フクシアのせい


 ~ 五月二十二日(水)

 バジルカナッペ ~


 フクシアの花言葉 信頼



「バジルカナッペは道久君の分なの」

「そこまでだ」


 いつものように、おバカな野望を俺に打ち砕かれて。

 舌打ちするこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、コック帽の形に結い上げて。

 そこから、見慣れてもなお、派手でびっくりするフクシアの花が。

 ぶらんぶらんとさがっているので。

 コック帽の意味がありません。



 そんなコックさんが開催した。

 『パワーランチなの会』。


 瑞希ちゃんの胸のつかえを取り除きたいというアイデアなのでしょうけど。


 当の瑞希ちゃん。

 近藤君と六本木君の正面に座らされて。

 うつむいたままになってますよ?


 でも、そんな下向きな心も。

 この香りに抗えるものではありません。


 穂咲が炊飯ジャーの蓋をぱかっと開くと。

 焼きたてのパンの香りが広がって。

 瑞希ちゃんの表情をきらきらと輝かせたのです。


「うわ……。藍川先輩! おいしそうな香り!」

「あたしはいつだっておいしそうな香りなの」

「じゃなくて! パンの方ですよ! よだれ出るパン~♪」

「あ! ……ま、マリナ・デル・サン~♪」


 葉月ちゃんの反応が遅れたのは。

 元気がなかった瑞希ちゃんが、しばらく歌を歌っていなかったからですね?


 不意打ちだったようですが、上手に正解したようで。

 嬉しそうに、ハイタッチなどしています。


 これで、少し瑞希ちゃんの気分がほぐれたかな?

 でも、穂咲がこんな程度で満足するとは思えません。


 一体、何を企んでいるのやら……。


「しかし、穂咲」

「教授なの」

「今日は実験服じゃないから穂咲でいいでしょう。それより、炊飯器を三つも持って来て、全部パンなのですか?」

「ううん?」


 首をふるふるさせて。

 他のジャーを開くと。

 これもまた、幸せな笑顔を誘う香りが鼻をくすぐります。


「炊き立てはほんとにいい香りなのです」

「ほかほかごはんなの」

「パンの香りも美味しそう」

「ほかほかごパンなの」


 そして穂咲は、二つのジャーをまな板の上でひっくり返して。

 食パンを切り始めたのですが。


 ご飯の方は。

 おにぎりにでもして。

 放課後、練習の合間に食べるのでしょうか。


 しかし、皆さんには焼きたてなのに。

 俺だけフランスパンのバゲットな件については文句を言いたいところですが。


 バターとバジルの香りが実に美味しそう。

 バジルカナッペ、なかなか楽しみなのです。


「さて! パンを切ったところで、みんなして、他の人用にこいつらで味付けするの」


 穂咲がそう言いながら。

 テーブルの上に並べたものは。


 マーガリンと、何種類ものジャム。

 生クリームにフルーツ。

 レタスにハムに玉子。

 照り焼きチキンに、コロッケに。


 そんな品が山と並び。

 テーブルが大変なことになっているのですが。


「なんだ? ゲテモノ作って食わせるのが目的か?」


 六本木君が口を尖らせると。


「違うの。あげる人は決まってるから、ちゃんとその人のことを想って作るの」


 そして穂咲は。

 模造紙に書かれたリストを黒板に張り付けるのですが。



 げ。



 瑞希ちゃんの分は。

 六本木君と近藤君が作ることになっています。


 これには瑞希ちゃんが。

 泣きそうな顔で穂咲を見上げるのですが。


「ふっふっふ。二人の恨みを飲み込むのが目的なの!」


 そう言われた瑞希ちゃんは。

 覚悟を決めた様子で自分の頬を叩くと。


「わかりました! 必ず完食しますので、思う存分恨みを込めて作って下さい!」


 何となくいつもの調子に戻った口調で。

 元気に宣言したのです。



 ~🌹~🌹~🌹~



 そしていよいよ実食のターン。

 もちろん、みんなが注目するのは瑞希ちゃんの前に置かれたお皿。


 でも、そこにはとんでもないゲテモノが置かれていたわけではなく。


「こ、これは……。逆の意味で食べれないですよ……」


 近藤君の作ったパンは。

 ブルーベリーの実が乗ったホイップクリームが縁を飾り付けて。

 中央には、イチゴジャムでバラの絵が書いてあるのです。


 ほうと、女子一同がため息を漏らす中。

 このガーリーな品を作ったシェフが、優しい言葉を料理に添えます。


「僕は怒ってなんかないさ。だからこれで、元気になってくれるといい」

「あ、ありがとうございます。こういう可愛いの、大好きなんです! ほんと、嬉しいです……」


 近藤君は、俺には厳しいところありますけど。

 基本的に、どなたにも優しいですから。


 瑞希ちゃんも、そんな近藤君の気持ちに。

 目に涙を浮かべて。


 自分らしく、元気に頑張りますと宣言してくれたのです。



 ……でも。



 葉月ちゃんの笑顔が。

 どういうわけか、作り笑いに見えるのですが。

 まだ、なにか足りませんか?


 そんな不安な気持ちが。

 こいつのせいで現実になりました。


「可愛いのが大好きだあ? ふっふっふ。瑞希、綺麗に終わると思うなよ?」

「やめてやれよ、六本木」

「うるせえぞ、この優男め。こいつのせいでみんなに迷惑かかって、挙句に俺は利き腕使えねえから、勉強まで遅れてるんだぜ?」


 さっきまでの華やかなムードが台無しになって。

 瑞希ちゃんの表情が曇ります。


「そして一番腹立たしいのは、お前が近藤に謝らなかったことだ!」

「ご、ごめんなさい……」

「いや、謝らなくていいよ。……おい、六本木。ほんとにやめてあげろ」

「やだね! 俺はそんな恨みをこいつに込めたんだ! さあ、全部食いやがれ!」


 嫌味な笑顔を浮かべながら、六本木君が出した一皿。

 それを見て。

 みんなで目を丸くさせました。


「……え? これ、なんです?」


 思わず聞いてしまったのですけど。

 だってこれ。

 ホカホカごはんがよそわれたどんぶりの上に。



 …………ちぎった食パンが。

 山のように積まれているのですが。



「ぎゃーーーー! バカおにい! 我が家の恥をさらすな!」

「こら、みんなを巻き込むな。こんなのお前しか食わねえだろ。ほら、思う存分大好物をかっこむがいい」

「ぎゃー! 隠して! すぐに隠してよ!」


 瑞希ちゃん。

 どんぶりを突っ返そうとしてますが。


 それを止めたのは。

 この世界の支配者でした。


「だめなの。ルールなの。作ってもらったやつは食べるの」

「で、でも、こんなの恥ずかし……」

「だめなの」


 主催者に言われて。

 ようやく暴れるのをやめた瑞希ちゃんは。

 真っ赤な顔でうつむいてしまいました。


 頬を膨らませて。

 ぷるぷる震えて。


 見開いた瞳に涙をためたまま。

 六本木君をにらんでいますけど。


「え? こ、これが好物?」

「ま、まあ、可愛いじゃない。ごパン、おんざごはん」

「いや、おばさん。綺麗に言いつくろってもこれは無理だ」


 まあねえ。

 これはちょっと微妙かな?


 でも、そう思うのはそれぞれの主観。

 瑞希ちゃんが好きなら、それでいいと思うのですが。


 まあ、そこは女子ですし。

 恥ずかしがるのも分かります。


「バカおにいめ……。社会的に抹殺して来るなんて……」

「はっ! そんな気ねえよ。既にお前の信頼は地面以下だ」

「ちきしょお……」


 そして、兄ならではの厳しい言葉に。

 みんなは口々に瑞希ちゃんを慰めた後。

 六本木君への大ブーイング。


 でも、みんなの言葉を。

 六本木君は平気な顔で否定します


「お前ら、信頼してるとか言ってるけど。それって、こいつが悪いことは悪いって認めて、すぐにいつも通りにもどるのを信じてるってことだろ? なのにこいつ、そんな簡単なことにも気づかずにグズグズしてやがって……」


 そんな言葉に、思わず誰もが口をつぐんだのですが。

 瑞希ちゃんだけは真剣な表情で。

 すくっと立ち上がるのです。


「おにいの言う通りだ。怪我をさせるなんてとんでもないことをしてすいませんでした。そして皆さんには心配をかけて申し訳ありませんでした」

「そうそう、わかりゃいいんだ。ほれ、それ食って元気出せ」


 そして、鼻をすすりながらこくりと頷いた瑞希ちゃんが。

 パンの乗ったご飯を口に頬張って。

 美味しいと一言呟くと。

 

「たりめえだ。俺が作ったパンだからな」

「え?」

「六本木君、あたしに、パンの作り方聞いてきたの」


 ごくんと口の中の物を飲み込んで。

 そのまま、目を見開いて六本木君を見つめるのです。


「でもよう、瑞希。ひでえんだぜ? こいつの説明」

「そんなこと無いの。サルでもわかるお料理教室だったの」

「ふざけんな! 桃太郎で例えられても分かんねえんだよ!」

「だって、六本木君が大声上げると大魔王っぽいの」

「大魔王?」

「大魔王」

「出てこねえだろ、桃太郎に」

「イヌ、大魔王、ドラゴン」

「もはや犬が非常食にしか見えねえ」

「サルでもわかるお料理教室だったの」

「そのサルがいなくなっちまってるじゃねえか! どこ行った!」

「美味しい料理の完成なの」

「サルーーーーーーっ!!!」


 いつもの、六本木君と穂咲の高速ばか話。

 思わずみんなが吹き出す中で。


 瑞希ちゃんは。

 どういうわけかムッとし始めたのですが。


「……藍川センパイのこと、そんなに好き?」


 急に。

 妙な質問をするのです。


「は? なんだそりゃ」

「いいから答えて!」

「そりゃ、こいつのこと嫌いなやつなんかいねえだろ。もっとも、瑞希が藍川の事好きな程じゃねえだろうけどな」

「え?」

「だってお前、藍川の事大好きっていつも言ってるじゃねえか」

「……は? そういう好き!?」

「たりめえだ。……え? じゃあお前、それで浮気者とか言ってやがったのか!」


 バカじゃねえのと頭を抱える六本木君を見つめたまま。

 瑞希ちゃんはフリーズしてしまったのですが。


 ようやく合点がいったみんなが視線を交わす中。

 葉月ちゃんが、ごめんなさいと頭を下げるのです。


「わ、私も、瑞希から聞いて勘違いしてました……。早く誰かに話していればこんなことにはならなかったのに……」

「葉月が謝ること無い。あたしが勘違いしたせいなんだから……」


 なあんだ。

 そんなことがきっかけだったのですか。


「だったら別に、二人のせいじゃないのです。瑞希ちゃんが勘違いしたのも、きっと六本木君のせいなのです」

「あ、いえ、その……」

「ん? 違う人のせいなのですか?」

「バイト先で……、そう言ったのは、あの……」

「ああなるほど。そんな会話を聞いた覚えがありますね。だったら悪いのは……」



 あれ?



「俺なのです?」



 ……問題が一つ解決して。

 『パワーランチなの会』は、その目的を達成したのですが。


 どうでしょう、この冷たい視線の数々。


「バジルカナッペは没収なの、道久君」

「今日はそれ、縮めていいのです」



 俺は、針の筵に座る心地に耐え切れず。

 一人、廊下へ向かうのでした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る