第1話 - ドン・キホーテ、探索者となる。




 ——私こと、広野 英雄ひろの・ひでおは周囲に騎士狂いとして知られている。


 口を開けば仰々しい時代錯誤な口上に騎士という存在に対する異常な執着、そして社交性の欠如。その多くは好奇と侮蔑……或いは少数の憐憫の意を込められたものだったが、私自身は別に気に留める事もなかった。

 ただ個人に対する周囲の評価というモノは時に無関係な肉親にも降り掛かる事があり、家族からはかなり疎まれる存在であったというのも理解しているつもりだった。

 なまじ普段の生活態度や教科成績は平均以上を維持していた為に教師達からはかなり手を掛けてもらったのも、風当たりの強くなった遠因と言えよう。


 家族や同級生から腫れ物を触るような扱いを受けるのに何も思う所が無い訳ではない。だが、生まれ持った性を後からどうこうしようというのは実に烏滸がましくないだろうか。

 ありのままの自分を受け入れて貰いたいのは誰しも当たり前。ではその中で自分の性を曲げる者と押し通す者が現れるのは何故だ?

 それは単純に如何に社会を重視しているか・・・・・・・・・・・・・という点に尽きるのではないか、と私は考えている。

 これが殺人癖であったり変態性欲であったりするのならば他人に迷惑を掛けぬようにするのは理解できる。しかしその対象を己の理解の範疇の外へまで伸ばしていくのはあまりにも傲慢に過ぎると私は思うのだ。


 ただ華々しい騎士に憧れる事の何が可笑しいのか、ただ他者とは一線を画すような冒険を果たしたいと目指す事の何処が嗤えると言うのか、ただ迷宮に挑むという事が何故異常と呼ばれるのか。

 しかし今日は高校の卒業式、これからはそのような柵の一切が無くなる。それは転じてあらゆる行動に自己責任が付き纏う事を意味するのだが、それはとうの昔に覚悟している事であった。

 私は僅かな貯金と手荷物を抱えると、家族に別れの挨拶をしてから学生服を着替えぬままに家を出た。最後に見た家族達の表情が安堵したように見えたのは、きっと気のせいなのだろう。




   ◇  ◆  ◇  ◆  ◇   




 「此処が【探索者協会ギルド】か」

 着の身着のままに家を飛び出して、電車に揺られて数時間。時は回って日暮れ時、場所は移って東京都心から離れた郊外・府中市。


 そこにある日本四大迷宮の一つ【東京地下迷宮トーキョーダンジョン】に併設された建物、【探索者協会】こと通称ギルドに私は足を踏み入れた。そこで見た光景とは——。



 「おーい受付のネェちゃん、今日の分の査定頼むわ!」

 「だから毎度毎度ガラクタを混ぜるんじゃないよジジイ! 目ン玉腐ってんじゃないのコレ!」

 「朝に魔石掘って、昼に魔石掘って、夜に魔石掘って……」

 「ハイハイ、その話はもう十回目ですよ……ったく」

 「酒、酒くれぇ〜」

 「ここは居酒屋じゃないんだ、酒が欲しけりゃそっちへ行けバカヤロー!」



 ——嘗ては日本の何処よりも多く精強な探索者を抱えて様々な輝かしい冒険譚を生み出した最大手のギルドは、今や薄汚れた山賊のような男達が日銭目当てに屯するうらぶれた場所となっていた。


 誰もが自分の命を大事にする以上、探索者が冒険をしないのはまだ分かる。怪物と戦わないのも百歩譲ってまだ理解できる。

 しかし、大の大人が群れを成して怠惰に身を任せている現状を見逃せるほど私は大人ではない。怠惰とは伝染病にも似て、目にするだけで自然と他者にも伝播し得るものだ。政府の迷宮産業撤退からたった一年で、まさかここまで荒れてしまうとは思わなかったが。



 「何やってんだいイイ歳こいた中年共! 御天道様が昇ってる間にこんな所でクダ巻いてる暇があるなら、とっとと迷宮潜ってモノ納めるなりモンスター退治するなりしなッ!」



 故に騎士を志す者としてはここで一つ注意をしようと息を吸い込んだ瞬間、上階から響く爆音のような怒号が鼓膜を大きく揺さぶる。階下にいた男達もこの音量には皆が顔を顰め、音源である吹き抜けから顔を出している人物へと目を向ける。

 「ぎ、ギルマス……」

 そこに居たのは、大変に恰幅が良く肝の太そうな印象を受ける妙齢の女性だった。以前にチラリと見た事のある探索者の一人で【鬼殺しオーガスレイヤー】などと呼ばれていた大男にも引けを取らないような体格と、それに見合ったがっしりとしたしなやかな筋肉が捲った袖の下の腕からもよく見て取れる。

 「女将と呼びな! それと、アンタ達が働かなきゃウチにゃカネが入ってこねェんだ! カネがなきゃこれから先、戦利品諸々の買取額をもう少し見直さなきゃなんないんだがねェ!?」

 先ほどと殆ど変わらない声量でよく喉が潰れないものだな、と呆れ半分、感心半分といった様子で耳を塞いでいた私だったが、その言葉を聞いた階下の探索者達はまるで蜂の巣を突いたように大慌て。


 「ギルマス、それだけは勘弁してくれ!」

 「分かったギルマス、ここの面子で今日は少し深くを潜ってくるからさ。頼むからこれ以上の減額は許してくれ!」

 「よっギルマス、漢の中の漢!」


 「だからお・か・み、だ! そして口を開く前に迷宮に潜る! それと最後の奴! こう見えてもアタシゃ女だ、帰って来たらぶん殴ってやるから覚悟しな!」

 まるで蜘蛛の子を散らす有様と言うべきか、探索者達が我先にと逃げ出すようにギルドを後にする。

 慌ただしく掃けていく様を見ている内に、気付けばギルドの中に残っているのはギルマスと呼ばれた女将と職員を除けば私くらいのものだった。

 「……で、そこの坊や。此処には一体何の用だい? 親類に会いに来たってンなら今し方全員ダンジョンに行った所だから夜まで待つ必要があるけど」「むっ」

 すぐ背後からの声に振り返ると、そこには吹き抜けから大声を張り上げていた筈のギルドマスター・女将がすぐ真後ろに立っているではないか。現場であるギルドのホールはそれなりに広い間取りで作られているので、歩いて降りるにはどう考えても玄関に視線を向けていた間よりももう少し時間が掛かりそうなのだが……随分と健やかな足腰の持ち主のようだ。

 しかし私は別段誰かに逢いに来た訳ではない為、早速女将に自分の目的を告げる事にした。

 「私は探索者に成りに来たのだ」




   ◇  ◆  ◇  ◆  ◇   




 「どうぞ、インスタントで悪いけど」「これは、どうもかたじけない」

 女将は私を連れてギルドの二階、応接間と思しき部屋に私を通すと珈琲を淹れてくれた。

 「アンタは探索者ッてのがどんなモンか、知ってるかい?」

 「昨年の大遠征失敗によって政府が手を引いたという事であれば、承知している」

 質問に対する私の言葉に女将はそれもある。だがね、と言って続ける。

 「まず根本として、だ。探索者がカネを稼ぐには命を懸ける。さっきまでホールでクダ巻いてた連中だって余裕があるから上層で魔石掘りなんてやってるが、生活費やら借金やらで尻に火が点けば普段よりもっと深くを潜るなんて無茶を平気でやる」

 「理解はしている」

 そも昨今では探索者など食い詰め者の代名詞であるのが世間からの認識だ。探索に懸ける思いは私の求める処とは違うものの、それでもこの時勢に纏まった金子がなければ遠くなく食い詰めるのは当然の事である。

 女将は腰から一抱えもありそうな分厚い台帳を抜くと足組みした膝の上で開きながら話を続ける。

 「……悪いけど、見ての通り此処で働いて稼ぐッて事は、他所よりもーっとずーっと大変だ。見たトコ高校を卒業したばかりって感じだし、学費を稼ぎたいならバイトの方が断然ラクで儲かるよ」

 その口調は穏やかながら聞き分けのない子供に説教をするような気の重さを孕んでいたが、私とてこれまで騎士を目指して多くの努力をしてきたという自負がある。今更曲げてなるものか。


 「カネではない、私は冒険をしたいのだ」

 「自殺志願なら尚更だ」

 女将はバフ、と音を鳴らして読んでいた分厚い台帳を閉じる。此方を睨む目には険が宿り、既に気が重いという比喩を通り越して空気を押し潰すような殺気が肌を撫でる。



 「昔から、そう調子のいい事を言ってバカをやらかす連中ッてのは後を絶たない。遺体の回収は誰がする? 遠い家族には誰が知らせてやる? ——ギルドをナメるんじゃないよクソガキ。手前ェ一人の為に労力を避ける程、コッチも暇じゃないんだ」



 一陣の風と共に喉元に触れる冷たい金属の感覚。ほんの一瞬の瞬きであったのに、女将は何処からか剣を抜き私の首へ宛がっている。

 此処から少しでも引けば(いや、西洋拵えの剣であればもう一度振りかぶらねばならないが)首を落とす事が出来る、今まで覚悟こそすれ体感した事のない『死への恐怖』がさながら獲物を狙う蛇の如く鎌首をもたげる。



 心臓は今にも破裂せんとばかりに早鐘を打ち。



 全身の毛穴が開いて脂汗が噴き出し。



 両の眼は今にも零れ落ちそうな程に見開いた状態で眼輪筋が強張る。




 だが——だが、しかし。




 「こればかりは……こればかりは、退けぬ……!」

 確かに『死』は恐ろしい。今この時のように理不尽に目前へと現れ、理不尽に命を奪い去っていく。

 しかし、それよりも尚恐ろしいモノがこんな私にも一つだけある。『何も成せずに生を終えること』だ。このまま女将の脅しに退き、抜け殻のように残りの生を全うして何になる? 元より、騎士になる事以外あらゆる全てを切り捨てていった男に何が残ると言うのだ。きっと、そうなった時こそが本当の意味での私の『死』なのである。故に、絞り出す様なその言葉と共に不退転の決意を固めて女将と相対する。




 「……そうかい」

 私の瞳を覗き込む女将にもその決意が伝わったのか、徐々に首の刃が滑る様子が伝わってくる。そしてその次にぬるりと皮膚を伝う血の感覚が——訪れなかった。




 「ったく。アタシも焼きが回ったかねェ」

 彼女はあっさりと手を引くと腰の鞘(どうやら先程までは台帳で見えなかったらしい)にその刃を納めた。しかし肌に当ててスライドしても斬れない剣とは……

 「女将、その剣……模造品だったのか?」

 「当たり前だよ馬鹿者! ここでアンタに怪我させたらアタシの方が捕まるからね!」

 ……うむ。先程までは殺気に呑まれて頭が上手く回らなかったが冷静に考えてみれば此処は田舎とはいえ日本の首都で、当然ながら法治国家のお膝元である。確かに客観的に見れば馬鹿な事を言ったのは私の方であった、これは猛省しなくては。


 「まあ模造剣は冗談として」

 随分笑えない冗談もあったものだ。

 「アタシはアンタみたいな小僧が探索者をやる事には反対だよ。だがここで追い返しちゃアンタ、無理矢理にでもダンジョンに潜ろうとするだろう? 身元不明の遺体が上がってくると警察なンかへの対応が面倒だからね……だからね」

 「?」

 女将が台帳から引き抜いた三つの書類を手渡してくる。

 一つは志望動機欄などに斜線の引かれた一般的な履歴書、一つはA4用紙10枚に及ぶ探索者として発生する諸々の権利責任に関しての同意書、そして最後の一つは規則的な幾つかの四角い枠が書かれた古めかしい紙。

 他の書類と違いコピー紙ではなくこれだけは羊皮紙である事から何らかの【魔導具マジックアイテム】だとは推察できた。


 「これは?」

 「【看破の書リビーラー】って言う、対象の情報を図面化する魔導具さ。ここに手を乗せると強さとか使える魔法とかを色々記述されるんだよ、一度ダンジョンに潜って身体に魔石が宿らなきゃ使えないがね。これは帰って来てからのお楽しみさ」

 「分かった。では先に他の書類から片付けるとしよう」

 履歴書に氏名・学歴・職歴と記入していく中でふと思ったのだが、実家を出奔した身としては住所をどう記載すべきか。

 「……まさかとは思ったが家出人とはね。しょうがない、ウチの私書箱の番号でも書いときな」

 相談してみると女将はそう言ってくれたので、空いている私書箱の番号を書かせてもらう事にした。

 こうして履歴書の記載が終わり、続いて同意書の内容を読み込む。女将の性格からして別段読まずとも此方が困る事態にはならないとは思うのだが、同意書から女将に目を向けると眉間に皺が入るのでしっかり読もうと思う。




 騎士として英雄譚に謳われる様な冒険を求めて此処に来た筈が、この日は細々とした文字を目で追うので精一杯の一日となってしまった。

 ようやく目の痛くなる同意書から解放されてみれば窓の外は既に夕暮れ。吹き抜けから階下を見下ろしてみれば、タイミングを見計らったかの様に昼に飛び出していった探索者達も帰って来ていた。




 「では女将、早速ダンジョンに」「このアタシが許すと思うのかい?」

 その日、二度目の爆音がギルドを揺るがしたのは言うまでもない。



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