ミズキのせい


 ~ 五月九日(木)

 場合が場合なので考え直せ ~


 ミズキの花言葉 成熟した精神



 あれから、渡さんによる猛特訓を受けて。

 なんとか四回はドリブルができるようになったこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、運動の邪魔にならないよう、きゅっと後ろで把ねて。

 でも、その結わえ目から、わさっとミズキのお花を生やして。


「邪魔なの」


 そう言っているでは。

 まったく意味がありません。



 さて、今日も授業中を含めて。

 放課後になった現在まで随分な時間。

 ドリブルの練習をしていますけど。


 この広い体育館の中。

 先ほどから聞こえる音は、いつも通り。


 てんてんててててて。


「むう。……スランプなの」

「スランプという言葉が正しいかどうかはともかく、ここ三十分ばかり二回しかドリブルできなくなりましたね」


 ちょっとコツをつかみ始めたところで。

 渡さんから、もっとボールをよく見てと言われたものだから。


 ボールをよく見て。

 じっくりと見て。

 手が、バウンドと同じタイミングで上下動するようになってしまったのです。


 これ。

 三週間でどうにかできるレベルじゃありません。


 思わずため息をついた俺の両肩に。

 小さな手が一つずつ乗せられます。


「ずいぶん無理ね苦労するね~♪」

「水兵リーベ僕のお舟~♪」

「慰められている気がしません」


 この、イラっとする妙な遊びが得意な女の子たち。

 活発そうな方が瑞希ちゃんで。

 清楚な方が葉月ちゃん。


 この春二年生になった後輩たちは。

 輝く笑顔で俺を見つめます。


「センパイたちと同じチームなんて! いつもの三倍頑張りますから!」

「何度も言うようですが、俺はこのチームのメンバーじゃないのです」

「わ、私も、秋山先輩と一緒に頑張ります……」

「ですから。どうやったら女子バスケチームに入れるというのです?」


 まったく。

 ジョークでからかわれるほどの仲になったことは喜ばしいですけれど。


 穂咲と似たようなことを言わないで欲しいのです。


 瑞希ちゃんは大はしゃぎで。

 落ち込んでいた穂咲を熱く励ますのですが。 


 その表情が。

 一瞬のうちに曇ります。


 彼女が見つめる先。

 体育館の昇降口から姿を現したのは……。


「よう! 頑張ってるか?」

「お。助かるのです、救世主。穂咲にドリブルのコツを教えてやってください」


 そりゃ無理だと大笑いする六本木君でしたが。

 瑞希ちゃんの厳しい視線に気が付いて。

 その足をぴたっと止めたのでした。


「……なんだよ瑞希。お前、月曜からなんかおかしくねえか? 反抗期?」

「うるさい! おにいは、藍川センパイから二万キロ以内に近付くな!」

「それ、地球の反対側に行けってことじゃねえか」

「バカじゃないの!? 直線にしたらもっと遠くよ!」

「バカはお前だ。大気圏から外に出ちまうわ」


 瑞希ちゃんは。

 どういう訳か、穂咲の前に両手を広げて立ち塞がるのですが。


 そこは実の兄。

 妹さんの癇癪を落ち着いて受け流します。


「壊滅的な運動神経を持つ藍川にバスケの指導をしてこいって、クラスのみんなから言われて来たんだ。邪魔するなよ」

「うるさい! 今すぐブラジルに行け!」

「お前が行ってろ。好きだろ? コーヒー」


 なんでしょう。

 兄妹げんか中ですか?


 でも、穂咲を救える唯一の存在。

 ここは瑞希ちゃんに我慢してもらいましょう。


「ええと、お兄さんの言っている通りなのです。みんなが六本木君に頼んだのは本当なので、コーヒー農園送りはちょっと考え直して欲しいのです」

「うう……、でも……」

「安心するのです。何があったか知らないけどお兄さんが悪いに決まってますのですぐに謝らせますから」

「よし了解だ。……なあ、瑞希。頼まれてた道久の隠し撮り写真、今度大量にやるからそこをどけ」

「ばっ、バカ! なに言い出すのよ! すぐに消えろあっち行け二度と来るな浮気者のバカおにい!」


 そして、真っ赤な顔をした瑞希ちゃんの猛攻撃が始まると。

 防御一辺倒の六本木君共々。

 昇降口から外へ出て行ってしまいました。


 ……俺の写真?

 何の話です?


 首をひねる俺でしたが。

 深いため息がちょっと離れた辺りから聞こえて来たので。

 慌ててフォローしました。


「騒がしくてすいません」

「いや。……別にいいけど」

「それにしても、君たちまで同じチームなんて驚きなのです」

「ボ、ボ、ボクは同じチームじゃありません! 男子ですよ?」


 渡さんから付きっ切りで指導を受ける女の子は加藤かとうひなさん。

 その後ろでボール拾いをしてくれるのは香取かとり小太郎こたろうくん。


 この一年生コンビとは。

 先日から、ちょくちょく顔をあわせているのですが。


 まさかここまでご縁があるとは。

 面白いものです。


「雛ちゃんはともかく、小太郎君はなんでこんなとこに? 君の運動神経じゃ、ちゃんと練習しなきゃいけないでしょうに」

「その運動神経の悪さが一瞬でクラスの連中に知れたからな。こいつは全競技用の補欠だよ。……そう言うあんたは?」

「俺は、すべての競技に精通してるために全試合へ参加する可能性のあるスーパーサブなのです」

「おめえも補欠じゃねえか。……ま、そんな感じするけどな」


 おどおどとする小太郎君の代わりに。

 雛ちゃんが全部教えてくれたのですが。


 その様子を見ていた渡さんが。

 切れ長の目をこれでもかと冷たくさせて。

 雛ちゃんに言うのです。


「さっきから気になってたけど。先輩に対して、なんて口の利き方してるのよ」

「うるせえなあおばさんは。……皺増えるよ?」


 うわあ。

 雛ちゃん、凄いなあ。


 呆れを通り越して。

 尊敬すら感じるこの態度に。


 渡さんは噛みつきそうな勢いで身を乗り出して。

 雛ちゃんも、負けじとにらみ返すのですが。


「香澄さん! ここはこらえて!」

「ひ、ひ、ヒナちゃん! なんて失礼なこと言うの!?」


 葉月ちゃんと小太郎君に腕を引っ張って止められて。

 見事な逆三角形の組体操が二つ完成です。


 やれやれ。

 ケンカしちゃダメですよ。


「渡さん。雛ちゃんは、礼儀以外はまともですのでご安心ください。バスケも真面目にやるでしょ?」

「真面目? 冗談じゃねえ」


 おや、意外。

 予想外なことを言い出したと思ったのも一瞬の事。


「……アタシは、絶対に勝つんだ」


 そう呟くと。

 流れるようなドリブルから。

 易々とレイアップシュートを決めたのです。


 なるほど、雛ちゃんらしい。

 でも、どことなく鬼気迫る感じがします。


「絶対にって。……なにか理由がありそうですね」


 そんなぶしつけな質問に。

 彼女は俺に背を向けたまま。


 訳を話してくれたのです。


「……アタシの家、母親はともかく、父親が厳しくてな。コタローと一緒にいるのを嫌ってるんだ」

「そうなのですか」


 何というか。

 俺と穂咲とそっくりな関係なだけに。

 悲しく感じますね。


「同じ学校に行きたいって言ったときに条件を出されてな。定期試験で学年一位を一度でも逃したら転校しろって言われてる」

「うわ。冗談みたいなお家ですね」

「……冗談だったらいいんだけどさ」


 自嘲気味に笑う雛ちゃんを。

 渡さんも、目を丸くして見つめます。


「で、だ。あいつ、球技大会のことも嗅ぎつけて。優勝しないと転校させるって言い出したんだ」


 …………うそ?


 君のお父さん。

 なに言っているのです?


「それは無茶なのです。だって、団体戦ですよ? 優勝するには六つの競技で優劣を決めるわけですから……」

「あんた、何言ってんだ?」

「え?」

「バスケの世界じゃ、一匹の獅子が試合を制することなんてよくある話さ。だからこの球技大会。他の競技にも出場して、アタシ一人で全部勝つ」

「……無茶です」


 小太郎君の優しさに惹かれている。

 とても素敵な女の子。


 でも、そんな雛ちゃんに。

 陰があると感じていたのは。

 こんな悲しい事情があったというわけなのですね。


「無茶なんてことはない。……頑張ればいいのさ」


 雛ちゃんはぽつりとつぶやくと。

 スリーポイントラインの外に立ち。


 胸の前に両手でボールを持って。

 ツーハンドの美しいフォームで、リングに向けてボールを放ちます。


 すると宙に舞ったボールは。

 リングに触れることすらなく。


 まるで吸い込まれるかのように……。


 雛ちゃんの目の前に落下して。


 てんてんててててて。


「…………今の、シュートしようとしたのですよね?」

「だから、言ってるじゃねえか」

「何をです?」

「頑張るんだよ。……これから」


 いやいやいや。

 なにその限定的ぶきっちょ。


 唖然とする俺の前で。

 再びゴールを目掛けて放ったボールは。


 今度は自分の頭の上に落下とか。



 ……これ。

 たった三週間でどうにかなる物?



「道久君。そんな顔しちゃダメなの」

「穂咲……」


 いつの間にやら隣にいたこいつが。

 嫌なことを言ってきます。


「これをどうにかできるほど、俺は上手に教えることが出来ません」

「場合が場合なの。考え直すの、道久君」


 …………場合が場合、考え直せ、道久。


「そうですね。もう何も言わないでいいです」


 俺も。

 気合を入れて練習に付き合いましょう。



 もちろん、可愛い後輩のためです。

 頭文字が気になったから穂咲を黙らせたわけではありません。


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