第23話 嘘だと言ってよ物理ィ!

 来た……来てしまったのかこの時間が。

 審判の時だ。俺の人生の全てがここで決まると言っても過言では無い。

 生きていく上で変に自信満々と言われているこの俺でも、この時ばかりはただ神に祈りをささげる事しか出来ない。なんという無力感。なんという焦燥感。募る苛立ち、震える拳、拳開けば手のひらは汗まみれ……来るぞ!!

「テスト返すぞー」

 死刑宣告を物凄い軽い調子で言われた気分である。

 今日からはテスト返却日。正直テストは赤点が無けりゃ良いやと思っていた俺なわけだが、理系クラスに行く為には、この最初の中間テストすら非常に重要だ。

 最初の教科はいきなり苦手な物理である。物理と無理ってぱっと見似てるじゃん? つまりそういうことじゃん? 物理なんて無理じゃん?

「新垣」

「はい」

 隣でさらっと返事をして答案用紙を受け取りに行く出席番号1番の女の子、もとい俺にフラれた人。婚約を断られた奴。

 新垣ゆかなはいつも通りだ。

 誰が見ても綺麗で、みんなに優しく、真面目な良家のお嬢様をこなしている。

「何か私の顔についてる?」

「いんや、いつも通り仮面が一つ」

「…………」

 おや、いつもならさらりと優等生らしい言葉の一つでも返してくるところだというのに、ニコッと笑って黙りおった。

 調子狂うなオイ、それとも柄にもなく本気で心が折れているのだろうか。

 例の婚約者同士、両家の初顔合わせみたいな場での事である。

 連れてこられた会席の場というか食堂は一部屋で、既に親父の工場ぐらいの広さだった。

「やぁやぁ、妻夫木さん、今日はよく来てくださいました」

「いえいえいえいえ、本当こちらこそ! 呼んでいただきまして、誠に、誠にありがとうございます」

 親父が究極にへこへこしていやがる……。部屋の広さの事もあって情けなくて涙が出てくらぁ。

 逆にお袋は全く媚びる感じを見せずにその後ろで不満そうな表情をしていた。

 そういや、新垣のお袋さんは何処なのだろう。

「何キョロキョロしてるわけ?」

「早くお前の両親に、婚約する気は0な事を伝えたくてな。お袋さんを探してるとこだ」

「残念だけど今日はいないわ」

「いない? 娘の婚約発表ん時に?」

「……うん」

 また憂いを帯びた訳ありみたいな表情しやがって。俺はもう騙されないぞ。この前の新垣の親父さんの話をした時の反応の事もあるし、どうせまた肩透かしな内容なのだろう。

「さぁ、会食を始めようか。皆さん席に着いてもらえますか?」

 取り仕切り始める新垣の親父さん。取り敢えず親父さんしかいないんなら親父さんに面と向かって、ちゃんと言いきるしかないな。

「あの、申し訳ないんですが、この婚約話無しにして欲しいんすけど」

「ちょっ!」

「えぇ!?」

 隣の新垣+妹の反応が重なったところで、親父が急に俺の元へと駆け寄る。

「た、孝宏たかひろ。いきなり何を言い出すんだ」

「いきなりじゃねぇ。さっきから言ってんぞ。俺彼女いるし、婚約の話とか突然出されても困る。だからこの話を無しにしてくれ」

「えぇ!? 孝宏に彼女がいる!?」

「兄いに彼女!?」

「嘘も大概にしな」

「親父も愛衣ちゃんも驚き過ぎだし、お袋信じてすらいねぇ!?」

 ちっくしょー。確かにはるかさんと付き合えたのは奇跡だけども、俺に彼女がいる事はそんな不可能を越えた何かを見たような反応になっちゃうのかよ。泣くわ。

 自分の恋愛面での信用の無さが判明したところで静かに突き抜けるような声が俺に向けられた。

「それは、君だけでなく、君の家族や、智行としゆきさんの事も考えた上での意見かな?」

 まぁ、そういう脅しになるよなぁ。ドスが効いてて常人ならちびってるのでは?

 実際智行ことうちの親父がまたビビリにビビっている反応を示し、俺の頭を下げさせようとする。

「おい孝宏、なんて事を言うんだ、し、失礼だろう! 言い方をわきまえなさい。すみません、新垣さん、うちの息子教育がなってなくて」

「いやいや、元気が良くていいじゃないですか」

「えぇ、もう本当に元気だけは良くて……それで、この婚約なんですが」

 クソ親父め……へーこらしてんじゃねーっての。ちくしょう、息子を人質に差し出す親が何処にいるんだ。

 仕方ねぇ、強硬策に……。

「お断りさせていただきます」

 出て……は?

「すみません、駄目な父親なもので、妻から聞いた話だけで息子も望む話だと思っていました。ですが……息子の幸せが別にあるのなら、私は父親としてそれを守る義務がある」

 さっきまでのご機嫌伺いのような態度とは明らかに違う、強い姿勢、口調で親父は言い放った。親父……。

「智行さん……」

 お袋の顔がとろけている……アンタ本当に夫が大好きね。

 親父の言葉を聞いて新垣の親父さんは小さなため息を漏らす。

「そうか……それは残念だな。ゆかなは君を好いているようだし、出来れば双方に取って良い形になってくれたらと思ったのだがね」

「新垣のお父さんだって、娘さんは、俺なんかには勿体ないと思うでしょ?」

 新垣の親父さんより先に娘の方が俺の胸ぐらを掴んできた。目は潤み、本当に悔しそうにしている。そういうとこだぞ。好きになれないの。

「よく言ったもんね、それで気分良くこの話が終わるとでも?」

 勢いよく掴んできた彼女の手を、除けるように俺も掴んだ。

「言っとくけど本心だ。お前は凄い奴だし、身分も違う、お金の価値観だって違えば、学力も能力も何もかも。凄すぎる。俺には本当に勿体ないんだよ。だから、昔会ってた時とは違う壁みたいなもんが見える。ただ仲良く出来た小さい時には見えなかったもんが」

 つらつらと出てくる言葉に対し、新垣は握っている手の力が萎びていく。

「……それは」

「お前だってそう思ったから、再会した時、俺に酷い態度が出来たんだと思うぜ。妻夫木孝宏は自分の世界に来るべき人間じゃない。そう心の何処かで思ってたんじゃねぇのか?」

 胃の腑に落ちる感覚とはまさにこんな感じだろうか? 言っていて、新垣ゆかなを思い出の女の子と思えない自分の、言葉に出来なかった事を、思っても見ない形で言語化出来てしまった事、強い納得を感じた事に驚く。

 しばらくの静寂の後、新垣の親父さんの低い声が響いた。

「君の気持ちは分かった。婚約の話は様子を見る事にしよう」

「え、いや、だからこの話は無しにって」

「勿論無しにはするつもりだ。本人にその気が無いのなら、無理に勧めるのも、うちの娘を傷つけられるのも不愉快だからね」

 声音は冷静さを保っているが、明らかにこれは怒気を込めた言葉だ。

 本当に娘を大切に思っているんだろう。故に引き下がらないってことか?

「じゃあ、様子見っていうのは」

 真意を問うてみると、今度は冷静に、淡々と言葉を紡ぐ。

「仕事に関してやはり君のお父さんの技術や特許を見て見ぬ振りは出来ない。だから支援は続けるよ。そして私達が一緒に仕事をしている間、もしもの話だが、君がゆかなをうっかり好きになる事だってあり得るかもしれないだろう?」

 いやぁ、無い無いそれは無い。だが、これ以上言う事は新垣に対しての言葉の暴力のような気がしたので、俺はただ肩をすくめるだけに留めたのだが、新垣の親父さんは笑顔で口にした。

「きっとそうなるよ。私の娘は欲しいものはなんでも自分で手に入れるからね」

 ……なんで微笑まれたのに泣きたくなるんだ俺は。あきらめろよ、親子共々……。

 みたいな事があった後、俺はすぐさま遥さんの元へと馳せ参じてスライディング土下座をかましに行ったという経緯なのだが……。

 今日のコーサツでも新垣は俺に何か仕掛けたりしてこなかったし、案外俺に図星突かれて俺への愛も冷めたのでは? 

 ようやく俺に平和な学園生活が訪れる。遥さんとの夢の学園生活が!

「妻夫木」

「あ、っす」

 答案用紙を取りに行くと、何故か物理の先公である賀来かく先生がものっくそ哀れんだ顔で俺を見ている。なして?

「妻夫木……残念だったな」

 そう言って渡された答案用紙には残酷にも赤点でもおかしくない点数が赤字で書かれている……うーむ……うわぁあああああああ(その場でうずくまる俺。

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