切なことを教えるためなら。

 研究資料など平気で捨て去ることでしょう。


 だって……。


「だって、あの雛罌粟会長ですよ? そう言うに決まっています」


 葉月ちゃんは、下唇を真っ白に噛みながら俺の話を聞くと。


 震える両手で。

 自分の両ほほを、バシンと叩いたのです。


「……お姉ちゃんのこととか、雛ちゃんのこととか、考えすぎでした。私は、後半十五分、ただスポーツをしてこようと思います。お姉ちゃんと雛ちゃんのお父様を感動させてきます。……それでいいですよね、雛ちゃん」

「ああ、そうしてくれよ。勝手にアタシのこと心配して、こんなにムード悪くさせて、迷惑でしかない」

「ごめんなさい。……どんな結果が待っているか分かりませんが。私、本気で挑もうと思います!」


 そう言いながら、雛ちゃんの手をがっちり握った後。

 葉月ちゃんは、熱を帯びた手のひらで俺の手を包みます。


「秋山先輩! 教えていただいて、ありがとうございました!」

「え? いや、今のは会長の激励なのですから。お礼はお姉さんに言いなさい。もちろん、勝ってからね」

「はい! 絶対に勝って、お礼を言います!」


 ……葉月ちゃんの凛々しい表情。

 フェンシングの勝負で、お姉さんに挑んだ時と同じ。

 まるで彫像の様に冷たい頬に。

 火傷しそうなほど燃え上がる瞳。


「……葉月ちゃんなら、絶対勝てるのです」

「その言葉と、自分を信じて行ってきます!」


 声高らかに。

 敵陣にいる、大切な方を感動させるために。

 コートに進む葉月ちゃん。


 そんな彼女の背中を見て。

 とうとう胸のつかえが全て取れたメンバーが。


「たったの十八点ぽっち! 軽くひっくり返しましょうね、皆さん!」

「そうなの。余裕なの」

「ああ。……絶対勝ってやる」

「さあ、みんな! たったの十五分に、今日までのすべてを置いて来るわよ!」


 センターサークルに立つ葉月ちゃんと一人一人がハイタッチして。

 今。

 運命のホイッスルが吹かれました。


 しかし、そんな五人の凛々しい顔を。

 嬉しそうに見つめるあなたは。


 化けの皮を剥がした端から。

 まだそうして被り続けますか。



 ほんとに。

 不器用な方だこと。




 ――後半へ続く

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