第四章 正当後継者

4-1 「・・・そういうのありなの?」

アルステイルは死んだ。なぜそうなったのか、エリスには分からないことばかりだったが、はっきりしていることもある。参謀は、エリスを第三親衛隊から退かせようとしていたこと。その後どうするつもりだったかはともかく、エリスが隊長では都合が悪いようだった。


ならば一連の情報工作も参謀の仕組んだものだろう。そもそも、熟練の密偵を遠ざけ、ノウキンだけを本部に集めたのも参謀だ。あのときから計画は練られていたのだろう。敵が何を目指しているにしろ、部隊の統制を引き締めなければならないことは明らかだった。


エリスは立ち上がり、号令をかけた。


「諸君。整列」


あの日は無視されたが、今度は皆おとなしく従った。ほとんどのノウキン達は状況を飲み込めていない。参謀が部隊を裏切っていたということはなんとなく分かるが、どうしてそうなったのか、それが何を意味するのか、全く思いもつかない。


「参謀君のことは残念だった。私も彼のことは信じていた。あんた達がころっと騙されて、不満を募らせたのも仕方ないと思う。相手が参謀君じゃ、そりゃそうなるよね」


面目ないという感じで、ノウキン達がうつむく。この事態を招いた一因が、自分たちの思慮のなさであることは察したようだ。


ここで、エリスは疑念を解くことも出来た。一時的にではあるが、広まっている噂を否定して、隊員の結束を取り戻すことは可能だった。だが、それは一時しのぎにしかならない。だから事実を打ち明けることにした。


「参謀君がどこからどうやって入手した情報かは知らない。ただ、あんた達が聞いたうわさ話は、全部が全部嘘じゃなかった。あんた達が余計にへそを曲げると思って黙ってたけど、私がおーさまの養女になるのは本当のことらしい」


隊員から声が上がる。何で黙ってたんだよ、と。


「でも、王女にはなるけど王位継承権はもらわないってさ。だから、私がおーじさまの死を望んでいるというのは作り話。私が女王になることはあり得ない。でも、あんた達はその話を信じちゃってるし、王女になるという部分だけが本当だったといっても、どうせ信じないでしょ」

「そうじゃねえ、どうして最初から教えてくれなかったんだ」

「最初といったって、私がこの話を聞いたのは、イルルスから急いで帰ってきたときだよ。あのときに私は生きて帰れないことも覚悟して、おーさまに事態の報告をしにいった。そしたら、『おぬしを儂の養女に迎えるのは事実だ』って言われたんだもん」


隊員達は皆、おおらかで生真面目で、優秀なのか間抜けなのか分からない隊長の仕事ぶりに敬意を払っていた。失敗は多かったが、それでも隊員達と共にくぐり抜けてきた。自分たちのリーダーが王女になるといわれて、悪い気はしなかっただろう。


娘のように感じる者もいれば、妹のように思う者もいる。それでいて振る舞いは姉御なわけだが、それもおもしろかった。彼らの心に亀裂を入れたものがあるとすれば、それは打ち明けてもらえなかった、ということだけだった。なぜ隠すのか。街で流れる噂は真実みがあり、とても嘘とは思えない。それでも頑なに秘密にしようとするのはなぜなのか。


わずかばかりのすれ違い。情報を入手したタイミングのちょっとした差が、その後のわだかまりを増幅させていった。もし魔王がエリスに事情を説明していれば、ノウキン達よりも早く王女になる話を知らされていれば、それを隊員にも伝え、多くの祝福を受けられただろう。


魔王がエリスに秘密にしているうちに情報が漏れ出し、その隙を突いた参謀の計略にはまってしまった。


ノウキン達も、今のエリスの言葉に嘘がないことは信じている。本当にエリス自身、王女になる話を知らなかったのだと。


「すまねえ。姉御がどうしてその程度のことを秘密にするのか分からなかった。第三王子も死ねば自分が女王だ、そういう目論見があるなら、確かに黙っていたいだろうなって納得しちまった」


ベルナルドが頭を下げる。


「そういうわけだから。各自、自分の心の整理をつけておくこと。私がお貴族様になるのが気に入らないっていうのはかまわないけど、決まったことのようだし、私がお願いしたことじゃないんだから」

「別に、そういうわけじゃねえって」

「あらそう。なら、祝ってくれるの?」


エリスはあえて、以前と同じ口調で聞いた。ベルナルドや、他のノウキン達も頷いた。


「あたりめえだろう。姉御がいけ好かねえ貴族になるっていうなら、もう手加減しねえ。女子供だと思って優しくしてやる義理なんかなくなるんだからな」


エリスは満面の笑みを浮かべた。隊員にとって、エリスの笑顔はなにか辛い出来事と結びついている。背筋に冷たいものが走るが、このときの笑顔の半分くらいは、作り笑いではなかった。


「じゃあ私は、おーさまに報告してくるから」


アルステイルの埋葬の準備をするように言いつけて、エリスはルキウスを連れて城に向かう。残されたノウキン達はマリーに詫びを言い、率直な疑問をぶつけた。


「あんたらは何でまったく噂を信じなかったんだ?」

「あんなの信じるわけないじゃん」

「だから、なんでだよ」


マリーは少し考えた。だが、やはりマリーもノウキン族の一人だ。考えてもいい答えは浮かばない。


「なんていうかさ、あれだよ。エリスが平民の生まれだって言うことが信じられないんだよ」

「姉御は貴族なのか?」

「わかんないけどさ。昔はすっごい綺麗な鞘の短刀とか持ってたよ。宝石がちりばめられてるようなやつ。いつの間にか無くしちゃったようだけど」


エリスは昔話をしない。だから仲間達も昔の話をしなかった。三人が旅をしていた頃の話は、魔王ですらほとんど知らない。


「エリスの生まれがどうであろうと、今の身分を思えば、いつだって貴族にはなれるはずでしょ? なんで陰謀を企ててまで王女やら女王やらにならなきゃいけないの」

「はー、そういうもんかねぇ」


一片の疑いも持たない理由として、それで十分なのかどうか、ノウキン達には理解しかねた。だが、真実が明らかになった以上、腹を決めるしかなかった。これで部隊の統率は回復するだろう。


エリスの報告を受けたアルベルトは、難しい顔をして考え込んだ。参謀が間者だったということは、かなりな程度まで国内の状況が漏れていたことになる。


「それで、何も吐かせずに自死を許したのか?」

「そうだよ?」

「おぬし、自分の仕事がなんだか分かっておるか?」

「おーさまこそ、誰のおかげでアルフォンソから都が守れたか、覚えてるの?」


そう言われてしまうと、魔王としても言葉がなかった。あきらめたように首を振る。


「分かった。参謀には官位を授け、名誉は守ろう。それはいい。問題は参謀が何を企んでいたのか、だ」


ここのところ、アルベルト自身の思考の中身は、あまりエリスには語られなかった。知謀によって名を上げた魔王ではあるが、現場の判断は信頼することにしていた。アルステイルがいれば、自分がいちいち口を挟まなくてもうまくやれるだろうと考えていた。しかし、その参謀がいなくなってしまった。エリスではまだ、物事の裏側までは見抜けまい。


「あやつがアルフや、その辺の貴族の手先でないことは間違いない。それならばアルフォンソを撃退しておらんからな。かといって神官や平民から送り込まれたとすると、その意図が読めん。あやつは政治には一切口出しをしておらぬ。第三親衛隊に手下を送り込んでも、それで何が知りたかったのだろうか」

「最後は、私を引退させたかったみたいだけど」

「そこが重要だ。おまえを失脚させる理由に、心当たりはある。聞きたいか?」


エリスは首をかしげた。何当たり前のことを聞いているんだろうという感じで聞き返す。


「そりゃ聞きたいけど?」

「おぬしを儂の養女にする話をしたな。それと関係する。どうだ、邪魔はしないと約束するか? 内心いやがるのはかまわん。想定内だ」


魔王はエリスが絶対いやがると言っていた。血を流さないために必要なことだとも。いたずら好きのアルベルトは、人を騙して楽しむ癖はあるが、嘘はつかない。本当のことを伝えずに誤解させることはあっても、はっきりと虚言を弄することはしなかった。


「どうせ拒絶できないなら、邪魔したって仕方ないし。血を流さないためって言うのが嘘じゃないなら、まぁいいよ」


エリスの答えに満足すると、魔王は語り出した。


「もうじきランカプールも落ちるはずだ。だが、ずいぶん長い間西方が静かだと思わなかったか? あれだけの内乱がおきながら、神聖帝国は一兵も動かさなかった」

「あぁ、うん。そうだね。動かれなくてよかったねって思ってたよ」

「最初は動かなかったのではない。動けなかったのだ。多分な。だが、途中からは動けなかったのではなく、動かなかった。儂の方でも手を打った。神聖帝国とは婚姻を結ぶ手はずとなっている」

「へー。ちゃんと周りのことも考えてたんだ」

「当然だろう」

「で、それ、まさか私が王女様として結婚させられるとかじゃないよね?」


アルベルトは優しい笑みを浮かべている。


「神聖帝国の第二皇子は武辺者ぶへんものでな。おぬしが嫌う陰謀好きではない。気が合うと思うぞ」

「うわー、まじかー」

「ま、それはどうでもいい。今重要なのはそこではない」

「私には大事なんだけど」

「黙っておれ。さて、この件が参謀に関係するのかもしれん。だとすると、参謀を送り込んできたのは何者だろうか? おぬしを失脚させることで、この婚姻に何かしらの影響を与えられるとして、それで得をするのは何者か?」


長い話になりそうだと、エリスは覚悟した。魔王の話は興味深く、内容はおもしろいが、話し方が回りくどいのが好きではなかった。


「第一に考えられるのは、ガーラ教国だ。知っての通り、ガーラは神聖帝国の旧宗主国、母体であり、現在も両国は交戦中だ。ロムリアと神聖帝国の婚姻は、ガーラにとっては都合が悪かろう。もう一つは神聖帝国内部の有力者、第二皇子の妃の座を狙う者。おぬしに横取りされるのを恐れた何者かと、参謀がつながっていたと考えることも出来る」

「それで何で矛先が私に向かうの。おかしくない?」


アルベルトも頷いた。


「そうだ、おかしい」

「だよね」


二人の言う「おかしい」の意味は食い違っているが、言葉のやりとりの上では話が通じているように聞こえる。


「この婚姻は、ロムリアの実権を握る宰相と神聖皇帝の間で結ばれるものだ。名目上は二カ国間の結婚だ。誰が妃となるかは問題ではない。仮におぬしが暗殺されたとしても、代わりに別な人間が妃になるだけの話だ。このやり方では婚姻を中止させることは出来ん」


自分の説明を理解できているかどうか、エリスの表情を窺いながら話を続ける。


「あの参謀が、その程度の道理を見抜けないはずはない。とすれば、目的は婚姻の妨害ではなく、妃の変更だったと見るべきだろう。おぬしに妃になられては困る者がいる、ということだ」

「わかった、おーさま。違う人を候補にしよう。私もせっかくの玉の輿の機会をもったいないけど、別な人に譲るよ」


魔王は聞き流しながら進める。


「なぜおぬしでは困るのか。考え方はいくつかあるが、集約すれば二つに絞れる。おぬしが優秀すぎて困るのか、おぬしが危険すぎて困るのか、だ」

「まぁ、魔女なんて異名がついちゃってるからね。人殺しが趣味です、なんて女、誰も欲しがらないよね」

「優秀すぎると都合が悪いのは誰だ? 第二皇子に害なす何者かだろう。敵からすれば、妃は馬鹿なほど都合がいい。では危険を避けたいのは誰か? 第二皇子を守る者達だろう。暗殺の技術を持つ妃では、皇子の身を守るのも大変になる」


一度ここで言葉を句切り、その先をどう続けるべきかを考えた。エリスは、言われている言葉は理解したが、それがどうつながるのかは分かっていない。


「仮に、この推測が正しいとする。参謀がまったく違う理由で動いていた可能性はあるが、ひとまずこうだとしよう。すると、可能性として高いのは前者だ。第二皇子の命を狙う勢力が存在し、参謀はそこから送られていた。そう考えるのが自然だ」

「なんでわかるの?」

「参謀はおぬしのことをよく知っている。魔女の異名が作られたものであることもな。ならばおぬしが妃になったとて、皇子を害する危険がないことも分かるはずだ」


エリスはなるほどと頷いた。そこで気がついた。


「あのさ、それって私、危ないところに嫁ぐことになるんじゃないの?」

「そうなる。これほどの任務、こなせる者はおぬししかおるまい?」

「娘の身が心配じゃないの?」

「心配だとも。だから一番信頼できる人間を送るんだよ」


皮肉合戦でエリスに勝ち目はない。


「政略結婚なんてどこにでもある話だし、別に驚かないけどさ。嫁いだ先でも密偵みたいなことしないといけないの?」

「当然だろう? そのための第三親衛隊だ」

「でも、そのときはもう私隊長じゃないでしょ?」

「なぜだ? いつおぬしを解任すると言った?」

「は?」

「おぬしは儂の養女になる。ブランデルンの王女の身分になる。だが、第三親衛隊の隊長はそのままだぞ?」

「・・・そういうのありなの?」

「どうしてなしだと思ったんだ?」


確かに、一言も今の地位を解かれるとは言われていない。


「諜報部の隊長のまま、相手は結婚してくれるの?」

「そのあたりは特に議題に上っておらんな。先ほどの推測が正しければ、むしろその方が相手にも好都合だろうよ。第二皇子自身にとっては、だが」

「はー、そういうもんかなぁ」


政治の世界はややこしい。エリスはため息をつき、席を立った。報告すべき事はしたし、自分が知っても扱いきれない話ばかりだ。


「都にどのくらい間者が潜り込んでいるかは分からん。重々気をつけよ」

「分かってるよ。今日はルキウスを連れてきてる」


エリスの頭は参謀の死と、自分の結婚の話でいっぱいだった。妨害はしないと約束してしまったし、自分に出来ることは何もない。しかも結婚しても諜報部員だとか、さらにややこしい立場におかれそうな未来にうんざりし、少年を素通りした。


時折声をかけてくるイルルスの王子。これから数日後、少年は暗殺された。

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