ゴデチアのせい


 ~ 五月二十三日(木)

     エッチで論外な道久 ~


 ゴデチアの花言葉 静かな喜び



 昨日の放課後、今日の朝練。

 いつもの元気を取り戻した瑞希ちゃんは。


 四人対五人のハンデ戦ではあるものの。

 練習相手の男子バスケチームを。

 あっと驚かせるほどの大活躍。


 これで瑞希ちゃんの問題は。

 晴れて解決、ひと安心なのです。


「さすが、六本木の妹だ……」

「昨日までは調子悪かったのか? 急に元気になってたけど」

「いや、元気って問題じゃねえだろ。フェイントで三度も抜かれたぜ?」

「安心しろ。俺はシャギーの子に五回抜かれた」


 ……ひと安心。

 できない気がしてきたのですが。


 男子バスケの方は大丈夫?



 さて、そんな気軽な会話が聞こえる一時間目。

 朝練を終えて、シャワーを浴びてリフレッシュしたばかりの英語の授業は。

 ……もっと汗だくになるのです。



 おかしいだろ。



 ホースから放たれる水道水も。

 炎天下に飛び出すなり、暑さにやられて地面へ真っ逆さま。


 俺達は今。

 不快指数二百パーセント。


 デッキブラシ片手に。

 水の張られていないプールの底に立っています。



「水着でよかった……。汗だくなのです」


 何でも引き受けてしまう我が担任。

 あなたが調子に乗るたびに。

 とばっちりを食うのは俺たちなのですが。


「文句を言う暇があったら手を動かせー」


 メガホン片手の飛び込み台。

 『3』の上に、麦わら帽子で立っているその姿。

 心から腹立たしく思います。


 でも、人生を楽しく過ごせるか否か。

 それは人間性に左右されるということを。

 こいつから教えられることになりました。


「楽しいの。ヌルヌルが気持ち悪いけど、それがなくなってくのが幸せなの」


 この、人生万事、なんでも楽しんでしまう勝ち組は藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪をツインテールにして。

 白から薄紅へグラデーションする乙女チックなゴデチアのお花を挿しています。


 そして、すれ違うクラスメイトの寄り切った眉根を。

 ほんわかと解きほぐして歩くのです。


「これ、頑張ってこすると字が書けるの。……はっ! 思い付いたの!」

「そこまでだ」


 床にでかでかと、『バ』の字を書いたところで即停止です。


 まったく。

 ちょっと褒めたらこれなのです。


 しかし、暑い。

 今日は三十度ぐらいまで気温が上がると予報が出ていましたし。

 熱中症が心配です。


 そんな心配から、ふと先生の方を向くと。


「さすがに暑いな。ここはちょっと危険が無いように……」


 おお、珍しい。

 どんな対処をするのでしょう。


「お前ら。気合を入れろ」


 ……珍しくありませんでした。


「なんてダメ教師。そんなのじゃダメなのです」

「なんだと貴様」

「暑さも、望んでいない力仕事もストレスに感じるものですし。遊びの要素を取り入れるとかどうでしょう」

「授業中だ。これは遊びではない」


 この頭でっかちめ。

 でも、俺の意見も聞くところ有りと。

 うむむと唸ると。


 今度こそ珍しく。

 面白いことを思いついたようなのです。


「よし、出席番号、一番から五番。中央に集まれ。並びはどうでもいいから、横に一列になるんだ」


 そう言われて、なんとなく。

 先生から見て左から、出席番号順に並んだ俺たちに。


「ブラシで汚れを落として、『ブラシ』という英単語を書け。一人一文字ずつ書くんだ」


 なるほど。

 一人のミスで全員アウトになるのですね?

 それは面白いのです。


 ですが、気になることが一つあります。


「で? 間違えたらどうなるのです?」

「そんな恥をいつまでもさらしていたくはあるまい?」


 ほう、そりゃうまい。

 もしもスペルを間違えたなら。

 文字が消えるまで、必死に床をこすることになるでしょう。


「隣の者が書いた文字は見ないように。では、はじめ」


 そして短いホイッスル。

 ええと、お題はブラシでしたっけ。

 ブラシを英訳すると…………?


 ん?


「……ブラシって。そのまんまなのです?」

「そうなの。さすがに間違えようがないの」


 これは侮られたものです。

 とは言え慎重に。

 俺は二文字目だから……。


 そして、黒いぬかるみをごしごしこすっていくと。


 周りで見ていたクラスメイトが。

 おなかを抱えて笑い始めました。


「え? こんな簡単なの、間違えた人がいるのですか?」


 俺が眉根を寄せると。

 ギャラリーの皆さんはさらに大笑い。


 床を確認すると。


 穂咲が「b」。

 俺が「l」。

 宇佐美さんが「u」。

 江藤君が「s」。

 小野さんが「h」。


「……間違っていないのです」

「アールだ」

「え?」

「正解は、b、『r』、ush」

「……まじですか」


 こいつは恥ずかしい。

 しかも。


「では、お前たちが書いた単語を和訳してみろ、宇佐美」

「え? これ、別の意味になるのですか?」


 目を丸くして見つめる俺のことを。

 珍しく、顔を真っ赤にして恥ずかしそうににらみつけながら。

 宇佐美さんが答えるには。


「…………b、『l』、ushは、『赤面する』」


 うわ。

 ごめんね宇佐美さん。

 恥ずかしい真似させて。


 俺も顔を真っ赤にさせながら。

 急いで床をこすります。


「すぐに消しますので。主に俺が」

「当たり前だ。……恥ずかしかったぜ……」


 そして、他の皆さんが次々と正解を出していく中。

 俺たちの周りだけ、ざっしゅざっしゅと音が響いて。


 文字どころか。

 辺り一面、綺麗に汚れが落ちたところで。


「おーい。六本木君か近藤君。ホースお願いします」


 水まき担当の骨折コンビにお願いすると。

 たちまち水が頭上から降り注ぐのです。


「どわ! 床を洗い流してとお願いしたのです! 下は水着とはいえ、上はTシャツなのですから! 勘弁してください!」


 あっという間にTシャツはびっしょびしょ。

 肌にべちゃっと張り付いてしまったのですが。


 …………わーお。

 これはセクシー。


「こら、秋山。今、見てたろ」

「めめめめめめめっそうもない」


 慌てて視線を外したものの。

 目を奪われていたことはばれたでしょう。


 だって、濡れたTシャツが学校指定の水着に張り付いて。

 宇佐美さんの、スレンダーな体のラインがキラキラと水滴を弾くかのように輝いて……。


「エッチで、論外なの、道久君」

「後生だからそれは縮めないでください。よその方を向いていますのでどうか許して下さうわあああ」

「ん~? 秋山~。何かびっくりしてる~?」


 大人びた小野さんのスタイル。

 というか。


 その、水着に張り付いたTシャツがしっかりと形作る大きな二つの品は。


「それは、学校に持ってきてはいけないものなのです!」

「え~? このTシャツ、だめ~?」

「まくりあげたらもっとダメ!」

「……エロ久君なの」

「それでいいから! このテロ・エロリストを! 小野さんを止めて!」


 これは、目のやり場が無い!

 水着に濡れたTシャツって。

 なんかダメ!


 体のラインが。

 シェイプと言いましたっけ。


 くっきり浮かんでいてててて。


 宇佐美さんと穂咲から。

 ブラシの柄で突かれましたけど。


 見るだけじゃなくて。

 思い出すのもアウトですか?


「よし、ではまた一番から五番まで! 一列に並べ!」


 第二問ですか。

 助かった。


 他の事を考えていれば叩かれません。


 ……と、思っていたのに。


「では、立体を表す時の『形』を英語で書け」

「エスパー? いてててて!」


 今のは考えるなと言われてもムリでしょうに。

 答え、シェイプですよね。


 みんなは、ごしごし書き始めましたけど。

 俺だけ、皆さんの姿が気になって仕方ありません。


「……きょろきょろしないの」

「こっち見るんじゃねえ!」

「ん~? 秋山、カンニング~?」


 あああああ。

 考えないように考えないように。


 シェイプのスペル。

 ええと、Shapeでしたっけ?

 俺の並び順は、四番目?


「秋山~。まだ~?」

「は、はい! いますぐうわあああ!」


 どうして前かがみになってますか小野さん!

 そんな二つを見せられたら……。


 世界の暑さと、おのれの思春期のせいで。

 わけも分からずブラシを動かすと。


 今度はクラスの全員が。

 床にうずくまって大笑い。


「…………秋山」

「へ、へい!」

「その単語の意味は?」

「単語って…………、おおう」


 五人が書いた単語。

 Sha『m』eとなっているのですが。


 いやはや、俺よ。

 『m』ってなんなの?

 そんなにアレの形を描きたかったの?


 でも。


「え? これ、別の意味になるのですか?」


 俺が首をひねると。

 呆れ顔の三人が。

 次々と俺をブラシで小突いて罵倒します。


「恥ずかしいの」

「恥だ」

「残念な人~」

「藍川と宇佐美と小野は正解」

「ほんとに?」


 そして答えることが出来なかった俺は。

 呆然と立ち尽くしたまま。

 ブラシで小突かれたまま。


 二つのホースから吹き出す水を浴びて。

 頭を冷やし続けたのでした。



 ……悪いのは。

 全部夏のせいなのです。


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