第88話 ひげよさらば

「獲ったど~!」


 俺は門前に群がっていた兵士達の後ろから、意識を失ったままの男爵を頭の上で片手でくるくると回しながら近寄っていった。

 本当ならこれで戦闘を止めるつもりだったんだが、さっきのエレーナの爆発魔法で門の前は死屍累々の状態になっている。


「ううっ」

「目がぁ、目がぁ」

「助け……」


 そこかしこから聞こえるうめき声を聞く限り死人はいないようだが、それなりの重傷者はいそうだ。

 見るとインティアが兵士数人を山積みにして何やら水をぶっかけている。


「あっ、拓海様。おかえりなさい」

「お、おぅエレーナさん。これはちょっとやりすぎなんじゃ……」


 俺は近寄ってきたエレーナに男爵を地面におろしながら告げると、彼女は少しバツの悪そうな顔をしてから言い訳を並べ立てた。

 どうやら彼女はまだ炎の指輪によるバフ効果をきちんと制御出来ず、自分が思った以上の威力が出てしまったらしい。


「私はちょっと驚かそうとしただけなんです! 信じてください!」

「うん、まぁ、信じるよ。信じるけどさ」


 俺は必死に言い募るエレーナの頭をポンポンッと軽く叩いて。


「制御出来るようになるまで、その炎の指輪は外して置いたほうがいいんじゃないか?」


 そう告げると彼女はズササッと後ろに後ずさって俺との距離を置いた。

 大事そうに左手の指にはめた炎を指輪を守るように右手で隠す。


「嫌ですっ。これは拓海様から貰った大切な贈り物。もし外して失くしてしまったらと思うと絶対に外せません!」


 俺が炎の指輪を取り上げるとでも思ったのか、可愛い顔で睨んでくるエレーナ。


 まぁ、確かにあの指輪は掘り出し物だったし、失くしたら勿体無いどころではない代物だけど。

 そこまで大事にしてくれているものを奪うわけがないだろうに。


「きちんと制御できるように特訓しますから」


 そう懇願するエレーナに俺は頭をかきながら「わかったよ」とだけ答えた。

 その間も視界の隅でちょこちょことインティアが、あっちへ行ったりこっちへ行ったり忙しそうに動き回っている。


「ところでエレーナさん、さっきからインティアが倒れてる兵士に水を掛けて回ってるんだけど、あれってもしかして」

「ええ、私がほんのちょっぴりだけ力の入れ具合を間違ってしまって怪我をしてしまった兵士さん達を回復して回ってくれてるんです」


 俺のイメージしてた回復魔法と違う。


 もっとこう、神々しい光が患者を包み込んでみるみるうちに怪我が!ってのが回復魔法のイメージなのに。


「いきますですよっ! はいいいっ!」


 どばーっ!!


 インティアの威勢のいい掛け声とともに、倒れ伏してうめいている兵士に何処からか現れた水がぶっかけられる。

 不思議なことに水が掛かった途端、兵士の火傷や切り傷が目に見えて回復していく。


 これはあれか。

 ポーションとかエリクサーを飲むんじゃなく傷口にぶっかける感じなのか?


 そう考えると納得は行く。

 納得は行くが、突然水をひっかぶって、気道にでも入ったのか猛烈に咳き込んでいる水浸しの兵士を見るとやっぱりなんか違う。

 あと、インティアの掛け声も気になって仕方がない。


「あらあら。拓海様、ご苦労様でした」


 光の剣を扇状に変化させて口元を隠しながら楚々とした在るきか亜で近づいてくるエリネスさん。

 その体は何処にも怪我は無さそうだ。

 流石である。


「エリネスさんこそお疲れ様です」


 俺のその言葉に彼女は扇を消して少し疲れたように。


「ええ、まったく。昔ならこの程度息も切らさず倒せたものですが。公爵家に嫁いでから鈍りましたわ。こんなことでは師匠に怒られてしまいます」

「あははは……」


 渇いた笑い声を返すしか無かった。

 俺と同じく異世界人であろう師匠さんよ……流石に弟子を鍛えすぎだろう。


「それよりも、そこにいる無様に眠っている男は、先程大言壮語を吐いていた男爵ではございませんか」

「ええまぁ。ついでに見つけたんで連れてきたんですけど、まずかったですかね?」

「私の髭をみすぼらしいなどと……」


 男爵を目にしたことでエリネスさんが、さっき門前で言われたことを思い出したようだ。

 目に見えて怒りゲージが上がっていくのを感じる。

 そして、さっき消したはずの光の剣がその手に顕現する。


「え、エリネスさん。一体何を? まさか殺……」

「あらあらうふふ。私がそんな事をするはずがないではありませんか」


 口は笑っているが目が笑ってませんよエリネスさん。


「そ、そうですよね」

「ええ、この男には違法奴隷売買の罪をこれから十分に償ってもらわないといけませんし」


 そこで言葉を区切って彼女は言い放った。


「簡単に死んで楽になられては困りますわ」


 怖っ。

 この人怖っ。


「ですので、優しい私はこれで許して差し上げます」


 そう言うと彼女は手に持った光の剣で、仰向けに倒れていたドリュウズ男爵の首を掻っ切った。


「えええええっ」


 突然の凶行に一瞬驚いた俺だが、別に男爵の首が胴体からおさらばした気配はない。

 血も吹き出していない。


「一体何を?」

「あらあら、人の髭を嘲笑った者に当然の報いを受けさせたまでですわ」


 彼女の言葉にもう一度男爵の方に目を向けると……。


 バサリ。


 ドリュウズ男爵の顎から立派に生えていた髭が真横に切断され、地面に落ちた。

 さっきの光の剣の一撃は、彼の首ではなくその手前の髭を切断しただけだったようだ。


「無様な髭ですこと」


 彼女はそれだけ言い残すと、インティアが回復させた水浸しの兵士達が集まっている方へ歩いて行ってしまう。


「怖かった……」

「ドワーフ族はお髭を馬鹿にされるのが一番嫌なのです」

「まぁ、ドワーフ族の髭へのこだわりはエルフ族との話からもだいたい察してたけどさ」


 そう口にしてからエレーナの顔を見る。

 彼女の顔にはまだ髭が生えてくる兆候は見えない。

 でも近い内に彼女もヒゲモジャになるのだろう。


「どうしました拓海様?」


 俺は可愛らしく小首をかしげる彼女の顔を見ながら、そんな日が来るのがずっと先であれと願うのであった。

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