オダマキのせい
~ 五月二十日(月)
バッテリーが、からっぽ ~
オダマキの花言葉 断固として勝つ
「ぜへえ! ぜへえ!」
「五分経ったぞ。休憩終わりだ、道久」
「む、むり……」
こんな練習おかしくないですか?
だれです? 卓球が一番楽とか言ったの?
「サ、サッカーの練習でもこんなことにはならなかったのですが……」
「瞬発トレーニングだからな。お前から一番対極に位置するものかもしれん」
六本木君とお揃いのギプスを巻いて。
俺を見下ろしているのは近藤君。
いよいよ球技大会まで一週間と迫った放課後の体育館は。
他のクラスの皆さんもちらほらと見かけるようになりましたが。
「皆さんの見ている前で恥ずかしいのです……」
「恥ずかしいと思うなら、寝っ転がってないですぐ立てよ。まだ準備体操だぞ?」
雛ちゃんの一件で、よそより熱心な俺たちのクラスは。
総出で練習に取り組んでいるのです。
けれど。
致命的な問題を三つも抱える女子バスケと。
エース二人の欠場に。
モチベーションはだだ下がりとなって。
皆さん、ただ参加しているといったご様子。
そんなことではいけないと。
俺がみんなを引っ張るんだと。
気持ちは猛特訓したいところなのですが……。
「ほら、早く立てって。次は反復横跳び十セットな」
「すいません、今、俺はウソをつきました」
「は? なんのことだ?」
気持ちは。
猛休憩したいのです。
……全世界の卓球に携わる皆さん。
侮っていてごめんなさい。
心から謝るので。
今日はもう立たないでいいですか?
だって。
疲れて水を飲みたくなることはたまにありますが。
疲れすぎて何も飲みたくないほどなのです。
だというのに。
ただ酸素だけを求める俺の口に。
「バッテリーがからっぽなの? 道久君」
「そこまでだ……」
「そんな状態でもあたしの野望を封じるの。そこは褒めたげるけど、水分をとらないのは褒めたげないの」
「ごもがっ!?」
強引にペットボトルを突っ込むこいつは
軽い色に染めたゆるふわロング髪をきゅっとお団子にして。
紫のがくに白い花弁。
完璧な美を体現したオダマキを一輪添えているのですが。
「ごはっ! ち、窒息してしまうのです!」
……美しい物には毒がある。
いえ。
この無茶苦茶な給水をする子は。
俺に対する心が美しくないのです。
「あたしたちも、日々進化してるの。だから道久君も、一週間で優勝できるくらいになるの」
「君の、亀のような進化速度を棚に上げて無茶を言わないで欲しいのです」
「みんな必死なの。ちゃんとやるの」
「でも……」
確かに皆さん進化しています。
誰に教わったのやら、君も十回ほどドリブルが続くようにはなりましたし。
でも、ドリブルは移動する時必要なわけで。
そのまま一歩も動けないでは。
意味なんかありません。
雛ちゃんも相変わらずのようですし。
ようやく練習に出て来た瑞希ちゃんも。
がむしゃら過ぎて、力が入り過ぎで。
さっきから、ドリブルシュートを外しまくりなのです。
男子を相手にディフェンスの練習をする渡さん。
凄いペースで三点シュートの練習を続ける葉月ちゃん。
みんな、必死さはビシビシと伝わって来るのですが……。
「なんか、皆さんムキになっているようで、何かが違うと思いませんか?」
「……それは、ちっとだけ感じるの」
方向性を見失っているというか。
そもそも方向が間違っているというか。
どこかを目指して走っているという感じではなくて。
その場で暴れているだけのように見えるのです。
だからでしょうか。
去年とは違って。
周りのみんなに。
やる気が燃え移らないのは。
――そんなことを考えながら。
ようやく上半身だけを起こした俺の元に。
てんてんと転がって来るバスケットボール。
それを追って。
雛ちゃんが袖口で額の汗をぬぐいながら駆けてきます。
「……頑張ってますね」
「ああ。あんたと違ってな」
うぐ。
手痛い攻撃ですが。
確かに納得。
でも、ごめんねと謝る俺に。
雛ちゃんはかぶりを振るのです。
「……なんで冗談が通じねえんだアンタは。そこで倒れる直前まで必死にやってたじゃねえか」
「はあ。確かに教育としてのスポーツの目的は、各々の技量に合わせて一生懸命やることなのかもしれませんが。今回に限り結果が全てでしょうに」
「そうじゃないよ。……一生懸命の先にしか、結果なんてあるはずがない」
そう言って、チームメイトを見つめる雛ちゃんでしたが。
今の言葉、真理として口にしたのではなく。
希望として口にしたようですね。
それを裏付けるかのように。
一生懸命にやっているのに、まるで前進していない仲間の姿を見つめたまま。
そして、まるで前進しない自分の手を見つめたまま。
悔しそうに下唇を噛み締めます。
「……あんたら、必死にやってるじゃねえか。それを見て、かっこいいと思わないとでも?」
無口で。
たまにしゃべっても口が悪くて。
でも。
素直で本当に優しい子なのです。
そんな彼女は、最後に一人の男の子の姿を見つめながら。
胸に何かを詰まらせたような呻きを漏らします。
運動神経で言えば穂咲以下の小太郎君。
彼はボールボーイとして、誰よりもずっと走り続けて。
そして疲れて足がもつれて、包帯だらけの体でいつものように転ぶのです。
「みんながみんな大変だってのに。……瑞希ちゃん先輩なんて、胸が潰れそうな思いであそこに立ってるってのに」
とうとう声を震わせて。
目元を拭う雛ちゃん。
君の大変が、一番大変なのに。
「……ありがとう」
こんなにも。
他の誰かを思いやることができるなんて。
…………何とかしてあげたい。
心からそう思います。
でも、俺にはどうしたらいいか分からなくて。
自分も必死に特訓することで、考えることから逃げているような気がします。
そう言えば。
去年も似たような思いをしましたっけ。
結局直前まで解決方法が分からなくて。
あの時、俺たちを助けてくれたのは……。
「まったく。これのどこが必死な特訓だというのです? 非常識です」
熱気のこもった体育館に。
渓流のごとき厳しさと涼しさを備えた声。
この声は……。
「生徒会長?」
「在学中ならともかく、いつまでその名で呼びますか、秋山道久。非常識です」
こちらの方は、
三月に卒業された、葉月ちゃんのお姉さんが。
いつの間にか、俺を見下ろすように立っていたのです。
「……やれやれ、葉月に頼まれて応援に来てみれば。これは期待薄ですね」
「そんなことを言わずに、どこがいけないか教えて欲しいのです」
「私は応援に来たと言ったのです。部外者が何かを指導するでは教育の意味が無いでしょう、非常識な」
「いえいえ。卒業生がひょっこり遊びに来ちゃいけないと思うのです。生徒会長の方が非常識なのです。あと、意地悪」
「くっ! 相変わらず、口の減らない……っ!」
どうしてでしょう。
生徒会長とお話すると、ついつい厳しく反撃してしまう俺なのです。
……あるいは。
そう誘導されている?
「いいでしょう! 秋山道久、あなたの身から出たサビと知りなさい!」
「え? 練習を見てくれるのですか?」
「どうしてそうなりますか! ほんとにあなたは頭に来ますね!」
会長の剣幕に。
気付けばみんなが練習の手を止めて。
俺たちに目を向けます。
すると、まるでそんな頃合いを待っていたように全員を見渡した後。
会長は、とんでもないことを言い出しました。
「ただ体を動かしていればいいと思うような愚鈍な者など勝てはしない! 不良生徒、秋山道久と一緒にいるからそのような惰弱に育つということを私が証明しましょう!」
なんという罵詈雑言。
さすがに全員の目尻が吊り上がります。
「現生徒会の者が集まったクラスがあるので、私はそちらへ最新の戦術と効率の良いトレーニングプランを伝授してきましょう。もっとも、こんなダメチームにそこまでの必要などありはしないでしょうけど?」
「……おい、部外者。今のは聞き捨てならねえ」
「ちょっ。雛ちゃん、ストップストップ。この人、葉月ちゃんのお姉さま」
「関係ねえ」
慌てて止めに入ったのですが。
渡さんにも物怖じしないこの子が言葉などで止まるはずもなく。
俺と穂咲が両手を引っ張って。
いつもの逆三角形でなんとか食い止めます。
「ふん! なんて口の利き方も知らない一年生なのでしょう。この有象無象を代表するような方ですね。どうせ球技大会も体よくサボろうとしているのでしょう?」
「アタシはどう言われても構わねえ……。でも、みんなをバカにしたのは許さねえ! 今すぐ謝れ!」
雛ちゃんの言葉に、心を揺さぶられない者などいやしません。
気付けば体育館中から俺たちのチームメイトが集まってきて。
逆に、雛ちゃんに謝れと会長に向けての猛攻撃。
でも、三学年、百人の怒りをその細身に受けて。
この人は、平気な顔で立っているのです。
俺は、会長の狙いについて理解しているであろう穂咲の顔を見つめると。
こいつも、泣きそうな顔で見つめ返してきたのでした。
「謝れ? ふん! 礼儀知らずの愚鈍一年生が何を言いますか! 大会が終わった時の、あなたの泣き顔が楽しみですね」
「なんだとババア……!」
「藍川穂咲の矢のようなパスがあろうが、加藤雛の風のようなドリブルがあろうが、私のチームが負けるはずなどありません」
そして高笑いをしながら飄々と出て行った会長の。
その背中に百人からの罵声が浴びせられると。
「ぜってえ勝つぞ!」
「元会長が何をしようが、それを叩き潰す!」
「あと一週間! 死ぬ気でやってやる!」
まんまと踊らされた全員が。
えいえいおーと、一致団結。
ああもう、あの人は。
なんだってそう不器用なことしかできないの?
俺はさすがに悲しくなって。
ついぽろりと涙を流してしまったのですが。
「……お姉ちゃんだからって、容赦はしません! 皆さん、必ず勝ちましょう!」
「ちょっと! 葉月ちゃん!?」
葉月ちゃんまで役者になって。
全員の士気を最高潮にまで高めるのです。
俺は、こっそり隠した葉月ちゃんの震える手を握ってあげながら。
会長へ深々とお辞儀をしました。
ありがとうございます。
みんなのやる気を出してくれて。
……そして。
勝つためのヒントまで教えて下さって。
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