第51話 急転直下

 階段を一つ降りた十一階には、喫茶コーナーがあり、軽食の販売が行われていて、飲食出来るスペースがあった。

 俺たち二人は一つの丸机の二人用の席で向かい合わせで座り、俺は勉強道具を入れたエナメルバッグを床に置き、遥さんは前に抱えるようにして、バックパックを膝の上に置いた。

「勉強できた?」

「お、おうともよ」

 最初はね。うん。嘘は言ってないよ。後半の十分ぐらい遥さんチラッチラしてたけど。

「い……は、遥さんは出来た?」

 名前を呼び直すにも、緊張して上手くいかぬ俺。だが、遥さんは優しく笑ってくれる。

「うん……ふふっ」

「どうした?」

「名前で呼んでくれた」

 ほ……惚れてまうやろおおお!!!

 え、こんなん惚れない男子いんの? いや、いるだろうけども、俺的にはありがとサンキューメルシーシェーシェーなんだがぁあああ!!

 い、いかん、顔がにやける。なんか別の話題にしなければ!

「そういや、お昼とかどうする? 飯食ってまた勉強するだろ?」

「う、うん」

 ちょっと困った顔! 何でだ!?

「あ、まだ早すぎるよな。別に今から食いに行こうってことじゃなくてだな!」

「……うん」

 口角の上げ方がぎこちない。……何だろ何だろ。何かあるぞ。遥さんは絶対現状に不満があるはずだぞ!

 名前で呼んだし、それ以外の事で……推察しろ! 妻夫木つまぶき孝宏たかひろ。喧嘩で相手の動き読める俺なら! やれるやれるぞ! 俺はやれる男だ!

 そう、女の子がご飯の事を口にしたら顔を曇らせてるんだから……ハッ!?

 完璧だ……完璧な閃きだ……天啓てんけいが舞い降りたぜ。

「近くにビンヤンっていうヘルシーなベトナム料理屋があんだよ。俺今無性に生春巻き食べたいから今日そこ行きたいんだけど、遥さん、どう?」

 身を乗り出して尋ねて答えを待つ。尋ねられた遥さんは、数秒の間のあと、にこりと笑う。

「うん」

 遥さんはコクリと頷く。そーかやっぱりダイエット中だったのかー!

 言われてみればちょっと顔色いつもより良くないかもー!

 全然太ってないのにー! むしろ痩せててもっとふっくらしても魅力的だというのにー! 遥さんの上昇志向ほんととどまる事を知らなーい!

 遥さんの気持ちを汲み取れた俺の達成感は天まで届きそう。

 外へと視線を伸ばせば、降っていた雨脚もだいぶ弱まってきている。

「よし、んじゃ、もういっちょ勉強してから行くか! 見た感じ雨やみそうだしな」

「うん」

 バックパックの横をくっと握りしめてから、遥さんはそのまま背負う。

 勉強ように持ってきたバッグもちょっと重そう。勉強にまで真剣だなんて本当ハングリー精神満載な遥さんである。ダイエット中らしいけど、なーんつって、なーんつって!

 十二階まで足取り軽く向かい、二人で勉強を再度始める。

 苦手教科の英語を克服する為に、ひたすら英訳と、単語の暗記の為の書き取りに集中する俺。

 さっきのテンションがいい感じに作用してるのか、いい感じに覚えれてる。

 こうなると、勉強にも楽しさを覚えたりする時がある。

 昔は勉強なんて、と思ってはいたが、やれないから否定するのでなく、やれるようになってから、初めて否定する事が出来る。そうでなければ、負け犬の遠吠えだという、陣内の言葉を聞いてから思い直すようになった。

 あいつ本当言うこと男前なんだよな。あいつがキャピキャピしながら男子の隣にいるのとか本当想像するだけで笑えるレベル。

 いかんいかん、集中が途切れてきたぞ。

 なんて思ってたら、時間は確かに十三時手前まで差し掛かるところだった。

「あ、遥さん、そろそろ出ようか。あそこ混むし、土曜十五時までしかやってないからさ」

「……はい」

 話しかけると、遥さんはこっちを見ずに、勉強道具をしまい始め、鞄を背負う。俺もそれに習いながらしまいおえて、いそいそと図書館を出ようとしたのだが……。

 後ろからガタンという音がした。

 振り返ると、遥さんが膝をつくようにうずくまっていた。

「は、遥さん?」

 急いで駆け寄り、身体を起こそうと肩に触れると、かなり熱がこもっている。

「体調悪いのか?」

「大……丈夫」

「大丈夫じゃねーだろ」

「え、孝宏く……」

 バックパックを背負った遥さんごと、抱き抱えて、エレベーターの方まで歩いていく。

「ごめん、身体を横にできる場所この辺りだと分かんねーから、取り敢えずさっきの喫茶ルーム行くな」

「あ、ありがとう」

 抱き抱えた身体からは、じんわりと強い熱を感じた。

 俺はなんて馬鹿野郎なのだろう。一人浮かれて、好きな女の子が辛い身体で一緒にいようとしてくれた事にすら気づけず、一人大喜びして舞い上がって。

 雨に濡れた服で、クーラーの効いたこの施設にいたらそりゃ、熱を出してもおかしくない。

 ハンカチ渡して、気遣い出来た気になっていた、俺はなんて愚かなんだろうか。

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