第50話 観察? いいえ、勉強ですよ。

 まちづくりライブラリーは、金山駅から徒歩五分のビルの十二階に構えている。

 この五分、気恥ずかしさからあまり声をかけれずにいたわけだが着いてエレベーターを待つ間、ジッとした視線を感じて横を見る。

「ど、どうした」

「髪、違う」

「え、あぁ、髪型。そうだな。今日はオールバックにしてねーけど」

 雨で湿った髪を触りながら答えると、ほけーっと気の抜けたほるかさんの顔超可愛い事に気づく。知ってた。

「変か?」

「そっちの方がいい」

 コクリと頷かれた。マジかよ。中二から貫き通してきたオールバックやめてしまえるレベルで嬉しいぜぇええ!

 テンション最高潮でエレベーターに乗る。いかん褒められたのだから、こちらも褒め返さなければ!!

石原いしはらも……今日はなんか感じ違うな」

 いかん、褒めようと思っても言い慣れてないもんだから、変な言い方になっちまう。

 反応をうかがうと、遥さんは何故かこちらをガン見していた。

孝宏たかひろくん」

「へい!?」

 無垢な瞳に捉えられた俺は、多分素っ頓狂で間抜けな声をあげた。

「どうして、あの時みたいに私を遥って呼ばないの?」

 問われた言葉の意味を理解するのに数秒を要する。名前で呼んだ? 誰が? 俺が? 誰を? 遥さんを!?

「え! 俺、石原の事下の名前で呼んでた!? いつ!?」

「暴漢に襲われかけた時、遥さんに手を出すなって、言ってた」

「うっそーん」

 チーン、とエレベーターの到着音。

 と同時に俺の心臓の爆裂音。やばいやばいやばい。アドレナリン湧きまくりんぐしてた俺ェ! 喧嘩中何口走っちゃってくれてんだよ! 下の名前で呼ぶとか!! はっず!!

「だから私も、孝宏くんって呼んでたのに」

「……あぁーー!!?? そういやあん時からなのか!!」

 俺が大声で叫んだせいで周りの視線が一斉に突き刺さった。

 しまったここライブラリー。ライブラリーイズ図書館。ソーリーソーリー。

 周りにすみませんと頭を下げてから、遥さんを見て、聞いてしまう。

「じゃ、じゃあ、遥さんって……呼んでいい?」

 うん、俺マジで何言ってんだろう。今呼んでもいいんだよ? っていうていで聞かれてたじゃないの。

 普通に呼べばカッコよかったし、恥ずかしくなかったと思われるのに俺のバカ野郎。

 俺の質問に、遥さんは数秒静止してから、口をもにょもにょさせて、コクリと頷いた。

 かわえええええええええええ!!!!

 あっぶねぇ、立ったままで気絶するところだったわマジで。

 これは、完全勝利なのでは!?

 いい雰囲気なのでは!?

 そんな遥さんはといえば、スタスタとカウンターの入館スペースへ行ってしまう。

 俺も(多分ニヤニヤしながら)それについていく。

 なるほど、ここって入館すんのにライブラリカードってのを作らないといけないのね。

「孝宏くん、初回は見学って名目で無料で入館できるよ」

「え!?」

 その時俺は思った、見栄を張ってコーヒーとサンドイッチを買って待ってたせいで、財布の中はそこそこピンチ。

 例えカードの作成費の300円だって今は惜しい……だが。

「今度から、遥さんと勉強するのに使うかもしんないし、払う払う。作る作る」

 言うと、遥さんは慈しみを帯びながらも、可笑しそうに微笑んでくれた。

 幸せええええええ!!!!

 何時間でも勉強してやらぁあああ!!

 心臓の音より心の声の方が喧しいという。逆に心で発散しないと多分踊り出してしまう。図書館で踊り出したら多分出禁は間違いないだろう。抑えろォ! 心鎮めろォ!

 机のスペースで俺と遥さんは勉強道具を広げる。

「頑張ろう」

「オッス」

 小声で返事しつつ、遥さんのガッツポーズについて小一時間議論したいのを我慢する俺マジ鋼の精神。

 こうして真面目な勉強会という名の至福の時間が始まった。

 なんぼでも勉強出来る。こういった静かな雰囲気でやる勉強と、妹が同じ部屋でアニメを垂らしながらやる勉強とでは集中力が雲泥の差だ。

 現に今こうして数分で、訳の分からなかったはずの物理の問題を二つも解けている。

 愛の力だな。間違いない。

 だが、暴走気味だった心が落ち着くに連れて、少し、また少しと、視線が遥さんの方に行ってしまう。

 集中してる時、遥さんは問題文ジッと見つめる癖あるんだなぁとか、消しゴムの消し方に無駄がなくて美しいなぁとか、シャーペンじゃなくて鉛筆派なんだぁとか。

 いかんいかん! 全然勉強進んでない! なんだよ等加速度直線パンチって、思考回路定まらなすぎて、答えにクソダサ必殺技名みたいなの書いちゃってる!!

 やはり人は一時間も勉強すれば、集中力が途切れる生き物なのだ。

 しかもなんか落ち着いてきたからか……眠くなってきたんだよな。

 俺が欠伸あくびをしたのを見て、遥さんがふふっと微笑む可憐。

「休憩、する?」

「おぉ、する」

 二人で外に出て飲み物を買いに出た。

 こういった気遣いの出来る遥さんの彼氏になれたらいいななんて、本気で思っちゃっている俺、やっぱ分不相応だよなぁ。

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