ボタンのせい


 ~ 五月十七日(金)

    罰を、代わりに ~


 ボタンの花言葉 恥じらい



 昨日から始まった。

 六本木君と近藤君によるしごきのせいで。


 体がカロリーを求めます。


 自習となった四時間目。

 どうにも空腹に耐えきれず。


 教室を抜け出して購買を目指していたら。

 意外な人と出会いました。


「いったいそこで、なにをしているのです?」

「う。…………な、何でもない…………」


 なんでもないはずもなく。


 授業中だというのに。

 廊下にぽつんと立っていたのは加藤かとうひなちゃん。


 飴色をしたロングシャギーを内巻きにした一年生が。

 ばつが悪そうに顔を逸らします。


「ええと、まさかとは思うのですが……」

「うるさいよ。お願いですからあっちに行ってください」

「立たされているのですか?」

「くっ……。帰りてえ」


 先日は。

 廊下に立たされることを否定していた雛ちゃんですが。

 どうやらそれはウソだったようで。


 やはり君は。

 俺と同じ星の下に生まれてきたのですね。


「小太郎君の隣にいつもいるわけですし。当然と言えば当然なのです」

「なにが当然なんだよちきしょう。ああ、恥ずかしい……」

「いえ、恥ずかしがることなどありません。彼が叱られそうになったのをかばったのですよね。全部わかります」

「うるせえ黙れ。ほんとあっち行け」


 顔を真っ赤にさせて否定していますけど。

 お兄さんには全部お見通しなのです。


「よし。嬉しい気分になったので、俺も一緒に立っていましょう」

「迷惑だ!」

「残念ですが、俺は『持って』いる男なので。このように事が運ぶのですよ」


 そう言いながら。

 教室の扉へ両手をかざすと同時に。


 ばあんと勢いよく開かれて。

 見知った顔が出てまいりました。


「さっきからうるさいぞ加藤! だれと話をして…………。なぜ貴様がここにいる」

「やはり。この子たちの授業を担当するなんて、先生も『持って』いらっしゃる」

「やかましい! そこで加藤と一緒に立ってろ!」


 一年生の授業も受け持つ我が担任が。

 教室に引っ込んでいきましたので。


 俺は晴れて。

 雛ちゃんのお隣に立つことができました。


「これでゆっくりお話しできます」

「今すぐ帰りてえ。っていうか、あんたが帰れ」

「まあまあ。それより、小太郎君はなにをやらかしたのです?」

「……授業中に叫んだんだよ」

「なんて?」

「これが佐渡島さどがしまだと思ってた! って」

「…………は? 意味が分かりません」


 説明するのもめんどくさいと言わんばかり。

 大きく息を吐いた雛ちゃんが。


 俺の怪訝顔をちらりと見た後。

 渋々話してくれるには。


「……コタローが問題を出してきたんだ。日本の左上にある島は何でしょうって。あんたなら何のことか分かるか?」

「左上という時点で一般的には浮遊都市ですが。でも、穂咲も同じクイズを出してきたことがあるのでよく分かります。佐渡島のことですよね?」

「そう。それきり相手にしなきゃよかったのに、アタシもクイズを出したんだ」

「はあ」

「では、佐渡島はどれか指差しなさいって」


 う。

 それは驚きです。


「……俺も、同じことをしたのです。一年生の時」

「まじか」

「そしたらあいつ、佐渡島を指差して、そこに書いてある地名を見ながら『が』の字が無いと騒いだので……、俺が立たされました」


 そんな俺の返事に。

 雛ちゃんは、両手で顔を覆ってうずくまってしまいました。


「お花先輩より下かよ、コタローは……」

「どういうことです?」

「あいつ、アタシが地図帳開いた途端に左上の島を指差して」

「はあ」

「書いてある地名を見て」

「一緒じゃないですか」

「さっきの言葉を急に叫んだんだよ」

「『これが佐渡島だと思ってた』、でしたっけ」

「そう。……沖縄を指差しながら」

「ぶふっ!」


 た、確かに左上に書かれること多いですけど!

 そんな間違え方しますか!?


「それでアイツが立たされそうになったから……」

「もともとクイズを出したのは自分だと言ってかばったわけですね?」


 両手で抱えた頭をこくんと前に倒した雛ちゃんは。

 しゃがんだままでため息をつきます。


「……いい奴なんだ。でも、それを打ち消して余りあるほどバカなんだ」

「分かります。ええ、分かりますとも」


 俺も、当時の事を思い出しているうちに。

 気が重くなったので。


 雛ちゃんと同じ姿勢になってため息をつきます。


「……いい奴なのです。でも、それを打ち消して余りあるほどバカなのです」

「分かる。ああ、分かる。……お花先輩の罰、いつも代わりに引き受けてるんだろ? あんた」

「そうなりますね」

「分かるぜ……」


 そしてお互いを繋ぐシンパシー。

 俺たちはようやく。

 心から仲良くなれそうです。


「罰を。代わりに引き受けてるのか。あんたがね」


 …………ん?

 『ば』つ。

 『か』わり。


 それって。


「アタシもようやくあんたの気持ちを……」

「そこまでだ!」


 いつもの調子でブレーキをかけたら。

 怪訝な顔でにらまれました。


 ……ああ、いかん。

 妙な癖がついたせいで。


 昨日は穂咲を。

 今日は雛ちゃんを怒らせることになりました。


 

 この戦友と。

 また心の距離が開いたことを感じながら。


 俺は、せめてちょっとは先輩らしく。

 一部の隙も無い立たされ姿勢を披露してあげました。




 ~🌹~🌹~🌹~




 放課後の体育館に。

 今日も今日とて。

 てんてんててててて。


 いつもはあと二人の姿が見受けられるはずなのだが。

 今は三つの影が青春の汗を流す。


 ここにいない一人目は。

 今も体育館の外で、一人膝を抱え。


 さらに一人は。

 ようやく努力が実を結び始め。

 世間一般的には『前』と呼ばれる方向へボールを放ることができるようになったのだが。

 今はその姿もない。


「三人だけだと、ちっと張り合いがないの」

「職員室に用事って、多分秋山と一緒に反省文書いてるんでしょ? すぐに練習に来るわよ」

「……もう一人の方が心配なの」

「ああ、そうね……。ほんとにね……」


 二人の三年生は、気を使って。

 必死にスリーポイントシュートの特訓を続ける清楚な女の子の方を見ないように話していたものの。


 気持ちには、目に見えないベクトルが働くようで。

 『お願いだからあなたは練習を続けて』と親友に言われた胸の痛みを誤魔化すように、がむしゃらにシュートを放つ女の子は。

 肩身の狭い思いをし続けていた。


 ――そんな体育館に。

 小さな鼻からの嘆息が聞こえる。


 ドリブルの出来ない少女は、五分ほど前からそこに立っていた男性にようやく気が付くと。

 目を丸くさせて、その高級そうなスーツに身を包んだ男に近寄った。


「……前に公園で会った、お花を捨てたおじさんなの。こんにちはなの」

「ああ。……お前はいつでも花を頭に活けているんだな。何のつもりだ?」

「お店の宣伝なの」


 なんて費用対効果の低い真似を。

 スーツの男性はそう呟いて、ボタンの花を少女から引き抜いて香りを楽しむと。


 もう十分といった態度で、ぞんざいに少女の頭に戻すのだった。


「藍川もスポーツはからきしだったが……、お前はさらにひどいな」

「そうなの。だから特訓してるの」

「特訓というものは、正しい指導があって成り立つ。お前はまず、自分の動きと他人の動きがどう違うか理解すべきだ」


 そう言って、携帯を取り出すと。

 少女の動きを撮影し。

 自らドリブルを見せてあげた。


「……あれ? あたし、ボールを避けてるの」

「そうだな」

「空中キャッチして、押すの?」

「やってみなさい」


 言われるがままに少女はドリブルを始めると。

 二度ほどボールに触れることができるようになった。


「すごいの! おじさん、先生の天才なの! この調子なら……」

「いや。お前の場合、程度でどうにかなるものではない」


 どういう訳か、球技大会のスケジュールを知っていた男性はスーツの襟を整えて少女に背中を向けると。

 背後から、優しさの中に芯のこもった言葉をかけられた。


「それでも頑張るの。あたしは、あたしが好きな子と別れたくないから」

「…………そうか」

「だから、教えてくれてありがとうなの、先生のおじさん。……そう言えば、おじさんはここに何しに来たの?」


 少女の、当然の質問。

 それに対する、男性の返答は。


 体育館にいた、三人の少女の胸を。

 凍り付かせるようなものだった。


「……娘の。転校の手続きに来ただけだ」




 ~🌹~🌹~🌹~




「もう、私、どうしたらいいか……」


 いつもは自分を頼らない、愛すべき存在の悲痛な吐露。

 暗がりにシステムチェアーの背もたれを鳴らした長髪の女性は、それでも自分の気持ちと真逆の事を口にする。


「自分たちで解決できなくてどうします」

「頑張ったんです。……いえ、みんな、頑張っているのです」


 そして堰を切ったように。

 愛すべき皆がどれほど苦しい思いをしているか。


 時に詳細に。

 時に感情に任せて訴える。


 すると、椅子から立ち上がった女性は。

 涙を流して言葉を紡ぎ続ける少女の手を取り。


 うんざりとした口調で。

 でも。


 どこか嬉しそうな笑みを口元に浮かべて。

 こうつぶやいたのだった。


「しょうがない子ですね、それを私にどうにかしろと頼むなど。まったく……」


 そして女性は。

 渓流の様な涼しい目元に優しさを湛えながら。

 愛する妹の頭を撫でて、こう結んだ。


「……非常識です」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る